25話 三階層
「迷宮の三階層にいる魔物はギュドン。大きな牛みたいな形をしていて、驚くような速度で突進する――か。情報があいまいでよくわからないや」
図書館から借りてきた『迷宮の魔物』という題名の本には、ヴァルトの体長ほどもある二本の角をもった魔物のスケッチが描かれている。
全身が茶色い毛に覆われたギュドンはおそらく最も多くの冒険者を葬ってきた魔物だ。
一階層のショグに殺される不運な者はほとんどいないし、二階層のガダモンも毒性のある糸にさえ注意していればそう危険な相手ではない。
三階層に上がろうと考える頃には冒険者としてひとかどの経験を積んでいる。魔物なんて大したことないと油断していると、ギュドンの鋭い角に突き殺されるというあんばいだ。
カリアほどの実力者になればひとりで討伐に向かっても平気らしいが、迷宮初心者といってもさしつかえないヴァルトたちにとっては恐るべき敵だ。下準備は多いに越したことはない。
「シラルは実物を見たことがあるかい?」
片手に化学の本を読みながらジョスランが言った。
幽霊騒動のあと、錬金術士を目指すカフカの宿の主人イーストウッドのもとで修行に励んでいる。難しい工程はまだ教えてもらえず、いまは基礎を学んでいる最中らしい。
ジョスランのベッドには読み終えた本が山積みになっている。これを返しに行くのはもっぱらヴァルトの役目だ。
「ギュドン……か。ボクは見たことないな。危ない話はよく聞くけど」
「どんな?」
「魔鉱石をたっぷり抱えすぎて逃げ遅れた冒険者がうしろから串刺しにされたとか、出会い頭に目があった次の瞬間にはギュドンの姿が消えていて、攻撃を受けたのだと気づいたときには死んでた――とか」
「……やっぱり三階層に行くのはまだ早いね。十年後くらいにしよう」
弱気にぼやくジョスラン。どことなく顔色が悪かった。
「あ、補足説明が書いてあるよ。『ギュドンはその殺傷率の高さから、迷宮の死神とも呼ばれています』だって。おれたちが相手にするのは死神というわけだね」
「どうしてヴァルトはそんなに冷静なのさ。死ぬかもしれないのに」
「ギュドンをやっつければお金がたくさん手に入る。そうすれば借金も返せて、美味しいご飯も食べられる。怖いことなんてひとつもない!」
かわりにドニが威勢のいい返事をした。
特注の防具を作ってもらったため、ヤウスに代金を支払い終わるまでは貧乏生活がしばらく続く。シラルが財布のひもをきっちり握っていて買い食いもできない。宿代をまけてもらっているとはいえ収支はつねに赤字だった。
おかげでドニの腹に寄生していた余計な脂肪も徐々に減ってきている。はやくお金の心配なく腹いっぱいごはんを食べるというのがドニの当面の目標となっていた。
「いいかいドニ。死んだらご飯も食べられなくなるんだぞ。それでも君は納得するのかい」
「それは困る」
「だろう。君もおとなしく錬金術士への道を歩みたまえ。金箔食べ放題だ」
「金箔かあ――どんな味がするんだろう」
「至上の喜びだろうね。なんといっても世界でもっとも価値のあるものなんだから」
「錬金術士も悪くないなあ」
簡単に籠絡されかかっているドニの顔は、だらしなくゆがんでいる。
「金箔なんて美味しくないよ。味気ないだけさ」
シラルがにべもなく否定した。
イーストウッド――ジョスランは教授と呼んでいる――に弟子入りしてから、しきりに錬金術士の道を勧めてくるので、そのたびに断る理由を探さなければならない。ドニが毎回誘惑されるので断るのはヴァルトとシラルが交互におこなうのが暗黙の了解になっていた。
「食べたことがあるの?」
「すこしだけだよ。たくさん食べるものでもないけどね」
「シラルは僕らの知らないことをたくさん知ってるなあ。ヴァルトとどっちが物知りなんだろう」
「おれなんて本を読んでるだけの素人だよ。じっさいに経験してるシラルのほうがよほど物知りさ」
そう言って、ヴァルトはギュドンの描かれているページを指先でたたいた。
「とにかく一度下見に行ってみよう。また巨大ショグみたいに異常な魔物が出てくる可能性もあるしね。危険な真似は絶対にしないこと」
「はーい」
一同はおとなしく声をそろえた。
