第4話 青い灯の交差点
先生。
あの頃の王都には、本当にたくさんの機械がいましたね。
料理を運ぶ機械。
荷物を届ける機械。
道を掃除する機械。
そして、交差点で人や車の安全を守る機械。
わたしたちにとって、それはごく当たり前の光景でした。
でも、先生。
今でも忘れられない、小さな出来事があるんです。
あの日、わたしは初めて、先生が教えてくれた魔法の意味を少しだけ理解できた気がしました。
それと同時に。
ギルにも、まだ知らない一面があるのだと気づいたんです。
* * *
「よし。動かしてみろ」
「了解しました」
ギルが左腕を持ち上げた。
肘を曲げる。
手首を回す。
五本の指を一本ずつ開閉する。
ギチッ。
小さな金属音。
「どうだ?」
「左腕部、正常動作。出力低下なし。関節部に軽微な摩擦抵抗を確認」
「新品だからな。しばらく使えば馴染む」
ローデンさんが満足そうに頷いた。
第三整備棟。
今日は、ギルの修理が終わる日だった。
旧鉱山地帯での戦闘から五日。
失った左腕が、ようやく元通りになった。
「ギル!」
「はい」
「もう大丈夫?」
「はい。全機能の九十八・七パーセントが復旧しました」
「残りは?」
「左肩関節の微調整が必要です」
「じゃあ、まだ無理しちゃ駄目だよ」
「通常任務への復帰は可能です」
「無理しちゃ駄目!」
「……了解しました」
ローデンさんが笑った。
「お前ら、立場が逆になってるぞ」
「だってまた壊れたら嫌だもん」
「壊れたら直す。それが俺の仕事だ」
「でも時間かかるじゃん」
「まあな」
ローデンさんはギルの左肩を叩いた。
「今回は部品があったから五日で済んだ。軍用機の部品は、戦争が長引くと手に入りにくくなるからな」
「じゃあ、もっと大事にしないと」
「そういうこった」
ギルがこちらを向く。
「リナ」
「なに?」
「私の優先任務は、あなたの護衛です」
「知ってるよ」
「必要であれば、再び腕部を喪失しても任務を遂行します」
「駄目!」
「必要であれば――」
「必要でも駄目!」
「……」
「ギルは自分の身体も大事にするの!」
しばらく沈黙。
「……検討します」
「そこは了解でしょ!」
ローデンさんが腹を抱えて笑った。
* * *
「本日は非番とする」
整備棟へやってきたセドリック准佐が言った。
「えっ、本当?」
「ああ。ギルの動作確認も兼ねて、王都内で自由に過ごしていい」
「やった!」
「ただし」
准佐が指を立てる。
「市街地での大規模魔法は禁止。機密情報を口外することも禁止だ」
「分かってる!」
「それから――」
「もう、何個あるの!」
「お前には何度も言わねばならん」
准佐はギルを見上げた。
「ギル。頼んだぞ」
「了解しました」
「ほら! ギルがいるんだから大丈夫だって!」
「俺が心配しているのは、ギルの方かもしれんぞ」
「どういう意味!?」
准佐は答えずに立ち去ってしまった。
ローデンさんがまた笑う。
「まあ、楽しんでこい」
「うん!」
わたしはギルを見上げた。
「ねえ、ギル」
「はい」
「肩、乗っていい?」
「高所からの転落は危険です」
「ギルがいるじゃん」
「私の肩部は地上約二・四メートルに位置します」
「だから乗りたいの!」
「転落防止措置が必要です」
「じゃあ支えて」
ギルは少し考えた。
「……許可します」
「やった!」
大きな右手が伸びてくる。
わたしはその手のひらに乗った。
ギルがゆっくり腕を持ち上げる。
そして、肩の上へ。
「わあ!」
いつもよりずっと高い。
整備棟の窓が目の高さにある。
「すごい!」
「姿勢を低くしてください」
「分かってる!」
「頭上の構造物に注意してください」
「はいはい」
「両足を安定させてください」
「ギル」
「はい」
「ちょっと静かにして」
「……了解しました」
ローデンさんが下から手を振った。
「気をつけろよ!」
「はーい!」
こうして、わたしたちは街へ出かけた。
* * *
王都の中央通りは、今日も賑やかだった。
石畳の道路。
レンガ造りの建物。
通りに並ぶ商店。
