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33話 帰還

ほんの二週間ばかり離れただけだというのにムダラの街を取り囲む城壁はどこかよそよそしく、入ろうとする人々を拒んでいるようにヴァルトには思えた。


 外部からの守りではなく、魔物を内側に閉じ込めるための壁。


 その東西南北に設けられた門に番兵が常駐している。とはいえ普段は検問が行われることもなく、出入りは非常に簡単なものとなっている。


 カリア夫妻と少年たちを乗せた馬車はゆっくりとした速度で城門を通ろうとした。その途中、警備にあたっていた番兵に止められた。


「珍しいこともあるもんだな」


 愚痴るカリアの目つきが鋭くなる。


 男たちがドアを開けてなかを覗きこんだ。ヴァルトたちの姿を認めた瞬間、表情が変わる。あまりに露骨な反応だった。隠そうともしていないのだろう。


「……なんだろう」


 ドニがこっそりと耳打ちする。


 番兵はカリアとヴァルトの顔を交互に見比べた。手元にある紙に視線を落とし、ぶっきらぼうに告げた。


「通っていい」

「いいのかよ。なにかあるんだろ」

「行けと言っている。さっさと馬車を出せ」


 心ここにあらずといった感じに急かされる。反対する理由も特になく、馬車はふたたびムダラの城内へ足を踏み入れた。


 迷宮の近くにあるヴァルトたちの宿屋『カフカの宿』の前で停まる。相変わらずのおどろおどろしい外観が目に入った。


「……なにかあるぞ。気をつけろよ」


 降り際にカリアが忠告した。


「わかってます」

「城門の番兵のなかに騎士団の連中も混じっていた。やつらが一枚噛んでいるのは間違いねえ」

「騎士団が?」


 ウルフィアスに脅されたとおり大人しくしていたはずだ。少なくとも外観上は。なにか警戒を強めるようなことをしたつもりはなかった。


「しばらく迷宮に潜るのは自粛しとけよ。ムダラで騎士団に逆らって良いことは何もねえ」

「カリアさんも気をつけて」

「俺を誰だと思ってやがるんだ。ムダラで指折りの冒険者だぞ」


 安心させるように豪快に笑ってカリアはドアを閉めた。馬蹄を鳴らし去っていく馬車の姿を見送ってから宿に入ると、受付に老人が呆けた顔をして座っていた。


 師匠、とジョスランが肩を叩く。錬金術士は焦点の定まらない瞳で金髪の美少年を見つめた。


「――お、おお。ようやく帰ってきたか」

「寝不足かい師匠。ちゃんと睡眠をとらないと身体にさわるよ」

「それどころではない。おい、そこの坊主。店番を頼んだ」


 カフカは生き返ったように弟子の襟首をつかんで地下の研究室へと姿を消した。店番に指名されたドニはあっけにとられていたが、仕方なく受付の後ろに回った。


 数十年と商売を続けてきたような貫禄がなぜだか備わっていた。これなら大丈夫だろう。


 ヴァルトとシラルは階段をのぼり久々の自室に戻った。


 埃っぽい匂いがしたので窓を開けると、さわやかな風が吹き込んでくる。荷物を床に放り投げ、ベッドに身を預けるとヴァルトは大きく息を吐いた。


「帰ってきたね」

「……そうだな」


 シラルは小さな声で返事をした。


 対面のベッドに腰かけ、頬杖をついて窓の外の景色を見やる。そこから見える方角には迷宮がある。今日も大勢の冒険者が一攫千金の夢を追いかけて魔物と戦っていることだろう。


 そのまま眠ってしまいたい気持ちをこらえヴァルトは身を起こした。


「日が暮れる前に図書館に顔を出してくるよ。ナターシャさんに頼んでおいたことがあるんだ」

「迷宮のことについて?」

「謎がいくつもあるんだ。そのどれかが母さんたちの行方につながっているかもしれない」

「確信があるんだね」

「ウルフィアス隊長の態度を見ればわかるよ。おれたちが真相に近づいたから、遠ざけようとしたんだ。やってることは間違ってない」

「ねえヴァルト。この先に何が待っていようとボクらは友達でいられるかな」


 問いかけるシラルの瞳は真剣そのものだった。


 窓から一陣の風が入りこんでフードを揺らす。その下にある表情はかたく張りつめていた。


「友達はずっと友達さ。喧嘩しても、嘘ついても、シラルはおれの友達だよ」


 頬をゆるめて答える。


 言ってからなんだか気恥ずかしくなってヴァルトは足早に部屋を出た。首筋がほのかに熱くなっている。受付に座っているドニにひと声かけ、図書館へ向かった。




 フードに両手をかける。


 金色の髪がはらりとこぼれた。乱暴に切ってしまった後ろ髪はずいぶんと伸びて、肩のあたりで毛先をそろえている。海の塩気と強い日差しのせいで傷みきった毛髪に指を通そうとして途中で引っかかってしまう。


