26話 図書館
目を覚ますと後頭部を殴られたような鈍い痛みが残っていた。胸のあたりも打撲したのだろうか。呼吸するだけでも苦しかった。
「ヴァルト! よかった、意識が戻って――」
三人の友人が心配そうな表情でのぞきこんでいる。
どうやらベッドに寝かされているらしいとぼんやり認識する。たしかギュドンと戦っている最中だったはずだが――。
「目立った外傷はない。頭を打ったのは心配だが、日常生活に支障はないだろう。ギュドンに挟み撃ちにされて生き残っているだけでも奇跡みたいなものだ。それも、こんな年端のいかないうちから三階層に手出しするなんて、無謀もいいところだ」
白衣に身を包んだ男が呆れ顔で説明する。
ムダラの迷宮の地上におかれた施設は公的なものであり、支援が充実している。冒険者の応急手当をする診療所もそのひとつで、いつでも優秀な医者が控えているのだった。
上体を起こしてみると、左右にずらりとベッドが並べられている。
そのほとんどが苦しそうにうめく冒険者で埋まっていた。制服姿の看護師たちがせわしなく職務に追われて、院内は慌ただしい雰囲気が漂っている。
「ギュドンの角をまともにくらって打撲で済んだ例はほとんどない。その防具をこしらえた職人に感謝しておくことだな」
「あんなに大きくて鋭い角だったけど、ヤウスの防具にはすり傷くらいしかついてない。どんな加工をしたらそこまで丈夫にできるのか教えて欲しいよ」
診察のためヴァルトの防具は外されている。ジョスランが見せてくれた胸当てにはたしかに目立った傷はなく、申し訳程度に一筋の線が入っているくらいだった。
「とりあえず怪我はたんこぶと、胸の打撲、それから足をひねったくらいだ。数日は安静にしていることだな。骨は折れていないだろう」
医者はヴァルトの肋骨あたりを触診すると、納得したようにうなずいた。
「塗り薬を処方する。受け取ったらすぐに帰るように。ここのベッドはいつも満杯なんだ。どこかのバカな冒険者たちが身の程をわきまえないせいでね」
「先生、ありがとうございます」
「仕事だからな。君たち冒険者は魔鉱石を集めて国を支える。私達はその冒険者を支える。ただ余計な仕事は増やさないでほしいものだ。命は大切にしろよ。君たちはまだ先が長いんだから」
また、同じことを言われた。
ウルフィアスも、カリアも、ムダラの大人たちはみな口をそろえて命を大切にしろと説く。迷宮で死にかけたのは二回目だ。もっと用心して戦わなければいけない。
医者は処方箋を看護師に渡すと、運びこまれてきたばかりの患者のもとへ走っていった。
「ヴァルト……どうして魔鉱石を拾ったりなんてしたのさ。らしくない」
ドニが口を尖らせる。
「実を言うと、弾き飛ばされたときに足をひねってたんだ。みんなに迷惑をかけるくらいなら、せめて相討ちにできればいいと思って。シラルたちが途中で戻ってきたのは予想外だったけど」
「そりゃもう、大慌てで引き返したよ。ヴァルトがひとりだけ遅れてるんだもん」
「今日のおれはどうかしてたよ――数日休んで、頭と身体を回復させなきゃね。ヤウスさんにもお礼を言いに行こう」
看護師が瓶詰めの塗り薬を持ってきた。
ムダラに併設された病院は基本的に無料で使える。とはいえ本格的な治療となれば近くにある診療所に搬送され、そこで手術をうけることになる。
冒険者にとって身体は資本だ。
ひとつの怪我が死に直結する。治療費のかからない病院は冒険者の特権だった。
ドニとジョスランの肩を借りて迷宮を離れる。二匹目のギュドンは魔鉱石を残さなかったので収穫なしだ。換金所の職員も怪我人の対応には慣れっこで、すんなりと通してくれた。
「アイタタ……」
片足でカフカの宿まで帰り、自室のベッドに倒れこむ。
数時間と離れていないはずなのにひどく懐かしく感じた。ドニとジョスランは氷を買いに出たので、シラルが部屋に残された。
