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07 義弟の来訪

 魔物騒動から三日が経った頃。

 ギルドの前に、この辺境の街にはあまり似つかわしくない馬車が停まった。


 エーデルガルト家の紋章が刻まれた馬車。


 私は受付カウンターで依頼書を整理していた手を止め、嫌な予感に身体を強張らせた。

 馬車の扉が開き、降りてきたのは――金色の髪に、炎のような赤い瞳を持つ美青年だ。


「姉上、お元気でしたか?」


 その声に、私は息を呑んだ。


「カイル……」


 継母の息子、カイル・エーデルガルト。

【炎魔法】と【剣術強化】という華々しいスキルを授かり、父様に溺愛されている、私の義弟。


「ああ、なんということだ……! 姉上のような尊いお方が、こんな埃っぽい辺境で、しかもエプロン姿で下働きをさせられているなんて……! ですが、そのお姿も可憐で素晴らしい……っ!」


「え、ええと。カイル、声が大きいわ」


 再会の感動からか、プルプルと震えながら詰め寄ってくるカイルを、私は慌てて手で制す。


「驚かせてしまいましたね。姉上がこの街におられると聞いて、様子を見に参りました!」


 彼は昔から、私に対して悪意を向けたことはない。

 ただ、父様の寵愛を一身に受けている――そして、なぜか昔から私に対して異常なほどの執着(シスコン)を見せる、それだけの存在。


「あの、わざわざ……どうして?」


「父上が、少し心配しておられまして」


 カイルが申し訳なさそうに眉を下げた。


「あの日のことは、父上も言い過ぎたと反省しておられます。勘当したつもりはない、と」


(……ああ、そう)


 私は複雑な気持ちで、カイルを見つめた。

 父様が反省? 

 それは嘘ではないのかもしれない。

 でも、私を追い出したことに変わりはないと思う。


「姉上、もしよろしければ、お昼をご一緒しませんか? 久しぶりに、お話がしたいのです」


 カイルの瞳は、純粋だった。

 いつだって、彼は私を真っすぐに見る。

 本当に、心配して来てくれたのだろう。


「……わかったわ。少しだけなら」


 私がそう答えた時、ギルドの扉が開いた。


「……依頼を受けたいのだが」


 低く、甘い声。

 レオンさんだ。


 彼はいつものように黒いマントを纏い、カウンターへ向かい、カイルの姿を認めて足を止めた。


「レオンさん、お疲れ様です。今日の依頼は……」


「……その男は?」


 レオンさんの声が、いつもより低い。

 翡翠色の瞳が、カイルを鋭く見据えている。


「あ、えっと……私の、義弟のカイルです。様子を見に来てくれて」


「義弟」


 レオンさんが、その言葉を繰り返した。

 何か、その声色に微かな緊張が走った気がした。


 カイルが、レオンさんに向き直る。


「初めまして。姉上がお世話になっているようで、感謝しております」


 カイルが礼儀正しく頭を下げた。

 レオンさんは、無言でそれを見つめている。

 何か、空気が重い。


「あの、レオンさん……?」


「……後にする」


 レオンさんはそう言うと、踵を返してギルドを出ていってしまった。



 ギルドの私の私室じゃ狭すぎるし、私は昼食がてらカイルを連れて、街の小さな食堂に入った。

 テーブルに座ると、カイルが改めて私の顔を見つめた。


「姉上、お元気そうで安心しました」


「ええ、元気よ。むしろ、王都にいた時より楽しいくらい」


 私の言葉に、カイルがわずかに目を見開いた。


「……楽しい、ですか」


「そうよ。ギルドの皆さんは優しいし、仕事も充実してる。ここに来て、本当によかったと思ってるわ」


 それは本心だった。

 カイルは少し寂しそうに微笑んだ。


「そうですか……それなら、良かった。実は、父上は姉上が困窮しているのではないかと心配していたのです」


「困窮? まさか。ちゃんと働いてるし、お給料ももらってるわ」


「それを聞いて、安心しました」


 カイルがホッとしたように息をついた。


「父上も、姉上に戻ってきてほしいとは思っているようですが……無理に連れ戻すつもりはないと」


 戻ってきてほしい、か。

 でも、あの日、私を「ゴミスキル」と罵ったのは誰だったかしら。


「ありがとう、カイル。でも、私はここで暮らしていくつもりよ」


「そ、う、ですか……」


 カイルが少し寂しそうに頷いた。

 ……かと思いきや、ガシッと私の両手を握りしめてきた。


「姉上がどうしてもここが良いと仰るなら……僕がこの街に別邸を建てましょう! いや、いっそ僕も学園を退学してここに住み込み、姉上に寄り付く羽虫をすべて焼き払う専属騎士に――」