その間を、人間と機械が当たり前のように行き交っている。
小型の配達機が両腕に荷物を抱えて歩いていた。
食堂の入口では、給仕機が黒板を立てている。
道路の向こうには、丸い屋根の乗合車。
そのさらに上。
青空を、一隻の飛行船がゆっくり進んでいた。
「ギル、見て!」
「飛行船を確認」
「大きいね!」
「全長、およそ八十メートル」
「乗ってみたいなあ」
「飛行船への搭乗には事前の申請が必要です」
「そういう話じゃないの」
「では?」
「乗ってみたいって話!」
「……了解しました」
わたしはギルの頭を軽く叩いた。
「いつか乗ろうね」
「任務上の必要性を確認できません」
「またそれ!」
通りの人たちは、わたしたちを特別に気にする様子もなかった。
大きな機械の肩に少女が座っている。
少し珍しい光景ではある。
でも、それだけ。
この国では、機械と人間が一緒に暮らすのが普通なのだ。
「あ、ギル! あのお店!」
「焼き菓子店を確認」
「寄って!」
「了解しました」
「やった!」
ギルが店の前でしゃがみ、わたしを地面へ下ろす。
扉を開けると、いつものおばさんがいた。
「あら、リナちゃん。今日はずいぶん高いところから来たわね」
「ギルの肩に乗せてもらった!」
「まあ。いいわねえ」
「景色が全然違うんだよ!」
「そうでしょうね」
おばさんは笑いながら紙袋を用意する。
「いつもの?」
「うん!」
「今日は蜂蜜が少し少ないけど、許してね」
「どうして?」
「北の方から材料が入りにくくなってるのよ。戦争のせいでね」
「……そっか」
わたしは少しだけ黙った。
戦争は、街の外で起きている。
でも、こういうところにも影響が出ていた。
「はい。今日は一つおまけ」
「えっ、いいの?」
「いつも買ってくれるからね」
「ありがとう!」
紙袋を受け取る。
隣でギルが言った。
「本日の摂取予定量を超過する可能性があります」
「まだ一個も食べてないよ!」
「購入数量から予測しました」
「今日は全部食べないもん」
「前回も同様の発言を確認しています」
「ギル!」
おばさんが笑った。
わたしも、つられて笑ってしまった。
* * *
中央通りの大きな交差点。
ここは王都でも特に交通量が多い。
四方向から車が来る。
信号灯が赤と青に切り替わり、歩行者と車を誘導していた。
交差点の中央には、一体の交通整理機が立っている。
人間より少し小さい。
白い胴体。
丸い頭。
胸には三色の表示灯。
腕の先には、小さな誘導板がついていた。
「車両、停止してください」
青い灯が消える。
赤い灯が点く。
「歩行者、通行可能です」
人々が交差点を渡り始めた。
「ギル、あの子ずっと立ってるよね」
「交通整理機ですので」
「疲れないのかな」
「機械に疲労という生理現象はありません」
「ギルも?」
「はい」
「じゃあ、わたしが寝てる間もずっと起きてるんだよね」
「護衛任務を継続しています」
「退屈じゃない?」
「退屈という概念は理解していますが、該当する内部状態はありません」
「ふーん」
わたしは交通整理機を見た。
毎日ここに立って。
ずっと車と人を見て。
赤と青を切り替えている。
「機械って、偉いね」
「評価基準を確認できません」
「だって毎日働いてるじゃん」
「設定された任務を遂行しています」
「それでも偉いよ」
ギルは何も答えなかった。
わたしたちは信号が変わるのを待った。
その時。
交差点の向こうから、小さな男の子が走ってきた。
六歳か七歳くらいだろうか。
手には木製の小さな飛行船。
後ろから母親らしい女性が追いかけてくる。
「こら! 走っちゃ駄目!」
「はーい!」
元気な返事。
でも、足は止まらない。
「リナ」
「なに?」
「子供の走行速度が上昇しています」
「元気だねえ」
「転倒の可能性があります」
「ギルって誰にでもそういうこと言うの?」
「危険行動を確認したためです」
わたしは笑った。
でも。
次の瞬間だった。
男の子の手から、木製の飛行船が滑り落ちた。
「あっ!」
飛行船は石畳を跳ねた。
ころころと転がり、道路へ出る。
男の子が追いかけた。