「あの……怒ってる?」
むっつりと黙ったままフードを取ろうともしないシラルに、おそるおそる声をかける。
シラルは処方された薬を指先ですくって足首に塗りこんでいく。ひんやりとした感触だった。
「……迷惑をかけたくなかった?」
「え、あ、うん」
さっきの話をむし返しているのだと気付く。
文字通りの足手まといになるくらいなら、囮になって時間稼ぎができればいいと考えていた。ドニの限界が迫っていたし、ギュドンの注意を引けば間違いなくシラルたちは逃げ切れる。
四人で全滅するよりはずっとマシな選択肢だった、はずだ。
「ボクらは友達じゃないのか?」
「……死んだら、元も子もないだろ」
「それはボクのセリフだ。ヴァルトだけが死んでボクらが満足するとでも思ったのか? 友達を見捨てて犠牲にして、それで生き延びて喜ぶとでも?」
「シラルがおれを助けたかったのと同じくらい、おれもみんなを助けたかったんだ。――でも、ごめん。もう二度とこんなことはしない」
「約束してくれ。口先だけじゃ信用できない」
シラルは薬のついてないほうの小指をさしだした。ヴァルトも応じて小指を絡める。どこにでも伝わる、簡単な約束の誓いだ。昔は指を切っていたのを簡略化したものだと本で読んだことを思い出す。
シラルの指は温かかった。
お決まりの言葉を唱和して、ふたりの指は離れた。
「今後どんなことがあっても、どんなことを知っても、絶望して、諦めちゃいけない。ヴァルトは進み続けなきゃいけないんだ」
「頑張るよ」
氷の買い出しに行っていたふたりが戻ってくる。革袋に氷をつめ、患部に当てると、じんわりとした冷たさが広がった。
「ムダラはすごいなあ。氷が売ってるんだもんなあ」
ドニが感嘆の声を上げた。
村では冬の一時期だけ湖が凍ったものだが、ムダラでは一年中、魔鉱石のエネルギーを利用して氷が生産されている。安価で売っているので購入するのも簡単だ。
「氷に塩をかけるとさらに冷たくなるんだ。試してみるかい?」
身につけたばかりの知識をジョスランが披露する。水は錬金術の基礎なのだという。詳しいことはヴァルトにもわからないが、勉強は着々と進んでいるようだった。
「遠慮しとくよ。これでも十分だ」
「そうか。残念だな」
「医者のいう通り、ヴァルトが完治するまで数日は休みにしよう。ヤウスさんへの返済を少し待ってもらえば、当面の生活費には困らない。いざとなったらショグでも倒せば小銭が手に入るしね」
会計係のシラルがスケジュールを組み立てていく。
冒険者にとって迷宮にもぐれないのは死活問題だ。最近はかなり効率的にガダモン狩りができていた。貯金はいくらか残っている。
「おこづかいは?」
「……迷宮に入らないとなれば暇だろうね。ジョスランが金を錬成するのを待つわけにもいかないし、しょうがない。一週間分の遊び代は認めようか」
「やった!」
小躍りして喜ぶドニに、シラルは鋭く釘をさす。
「お金はまとめて渡すから使い切ったらそれまでだよ。いくら無心されてもそれ以上はあげないからね」
「わかってるよ。しばらくぶりにおやつが食べられるなあ」
「俺は教授の手伝いに専念しようかな。まだまだ見習いだから、早く一人前にならないと。シラル、ヴァルトの代わりに図書館に本を返しにいってくれるかい?」
ジョスランの問いに、シラルは渋い表情を作る。
「うーん……ボクはあまり図書館には近づきたくないんだけど」
「おれが行くよ。足が片方怪我しているくらい、なんともないさ。それに身体を動かさないとすぐ鈍っちゃうからね」
「ヴァルトがそう言うなら、任せるよ」
ジョスランはあっさりと納得した。
図書館に一日こもりっぱなしとなれば、かなりの本を読破できるだろう。誘拐された母親たちの行方がすこしでもつかめればいいなとヴァルトは思った。がむしゃらにムダラを目指して迷宮にもぐったはいいものの、肝心の手がかりはまったく見当たらない。
