02 漆黒の騎士レオン
「おはよう、ユフィ!」
ギルドのホールに降りていくなり、ガルドさんの地響きのような明るい声が私を包み込んだ。
「おはようございます、ガルドさん!」
「よし、いい返事だ。じゃあ早速、この戦場……もとい、受付の仕事を叩き込んでやるぞ」
ガルドさんの説明は豪快かつ合理的だった。
街の人々の困りごとを預かり、冒険者たちに繋ぐ。
魔物討伐から迷子の猫探しまで、ここは人生の縮図のような場所。
私は前世の記憶を総動員して、事務処理の段取りを頭の中で組み立てていく。
(つまり、カスタマーサポートね。よし、効率重視でいこう)
そう決意した矢先――ギルドの重い扉が、悲鳴を上げるような勢いで開け放たれた。
「ガルドォォォ! 今月の討伐数、俺がトップだろうなァァぁ!?」
飛び込んできたのは、筋肉の塊が服を着て歩いているような大男。
全身から魔物の返り血の匂いを撒き散らしている。
「おう、ブロン。風呂へ行く前に来るんじゃねえ、鼻が曲がるぞ」
「勝利の匂いと言え! ……ん? その隣にいるのは……新人の受付嬢か? おい、嬢ちゃん! 俺様の名前を刻んでおけ、この街最強のブロン様だ!」
典型的な脳筋タイプさんかな。
でも、その瞳は驚くほど純粋で、まるで大型犬みたい。
「よろしくお願いします、ブロンさん」
「おうっ! 気に入った! しかも可愛い!」
ブロンさんが満足げに鼻を鳴らした瞬間、今度は、音もなく窓から一人の青年が滑り込んできた。
「ブロン、君は相変わらず騒がしい。新人のお嬢さんが怯えてしまうじゃないか」
細身のしなやかな肢体に、尖ったエルフの耳。
「あ、あの……窓から……?」
「扉が渋滞していたからね。僕はリュート。よろしくね、ユフィさん」
……なぜ私の名前を?
「エルフの耳は100セロン先まで届くらしいぞ。気を許すと魂まで抜かれるから、気を付けろよ?」
ガルドさんの忠告に、リュートさんは不敵な笑みで応える。
さらに、部屋の隅から立ち上る紫煙とともに、ローブを纏った老婆が現れた。
「おや、いい生気が溢れているね。若いってのは最高のご馳走だよ」
「おいおい婆さん、まだ朝だぞ」
「婆さん言うなガルド! アタシはまだ百二十歳の女盛りだよ!」
(百二十歳で女盛り!? この世界の美魔女の基準、すごい……!)
個性が強すぎる面々に圧倒されながらも、私は不思議と高揚していた。
王都の、あの冷たく凍てついた空気とは違う。
ここにはあたたかい混沌がある。
その時――ギルドの喧騒が、一瞬にして凍りついた。
扉が静かに、けれど有無を言わせぬ威圧感を持って開かれたのだ。
現れたのは、漆黒のマントを翻した一人の騎士。
その場にいた全員が、息を呑んだ。
ブロンさんの咆哮も、リュートさんの軽口も、一瞬で消し飛ばされるほどの圧倒的な強者のオーラ。
(なに、この人……! 怖……!)
心臓が警鐘を鳴らす。
王都で出会ったどんな高位貴族よりも、その佇まいは気高く、そして危険な香りがした。
彼は私の目の前で足を止めると、フードの下から低く甘い声を響かせた。
「……受付は君か?」
「は、はい……ユフィと申します」
「依頼を受けたい」
差し出されたのは、高位魔物の討伐依頼。
私は慌てて内容を確認したが、思わず絶句した。
「あの……これ、すごく危険な依頼ですよ? お一人で行くには、あまりに……」
気づけば、私は身を乗り出して彼を見つめていた。
仕事上の確認というより、一人の人間として、放っておけなかったのだ。
すると、男の瞳がわずかに揺れた。
驚いたような……どこか熱を帯びたような不思議な光。
「ああ、知っている……問題ない」
言いながら提示されたカードには、冒険者の星がいくつも並んでいる。
背後から覗き込んだガルドさんが「Sクラス……」と呻くように言った。
(Sクラス!? 最高ランクってことよね?)
初級のEクラスから始まってA、さらにその上のG、そして頂点のS。
「えっとこちらに……お名前をいただけますか?」
「レオン――だ。ただのレオンだ」
「レオンさん、ですね。かしこまりました」
彼がペンを取った時、私はその手に刻まれた無数の傷跡に目を奪われた。
死線を幾度も越えてきた者だけが持つ、痛々しくも誇り高い勲章。
署名を終えた彼が顔を上げた瞬間、私は息を止めた。
フードの隙間から露わになったその素顔は、ため息が出るほどに端正。
そして、孤独の影を纏っている。
不意に目が合う。
その刹那、脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
(……なんて、綺麗な人……!)
私は慌てて視線を逸らし、赤くなった顔を隠すように依頼書を整理した。
「では、気をつけて。必ず、無事に戻ってきてくださいね」
精一杯の声を絞り出すと、彼は小さく「……ああ」と頷き、静かに背を向けた。
彼が去った後、グリゼルダさんが紫煙をくゆらせながら呟いた。
「おや、珍しい客が来たねえ。あの子、この国の人間じゃない。まあここは辺境だから色んな人間が出入りするが……おそらく隣国……それも、かなり高貴な身分の者だね」
(隣国。高貴な身分。そんな冒険者っているの……?)
その日の夕方。
彼は、何事もなかったかのようにふらりと戻ってきた。
「討伐を、完了した」
差し出された納品物は、間違いなく高位魔物の牙。
「お、おい嘘だろ……これ、討伐に熟練パーティでも三日はかかる化け物だぞ……!? それを一人で……たった半日で……?」
ブロンさんが顔を引きつらせて絶句している。
彼の身体には傷一つなく、マントにすら返り血がついていない。
「す、すごい……! はい、報酬の金貨五枚です」
金貨を受け取ると、彼はまた黙って出ていこうとした。
けれど、扉の前で一瞬立ち止まり、翡翠色の瞳でじっと私を見つめた。
何かを言いたそうに唇を動かし、けれど結局何も言わず、夕日に揺れる黒いマントとともに消えていった。
「ふふふ、ユフィちゃん。あの子、あんたをずっと見ていたね」
グリゼルダさんのからかうような声に、私は首を傾げることしかできなかった。
(謎の騎士、レオンさん。一体、何者なんだろう)
その夜、私は部屋で今日の出来事を整理していた。
レオンさんの翡翠の瞳。
手の傷跡。そして、私を見つめる時のあの不思議な眼差し。
(気になる……けど、それよりも)
私は昼間、受付業務をしながら気づいたことを思い出した。
依頼書の整理中、何枚かの書類が風で飛びそうになった時、咄嗟に【待機】を使ったのだ。
書類が空中で静止し、その間に窓を閉めることができた。
周りの冒険者たちは気づいていなかったけれど、ガルドさんが「便利だな」と小さく笑っていた。
「そうか……【待機】は日常業務でも使える。ということは――」
私は立ち上がり、夜ご飯の賄いとして貰ったバゲッドを手に取った。
もし厨房を手伝うことになったら、スキルを試してみよう。
窓の外を見ると、大通りの宿の方へ歩いていく黒いマントの背中が見えた。
(レオンさん……ぼっち属性なのかな。Sクラス冒険者だし、孤高っぽいよね)




