第5話 最後の一人が渡るまで
先生。
戦場で敵兵の数を聞くのは、もう慣れていました。
千人でも、二千人でも。
ギルが敵の数を教えてくれれば、わたしはその数だけ魔法を用意する。
それが、わたしたちの戦い方でした。
でも、あの日は少し違ったんです。
ギルに何度も人数を尋ねました。
敵の数ではありません。
まだ橋を渡っていない人たちの数でした。
今でも覚えています。
あの日ほど、最後の一人が無事に渡り終えることを願った日はありませんでした。
* * *
「避難民の護衛?」
「そうだ」
セドリック准佐が地図を広げた。
王国軍第三作戦室。
長い机の上には、北部地方の地図が置かれている。
わたしはギルの隣で椅子に座っていた。
「敵軍が王国北西部の村々へ進軍している。すでに三つの村で避難命令が出た」
「じゃあ敵を倒せばいいんだよね?」
「今回は違う」
准佐が地図の一点を指さした。
「ここに古い石橋がある。川幅は広いが、対岸へ渡れる橋はこの付近では一つしかない」
「ふーん」
「避難民はそこを通って南へ向かう。だが敵軍の接近が予想より早い」
「なるほど」
「お前たちには最後の避難民が通過するまで、橋を守ってもらいたい」
「分かった!」
わたしは立ち上がった。
「じゃあギル、行こう!」
「待て」
「え?」
「まだ説明は終わっていない」
セドリック准佐がため息をついた。
「毎回最後まで聞け」
「だって分かったもん」
「何が分かった?」
「橋を守る!」
「……間違ってはいない」
准佐は額に手を当てた。
ギルが横から言う。
「リナ。任務内容は最後まで確認する必要があります」
「ギルまで!」
「重要事項です」
「はいはい」
わたしは椅子へ戻った。
「今回も、お前の正体は明かさない。現地では軍の補助魔導士として行動しろ」
「いつも通りだね」
「そうだ。それと、避難民の中には幼い子供や老人、怪我人もいる」
「うん」
「橋の上では大規模な攻撃魔法を使うな。巻き込む危険がある」
「分かってる」
「本当に?」
「分かってるって!」
セドリック准佐がギルを見る。
「ギル。今回も頼むぞ」
「了解しました」
「だから、なんで毎回ギルに言うの!」
「お前より信用できるからだ」
「ひどい!」
准佐は少しだけ笑った。
* * *
橋へ到着したのは昼過ぎだった。
大きな川。
その上に架けられた古い石橋。
橋の幅は、荷馬車が二台並んで通れる程度。
欄干には長い年月を感じさせる傷がついていた。
「わあ、大きいね」
「全長二百三十六メートル。建造から百三十年以上が経過しています」
「そんなに古いの?」
「はい」
「まだ大丈夫なのかな?」
「現在の構造強度は、通常の通行に支障のない範囲です」
「そっか」
橋の手前には、大勢の人が集まっていた。
荷物を抱えた人。
荷車を引く人。
子供の手を握る母親。
老人を支える若い兵士。
そして、何体もの機械。
大きな荷箱を運ぶ運搬機。
負傷者を乗せた台車を押す介護機。
人々を誘導する小型の案内機。
どの機械も忙しそうに働いていた。
「歩行者の皆様、橋の中央をお進みください」
「車両は順番に通行してください」
「お急ぎください。ただし走らないでください」
案内機の声があちこちから聞こえる。
「ギル、すごい人だね」
「避難対象者、現在確認できる範囲で千三百八十二名」
「そんなに?」
「はい。さらに北側から避難民が到着する見込みです」
わたしは橋を見る。
たくさんの人が、ゆっくりと渡っていた。
誰も楽しそうではない。
みんな何かを抱えている。
荷物だったり。
子供だったり。
不安そうな顔だったり。
「ねえ、ギル」
「はい」
「この人たち、家に帰れないのかな」
「戦況が安定するまでは困難です」
「……そっか」
少しだけ胸が重くなった。
そんな時だった。
「おーい! そこの軍用機!」
声の方を見ると、年配の男性が手を振っていた。
その隣には、小さな運搬機がいた。
人間の腰ほどの高さ。