ムダラに来てから数ヶ月が経ち、迷宮に通うのにもすっかり慣れた。手際よく荷物をまとめて出発する。受付に座っている老人は見送りの挨拶もなく、ぶっきらぼうな表情のままだ。たぶん今晩の実験のことでも考えているのだろう。
ヴァルトの腰につけたホルダーはヤウスが特別に仕立ててくれた。もちろん料金に組み込まれている。
迷宮を管理する建物に入り、すみやかに二階層にある階段までたどりつく。稼ぐつもりのある冒険者はすでに奥深くまで行っているので、辺りは静かなものだった。
「武器の準備はいいね」
念を入れて確認する。
ヴァルトの魔道銃をはじめとして、ジョスランの大剣、ドニの大盾は巨大ショグを倒したときに入手したものだ。迷宮に入ると同時に巨大化し、絶大な威力を発揮する。しかし見た目の割に重量はさほどなく、子どもの腕力でも十分に扱うことができるという、まさに魔法のような武器だった。
シラルのレイピアだけは自前のものだが不足はない。武器の威力よりも剣の技術が勝ることもある。
「魔導石は詰めてあるのかい」
「大丈夫。前回のぶんがまだ残ってるから」
ヴァルドの魔道銃は弾丸を込めるかわりに、魔鉱石を装填する仕様になっている。そのため迷宮に入るとすぐに一階層でショグを倒し、魔鉱石を確保するのが習慣だった。
「じゃあ行くよ。みんなくれぐれも注意して」
隊列を組み、階段を下っていく。
階の境界には魔物が出ないとわかっていたが、足どりは自然と慎重になる。
三階層にも照明の設備は行き届いていて、地下だというのに薄暗さはまったく感じられない。通路の幅が広くなっていることをのぞけば他の階層と見分けがつかないだろう。
ヴァルトは片手に銃を構えたまま、廊下の向こうをのぞきこんだ。
「……なにもいないね」
「油断は禁物だ。前後左右をそれぞれ見張ろう」
シラルの指示で、四人は隊列を組みなおす。
ガダモンを狩るときとは別物の緊張感が張りつめていた。わずかな物音さえも聞き漏らさぬよう、足音を殺して進む。
「ギュドンに出会ったら、どうする」
「一発だけ威嚇で撃つ。そのまま様子を見ながら退却しよう」
「了解」
作戦を打合せて、階段からあまり離れすぎないよう辺りを見回す。
いざというときには二階層に逃げ込めば安全だ。死神と形容されるギュドンを振り切れればの話ではあるが。
「――いた」
声を潜めてシラルが報告する。
かなり遠い距離に、ギュドンが一匹。群れからはぐれた子鹿のようにぽつんと立っている。
しかし雄牛の倍はあろうかという体躯に、凶暴そうな一対の角で武装した魔物は頼りないという表現からかけ離れていた。
ヴァルトは左手を銃底に添え、狙いを定める。
向こうはまだこちらの存在に気づいていない。奇襲するなら一発が限界だ。
「はずしたらゴメンよ」
口のなかでつぶやくように引き金を絞る。
軽い反動が手に伝わる。最後に詰めたのは一階層で得られる黒魔鉱石だった。威力は期待できない。
はたして当たったのかどうか。
乾いた銃声のすぐあとに、ギュドンはこちら側を振り向き、頭を落として突進の姿勢にうつった。
「……逃げよう。ドニ、しんがりは任せた」
「どんといらっしゃい」
力強いセリフとともに大盾を押し出す。
青地に黒の文様が刻まれた盾は少年たちの小柄な体をすっぽりと隠した。
しかし振り返って駆け出そうとしたとき、いるはずのないものが視界に飛び込んできた。
茶色の巨躯に、殺人的な角。
すでにこちらを補足し攻撃態勢に入っている。
「しまった、退路が!」
ヴァルトがめずらしく焦った声で叫ぶ。
迷宮の魔物は、冒険者の視界のなかでは発生しない。裏を返せば、目を離せばいつ現れてもおかしくないということだ。
伏兵のように立ちふさがるギュドンはすでに頭を下げ、姿勢を低くしている。距離は新たに登場した魔物のほうが近いだろう。
「ドニ!」
小太りの少年はすでに了解していたように大盾を軸にして反対側に回りこむ。
完全に挟み撃ちだ。どちらかをやり過ごしてからでなければ、逃げられない。
「どうするヴァルト」
「まともに攻撃を受けちゃダメだ。ギュドンの攻撃を見極めて、隙があれば逃げよう」
「わかった――死ぬなよ」
「シラルこそ」
第一撃は予想通り、退路をふさいだギュドンによるものだった。
