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16 星空の下で

 私たちは今、国境地帯へと向かう街道を馬車で進んでいた。


 レオンさんが手配したという馬車は、最高級のふかふかクッションと微細な温度調整ができる魔石ヒーターが完備されており、揺れもほとんど感じない驚きの快適さだった。


 乗り心地は最高なのだが、車内の空気は何故だかひどく張り詰めていた。


(なんか……すごく、緊張感がある……)


 向かいの席に座るレオンさんは、乗車してからずっと腕を組み、彫刻のように美しい顔に険しいシワを寄せて、無言で窓の外を見つめている。

 時折チラリと視線が交差するのだが、バチッと目が合うと、彼はビクッとしてすぐにスッと目を逸らしてしまうのだ。


(もしかして、私を同行させたこと、もう後悔してるのかな? やっぱり民間人を危険な前線に連れて行くのはSクラス冒険者としてもプレッシャーだよね……)


 彼が「ユフィと密室で二人きり」という状況に内心で大パニックを起こし、理性を総動員して必死に平常心を装っているだけだとは夢にも思わず、私は一人で縮こまっていた。


「ユフィ」


 不意に、レオンさんの低くよく響く声が車内に落ちた。


「は、はい!」


「あれを見ろ。あそこから先が、国境ラインだ」


 レオンさんが窓の外を指差す。

 私は緊張も忘れ、「えっ、どこですか!?」と思わず立ち上がり、彼の横の窓へ身を乗り出そうとした。


 その瞬間、馬車の車輪が街道の窪みにハマり、車体が大きく揺れた。


「ん!」


「危ないっ!」


 バランスを崩した私の体がふわりと宙に浮き――次の瞬間、私はドスッと柔らかくも弾力のある場所に着地していた。

 そこはなんと、向かいの席から身を乗り出して私を受け止めてくれた、レオンさんの立派なお膝の上だった。


「ひゃああっ!? ご、ごめんなさいレオンさん!」


 慌てて退こうとしたが、レオンさんの鍛え上げられた長い腕が、私の腰をガッチリとホールドして離してくれない。

 見上げると、間近にあるレオンさんの顔は限界まで真っ赤に染まり、わなわなと小刻みに震えていた。

 翡翠色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれている。


(ど、どうしよう! レオンさん、私が重すぎて足がプルプル震えちゃってる!)


 私は真っ青になった。

 考えてみれば、辺境に来てからというもの、ギルドで毎日美味しい魔物肉のステーキやシチューをたらふく食べていた。

 おまけに最近はお休みの日にはケーキやクレープまで。


「す、すみません! 私、辺境に来てからすごく動いてるから大丈夫だと思ってたんですけど、絶対太りましたよね!? これからはお肉を我慢して、本気でダイエットしますから……っ!」


 私が涙目で謝罪とダイエットの誓いを立てると、レオンさんはハッと我に返り、震える声で叫んだ。


「だ、ダメだ!! ダイエットなど絶対に許可しない!!」


「ええっ!?」


「君は羽のように軽い! むしろもっと食べるべきだ。ギルドの食事が足りないというのなら、俺が毎日最高の絶焉獣を狩ってこよう!」


 レオンさんは私の腰を抱き寄せたまま、大真面目な顔でとんでもないことを言い出した。


(体調管理にまで気を配ってくれるなんて……なんてホワイトな雇用主なの!)


