39 想定外の事後報告
えっと、ここどこ……。
見渡す限りの青空と、眼下に広がる白い雲海。
私は、360度ガラス張りになった、不思議な高い塔の最上階に立っていた。
「きゅきゅっ!」
ふいに、ポケットの中にいたシロが飛び出し、眩い光を放ちながらふわりと宙に浮き上がった。
『我は女神の使い。よくぞここまで辿り着いた、異界の魂を持つ者よ』
脳内に直接響く、荘厳で威厳のある声。
シ、シロ……いきなりキャラ変わってない!?
『なんて、おどろいたか? 主』
「驚くっていうか、どうしたの」
『主を、ここまで連れてくるのが、我のおしごとなのだ! きゅい』
状況をまったく分かっていない私の目の前で、シロは器用に浮いたまま胸を反らしドヤ顔をしていて、ちょっと可愛い。
呑気な感想を思い浮かべているところ、ガラスの向こう側が光り輝き、神々しい美しさを放つ超絶美女様の姿が浮かび上がった。
『ユフィ―リアよ……貴女は、この世界を導く『転生乙女』として選ばれました。肉体は現実世界に残し、今、貴女の精神だけをこの聖なる塔へ招き入れています……』
美女様は、慈愛に満ちた微笑みで優しく語りかけてくる。
『奇跡をもたらす真の力に目覚めるためには、貴女の魂の半身となる『番』を選ばなくてはなりません。そして、選ばれし騎士に対し、貴女の純潔……乙女を捧げる儀式を行うのです。さあ、貴女の心に決めた騎士は――』
「あの、すみません、女神様? でしょうか」
私は空気を読まずに、恐る恐る手を挙げた。
乙女とか……純潔とか……ってまさか。
そーいうことを指しているんだろうか。
「その……純潔……なら、ついこの間、港町の宿屋でもう捧げちゃったんですけど……」
王宮での夜は、辛うじて、なんというかその最後までは致してなくて。
キスして、そのあと色々されているうちに、気絶しちゃってたんだよね……。
ピタッ。
女神様らしき美女の動きが、完全に停止した。
『捧げた? もう?』
「出張先の特別室がベッド一つしかなくて、その……私の王子様が激重というか、ものすごく手際が良くてですね」
『ええええええっ!? 順番!! 神聖な覚醒の儀式をすっ飛ばして何してるのよ貴女たち!!』
慈愛に満ちていたはずの女神様が、いきなり素に戻って頭を抱え始めた。
そして、まるで八つ当たりするかのように、ぎろりと女神様がシロを睨みながら、首元を摘まみあげる。
『黒龍よ、そちを下界に下ろしたのは……!』
『レオンが火酒くれたのだ。目をつぶっている代わりにー!』
『あのね、普通こういうのは! 危機を前にして、二人の絆を確かめ合う感動的なクライマックスでやるものでしょう!? なんでただの出先で済ませちゃってるのよ!!』
「だ、だって、前世から恋愛経験値ゼロだったので、押し切られちゃって……もう私にはあれ以上『待て』をさせるテクニック無かったんです!」
『ああもう、これだから最近の転生者は! はあ、もうどうでもいいわ、勝手に幸せになりなさい!! はい、覚醒完了!』
まさかの事後報告に、神々しい空間の空気は一気に台無しになってしまった。
こうして、伝説の転生乙女の覚醒イベントは、女神様の盛大なツッコミとともにグダグダな終わりを迎えたっぽい。
私が、女神様と対面を果たしていた頃、現実世界のアルヴェリア王宮では。
「ユフィ!? おい、ユフィ!! 目を覚ませッ!!」
会議室でレオンさんに抱きしめられた直後、私が突然糸が切れたように気を失ったことで、王宮は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
「医者を呼べ! 息はあるが、意識が戻らない! くそっ、何が起きたんだ!」
レオンさんが私を抱き抱えたまま、半狂乱になって叫んでいる。
シベリウス様とセーリナ様も青ざめ、すぐさま王家直属の宮廷医を総動員したが、私が倒れた原因は全く不明だった。
「おそらく『転生乙女』の覚醒に関わる何かだろう。書物庫の文献をすべて洗え!」
シベリウス様の号令で、国中の学者たちが古文書を漁り始めた。
しかし、神話の記録は欠片ばかりで、「神の塔へ至る」「試練の眠り」といった意味不明な記述しか見つからない。
――そして、私が目覚めないまま、なんと一ヶ月が経過してしまった、らしい。
その間、レオンさんは一切の職務をまたしてもシベリウス様に丸投げし、ただひたすらに私のベッドの傍らで手を握り続けていた。
あの美しい顔はげっそりとやつれ、目の下には深い隈ができている。
だが、眠り続ける私を見つめる翡翠の瞳には、恐ろしいほどの執着と、痛いほどの愛情が宿ったままだった。
一方、セーリナ様とシベリウス様は、ただ手をこまねいていたわけではなかった。
「ユフィがいつ目覚めてもいいように、盤石な体制を整えておかねばなりませんね」
「ああ。レオンの正式な妻として迎え入れるためにも、彼女の身分をアルヴェリアの有力貴族の養女にしてしまおう。幸い、宰相派を一掃したことで、我が派閥の筆頭公爵が喜んで引き受けてくれた」
私が呑気に神の塔で女神様に説教されている間に、現実世界では、私の身分が『平民(元・追放された他国の伯爵令嬢)』から『アルヴェリア王国筆頭公爵令嬢』へと、とんでもないクラスチェンジを果たす下準備が完了していたのだ。
「あとは、彼女の産みの親である実家に、正式な挨拶へ行く手はずを整えるだけですね」
セーリナ様が優雅に扇を揺らす。
そんな、外堀が完全に埋まりきったことなど露知らず。
「ん、んん……?」
私がようやく神の塔から精神を帰還させ、現実世界でゆっくりとまぶたを開けたのは、ちょうどその時だった。
「……ユ、フィ……?」
視界に映ったのは、ボロボロになりながらも私の手を力強く握りしめている、氷の狂犬の信じられないほど安堵に満ちた顔。
「おはようございます、レオンさん。なんだか、すごく長く寝ていたような……」
私が小さく微笑んで声をかけた瞬間。
レオンさんは「あぁ……っ」と掠れた嗚咽を漏らしながら、私の首筋に顔を埋めて、まるで迷子から見つかった子供のように、ポロポロと涙を流して泣き崩れた。