ずんぐりした金属製の身体。
背中には大きな荷台。
そこへ山ほどの荷物が積まれていた。
「ちょっと手伝ってくれんか!」
「どうしたの?」
「こいつが動かんのだ!」
老人が小さな機械を指さした。
「積載重量超過です」
運搬機が答える。
「荷物を減らしてください」
「減らせんのだ!」
「積載重量超過です」
「だから減らせんと言っとる!」
「荷物を減らしてください」
わたしは思わず笑ってしまった。
「ギル、お願いできる?」
「荷物の移動ですか」
「うん」
「了解しました」
ギルが運搬機の荷台を見る。
「現在の積載重量は百八十二キログラム。推奨積載量を大幅に超過しています」
「ほら! だから動かんのだろう!」
老人が言う。
「原因は明確です」
「分かっとる!」
わたしはまた笑った。
ギルは荷物の半分を持ち上げた。
大きな木箱。
布袋。
鍋。
古い道具箱。
「これで動ける?」
わたしが聞くと、運搬機の胸の灯が青く光った。
「積載重量、正常範囲です」
「よかった!」
「運搬を再開します」
小さな機械が歩き始めた。
老人も慌てて後を追う。
「ありがとうな、お嬢ちゃん!」
「気をつけてね!」
老人は振り返り、笑った。
「ああ! また帰ってこられるといいんだがな!」
わたしは返事をしようとして、言葉が止まった。
老人はもう歩き出していた。
ギルがわたしを見る。
「リナ」
「……うん」
「どうしましたか」
「なんでもない」
わたしは橋を見た。
「みんな、帰れるといいね」
「……はい」
* * *
それから二時間。
わたしたちは橋の北側にある小高い丘で待機していた。
橋全体を見渡せる場所だった。
ギルが周囲を索敵し、わたしは必要に応じて橋の安全を確認していた。
「ギル、敵は?」
「北方十二キロメートルに敵軍を確認。推定千七百名」
「まだ遠いね」
「移動速度から、約一時間以内に接近する可能性があります」
「その前にみんな渡れるかな?」
「現状の通行速度では困難です」
「そっかあ……」
わたしは丘に腰を下ろした。
持ってきた焼き菓子を取り出す。
一つ食べる。
甘い。
でも、今日はあまり美味しく感じなかった。
「ギル」
「はい」
「まだ何人?」
「橋の北側に残る避難民は、九百二十一名です」
「多いね」
「はい」
「敵が来るまでに渡れるかな」
「現在の状況では、避難完了まで約九十分を要します」
「じゃあ間に合わないじゃん」
「その可能性があります」
わたしは立ち上がった。
「じゃあ、敵を止めないとね」
「了解しました」
ギルの視覚灯が強く光った。
北方を向く。
「敵軍、移動速度上昇」
「え?」
「前方九キロメートル。騎兵部隊が先行しています」
「早くなったの?」
「はい」
その直後。
遠くで、低い音が響いた。
ドン。
わたしは顔を上げた。
「今の何?」
「砲撃音を検知」
「砲撃?」
「敵軍が長距離砲を使用しています」
ギルが橋の方を向く。
「着弾予測――橋の北側!」
「えっ!」
「リナ、伏せてください!」
わたしは反射的にしゃがんだ。
ギルが腕を広げる。
空の向こうから、黒い砲弾が飛んできた。
狙いは橋の入口。
そこには、まだ大勢の人がいた。
「駄目!」
わたしは立ち上がり、手を伸ばした。
砲弾へ標的印を重ねる。
魔法陣展開。
防壁。
砲弾の進路上に透明な壁を生み出す。
直後。
轟音。
空中で砲弾が爆発した。
破片が周囲へ飛び散る。
わたしは慌てて防壁を増やした。
一枚。
十枚。
五十枚。
破片が地面へ落ちる前に、次々と受け止める。
橋の上で悲鳴が上がった。
「ギル!」
「はい!」
「敵、何人!?」
「砲撃部隊を確認。北方丘陵地帯、砲三門!」
「見えない!」
「丘の裏側に位置しています」
「じゃあ撃てない!」
わたしの魔法は、狙った場所へ放つことができる。
でも、見えないものに正確な標的印をつけることはできない。
ギルなら敵の位置を探せる。
でも、わたしが魔法で撃つには、敵を視界に捉える必要があった。