「――ボクもずいぶん変わったな」


 自嘲気味につぶやく。


 窓の外は不思議なほどに静かだ。ヴァルトがいなくなってしまった部屋でひとり静寂に包まれていると、不意に手のひらに熱いものがこぼれた。


「――ごめんなさい」


 嗚咽は誰にも見られることなく。


 小さな涙だけがとどまることなく落ち続けていった。




 図書館の入口に立っている警備員に頭を下げてなかに入る。


 久々に感じるインクの匂いが鼻先をくすぐる。昔から本に囲まれると落ち着くのだ。ヴァルトは肺をふくらませて空気を胸いっぱいに吸い込むと、ナターシャの姿を探しはじめた。


 カウンターのなかには見当たらない。同じような制服の司書たちが忙しなく働いているときでも彼女を簡単に見つけ出す自信があった。まるで光を放っているみたいに自然と目が行くのだ。


 しかしどれだけ待ってもナターシャの姿は見当たらなかった。


 今日は非番ではないはずなのだが。休みの日は事前に聞いていた。


 病気でもしたのだろうか。そう思って職員のひとりに尋ねると、案の定そうらしい。


「数日前に連絡が入ったの。しばらくお休みするそうよ。命にかかわる病気ではないらしいけど心配よねえ」


 ドニを思わせる恰幅のよい司書の女性はほおに手を当ててため息をついた。


 内心落胆しながらもヴァルトは丁寧に礼を述べて、


「お見舞いに行きたいんですけど――」


「それが病院もわからないのよ。ナターシャの家族だっていう人が訪ねてきて報告だけはしてくれたんだけど、さっさと帰っちゃったから。ムダラではない街に運ばれたと言ってたわ」


「そんな遠くに……」


 よほど悪い病気だったのだろうか。とてもそんなふうには見えなかったのに。


 ヴァルトの気持ちを読み取ったのか、司書は眉間にシワを寄せてうなずいた。


「入院する一日前までは元気いっぱいだったのよ。夜まで仕事して調べものしてたみたいだけど、それが良くなかったのかしら」


「あの、そのことについてナターシャさん何か言ってませんでしたか」


「なにか? そういえば! ちょっと待っててちょうだいね」


 思い出したように声を上げると司書は踵を返した。一枚の手紙を携えてすぐに戻ってくる。宛名もなにもない無愛想な白い封筒だった。


「自分のところに来る少年がいたらこの手紙を渡してくれって頼まれてたのよ。本当は家族の人に渡そうと思ったんだけど、そのことを話すまえに帰っちゃったから」


 引っかかるところがあってヴァルトは追及した。


「家族の人って少年だったんですか」


「あなたほどじゃないけど若い男の人だったわよ。この年齢になるとみんな若く見えちゃうのよねえ。あらやだ、こんな話するつもりじゃなかったのに」


 ヴァルトの肩を叩いて笑う。少し痛かったが我慢することにした。目の前のふくよかな司書の他愛のない世間話よりもずっと大事なことがある。


 すぐに手紙を読まなくては。


「ありがとうございました。おれ帰りますね」


「ナターシャがいなくてごめんなさいね。彼女が退院したらあなたが来たことを伝えておくから」


「よろしくおねがいします」


 だが、そんな日が来ることはないだろう。ナターシャは病気にかかったわけではない。おそらく騎士団に囚われているのだ。


 弟を迷宮で亡くしたと話してくれた彼女の顔を思い浮かべる。不安と怒りがこみ上げてくる。


 迷宮の真相に迫ろうとする人間をことごとく排除するつもりなのだろうか。だとすれば、その目論見は中途半端に終っている。


 ヴァルトはポケットの奥深くにつっこんだ手紙を握りしめた。ナターシャは聡明な人だから自分の身に危険が及んでいることに気付いたのだ。だから万が一に備えてヴァルトにメッセージを残した。


 この手紙には真実の一片が記されているはずだ。読んでしまえばもう引き返せないかもしれない。それでもヴァルトは怖気づくつもりはなかった。大切な人を失うのはもうこりごりだ。


 物心もつかない赤ん坊ではもうないのだと騎士団に見せつけてやる必要がある。

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