34話 手紙
図書館から出て宿に戻る。
外はすでに夕暮れの気配に色濃く包まれていた。ヴァルトの長い影は足早に路上をすべり、やがて闇と同化して見えなくなった。
カフカの宿の受付ではドニが片肘をついてうつらうつらと船を漕いでいた。
退屈に耐え切れず居眠りしているらしい。ヴァルトは小太りな友人の肩をたたいた。カリアとの合宿に行って筋肉のついた肩は驚くほど硬質だった。
「起きて、ドニ。ジョスランは?」
「……なんだヴァルトか。お客さんかと思ったよ。ジョスランならまだ地下室で実験の手伝いをしてるよ。さっきから爆発して建物が揺れるんだ」
幽霊騒動の原因となった実験による副作用を隠そうともしていない。白昼堂々と実験するとは、魔鉱石のことでよほどの大発見があったのだろうか。
ナターシャから預かった手紙を読むなら四人いっしょのほうがいいだろうが研究の邪魔をするわけにもいかない。ヴァルトは仕方なく部屋にいるシラルを呼ぶことにした。受付には誰も近寄ろうとしないので、立ち聞きされるおそれもないはずだ。
「ちょっと待ってて」
そう言って駆け足に階段をあがる。
部屋で留守番していたシラルは合宿で着ていたローブを新しいものに取り替えていた。灰色の地味な衣服は、夕闇に溶けこんでさらにくすんだ色をしているように見えた。
「なにかあったのか」
一言も発していないというのにシラルは何かを悟っていた。ヴァルトが口を開ける前に質問する。
「ナターシャさんが騎士団にさらわれたんだ。手紙だけはなんとか残してくれたけど、助けに行かなくちゃ」
「騎士団を相手にするつもりか。ボクらじゃ絶対に勝てない」
「そんなことわかってるよ。おれのせいで巻き込んでしまったんだ、責任は取らなくちゃ」
「……まずはその手紙を読ませてくれ。話し合うのはそれからにしよう」
「ドニのところで開けよう」
階下に戻ると、意外な来客がいた。つい数時間前まで一緒だった冒険者は家に帰ってすぐにカフカの宿へやって来たのだろう。
普段着ではなく迷宮に潜ろうとでもしているかのような出で立ちだった。関節の部位を防具でおおい、残る部分は軽装ながら防御力のある革製の服でカバーしている。
筋肉のついた腰回りには二本の剣がさげられていた。いつでも戦いにのぞめる装備だ。
「カリアさん! どうしたんですか」
「レイラが人質にとられた」
簡潔に要件だけをのべる。カリアの口調は淡々としていた。
「どういうことですか」
「俺たちが帰ってくる数日前から家に戻っていないらしい。間違いなく騎士団の仕業だ。俺に余計なことをするなと警告しているつもりだろうが……クソっ、汚い真似しやがって」
「アンナさんは?」
「セントロードに逃した。あそこには顔見知りがいる。うまくかくまってくれるだろう」
以前生き別れた家族を探すためにセントロードに長く滞在していた。いくら騎士団といえど近郊のセントロードまで追いかけてくることはないはずだ。
「時間がない。お前たちも一時脱出した方がいい」
「でも……」
「気付いてないのか? この宿の周りに騎士団がすでに集まりつつある。逃げ出すなら今しかない。迷っているうちに完全に包囲されるぞ」
ヴァルトは窓から外の様子をうかがったが、それらしい人影は見えなかった。
死角にうまく隠れているのだろう。さすがは騎士団といったところか。
「どうして今さら本腰を入れはじめたんだ。おとなしくしていれば問題ないはずじゃなかったのかよ」
カリアは吐き捨てるように言った。
「おれがナターシャさんに迷宮のことを調べて欲しいってお願いしたんです。そのせいかもしれない」
「たかが図書館の職員に何ができるっていうんだ。ムダラに存在する書物はすべて検閲されている。知られて困るような情報が書かれているはずがない」
「ナターシャさんは騎士団に捕まった。それがなによりの証拠です」
なにも知らないのであれば囚われるはずがない。
ヴァルトは図書館で預かった封筒の中身を開いた。ここにナターシャの努力の結晶が残されているはずだ。
紙上には細く丁寧な文字が並んでいた。
素早く目を通す。あまり量は多くない。すぐに読み終わった。
「なんて書いてあるんだい」
ドニが身を乗りだして訊く。
「……間違いない。母さんたちはムダラに連れて来られたんだ」
「どういうこと」
「母さんたちだけじゃない。あちこちの村から――」
そのときだった。
ドニの座っている椅子の下が唐突に動いた。地下室にいたはずのジョスランが青ざめた顔をのぞかせる。頬だけが煤けて黒くなっていた。