「ギル、砲弾は見える?」
「はい。飛翔中の砲弾を迎撃可能です」
「じゃあお願い!」
「了解しました」
ギルの両腕が展開する。
銃身が伸びる。
空へ向けて構える。
ドン。
また砲声。
「飛翔体、三!」
「捕まえた!」
わたしは二発へ防壁を展開する。
残り一発。
ギルが撃つ。
空中で爆発。
衝撃が丘まで届いた。
「迎撃完了」
「よかった……!」
でも。
橋の上では避難民が混乱していた。
大勢の人が走り始める。
荷車が止まる。
小さな子供が泣いている。
案内機たちが必死に誘導していた。
「落ち着いてください!」
「走らないでください!」
「順番にお進みください!」
けれど、砲声が響くたびに、人々は怯えて足を止めてしまう。
「ギル!」
「はい」
「橋、あと何人?」
「北側に七百三十八名。橋上に二百十六名」
「まだそんなに……!」
わたしは歯を食いしばった。
砲撃を止めたい。
でも、砲兵は丘の向こう。
そこへ向かえば、橋を守れなくなる。
「ギル、どうしよう」
思わず聞いてしまった。
ギルは答える。
「護衛対象の安全を優先するなら、後方への退避を推奨します」
「でも、みんなは?」
「避難民の護衛任務は継続中です」
「じゃあ逃げられないじゃん」
「はい」
「……」
わたしは橋を見た。
あの老人。
あの小さな運搬機。
荷物を抱えた人たち。
みんなまだ向こうへ渡ろうとしている。
わたしは深く息を吸った。
「ギル」
「はい」
「わたし、橋を守る」
「了解しました」
「だからギルは――」
「リナの護衛を継続します」
「……早いよ」
「それが私の任務です」
わたしは少し笑った。
「分かった」
そして橋へ向き直る。
「じゃあ、一緒に守ろう」
「了解しました」
* * *
砲撃は続いた。
一発。
二発。
三発。
わたしは何度も防壁を展開した。
空中で砲弾を止める。
破片を防ぐ。
橋の上の人々を守る。
ギルは丘の周囲を高速で移動し、わたしに接近する敵兵を排除していた。
「右方、敵騎兵十二!」
「お願い!」
「了解!」
銃声。
「北側、敵歩兵六十七。接近中!」
「見えた!」
標的を捕捉。
足元へ風の魔法を撃ち込む。
砂埃が舞い上がる。
敵兵たちが転倒し、進軍を止めた。
それ以上は追わない。
今は倒すことが目的じゃない。
橋を渡らせること。
それだけ。
でも。
「リナ!」
ギルの声。
「何!?」
「橋の中央部に異常振動!」
わたしは橋を見る。
砲撃の衝撃が何度も伝わったせいだろうか。
古い石橋の側面から、小さな石が落ちていた。
一本の亀裂。
それが少しずつ広がっていく。
「ギル、あれ!」
「構造強度低下を確認」
「壊れちゃうの!?」
「中央橋脚付近に損傷。通行を続けた場合、崩落の可能性があります」
わたしは息を呑んだ。
橋の上には、まだ人がいる。
老人。
子供。
荷車。
機械。
みんなまだ渡っている。
「ギル!」
「はい」
「橋を守る魔法ってできるかな!?」
「防壁魔法による構造補強が可能か、データがありません」
「じゃあ試す!」
わたしは橋へ向けて手を伸ばした。
目に見える亀裂。
崩れかけた石。
橋脚の接合部分。
それぞれに小さな標的印を重ねる。
一つ。
十。
百。
橋の下面にも、側面にも。
視界に入る部分を、一つずつ捕捉する。
「防壁!」
透明な魔力の壁が、橋のあちこちに現れた。
大きな壁を一枚。
ではない。
小さな壁を何百枚も。
石と石の間を支える。
亀裂が広がるのを防ぐ。
橋脚から落ちかけた石を受け止める。
ぎしり。
橋が揺れた。
「……どう?」
ギルが即座に解析する。
「振動低下を確認」
「やった!」
「ただし安定性は保証できません」
「分かってる!」
わたしはさらに防壁を増やした。
橋を支える。
橋の上の人々を守る。
それでも砲撃は続いている。
「ギル! あと何人!」
「北側、三百二十一名!」
「早く渡って!」
わたしは思わず叫んだ。
橋の上の人たちには聞こえない。