一瞬、姿が消えたかと思うと気づいた時にはすでに半分以上間合いを詰められている。とんでもない早さだ。雷のように突進してきたギュドンはドニの大盾に角を突き立てる。貫通こそしなかったがハンマーで殴られたような衝撃が四人を弾き飛ばした。
「――次がくるぞ!」
空中で軽やかに姿勢を戻したジョスランが警告する。
ほぼ同時に、最初のギュドンが消え失せ、ドニがなんとか盾を振りかざした瞬間にはふたたび少年たちの身体は宙を舞っていた。
「……まずい」
ヴァルトは経験したばかりのギュドンの攻撃を脳内で素早く知識にかえていく。
二体の魔物はさすがに突進した後に連続攻撃することは出来ないらしく、わずかながら動きが止まっている。この隙に逃走しても階段までは届かない。途中で追いつかれ、後ろから串刺しにされてしまう。
ギュドンの真の恐ろしさはその初速にある。
消えたと錯覚させる驚異的なスピード。常人ではまず回避不可能だ。盾で防いでも、ヴァルトたちの体重では容易に飛ばされてしまう。
一匹だけなら、それでも間隙を縫って撤退可能だ。
「……運の尽き、か」
ギュドンは最悪なことに二匹いる。
片方の攻撃をしのいでも、体勢を整え直すまでに次の攻撃が襲いかかってくる。最初こそ両者の距離が遠かったためになんとか凌げたが今度はそううまく行くはずもない。
手詰まりだ。
逃げる手段など残されていない。
待ち受けている未来が死だと確信したとたん急に魔道銃を握る手が震えだす。黒魔導石の補充を怠っていなければ、射撃で活路を見いだせただろうか。あるいは退路から視線をはずさなければ、二匹の死神に挟撃されるなんて最低のシナリオを書き換えられたのだろうか。
「ヴァルト?」
なにも策を講じようとしない少年の背中をシラルが揺さぶる。
「終わりかも、しれない……」
「バカなことを言うな! ボクらはまだ生きてる!」
「じゃあ教えてくれよ! どうやったらこの死地から抜け出せるのか!」
言い争っている間にもギュドンは小休止を終え、気合を入れるようにいなないた。死刑宣告、とヴァルトは思った。この一撃ですべてが終わる。
「最後まで戦うんだ。君の銃は使えないかもしれない。だけどその腕は、その剣は、まだなにもしていないじゃないか。ジョスランもドニもボクも、誰一人諦めてないのに、ヴァルトだけが絶望してどうするんだよ!」
「…………」
ドニはギュドンとヴァルトの間ですでに防御の用意を進めている。地面に叩きつけた大盾はすこしばかり迷宮の床を削りだす。微々たる悪あがきだ。そんなことをしても、ギュドンの突進の威力を減らせるわけではないのに。
その横ではジョスランが身の丈ほどもある大剣を正眼に構えていた。
剣先がまるで定まっていない。腕だけでなく、足も震えていた。それでも諦めずに抗おうとしている。
「君たちはボクを命がけで救ってくれた。山賊には立ち向かえたのに、どうしてこんな大きいだけの牛が怖いんだ。迷宮に臆してはいけない。戦うのを諦めた瞬間にボクらの旅は終わってしまう」
逃げずに、戦う。
細く、頼りない希望の光りが一筋、頭上に差しこんでくる想いだった。
諦めるなんて馬鹿らしい。最後の一秒まで戦わないと、父さんにも母さんにも顔向けできない。
新たな選択肢が浮上するとたちまち無数の作戦が頭をよぎりはじめた。その中からもっとも確率の高そうな未来をつかみとる。
「みんな武器をしまって。ドニの身体に抱きつくんだ」
もう時間がない。
今できる最良の方法で対処しなければ。
ひとつでも間違えば犠牲はまぬがれない。それでも失敗する気はまるでしなかった。
「なんとか二回攻撃を凌ぐんだ。それさえどうにかすれば勝機はある」
「ヴァルトがそう言うんなら大丈夫だ。絶対に生きて帰るよ。今晩は教授との約束があるからね」
背中に大剣を戻し、ドニの腰をかかえこむ。
「こんなことならもっと朝ご飯食べておけばよかったなあ」
「明日はたらふく食べさせてあげるよ。君の盾にすべてがかかってるんだから、張り切ってもらわなくちゃ」
「わあい。鬼のシラルも優しくなるんだね」
「うるさい」
「重心を低くするんだ。盾の面もやや上向きに――」
カツン、と蹄が床を蹴る音が聞こえた。瞬間、上体がのけぞりそうになる。
「くっ……」
「うああああ!」
あらん限りの絶叫と力を振りしぼりドニは浮き上がりかけた大盾を地面に突きさす。間髪いれずに強烈な衝撃がふたたび襲いかかった。