わからないことは本に問えばいい。
母親に関することだけでなく、ムダラという街についてもっと知らなければならない。迷宮が真に恐ろしいものだと実感した。敵を知るには、まず書物からだ。
ギュドンと遭遇した翌日、ヴァルトは返却する本の詰まった鞄を背負って、通いなれた図書館に向かっていた。
シラルの宣言通りしばらく迷宮の探索は休みになる。せっかく一日暇なのだからと怪我をおして来たのだった。ジョスランは教授のもとで錬金術を教わっている。シラルとドニはどこへ行ったのか知らないが、それぞれ出かけたようだ。部屋にひとりいても退屈なだけだし、図書館に行くのが楽しみでたまらない理由があった。
ムダラの中心部にある国立図書館は国内でも有数の規模を誇るという。
蔵書はとくに迷宮関連のものが多く、その他にも歴史や学問について書かれた本がたくさん置かれている。小説や図鑑も数えきれないほど収納されているが、すべてを読みきる時間がないのは残念だった。
「こんにちはー」
顔なじみになった警備兵にあいさつして中に入る。
まだ朝も早いとあって利用者は少ない。ヴァルトは本の返却口に向かうと、お目当ての人物に会った。
「おはようヴァルト君。今日は迷宮には行かないのかな」
「ナターシャさん」ヴァルトは口元をほころばせて説明する。「昨日ギュドンと戦ったら怪我しちゃって――治るまでしばらくお休みなんです」
「ギュドンと? ヴァルト君、本にも書いてあったでしょ。ギュドンは迷宮の死神と恐れられるくらい危険な魔物なのよ。それを新米冒険者が背伸びして倒しに行こうなんて、やんちゃにもほどがあるわ」
綺麗なかたちの眉を寄せて、図書館司書のナターシャはヴァルトの頭をなでた。
「いてっ」
「ごめんなさい、もしかして怪我してるところを触ったかしら」
「頭から落ちたらしくて、でっかいたんこぶが残ってるんです」
「無茶するわね。たんこぶは氷で冷やしてる?」
「はい。医者の先生に薬も処方してもらいました」
「よかった。早く治して元気な姿を見せてね。男の子は元気がいちばん」
ナターシャは優しく微笑んで、ヴァルトの出した本と帳簿を見合わせる。本のページをぱらぱらとめくって傷がないことを確認すると丸印を帳簿に記入した。ムダラには荒くれ者の冒険者が多いため本が破られたり、ひどいときにはぶどう酒をこぼして文字が読めなくなっていることがあるのだという。
「ヴァルト君はいつも本を丁寧に扱ってくれるわね。私も嬉しいわ」
「そういう癖がついてるんです」
村ではジョスランの父親の蔵書をこっそり拝借していた。返すときに傷がつかないよう本を読むときは慎重に取り扱うようになっていた。
結局すべてバレていたので無駄ではあったが、ナターシャに褒めてもらえたので無意味ではなかったようだ。これからも本を大事にしようとヴァルトは内心で誓った。
「最近は化学の本も借りているみたいだけど、新しく勉強をはじめたのかしら」
「ええ、おれの友達が……」
錬金術士に弟子入りしたとはいえないので曖昧にごまかす。
ナターシャはてきぱきと帳簿をしまうと返却した書物をまとめて小脇に抱えた。
腰のあたりまでのばした黒髪が揺れている。薄いピンク色のエプロンが図書館司書の制服だ。ムダラでは珍しい女性の割合が高い職種で、館内はあちこちでエプロン姿の女性が働いている。
「それじゃ、いつものように本棚に返しにいくついでにお目当ての本を探そうかしら。ヴァルト君、今日はなにが知りたいの? ギュドンの倒し方を解説している本ならいくつか在庫があったと思うわ」
「それは帰りに借りていきます――ナターシャさん」
ヴァルトは逡巡してから口を開いた。
「女の人が集団で誘拐される、という事件を耳にしたことありませんか」
「人攫いか山賊に拉致されたということ?」
「たぶん違くて――もしかしたら国が関わっているかもしれないんだ」