ちょうど信号が切り替わるところだった。
「危険です。停止してください」
交通整理機が腕を上げる。
男の子は止まらない。
そして。
交差点の坂の上から、大きな貨物車が現れた。
荷台には木箱が山積みになっている。
速度が速い。
速すぎる。
「制動装置異常!」
貨物車の運転手が叫んだ。
「止まらん! どいてくれ!」
交通整理機の胸部が赤く点滅する。
「緊急停止! 緊急停止!」
それでも貨物車は止まらない。
男の子は道路の真ん中で、木製の飛行船を拾おうとしていた。
母親が悲鳴を上げた。
「危ない!」
わたしは反射的に手を上げた。
魔法なら撃てる。
貨物車を破壊することなんて簡単だ。
でも。
運転席には人がいる。
荷台の木箱が吹き飛べば、周囲の人たちが危ない。
だったら――。
「ギル!」
「確認しています!」
ギルの身体が動いた。
肩からわたしを降ろす。
ほとんど同時に地面を蹴った。
黒い機体が交差点へ飛び込む。
わたしは貨物車を見た。
車輪。
車体。
荷台。
それぞれに魔力の印を重ねる。
攻撃魔法なら、一瞬で終わる。
でも、それじゃ駄目。
先生。
あの時、先生の言葉が浮かんだんです。
――魔法は、敵を倒すためだけにあるんじゃない。
「だったら……!」
わたしは両手を広げた。
貨物車の前方に、透明な防壁を展開する。
一枚。
ガンッ!
砕けた。
車体が僅かに減速する。
二枚目。
三枚目。
四枚目。
次々と防壁が生まれる。
衝撃を受け止めながら、一枚ずつ砕けていく。
まだ速い。
もっと。
もっと柔らかく。
車体を押し返すのではなく、少しずつ勢いを殺す。
「止まって!」
十枚目。
二十枚目。
三十枚目。
貨物車の速度が落ちる。
その間に。
ギルが男の子を抱え上げた。
「救助完了!」
大きな腕が子供を包む。
ギルはそのまま交差点の外へ跳んだ。
直後。
貨物車が最後の防壁にぶつかった。
鈍い金属音。
車体が大きく揺れる。
積まれていた木箱が一つ落ちた。
そして。
ようやく止まった。
* * *
「大丈夫!?」
わたしは男の子へ駆け寄った。
ギルがゆっくり地面に降ろす。
「負傷はありません」
男の子はぽかんとしていた。
何が起きたのか、まだよく分かっていないらしい。
母親が走ってくる。
「よかった……! 本当に……!」
男の子を抱きしめる。
その肩が震えていた。
「すみません! 本当にありがとうございます!」
「ううん。怪我がなくてよかった」
わたしは笑った。
男の子がギルを見上げる。
「おっきい……」
「はい」
「お兄ちゃん?」
「私は機械です」
「すごい!」
「ありがとうございます」
「速かった!」
「高速移動機能を使用しました」
「もう一回できる?」
「危険ですので推奨しません」
わたしは思わず笑った。
「ギル、今はそんな説明しなくてもいいって!」
男の子も笑った。
母親は何度も頭を下げていた。
その後ろでは、運転手が貨物車から降りてきている。
「申し訳ない! 急に制動装置が効かなくなって……!」
周囲の人々が集まり始めていた。
けれど、大きな騒ぎにはならなかった。
魔法を使ったのは見られたけれど、この国では魔法そのものは珍しくない。
まさか目の前の少女が、王国の最高機密だなんて誰も思わないだろう。
わたしはほっとした。
そして。
「あれ?」
交差点の中央を見た。
交通整理機が、まだ両腕を広げたまま立っていた。
いや。
よく見ると、少し傾いている。
「ギル、あの子……」
「確認します」
わたしたちは近づいた。
交通整理機の右腕が曲がっていた。
胸の灯も点滅している。
貨物車が突っ込んできた時、歩行者を止めようとして、誘導板を車体にぶつけていたらしい。
「歩行者……停止……してください」
小さな声。
「車両……停止……」
胸の灯が消える。
また点く。
「ギル」
「はい」
「壊れちゃったの?」
「右腕関節部が損傷しています。内部動力の供給にも異常があります」
「直る?」
「整備が必要です」
交通整理機が、ゆっくり頭を動かした。
「歩行者……通行……可能……」
