27話 相談
露天で買ったばかりの肉まんを片手にドニは寝転がって空を見上げていた。ムダラの迷宮から反対側にある一角に、ちょうどいい昼寝場所があるのだ。地面には青々とした芝生が生い茂っている。草の香りと肉まんの香りがまざり合い、なんともいえない匂いになってドニの鼻先を漂っていた。
肉まんを頬張る。
できたての熱い肉汁ともちもちの薄皮が絶妙に口のなかで共演する。村では味わえなかった料理に、ドニは心ゆくまで舌鼓をうった。
あっさりと一つ目の肉まんを平らげ、次を紙袋から取り出そうとしたとき、ぼろぼろの身なりをした初老の男と目があった。男の視線は肉まんに釘付けになっている。
「食べる?」
ドニが聞くと、男はいいのか、と尋ね返した。
「うん。もうひとつあるし」
「そうか――ありがたい」
男はゆらゆらと危なっかしい足どりでドニの横に腰を下ろした。熱々の肉まんに何度も息を吹きかけてから、おそるおそる口をつける。
「そんなに冷ましたら美味しくないよ」
「昔から猫舌なんだ。熱いものを食うと舌を火傷する」
一口かじっては具が冷めるまで待つ。ゆっくりと時間をかけて食べ終えたときには、ドニの肉まんがとっくに消化されはじめていた。
男はどうやら片足が不自由であるらしい。右足にくっきりと白い傷跡が見えた。
「おじさん冒険者だったの?」
ドニの質問に、男は空を見上げて答える。
「ああ。昔の話だ」
「その傷は?」
「坊やも冒険者ならわかるだろう。ギュドンにやられた。腹を抉られなかったから命があるようなもんだ」
「よく僕が冒険者だって見抜いたね」
「太っているようで実は筋肉が多い。それにムダラの男は半分が冒険者だ。当てずっぽうに言っても意外と正解する」
「ふうん」
ふたりはしばらく黙って白雲の流れるさまを眺めていた。ムダラだろうと村だろうと空が綺麗なのは共通だ。あれは肉まん、あれは団子、と雲の形から食べ物を連想していく。
ぐう、とドニの腹が鳴った。
「……悪いが坊やにごちそうする金もない」
「大丈夫。おこづかいもらったばかりなんだ」
「あまり他人にそういうことを明かさないほうがいい」
「おじさんは優しい人だから」
「優しい人なものか。単なる出来損ないの冒険者だった男だ。いまはいつ死ぬともわからない浮浪者に成り下がった」
男は骨ばった指で足の傷をなぞる。
怪我は癒えても後遺症が残ることがある。村にも下半身が麻痺してしまった人はいた。腐木の下敷きになったのだ。不幸な事故とはいえ農業も狩りもできない。そんな彼を村の大人はみんなで支えていた。
「僕も昨日ギュドンに殺されかけたよ」
「その年齢で三階層に挑んだのか。――若いときは自分が無敵に思える。ガダモンを倒すのも精一杯だろう」
「ガダモンは余裕でやっつけられるんだ。だからギュドンを見物しに行ったんだけど、気づいたら帰り道を塞がれちゃって」
「……ギュドン二体を相手にしたのか」
「そうだよ。同士討ちさせて片方はやっつけたんだけど、そのときに友達が足をひねって逃げ遅れたんだ。あとの一体を倒そうとして相討ち。さすがに僕も焦ったなあ」
「……そうか」
男はしばらく黙っていた。やがて、ぼそりと切り出した。
「いまはこんな体たらくだが、昔はオレにも仲間がいた。迷宮で知り合ってチームを組んだ。私が最年長であとは若いのが三人。才能のある連中だった。明るくて、物おじしない、冒険者の素質があった」
「僕らとおんなじだ」
「私たちは素晴らしいチームだった。すぐにガダモンを倒す稼ぎでは満足できなくなった。ギュドンの噂は聞いていたが、自分たちは例外だと、なぜかそう信じ込んでいた。私が止めなきゃいけなかったんだ。まだ早い、しっかり実力をつけてから挑むべきだと諭すのが私の義務だったはずなのに」
「おじさん……」
段々と早くなる語り口に、ドニは言葉を発することができなかった。
「なかでも一人の少年はとても才能に恵まれていた。数年もすれば騎士団に入ることもできたはずだ。姉がいるとよく話していた。早く一人前に稼げるようになって家族と旅行がしたいと。生まれてからずっとムダラで育ち、冒険者になることしか考えていない少年だった。二階層もひとりで挑めず何十年もショグばかり相手にしていた私には眩しく感じた。陽の当たらない迷宮に太陽が現れたと思った。あまりに早熟すぎた。才能に経験が追いついていなかった。チームを私が支えなければいけなかったのに、私は浮かれていたんだ。自分も太陽であるように錯覚していた」
