8話
よろしくお願いします
何かが変わったわけではない。身体的にもなんら変化はなかった。だが、俺の中で何かが変わったのがわかった
それがなにかと聞かれるとはっきりとは言えない。身体的変化ではなく心象的変化というのだろうか?穏やかな、包まれるような。なにか今ならどんなことでも許せるような…… そんな気がした。特にひどいことをされたわけでもないのだが
それと同時に確信ともいえる感覚が体の中で満たされ、そして俺は優しく少女に語り掛ける
(シャール)
「はい!!??」
シャールは突然聞こえた男性の声に飛び上がる勢いで姿勢を正す。一方エルロッテはシャールの声に驚いて動きが固まっていた
出来の悪い人形のようにシャールはゆっくりとこちらを見る
シャールはこの声に聞き覚えがあった。依頼で洞窟に行った際に助けてくれた声
「カ、カール?」
(うん)
「本当にカール?」
(うん、やっと通じた)
「本当にカールが語り掛けてきているのですか?」
(いや、信じてよ)
シャールは目を見開きながら、驚きながらも嬉しそうに今起きている事実を何度も確かめる
「あれ程までに通じなかった心がなぜ今? これほどまでにしっかりとした言葉で……」
(さあ? 俺もよくわからないけど……)
「カールは何者なのですか?」
(え!? な、なんだろう? い、犬?)
「それは見ればわかります。ですが犬が人の言葉を理解し、ましてや言葉を話せるなど……」
(まあ、元人間だしね)
「え!? ひ、人だったのですか?」
(ここに来る前はね)
「なぜ、そのような姿に?」
(さあ? 気が付いたらこの恰好だったし)
「では……」
(ちょっと待った。そう言う事が言いたかったんじゃなくて。その扉開けたいんでしょ?)
「開け方を知っているのですか!?」
言葉どころか扉の開け方まで教えると言うカールに再び驚いたシャールは今にも飛び掛かって来そうなほどだった
(た、たぶんね)
「シャ、シャール様? どうされました? カールがどうかされたのですか?」
俺とシャールのやりとりを怪訝な表情で見つめるエルロッテが心配する様に訪ねてきた
「あ…… ま、まさか、カールと心が?」
「ごめんなさいエルロッテ。今は扉を開けるのが先決です。それでどのようにすれば?」
(中央の装置を使って色を作ればいいんじゃないかな? まあ、細かい説明は後にするとして……
まずは緑を作ろう)
「つ、作るとは?」
(まあまあ、言われた通りにやってみてよ)
「は、はい」
俺はシャールに青の液体と黄色の液体の取っ手を操作するように言う
シャールは不安な表情で言われた通りに取っ手をひねる。すると液体がチューブを伝って台座へと流れ込んだ
少しの間があり台座が緑色に光る
「こ、これは……」
(うまくいったのかな? 流し込むの止めて見て)
「は、はい」
(次は果実か。えっと、セルンプラムだっけ? あれってどんな色した果物?)
「え? セルンプラムですか? 淡い紫をした甘い果実です」
(なるほど、紫だから次は赤と青の液体を同じようにやってみて)
「こ、こうですか?」
先ほどと同じように赤と青の液体を台座に流し込むと紫色に台座が光った
(お、成功か。最後は茶色か。黒入れてもできるけど、ほんの少量なんだよな)
「え……と? 黒を操作すればいいんですか?」
(いや、赤青黄の三つで)
「わかりました」
三つの液体が流し込まれ台座が茶色の光を帯びる
(これで開くのかな?)
何も起きない状況に失敗したかと焦りを覚え始めたその時、台座が白く光りだす
「こ、これは!?」
——ッギギィ・・
きしむような音と共に奥へと続く扉が開かれた
(おお、開いた!)
「すごい! すごいですよ! カール!!」
シャールは嬉しそうに胸の前で手を合わせ、飛び跳ねる様に近づいてくると俺を抱きかかえる
「シャール様? 一体何が? 解読できたのですか?」
無言でその状況を見守っていたエルロッテが驚いたように聞いてきた
「ううん! 違うの! 驚かないで聞いてね。カールが喋ったの!」
「は? え? はえ? あ、あのシャール様?」
犬が喋るなど聞いたことがないとばかりに戸惑うエルロッテ
「ね? カール?」
シャールは同意を得ようと抱きかかえたカールの顔を覗き込む
だが、再び答えが返ってくることはなかった
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「シャール様……」
色を注ぎ込む台座がある部屋でシャールは椅子に座り項垂れていた
扉が開き意気揚々と奥へと進んだのだが、魔法に関する何かは一切なく、一体の女神像が祭られているだけだった
更には先ほど扉を開ける為に力を貸してくれたカールの声すら聞こえなくなっていた
二つのショックでシャールはその瞳から自然と涙を溢れさせていた
「私はなんて未熟者なのでしょうか」
俯きながら涙声で話すシャールが痛々しい。どちらもシャールのせいではないのだ
そもそもなぜあの時は話ができたのだろうか? あれ以降もシャールに話しかけるが一向に伝わる気配がないのだ
やはりあれか、俺の中の秘められた力が発動しないとダメなのか?でも今回ピンチでもなんでもなかったしな
すすりなくシャールを見ていられず、近づいて慰めようと膝に前足を掛ける
「カール…… シャール様は心を痛めているのです。抱っこは後でにしなさい」
エルロッテに窘められてしまった
いやいや、別に抱き上げて欲しかったわけでは……
「エルロッテ…… いいのです。慰めようとしてくれたんですよね?」
シャールが俺を抱きかかえ、背中に顔を埋める。少しでも元気になってくれればいいのだが・・と、そこでふとテーブルの物が目に入った
そして記憶を掘り起こす。先ほどまでの一連の流れ。言葉が通じるようになったその理由
俺はテーブルに飛び乗って部屋を見渡した。その途中であの不思議な感覚が襲ってきたのだ。その時の俺は何をしたか。座ったのだ、あの布の上に
でも布がなんの意味があるのだろうか?
ものは試しと体をくねらせ、手足を掻くようにテーブルの上に行きたいアピールをする
「ちょ、ちょっと…… カール…… 暴れないで…… どうしたのです?」
期待とは裏腹に床に降ろされたので、テーブルに上半身で飛び掛かり乗せろとアピールをする
「テーブルの上に乗りたいのですか?」
それを察知したシャールがテーブルの上へと持ち上げてくれた。すぐさま青い布に近づき匂いを嗅ぎながら、鼻先でそれを持ち上げようとする
「その布が気に入ったのでしょうか?」
エルロッテが布を持ち上げるとそれを俺の背中に乗せてくれる
そしてあの時の変化が再び襲ってきた
これだ。理由は知らないがこの布が原因だったのだ
「でも、綺麗な布ですね。薄い青で…… なにに使われていたのでしょうか?」
そういえばシャールは青が好きだったな
「多少、埃で汚れていますが、洗えば綺麗になりそうですね」
持って帰ってもいいのだろうか? いや、ここは是非持って帰ってもらわないと困るな
「そうですね。うん、泣いていても仕方ありませんね。一度戻りましょう」
「はい、かしこまりました」
(おーけー。帰ろう)
「っ!?」
立ち上がり歩みだした足がピタリと止まる
「カール?」
(うん、やっぱこの布のおかげっぽいね)
「シャール様?」
「カール…… カール…… カールゥ…… ひっ…… 聞こえたぁ」
俺の名前を何度も呼び、声を詰まらせながらシャールは俺を抱きしめた