その声は途中で途切れた。
わたしは胸が少し苦しくなった。
「もういいよ」
交通整理機に話しかける。
「もう車、止まったから」
返事はない。
「危なくないよ」
それでも機械は腕を上げようとする。
曲がった関節が、ギチギチと音を立てた。
「歩行者……安全……確認……」
「……」
わたしはギルを見上げた。
「この子も、守ってたんだね」
「交通整理機の任務です」
「うん」
わたしは小さな機械を見る。
「でも、壊れちゃった」
「はい」
「それでも、ずっと止めようとしてた」
「はい」
ギルが交通整理機の前にしゃがんだ。
「機体の活動継続は危険です。動作を停止してください」
「通行……安全……」
「現在、車両はすべて停止しています」
交通整理機の頭が僅かに動いた。
「安全……確認……」
「はい。確認しました」
ギルは答えた。
「あなたの任務は、完了しています」
しばらくして。
交通整理機の腕がゆっくり下がった。
胸の灯が消える。
停止した。
わたしは何も言わず、その様子を見ていた。
* * *
しばらくすると、市の整備員たちがやってきた。
「やれやれ、またこいつか」
年配の整備士が交通整理機を調べながら言った。
「また?」
わたしは聞いた。
「ああ。こいつは昔からここを担当してるんだが、少し無茶をするんだ」
「機械なのに?」
「そう。危ない車が来ると、自分で止めようとする。止まらない相手にもな」
「危ないじゃん」
「そうなんだよ」
整備士は困ったように笑う。
「何度も修理してる。もっと頑丈な機体に交換しようって話もあるんだがな」
「交換しちゃうの?」
「古いからなあ」
わたしは停止した交通整理機を見た。
小さな身体。
曲がった腕。
何度も修理された跡のある装甲。
「……直してあげてよ」
「ん?」
「まだ働けるなら、直してあげて」
整備士は少し驚いた顔をした。
そして笑った。
「ああ。そうするよ」
「本当?」
「まだ部品もあるしな」
「よかった」
整備士たちが交通整理機を運んでいく。
ギルがその後ろ姿を見ていた。
「ギル?」
「はい」
「どうしたの?」
「先ほどの交通整理機の行動を解析しています」
「何か変だった?」
「自機の損傷が予測される状況でも、交通誘導を継続していました」
「うん」
「正常な機能維持を優先するなら、退避する選択肢も存在しました」
「でも逃げなかったね」
「はい」
わたしは少し考えた。
「あの子、ここを守りたかったんじゃない?」
「……」
「毎日ずっと、この交差点にいたんでしょ?」
「はい」
「だったら、ここを通る人たちを守るのが大事だったのかも」
「設定された任務です」
「そうだけどさ」
わたしはギルの新しい左腕を見た。
「ギルだって、あの時そうだったじゃん」
「旧鉱山地帯での戦闘ですか」
「うん」
「護衛任務を遂行しました」
「でも腕、なくなっちゃった」
「必要な損傷でした」
「……必要だったかもしれないけど」
わたしは少しだけ俯いた。
「わたしは、嫌だったよ」
ギルは何も答えなかった。
わたしは顔を上げる。
「だからさ、ギル」
「はい」
「今度は、できれば壊れないで守ってね」
「……了解しました」
少し間があった。
「努力します」
わたしは思わず笑った。
「努力って!」
「不適切な返答でしたか」
「ううん!」
わたしは首を振った。
「今の、ちょっと好き!」
「理由を確認できません」
「いいの!」
ギルはそれ以上聞かなかった。
* * *
帰り道。
わたしはまたギルの肩に乗っていた。
夕方の王都。
建物の窓に明かりが灯り始める。
路地では清掃機が落ち葉を集めていた。
食堂からは夕飯の匂い。
遠くで飛行船の汽笛が鳴った。
「ギル」
「はい」
「今日のわたし、結構すごくなかった?」
「どの行動についてですか」
「貨物車を止めたやつ!」
「防壁の多重展開ですね」
「そう!」
「通常の攻撃魔法より高度な出力調整を確認しました」
「でしょ!」
「ただし、一枚目から九枚目までの防壁には改善の余地があります」
「そこは褒めるところ!」