くずれかかった姿勢で支えきることはできず、あっけなく空中に吹き飛ばされる。
これでいい。
計算通りだ。ヴァルトは着地すると鼻息荒く猛っている二体のギュドンを見比べる。
ちょうど角を振り上げているのが後に攻撃した方だ。狙いはその逆。護身用の剣を抜き、叫ぶ。
「いいかいみんな、よく聞いて。左のギュドンを攻撃するんだ。突進の動作に入ったらすぐもう一方のギュドンの影に隠れる。絶対に無理はしちゃダメだ」
「オッケー」
攻撃役のジョスランとシラルが無防備なギュドンの側面に斬りかかる。
相手がガダモンなら数撃で倒せるところだが、そう簡単にはいかない。骨のように硬い表皮に弾き返された剣の感触は鈍い。ダメージはほとんど期待できないだろう。
「ドニとおれはもう片方のギュドンの動きを止める!」
渾身の頭突きを終えたばかりのギュドンは身体の向きを変えるくらいで、派手に動きはしない。
ヴァルトとドニは盾を前面に出しながらギュドンの首を押し返し、弱点となりそうな脇腹を露出させる。馬鹿力で抵抗するギュドンに力で勝つのは難しい。
「ふたりとも十分だ。こっちを手伝ってくれ!」
呼びかけに応じて戻ったジョスランとシラルを加え、全身を使ってギュドンの動きを制限する。こうなればただの力勝負だ。
「……ヴァルト、このままじゃ……」
「あと数秒だけ、持ちこたえてくれ、れば……」
先ほどから再三にわたる衝撃を受けたせいで腕がしびれている。短時間とはいえ全身の筋肉を使うのも、体力を急激に消費させていた。はっきりいって限界が近い。
気を抜けばひっくり返されそうになる。
うまくいく保証もない。アテが外れれば今度こそおしまいだ。
「……蹄の音」
ぎりぎりの拮抗のなか石と石をぶつけたような音が響く。
来た。ヴァルトは確信を抱く。次の瞬間、ふっとそれまでの抵抗が嘘のように前のめりになる。
「うわっ」
四人で雪崩れ込むように倒れる。
横を見ると、競り合っていたギュドンがもう一方の角に貫かれていた。ものの見事にがら空きだった脇腹をえぐられている。迷宮の死神は激しく痙攣したかと思うと、唐突に事切れた。
それまで身体があった場所が空白に染まる。ギュドンがそこにいたことを証明するように黄色の魔鉱石が静かに落ちた。
「走って!」
ぼんやりしている少年たちにシラルが発破をかける。ジョスラン、ドニ、シラルの順に駆けだす。ギュドンが次の攻撃に移るまでにすこしでも階段への距離を詰めなければ。
相手はいまどの状態だろうか。
シラルが振り返ると、なぜかギュドンの足元にヴァルトが留まっているのが見えた。手を伸ばし、黄魔鉱石を取ろうとしている。
「ヴァルト、死にたいのか!」
迷宮では欲を出したものから死んでいく。魔鉱石に気を取られて魔物から逃げそこねるなど、愚策もいいところだ。ヴァルトならそのくらい言わずとも理解しているはずだった。
連れ戻さなければ。
シラルが踵を返すのを、ヴァルトの鋭い声がさえぎった。
「おれに構わず走るんだ!」
掴んだ黄魔鉱石をもって立ち上がり、走りだす。ヴァルトの背後では同族を仕留めたギュドンがさらに意気揚々と次の獲物に狙いを定めている。
魔物とヴァルトの間に、障害物はなにもない。足音だけが置き去りにされる。
護身用の剣をおさめ、ホルスターから魔道銃を抜く。入手したばかりの魔鉱石を銃口に近づけると、魔法みたいに消え去り、ほのかな光が残された。
「くそ――ドニ! 引き返してくれ」
すでに身軽なジョスランは二階層へ通じる階段の付近まで到達している。幸か不幸か、足の遅いドニはまだそこまで至っていない。
道の途中で盾を構えさせる。すでに余力はない。一連の戦闘でもっとも身体を張っているのはドニだ。本当なら大盾を持つのさえ厳しいはずだった。
シラルはすべりこむようにドニの後ろにまわる。
「早く! 早く!」
だが想いと相反するようにヴァルトの動きは遅い。走り方が変だ。足首をかばっていることは、すぐに気づいた。
「まずい。ひねったんだ」
「間に合わない――」
カツ、カツ、と二度乾いた音がして、ヴァルトが背後を向く。ギュドンの姿が消えたのとヴァルトの細身が突き上げられるのは同時だった。直後、三度目の音。魔物が力なく倒れこむと、ヴァルトは頭から迷宮の床に落ちた。