気づけば、男の瞳からひとすじの涙が流れていた。
まるで眩しすぎる太陽を見つめてしまったみたいに。
「それで、その人は」
「死んだよ。ギュドンの角に貫かれて、あっさりと死んでしまった。私も脚をやられてうごけなかった。残りの二人も次々にやられた。相手は二体だった。一体ならば――私たちは勝てる実力があった。だからこそ侮っていた。数の力はときとして脅威になる。そのことを忘れていたんだ」
「おじさんはどうやって助かったの」
「たまたま階段の近くだったこともあって他の冒険者に助けられた。地上の病院に運ばれたのは私だけだ。あとはみな迷宮に吸収された。その後、仲間たちの遺品が届けられたよ。貧乏な装備だった。せめてちゃんとした一式だけでもそろっていたらと、自分を呪った。それ以来、迷宮には近づいてない」
男は一息に語り終えた。
どんなに才能があっても死ぬときは一瞬だ。迷宮ではつねに命を危険にさらして魔物と戦うのだから。
「こんなことを言える立場ではないが、これだけは忠告させてくれ。迷宮を侮ってはいけない。あれは人類に富を与えるものではなく、大口を開けて得物を待っている悪魔だ。ひとたび気を変えて口の中の得物を飲み込めば、人間にできることなどない」
「ねえ、おじさん」
ドニはポケットのなかの小銭をたしかめた。
明日のぶんのおやつ代はなくなるが、それもいいだろう。
「もうひとつ肉まん食べる?」
「……慰めてくれるつもりか」
「泣くと、お腹が空くからね。お腹が減ったら食べなきゃ」
男は驚いたように目元に手をやった。自分が泣いていたことにはじめて気づいたらしい。
ドニは返事を待たずに露天に走った。
「ひとりで食べるよりもふたりで食べたほうが美味しいもんね」
彼は久しく誰とも食事をしていないことだろう。
そんなのは、あんまり悲しすぎる。悲しみを紛らわせてくれるのは満腹だ。
ヴァルトとシラルの相部屋に果実酒とジュースの甘酸っぱい匂いが満ちていた。
テーブルには開栓した酒瓶と、空っぽのグラスが並んでいる。飲んだのはほとんどドニだが、他の三人もほんのりと顔が赤くなっていた。
ヴァルトの快復祝いとして、ささやかながら酒宴を開こうとドニが提案したのが昨日。シラルの許しを得て酔っ払いたいという意図は明白だった。迷宮にもぐらない間に遊ぶためにと渡されたお小遣いは早々に使いきってしまったらしい。
それを珍しくシラルが了承したので、はれて正式にお酒を用意することができたのであった。
「まさかシラルが無駄遣いを許してくれるなんてね。おかげでドニに有り金をとっていかれたよ。絶対に勝てる賭けだと思っていたのに」
ジョスランがぶどう酒をちびちびと煽りながら愚痴った。
となりではドニが大口を開けて眠っている。幸い、眠りが浅いのか静かな寝息だ。いびきがうるさくなったら隣の部屋に運ぶつもりだった。
「おれも驚いたよ。なにかいいことでもあったの?」
すっかり足の捻挫も治ったヴァルトが訊く。
医者にもらった薬がよく効果を発揮した。三日もすると問題なく歩けるようになっていた。シラルが最初に一週間の休暇にすると宣言したので、治ったことは黙っていたが。
「ヴァルトの一件があってボクは認識を改めた。ムダラではいまを全力で生きるべきなんだ。お金を渋ったり、怠惰に暮らしたり、そういうふうに時間を浪費してはいけない。どれだけ注意していても迷宮で死ぬときは死んでしまう。だったら後悔のないように生きたい」
「物騒なことを言わないでくれよ。俺には錬金術士になるって夢があるんだから、迷宮なんかで果てたくない」
「ボクだって――迷宮の運命なんかに囚われたくない。だから全力で抗う」
「その意気だよシラル。おれも早く母さんたちの行方をつかみたいなあ」
「図書館でずっと調べていたんだろう。どうだった?」
「司書のナターシャさんに手伝ってもらったんだけど、さっぱり。国に不都合なことが書いてある本はすべて処分されているみたい」
「簡単にはいかないなあ。やっぱり大金を積んで裏から調略するのがいいよ。人間誰だってお金には弱いものさ」
「とくにジョスランはね」
ヴァルトは上機嫌に笑った。
ここ数日ずっとナターシャに会えている。献身的に協力してくれる彼女といると、母親という存在がどのようなものであるか、なんとなく理解できる気がした。
「そういえばウルフィアス隊長たちが迷宮にもぐる日が近いって教授が言ってたよ。騎士団を引き連れて訓練するんだって。冒険者たちへの講習も兼ねているみたい。どうやってギュドンを倒せばいいのかわかりやすく教えてくれるんじゃないかな」