「みんな聞いてくれ! 教授が大発見をしたんだ!」
「お前さんたちにもらった魔鉱石を分析したら、とんでもないことが――」
少年の下から窮屈そうにカフカが出てきて、カリアを見て口をつぐんだ。
「誰だね」
「信頼していい人だよ。それよりナターシャさんが――」
「ええい、うるせえ! ひとりずつ話しやがれ!」
癇癪を起こしたようにカリアが会話をさえぎった。
ヴァルトはまずカリアの素性を手短に紹介し、それからカフカたちの話を聞くことにした。錬金術士とその弟子はひどく興奮していて他人の話に耳を傾けていられる状態ではなかった。
「魔鉱石がいったいどのように作られているのか、それが長年の疑問だった。無から有を生み出すことは神の御業に等しい。それができれば金でも銀でも簡単に錬成することができる。迷宮の魔物や、それらが落とす魔鉱石の秘密を解析すれば錬金術の悲願を達成できるかもしれない。そう考えておった」
「前置きはいい。さっさと本題だけ伝えてくれ」
カリアの失礼な物言いにも憤慨することなくカフカはまくし立てるように続けた。
「常識的には物質は有から有へ変化する。なにもないところからいきなり物質を生み出すことはできない。つまり迷宮も何かを元に魔鉱石を発生させているという仮説を立てた。果たしてそれがなんなのか答えは半ば予想していた」
「……まさか」
察しのいいヴァルトが息を呑んだ。
ナターシャの手紙に書かれていた内容を裏付ける仮説だったことも、予想を助けていた。
「冒険者の亡骸。我々が無尽蔵に送り込む人間こそが魔鉱石の原材料となっていた。恐ろしいことだ。政府は人間をエネルギーに変換していたのだからな」
「おいおい待ってくれよ、そんな話があってたまるか」
カリアが信じられないといった表情で反論した。ドニもあっけにとられて口をポカンと開けている。シラルはうつむいたまま黙りこんでいた。
「国はそのことを知っているのか?」
「当たり前だろう。魔鉱石の成分を解析するのはさほど難しくない。だからこそ魔鉱石が迷宮の外へ持ちだされることを禁止していた。王宮にいる優秀な化学者たちがこの程度のことを発見できないとは考えられん」
「騎士団もグルってわけか」
「そうだろうな。少なくともウルフィアス隊長は真相を知っているのだろう」
「ちくしょう!」
カリアの太い拳がカウンターを乱暴に叩いた。木の割れる音が不穏な静寂に響いた。
「なにが冒険者を守る、だ。実際は俺たちを迷宮の餌にしていやがった。高い金で目をくらませて次々に死んでいくのを心待ちにしていたってわけだ」
「冒険者だけじゃない」
ナターシャの手紙を潰れるほどに握りしめたヴァルトが顔を上げて告げた。
「迷宮にはあちこちの村から拉致された人たちが連れて行かれるんだ。おれたちの村がそうだったように」
冒険者だけではない。
迷宮に入ることを禁じられた女性たちは密かに集められ奥深くへ送り届けられる。誰一人として帰ってきた者はいない。
残酷すぎる事実が手紙に記されていた。
「じゃあ母さんたちは……」
「泣いちゃダメだよジョスラン。まだ死んだって決まったわけじゃない。どこかに捕まっているだけかも」
楽観的な反応だとはわかっていた。
母親を探すための旅立ちだったはずなのに、もうこの世にはいないかもしれないなんて。信じろという方が無理だ。
「まさかレイラも――!」
「レイラは心配ないよ。騎士団が生贄として用意するのは遠方の人々だ。ムダラの女性を使ったりしない」
それまで植物のように押し黙っていたシラルは誰とも視線を合わせることなく、騎士団の潜む屋外に目をやっていた。
「本当だろうな」
カリアが詰め寄る。シラルはフードをかすかに揺らして頷いた。
「なんでお前が断言できるんだ」
シラルは答えない。圧力から逃れるように窓辺にすり寄った。
「そろそろ騎士団が突入してくる。もう手遅れだよ」
「裏道は?」
ドニが提案するがカフカの宿には入り口はひとつしか存在しない。
年季の入った愛刀に手をかけて、カリアは外に出ようとした。無数の傷が刻まれた背中をジョスランが引き止める。
「どこに行くのさ」
「俺が時間を稼ぐ。お前たちは逃げて真実を広めるんだ。騎士団のやっていることを、迷宮の真相を、国中に伝えてくれ。それが俺たちにできる唯一の復讐だからな」
「そんなことしなくても逃げ道はあるよ」
ジョスランはいたずらを白状する少年のように笑みを浮かべた。
「どこにあるのさ」
ドニの問いに親指を立てて答える。
「俺たちは錬金術士だからね。道を作ることくらい朝飯前さ」