「ダメに決まってるでしょ!? あなたには次期伯爵としての立派な未来があるんだから!」


 私が全力で却下すると、カイルは「……しゅん」と犬のように耳を垂らした。


「わかりました……今は、引き下がります。ですが、もし困ったことがあれば、いつでも連絡してください。姉上を一番愛しているのは、家族である僕なんですから」


 その言葉に、私の胸が少しだけ温かくなった。

 カイルは、本当に優しい子だ。

 彼に罪はない。


「ありがとう、カイル」


 店を出ると、夕暮れ時の街に、オレンジ色の光が満ちていた。


「それでは、僕はこれで。姉上、お元気で」 


 カイルが馬車に乗り込もうとした時、背後から声がかかった。


「待て」 


 振り返ると、そこには黒いマントを翻したレオンさんが立っていた。


「レオンさん……」


「ユフィの義弟殿」 


 レオンさんの声が、いつになく鋭い。

 カイルは、レオンさんを真っ直ぐ見返す。


「貴方は……先ほども……姉上の、知人ですか?」


「……冒険者だ。ギルドで世話になっている」


「そうですか」


 カイルの赤い瞳が、スッと細められた。


「姉上は、僕にとって世界で一番尊い人です。どこの馬の骨とも知れない冒険者ごときが、軽々しく触れていいような方ではありません」


「ちょっとカイル! 失礼でしょ」


 カイルが牽制するように、レオンさんを睨みつける。

 レオンさんは、無言でそれを見つめている。

 翡翠色の瞳の奥で、カイルの挑発に対する冷たい殺気が揺らいだのを、私は気づかなかった。


 カイルは私の手をぎゅっと握りしめたあと、名残惜しそうに馬車に乗り込み、去っていく。

 馬車が見えなくなると、やっとレオンさんが私の方を向いた。


「……あの男は、何をしに来た」


「様子を見に来ただけですよ。父が、私のことを少し心配していたみたいで」


「お前は、家に戻らないのか」


「え?」


「家族が心配しているなら」 


 その問いに、私は首を横に振った。


「戻りません。私がこっちで暮らした方が、私たち家族にとっては良いと思っています」


「……そうか」


 レオンさんの肩から、ふっと力が抜けた気がした。


「レオンさん、もしかして……心配してくれたんですか?」 


 私の問いかけに、レオンさんは視線を逸らした。


「……当然だろう……お前は、ギルドの受付だ。急にいなくなられては、困る」 


 そう言いながら、彼の声はどこか不自然だった。

 沈黙が降りる。


「……少し、歩くか」


 レオンさんがそう言って、街外れの方へ歩き出した。

 辿り着いたのは、街を見下ろせる小さな丘。

 夕日が、地平線に沈もうとしている。


「綺麗……」


 私が呟くと、レオンさんが小さく頷いた。

 しばらく、二人で黙って夕日を眺める。


「レオンさん」


「……何だ」


「私、ここに来て本当によかったと思ってます。ギルドの皆さんも優しいし、レオンさんとも出会えたし」 


 私の言葉に、レオンさんが僅かに顔を向けた。


「……俺も、だ」


「え?」


「お前に、会えてよかった」


 その言葉が、胸に深く染み渡っていく。


「この街に来て……お前と出会えたことが、俺にとって……」 


 彼が言葉を飲み込んだ。 

 夕日が、彼の横顔を赤く染めている。


「……いや、何でもない……そろそろ、戻るか」 



 宿に戻った俺は、部屋で一人、考え込んでいた。


「あの金髪の青年……カイル」 


 彼がユフィの傍にいる姿を見た瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。


「……何をしている、俺は」 


 任務がある。

 国境の魔物の異常発生を調査し、黒幕を突き止めなければならない。

 王子として、騎士団長として、やるべきことがある。

 それなのに、頭の中はユフィのことでいっぱいだ。


「……あの男について、少し調べておくか」 


 ユフィの義弟。

 彼女が関わる人間なら、念のため情報を集めておくべきだろう。 

 それが、任務のためなのか、それとも――。 

 俺は大きく首を振ると、自分の気持ちに蓋をするように、調査の準備を始めた。

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