「事実を報告しています」
「もう!」
わたしはギルの頭を軽く叩いた。
でも、少し嬉しかった。
先生に何度も教わった防御魔法。
正直、攻撃魔法の方がずっと得意だった。
敵を捕捉して、魔法を撃つ。
それなら何千回でもできる。
でも。
今日は誰も攻撃しなかった。
車も壊さなかった。
誰も怪我をしなかった。
「ねえ、ギル」
「はい」
「魔法ってさ」
「はい」
「撃たなくても役に立つんだね」
「防御魔法も魔法の一種です」
「それは知ってる」
「では――」
「そうじゃなくて」
わたしは少し笑った。
「今日、ちょっと分かった気がするの」
ギルは黙って歩いていた。
「先生が言ってたんだ。魔法は敵を倒すためだけにあるんじゃないって」
「合理的な指導です」
「うん」
わたしは夕焼けを見る。
「今度先生に会ったら、ちゃんとできたって言おうかな」
「推奨します」
「ギルも褒めてくれる?」
「本日の行動は適切でした」
「そういうのじゃなくて!」
「では?」
「よく頑張ったね、とか!」
ギルは少し考えた。
「……リナ」
「なに?」
「よく頑張りました」
わたしは吹き出した。
「あはは! 言わされてるじゃん!」
「発言を要求されたためです」
「まあ、いっか!」
笑いながら、ギルの肩へ寄りかかる。
街の灯りが一つずつ増えていく。
ギルの歩く振動が、心地よかった。
しばらくして、わたしは聞いた。
「ねえ、ギル」
「はい」
「今日、あの子を助けた時さ」
「交通整理機ですか」
「うん」
「はい」
「ギルも、あの子が壊れちゃうの嫌だった?」
返事はなかった。
わたしはギルの頭を見下ろす。
「ギル?」
「……質問を解析しています」
「そんな難しい質問?」
「私の護衛対象はリナです」
「知ってるよ」
「交通整理機は護衛対象に含まれません」
「うん」
「しかし、損傷した機体を放置することは適切ではないと判断しました」
「どうして?」
「……」
ギルの歩みが、ほんの少しだけ遅くなった。
「理由を特定できません」
「そっか」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいよ」
わたしはギルの頭をぽんぽんと叩く。
「でも、あの子が直るといいね」
「……はい」
少しの沈黙。
それから。
「修理が完了すれば、再び交通整理任務に復帰できるでしょう」
「そうだね!」
「……」
「ギル?」
「修理の完了を、確認したいと思います」
わたしは思わず身を乗り出した。
「えっ?」
「危険です。姿勢を戻してください」
「今なんて言った!?」
「姿勢を戻してください」
「その前!」
「修理の完了を確認したい、と発言しました」
「ギルが?」
「はい」
「自分から?」
「……はい」
わたしはしばらく黙った。
それから、にっこり笑った。
「じゃあ今度、一緒に見に行こう!」
「……了解しました」
「約束ね!」
ギルは返事をした。
「はい。約束します」
わたしはもう一度、ギルの頭を叩いた。
今度は、少しだけ優しく。
* * *
先生。
あの日のことを、今でもよく覚えています。
貨物車を止めたことも。
男の子を助けたことも。
そして、あの小さな交通整理機のことも。
わたしはその後、ギルと一緒に何度かあの交差点を訪れました。
修理を終えた交通整理機は、以前と同じ場所に立っていました。
赤い灯をつけて。
青い灯をつけて。
毎日、何事もなかったかのように働いていたんです。
ギルはその姿を見て、
「正常に復帰しています」
とだけ言いました。
でも。
わたしが「よかったね」と言うと、
ギルも、
「はい」
と答えたんです。
ただ、それだけのことでした。
あの頃のわたしには、それが何を意味するのか分かりませんでした。
けれど今なら、少しだけ分かる気がします。
ギルはきっと、わたし以外の誰かのことも、少しずつ気にかけるようになっていたんですね。
先生。
あの日、魔法の使い方を一つ覚えたのは、わたしでした。
そしてギルも。
何か新しいことを、一つ覚えたのかもしれません。
第4話 完