 何を隠そう前世はブラック企業勤め。

 頼みの生命線は移動中のエネルギーゼリーがメイン。

 健康診断では、要食事指導に二重丸を毎年付けられていたのだ。

 私は彼のお膝の上で、そのプロ意識に深く感動していた。


 ★


 その日の夕方。

 私たちは街道沿いの開けた場所で、最初の野営をすることになった。

 とはいえ、明後日には国境の拠点に着く予定のため、本格的な陣地は構築せず、簡易テントをいくつか張るだけの簡素なものだ。


 一応、私には一番上等な一人用のテントが割り当てられた。

 シオンさんたち騎士団の皆さんは、少し離れた場所で固まって休んでいる。


 深夜。

 ふと目が覚めた私は、テントを抜け出した。

 辺りは静まり返り、満天の星空が広がっている。

 ふと見ると、消えかけた焚き火のそばに、漆黒のマントを羽織った大きな背中があった。

 レオンさんだ。


「レオンさん。まだ起きてるんですか?」


 私が声をかけると、彼はビクッと肩を揺らし、振り返った。


「ユフィ……。起こしてしまったか? 俺は寝ずの番だ。君を危険な目に遭わせるわけにはいかないからな」


 最強の騎士団長が、たった一人のサポーターのために徹夜で見張りをしてくれているらしい。

 私は申し訳なさと温かい気持ちになりながら、こっそり持参していた道具を取り出した。

 小さな鍋に水を張り、【待機】させていた熱を使って即席の温かいお茶を淹れる。


「はい、差し入れです。夜は少し冷えますから」


 湯気の立つカップを差し出すと、レオンさんは翡翠色の瞳を丸くして、それから、酷く優しく目を細めた。


「ありがとう。君は本当に、いつも……」


 レオンさんはカップを両手で包み込むように受け取ると、一口飲み、幸せそうに息をついた。

 焚き火の赤い光が、彼の美しい横顔を柔らかく照らしている。


「レオンさんも、無理しないでくださいね。私のサポートが必要な時は、いつでも言ってください」


「ああ……君が傍にいてくれるだけで、俺はなんだってできる気がするよ」


 静かな星空の下。

 パチパチと薪の爆ぜる音だけが響く中、私たちは並んで座り、穏やかな夜の時間を共有した。


 ふと、見上げた夜空に瞬く無数の星々を見つめる。

 この世界の夜空には、前世の夜空を縦断していたような『天の川』は見えない。

 星々を繋いで星座を作り、そこに名前を付けるような習慣も、この国にはないそうだ。


「……星にまつわる古い物語があるんですよ」


 温かいお茶でほっと一息ついた私は、何気なく口を開いた。


「物語、か。ぜひ聞かせてほしい」


「恋人同士だった男女のお話です。二人はとても仲が良かったんですが、仲が良すぎてお互いの仕事をおろそかにしてしまって。それに怒った神様が、二人を『星の川』と云う大きな星の川の両岸に引き離してしまったんです」


「引き離した、だと?」


 レオンさんの声が、微かに低くなった気がした。


「はい。でも、二人があまりにも悲しむので、神様は条件を出しました。しっかり真面目に働くなら、一年に一度、夏の夜にだけ星の川を渡って会うことを許す、って。それが今日くらいの時期の星空なんです」


 ロマンチックな悲恋の物語。

 前世では、七夕の時期になると街中が笹飾りで彩られたものだ。


「理解できないな」


 ふと隣を見ると、レオンさんが焚き火の光の中で、酷く冷たく、恐ろしいほど鋭い瞳をして星空を睨みつけていた。


「レオンさん?」


「俺がその男なら、一年に一度など絶対に待たない。引き裂くというのなら、星の川ごと剣で叩き割り、二人を遠ざけた神を滅ぼして、その日のうちに彼女を奪い返す。……たった一日でも、愛する者を失って平常心でいられるはずがない」


 その声はひどく真剣で、冗談や例え話の類には全く聞こえなかった。

 事実、彼の周囲の気温がスッと下がり、凄まじい覇気のようなものが漏れ出している。


(さ、さすがSクラス冒険者……! 神様が相手だろうと、容赦ない)


「ただの物語ですよ!? あ、あれがオリヒメの星(ベガ)ににているかも!?」


 私が指差した先には一等星に匹敵する明るさの星が煌めいていた。


「あの星を辿って……あっちがヒコボシの星(アルタイル)ぽいなあ……」


「その物語は、どこで読んだんだ?」


 相変わらず怖い表情のまま、レオンさんは星空を睨み上げている。

 剣に手を掛けるのは、やめて欲しいんだけどーー。


「えーっと、前世、とか言ったら信じます? ここじゃない世界、ここじゃない私の居たところのお話」


 ゆっくりと視線がこちらに向けられた。

 何かを探るような目つき。


「君は」


「なんて、嘘です嘘! 折角星がこんなに見えるのに、勿体ないなあとか思って。ほら、あの星とあの星を結ぶと、大三角……クレープぽくないですか?」


 慌てて両手を振りつつ、適当に星を示すと、レオンさんは漸く喉の奥で笑いをもらした。

 やばい。

 ここの世界って前世話禁忌かもしれないもんね。

 気を付けないと。

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