でも、叫ばずにはいられなかった。
* * *
やがて。
ギルが報告した。
「敵砲兵部隊、後退を開始」
「本当!?」
「はい。王国軍の別働隊が敵側面へ到達しました」
「よかったぁ!」
わたしは思わず座り込みそうになった。
でも、まだ終わっていない。
「橋は!?」
「北側に残る避難民、四十八名」
「もうちょっと!」
わたしは防壁を維持し続ける。
大きな魔法を一発撃つより、ずっと難しかった。
何百もの防壁。
それぞれの位置。
強度。
橋の揺れ。
全部を見ていなければならない。
魔力は減らない。
でも、頭が痛くなってきた。
「リナ」
「なに?」
「集中力の低下を確認」
「大丈夫!」
「長時間の多重制御は身体的負荷を伴います」
「もう少しだから!」
「……了解しました」
橋を渡る人々が減っていく。
三十人。
二十人。
十人。
「ギル!」
「はい」
「あと何人?」
「北側、四名」
「四人!」
わたしは橋を見る。
最後の荷車が渡り始めていた。
老人が一人。
その隣に、小さな運搬機。
見覚えがあった。
「あ!」
最初に会った老人だ。
そして、荷物を積みすぎて動けなくなっていた機械。
老人は小さな運搬機の隣で、荷車を押していた。
その後ろには二人の兵士。
「あと少し……!」
その時。
橋の中央で、石が崩れた。
ゴゴッ。
鈍い音。
わたしが張っていた防壁の一つが砕ける。
「えっ!?」
「中央部、局所崩落!」
ギルが叫ぶ。
老人の足元が傾いた。
荷車が横滑りする。
小さな運搬機が荷車を支えようとする。
けれど、その重量を受け止めきれない。
「積載重量超過です」
機械の声が響いた。
「積載重量超過です」
「そんなこと言っとる場合か!」
老人が叫ぶ。
わたしは咄嗟に手を伸ばした。
防壁を展開。
荷車の下。
老人の足元。
運搬機の下。
次々と小さな壁を重ねる。
「ギル!」
「了解!」
ギルが丘を蹴った。
ものすごい速度で橋へ向かう。
大きな黒い機体が、石橋の中央へ跳び込んだ。
老人を抱え上げる。
片腕で荷車を支える。
小さな運搬機も掴む。
「救助対象を確保!」
「よかった!」
ギルは橋の南側へ跳んだ。
石畳へ着地。
老人をそっと下ろす。
「負傷はありません」
老人は腰を抜かしたように座り込んだ。
「……助かった」
小さな運搬機が、その横で言う。
「運搬を再開します」
「お前はもう少し休め!」
老人の声が橋に響いた。
わたしは思わず笑った。
そして、最後の二人の兵士が渡り終える。
「ギル!」
「はい」
「もう誰もいない!?」
ギルが周辺を索敵した。
数秒。
「橋の北側、避難民なし」
「橋の上は!?」
「避難民なし」
「本当に!?」
「はい」
わたしは息を止めた。
ギルが続ける。
「避難民の通過を確認。全員、南側へ避難完了しました」
その瞬間。
「やったぁぁぁ!」
わたしは両手を上げた。
何百もの防壁が、ゆっくり消えていく。
その一部が消えると、古い石橋は再び軋み始めた。
最後に中央部の石組みが崩れ、川へ落ちていった。
大きな水しぶき。
でも。
もう橋の上には、誰もいなかった。
* * *
夕方。
避難民たちは南側の仮設野営地へ到着した。
大きな天幕。
炊き出しの鍋。
食料を運ぶ機械。
怪我人を診察する医師。
子供たちに毛布を配る小型機。
みんな疲れていた。
でも、生きていた。
わたしは少し離れた場所に座っていた。
「……疲れた」
「魔力量の減少は確認できません」
「ギル」
「はい」
「それ言ったら怒るよ」
「……」
「……」
「身体的疲労ですね」
「そう!」
わたしは笑った。
「やっと分かってきたじゃん」
「過去の会話記録から学習しました」
「えらいえらい」
ギルの大きな腕をぽんぽんと叩く。
少しだけ、左腕の動きが気になった。
「腕、大丈夫?」
「正常です」
「無理してない?」
「問題ありません」
「本当に?」
「はい」
「そっか」
わたしは安心して、ギルの脚へ寄りかかった。
