30 お試し交際
「け、結婚!? いやいやいや、早すぎます!」
突如として求婚してきたレオンさんに、私は慌てて両手を振った。
「結婚なんて、万が一生活の相性が最悪だった時に取り返しがつきませんよ! 戸籍を戻すのも財産分与もめちゃくちゃ面倒で効率が悪いんです! だから、まずは『お付き合い』という名のお試し期間からでお願いします!」
前世のリアルな結婚観を力説する私に、シベリウス様は「この狂犬に対してなんて現実的な……」と慄いていた。
セーリナ様はと言えば、扇で口元を隠し、「……ロマンの欠片もない娘ですね」と、呆れたように、けれどどこか面白がるように目を細めている。
「お付き合い……お試し、だと?」
レオンさんが、目を瞬かせる。
私は彼を真っ直ぐに見つめ返して、コクリと頷いた。
「はい。お互いのことをもっとよく知るための期間です。レオンさんのことは好きですけど、私、あなたの好きな食べ物も、休日の過ごし方も、まだ全然知らないですし」
「俺の好きなものは、お前だ」
「物じゃないです! そういうところですよ!」
私がビシッと指を差すと、レオンさんはハッとしたように目を見開き、そして……ふっと、ひどく甘く、熱を帯びた声で笑った。
「そうか。俺はお前のことを誰よりも知っているつもりでいたが……お前はまだ、俺の深い部分を知らないということだな」
「そういう事じゃなくって……」
レオンさんがその場にひざまずき、私の右手をそっと取った。
さっきまで周囲を絶対零度で凍りつかせていた死神のようなオーラは欠片もなく、今の彼は、ただ一人の主に絶対の忠誠を誓う騎士そのものだった。
「わかった。ならば、お前が一生手放したくないと思うような、世界一の恋人になってみせよう」
ちゅっ、と。
私の指先に、熱い唇が落とされる。
「お前が俺の全てを知り、俺なしでは生きられないと泣いてすがるまで、徹底的に愛し抜いてやる。……覚悟しておけよ、ユフィ」
見上げられた翡翠の瞳が、獲物を絶対に逃さない肉食獣のように妖しく光っていた。
あまりの顔の良さと、限界突破した重すぎる熱量に、私は「ひゃい」と情けない声を出して赤面することしかできない。
「あー……コホン」
甘すぎる空気に耐えきれなくなったのか、シベリウス様がわざとらしく咳払いをした。
「二人の世界に入っているところ悪いけれど。レオン、君はまだ国境の警備任務と、今回の無断離脱の始末書が山ほど残っているはずだが?」
「…………」
シベリウス様が声をかけた瞬間、レオンさんがチッと舌打ちをし、振り返りざまに殺気を纏った氷の刃のような視線を兄に向けた。
私に向ける甘い眼差しとは、まるで別人のような容赦のない冷酷さだ。
「うるさい。俺は今からユフィとの交際計画を立てるのに忙しい。政務など貴様が全部やっておけ」
「お前、兄の扱いが適当過ぎるだろう!?」
「あら、レオンティウス。まさか、お付き合いの第一歩が職務放棄だとは言いませんよね?」
張り詰めた空気の中、セーリナ様が凛とした声で介入した。
彼女は扇を優雅に揺らしながら、底冷えのするような笑みを浮かべる。
「ただでさえ野蛮で無愛想なお前が、仕事すらまともにこなせない無能だとしたら……ユフィ、貴女はそのような男を、恋人として手元に置いておきたいと思いますか?」
セーリナ様が放った「毒婦としての嫌味」に聞こえる完璧なパス。
それに乗っかるように、私はコクリと頷いた。
「あ、はい……お仕事はちゃんと責任持ってやる方が好き、です……」
私のその一言で、レオンさんの肩がビクッと跳ねた。
「わかった。三日分の仕事を一刻半で終わらせてくる。ここで待っていろ」
レオンさんは私にだけもう一度甘く微笑むと、凄まじいスピードで東屋を飛び出し、王宮内へと消えていった。
「……相変わらず、激しいですわね……」
「本当に。ユフィ、君が彼の手綱をしっかり握っていてくれて助かるよ」
呆れ顔のシベリウス様と、扇の奥で密かに安堵の息を吐いているセーリナ様の前で、私はまだ熱の残る自分の指先をギュッと握りしめていた。
こうして、大国の第二王子にして氷の狂犬との、ご家族公認の最高に甘いお試し交際が幕を開けたのだった。