「うーん……それはこの近辺で起こったことかしら」
「ムダラからはかなり離れた場所だけど。すくなくとも一件は確実に」
「聞いたことない、と思うわ。ごめんなさい」
ナターシャは申し訳なさそうに言った。
「いいんです。おれも調べてる途中ですから」
「暇な時間を見つけて調べてみるわ。でも国が関わっているとすれば書物になっている可能性は低いかもしれない。図書館にある本はすべて検閲が入っているから」
国にとって不都合な真実は隠されている、ということだ。
父親は、村人が街に入ることを禁じられているといった。近づけば命が危ういという無言の警告なのだと。国がそうまでして隠蔽したいこととはなんだろうか。
「ヴァルト君はその事件について調べているのね」
「ええ、けど、なるべく秘密でお願いします」
「任せておいて。こう見えても隠し事は得意なの」
豊かな胸をどんと叩く。エプロンの上からでもわかるその部位を見ていると、なんだかドキドキするのはなぜだろう。
「――そういえばヴァルト君は迷宮にまつわる伝説について読んだことがあるかしら」
「迷宮の最深部には絶世の美女がいて、なんでも願いを叶えてくれるという話ですね」
「そう。その美女の反感を買わないために、迷宮には女性が立ち入ることが禁じられている。伝説はそうなっているけど、律儀にそのルールを守る必要はないと思わないかしら」
ナターシャはなにを伝えたいのだろうか。彼女の顔を見上げて考える。
「……たしかにそうですけど、それがなにか関係するんですか」
「ううん……いいの、あまり気にしないで」
言葉では否定するものの歯切れが悪い。ヴァルトは思い切って聞いてみることにした。
「教えてください。大事なことなんです」
ヴァルトの真剣な眼差しに押されてナターシャはすこし間をおいて話しだした。
「ヴァルト君は外国に行ったことはあるかしら」
「ないです。村の外に出ることさえなかったから」
「そうよね。それが普通だもの。私もこの国どころかムダラを離れたこともないわ。ずっと城壁のなかで育ってきた。セントロードにすら遊びに行ったことがないくらい」
「セントロードは物価が高いですから」
カリアが気前よくおごってくれなければ今ごろ一文無しで路上にさまよっていただろう。ムダラでは一部の冒険者が経済を回している。その他大勢の人間は、質素に生きるほかないのだ。
黒髪の司書は本を抱えたまましゃがみ込み、ヴァルトと目線を合わせた。
「この国は――もしかするとムダラだけかもしれないけど、女性をすごく特別視しているわ。具体的にどうとは説明できない。肌で感じる雰囲気が、街の空気そのものがどこかぎこちない。ヴァルト君はそう思ったことはないかしら」
「……よく、わからないです」
「私だってうまく説明できないのだもの。ヴァルト君が理解できないのも当たり前だわ。事件について調べるなら頭の片隅に留めておいて損はないと思うの」
ナターシャは口紅の塗った唇をふっと緩めて立ち上がる。
「迷宮の伝説となにか関係があるんでしょうか」
「わからないわ。ヴァルト君が本気で知りたいと願うなら協力してあげるつもり」
「ありがとうございます」
「仕事だもの。それに――」たんこぶのある頭には触れず、頬に手を伸ばす。「ヴァルト君が弟みたいに可愛いから、つい優しくしてあげたくなるのよ」
「弟がいるんですか」
「死んじゃったわ。冒険者だったの」
まるで今日の朝食はパンだったというような調子でさらりとナターシャは告げた。
まずいことを聞いてしまった。ヴァルトは気まずくなってうつむいた。
「さ、本を返しに行こうかしら。今日はずっと図書館にいるんでしょう」
「はい」
「それなら一階の閲覧室にいてちょうだい。有用そうな本を集めてあげる」
いつもとおなじ陽だまりのような微笑みをたずさえてナターシャは言った。