「朗報だね。ウルフィアス隊長に会えるといいな。紹介状を見せれば会わせてくれないかな」
「あの人はとても忙しいよ。ボクらのような駆け出し冒険者をいちいち相手にしている暇なんてない」
ぶどう酒の注がれたグラスを傾ける。
ウルフィアスの話題になるとシラルがどこかよそよそしくなるのをヴァルトは見抜いていた。誰でも苦手な相手はいるものだ。
「どうして騎士団は迷宮に入ることをわざわざ公開するんだい? 冒険者を引き連れていたら動きづらいだろうに」
「年に数度そうやって冒険者に力を誇示するのが目的だよ。ムダラで悪さしたらどうなるか暗に脅してる。あとは魔物の攻略法などを教えることで、すこしでも生存率をあげようとしているんだろう。優秀な冒険者が増えればそれだけ騎士団の人材も充実するから」
ぶっきらぼうにシラルは解説した。ムダラに関しては四人でもっとも知識がある。もっとも、色々とぬけたところも多いのだが。
「ウルフィアス隊長の戦いぶりを間近で見たら、逆らおうなんて気も起こらないよ。魔法も剣も一流。負けるところが想像できないよ」
「噂では五階層まで独力で突破したらしいね。俺たちがギュドンに苦戦しているのが嘘みたいだ」
「ボクらにはボクらのペースがある。彼に追いつかなくても、迷宮は攻略できる」
「シラルの言うとおり。おれたちはゆっくりやっていこうよ」
うんうんと頷くヴァルト。
時計を見るともうすっかり夜が深まっている。そろそろ眠らないと明日からの迷宮探索に支障がでる。解散しようかと言いかけたその時、おもむろにジョスランが口を開いた。
「――なあふたりとも。迷宮から魔鉱石を持ち出すことは可能だと思うかい」
ジョスランは真剣な表情をしていた。酔っ払っての冗談ではないらしい。
「迷宮の出口で検査があるから無理だよ。それに見つかったらウルフィアス隊長が来て、おれたちは逮捕されてしまう」
「錬金術に必要なのか」
シラルの問いに小さく首肯する。
「教授から頼まれたんだ。錬金術の研究にどうしても必要なんだって。騎士団が迷宮にもぐる日なら人も増えるし、警備が甘くなるから持ち出すことができるかもしれない」
「うーん……そうはいってもなあ」
ヴァルトは困ったように頭をかいた。
迷宮から出る際には必ず厳重な検査を受けなければならない。もし無断で魔鉱石を持ちだそうとした場合は、ムダラから追放されるか、あるいは迷宮への出入りを禁止される。事態が深刻な場合はすぐさま切り捨てられるとも書物に記されていた。
「かつて魔鉱石を大量かつ計画的に運び出そうとした一団がいた。彼らは特殊な素材を使ってセンサーの反応を消し、あと一歩のところで成功しかけたが不審に思ったほかの冒険者の通告によって目論見が発覚、その場で全員が騎士団に逮捕された。後日、彼らはすべて処刑されたと公表されたよ。それ以来、魔鉱石を盗み出そうなんて不埒な真似をはたらく冒険者はいなくなった」
水が流れるようにシラルは淀みなく言った。
「ムダラでは有名な事件だ。子どもでも知ってる」
「……やっぱり無理かなあ。教授がどうしても必要だって言うんだけど」
「自分で取りに行かせればいいじゃないか。ボクらが危険をおかしてまですることはない」
「子どものほうが目立たなくていいんだって。教授みたいな人が迷宮にいたらおかしいからね」
たしかに初老の男が装備もなく迷宮をうろついていたら注目の的だろう、とヴァルトは思った。おまけに言動に不可思議なところが多いのですぐに怪しまれそうだ。
「ヴァルトの銃に吸収された魔鉱石を復元することはできないのかい」
「たぶん一度弾丸にすると元には戻らないよ。できたら楽なんだけどね」
「困ったなあ……」
端正な顔立ちをくもらせて嘆息する。
「実を言うと教授の研究はここ数年、魔鉱石がないことで行き詰まっているんだ。それさえあれば飛躍的に捗るんだ」
「なんとかしてあげたいのは山々なんだけどなあ……」
「機会があったらなんとかする、それでいいじゃないか。無理せずやろう」
シラルは最後の景気付けに瓶を逆さにしてぶどう酒を飲み干した。いびきをかきはじめたドニの腕をとって引きずるように隣室へ連れて行く。
「もしできそうだったら、頼むよ」
諦めたようにジョスランも自室へ引き上げていった。ヴァルトは残された酒瓶やグラスを片付けながらぼんやりと魔鉱石を運び出す算段を立ててみた。どうやっても最後に浮かんでくるのはウルフィアスの顔だった。




