29 氷の狂犬の帰還
「ええと……これは、一体どういう状況かな?」
美しい薔薇の咲き誇る東屋。
そこでは、アルヴェリア王宮随一の毒婦と恐れられる第二王妃と、先日、自分が王宮への紹介状を書いたばかりの可憐な少女が、仲良くお茶会を開いていた。
「あ、シベリウス様! 昨日は紹介状をありがとうございました。おかげさまで定時退社できました!」
「ていじ……? いや、君が無事ならよかったけど。義母上……」
「何ですかその顔は? ユフィが淹れた紅茶、シベリウスも一杯いかが?」
すっかり意気投合した私たちを見て、シベリウス様は「……僕の常識が狂っているのだろうか」と頭を抱えつつ、空いていた椅子に腰を下ろした。
「それで、ユフィ。さっき言いかけていたけれど、王宮で探している人というのは?」
王妃様に促され、私はカップを置いて居住まいを正した。
「はい。私が探しているのは、実は……アルヴェリア王国の第二王子……レオンティウス様なんです」
ピタッ。
その名前を出した瞬間、王妃様とシベリウス様の動きが完全に停止した。
二人は顔を見合わせ、信じられないものを見るような目で私を凝視する。
「えっ!? あの、他人に一切の興味を持たない氷の狂犬を!?」
「き、君があのレオンの……!? 待て、ということは、今国境付近で大吹雪を巻き起こして半狂乱になっている原因は……君か!!」
「え 半狂乱? レオンさんが?」
私が首を傾げた、その時だった。
――ピキィィィィンッ!!
突如、東屋の周囲に咲き誇っていた真紅の薔薇が、一瞬にして真っ白な氷の彫刻へと変わった。
夏の王宮のはずなのに、気温が急激に絶対零度へと急降下し、吐く息が白く染まる。
「ひっ!?」
「な、なんだこの尋常じゃない魔力と殺気は……!」
セーリナ様とシベリウス様が戦慄して立ち上がる。
凍りついた庭園の入り口から、地獄の底から這い上がってきたような、ボロボロの姿の騎士が現れた。
「国境の森を更地にしても、見つからなかった……。ユフィ、俺のユフィ……一体どこに……」
漆黒のマントを破き、血走った翡翠の瞳でフラフラと歩いてきたのは、他ならぬレオンさんだった。
何らかの捜索を一旦諦め、絶望の中で王宮へと帰還したらしい。
周囲には、彼の感情に呼応するように鋭い氷の刃が乱舞している。
その彼が、ふと顔を上げ、東屋の中を見た。
そこにいたのは、首を傾げている私と、両隣には、彼が最も憎悪している母と、最大の政敵。
「…………っ!!」
レオンさんの頭の中で、最悪の勘違いが成立した音がした。
「俺の、ユフィに……何をしている!!」
鼓膜を劈くような咆哮と共に、レオンさんから国を一つ滅ぼせそうなほどの規格外の魔力が膨れ上がった。
空中に無数の巨大な氷の槍が出現し、東屋の王妃様とシベリウス様へ向けて一斉に切っ先を向ける。
「ばっ、待てレオン! 誤解だ!!」
「ひぃぃっ! やめなさい馬鹿息子!!」
二人が悲鳴を上げ、絶対絶命の窮地に陥った――その瞬間。
「レオンさーん!!」
私は椅子を蹴立てて駆け出し、レオンさんの胸の中に思いっきり飛び込んだ。
「ユ、フィ」
ドンッ!という音と共に、彼に抱きつく。
凍りつくような冷気も構わず、私はその大きくて頑丈な背中に腕を回し、顔を埋めた。
「レオンさん! ずっと会いたかったです……!」
私のその一言で。
空中に浮かんでいた無数の氷の槍が、パリンッと砕け散って霧散した。
猛り狂っていた絶対零度の吹雪も一瞬で消え去り、夏の陽気が庭園に戻ってくる。
レオンさんの両腕が、おずおずと私の背中に回された。
さっきまでの殺気はどこへやら。
私を抱きしめるその腕は、幻を壊すのを恐れるように、小さくブルブルと震えている。
「本物、だ……。俺の、ユフィ……っ」
「はいっ。会いに来ちゃいました」
私が顔を上げて微笑むと、レオンさんは「あぁ……」と熱っぽい吐息を漏らし。
そのまま限界を迎えたのか、真っ赤な顔をして、フリーズしてしまった。
氷の狂犬が、一瞬にして完全無害な大型犬へと成り下がった瞬間である。
東屋に取り残されたセーリナ様とシベリウス様は。
国を滅ぼしかけた大魔法が、ハグ一発で完全消滅した一部始終を目の当たりにして、揃って口をポカンと開けて放心状態になっていた。
やがて、我に返ったシベリウス様が、おずおずと尋ねてきた。
「えっと……つまり、君たちはすでにお付き合いしている、ということでいいのかな?」
「それは、してません!」
私が即答した瞬間。
フリーズしていたレオンさんの身体から、パリンッ!と文字通り氷が割れるような音がした。
「なっ……!?」
「ええっ!? 付き合ってないの!? あの大魔王を手懐けておいて!?」
セーリナ様が素でツッコミを入れる。
「だ、だって、そんなはっきりした言葉はまだもらってないですし! 私の一方的な片思いかもしれないじゃないですか! それだったら恥ずかしいですし……」
「か、片思い……? 俺が、お前を……?」
レオンさんが、信じられないものを見るような目で私を見下ろした。
そして、私の両肩をガシッと掴むと、かつてないほど真剣な瞳で私を見つめ返した。
「ユフィ、俺はお前を愛している。俺の命も、この身も、全てお前に捧げよう。だから、頼むから俺と付き合ってくれ。いや、結婚してくれ。今すぐだ」
「け、けっこん!?」
「重い……相変わらず重すぎる……そんな事言っていると逃げられるぞ……」
シベリウス様がドン引きしている横で、王妃様は「あんなに可愛げのなかった息子が……」と扇で口元を隠しながら震えている。
かくして、アルヴェリア王国を揺るがした氷の狂犬の大暴走は、あまりにも唐突なプロポーズによって幕を閉じたのだった。