野営地の方から、いい匂いがしてくる。
温かいスープらしい。
子供たちの笑い声も聞こえていた。
戦場の近くだというのに。
なんだか、少しだけ静かだった。
そこへ。
「お嬢ちゃん!」
声がした。
顔を上げると、あの老人が立っていた。
隣には小さな運搬機。
「さっきはありがとうな!」
「あ、無事だったんだ!」
「おかげさまでな」
老人は笑った。
「こいつも無事だ」
「運搬機能、正常です」
小さな機械が答える。
「積載重量超過は解消されました」
「もう分かっとる!」
老人はわたしの隣へ腰を下ろした。
「本当に助かった。あの橋が落ちた時は、もう駄目かと思った」
「間に合ってよかった」
「ああ」
老人は少し遠くを見た。
川の向こう。
北の方。
「家も畑も置いてきてしまった」
「……うん」
「もう戻れんかもしれんな」
わたしは何も言えなかった。
老人はしばらく黙っていた。
それから。
「でもまあ、命があれば何とかなる」
そう言って笑った。
「こいつもおるしな」
老人が小さな運搬機を叩く。
「運搬任務を継続します」
「そうだな。また働いてもらわんとな」
わたしはその光景を見ていた。
老人と機械。
どこにでもいるような二人。
きっと、何年も一緒に暮らしてきたのだろう。
なんとなく。
わたしとギルに少し似ている気がした。
「お嬢ちゃん」
「なに?」
「本当にありがとう」
「うん!」
老人が立ち上がる。
小さな機械も後を追った。
「運搬を再開します」
「もう今日は休め!」
「任務を継続します」
「まったく、お前は!」
二人の声が遠ざかっていく。
わたしはくすくす笑った。
「ギル」
「はい」
「あの二人、仲良しだね」
「所有者と運搬機の関係です」
「そうだけど」
「はい」
「それだけじゃないと思うよ」
ギルは答えなかった。
わたしは膝を抱えた。
「ねえ、ギル」
「はい」
「今日さ」
「はい」
「敵、千七百人くらいいたんだよね?」
「はい」
「いつもなら、そんなに大変じゃないのに」
「今回の任務では、避難民への被害を防ぐ必要がありました」
「うん」
わたしは夕焼けを見る。
「でもさ、今日は敵を倒すことより、みんなが橋を渡り終わることの方が大変だった」
「はい」
「何回も人数聞いちゃった」
「確認しています」
「迷惑だった?」
「いいえ」
「本当?」
「はい。必要な情報提供でした」
「そっか」
わたしは少し笑った。
そしてギルに聞いた。
「ねえ」
「はい」
「みんな無事で、よかったね」
「……」
ギルはすぐには答えなかった。
普段なら、
『任務を完了しました』
とか、
『避難民の生存率を確認しました』
とか。
そう答えるはずだった。
でも。
「……はい」
ギルは言った。
「よかったと思います」
わたしは顔を上げた。
「え?」
「避難民は全員、橋を通過できました」
「うん」
「負傷者の増加も確認されていません」
「うん」
「……」
ギルの視覚灯が、小さく瞬いた。
「よかったと思います」
もう一度。
そう言った。
わたしは笑った。
「そうだね!」
ギルの大きな手に、自分の手を重ねる。
「よかったね、ギル!」
「……はい」
その時。
ギルがほんの少しだけ、わたしの手を握り返したような気がした。
「……ギル?」
「はい」
「今、握った?」
「手指関節の位置調整を行いました」
「ふーん」
わたしはもう一度、その大きな指を握った。
「じゃあ、もう一回調整して」
「必要性を確認できません」
「いいから!」
しばらく沈黙。
そして。
ギルの指が、ゆっくり動いた。
わたしの小さな手を包むように。
「……調整しました」
わたしは笑った。
「うん!」
夕焼けの下。
わたしたちは、しばらくそのまま座っていた。
* * *
先生。
あの日、わたしは初めて思ったんです。
戦場で敵を倒した時よりも。
誰かが無事に家へ帰れると分かった時の方が、ずっと嬉しいのかもしれないって。
もちろん、あの日の人たちは、まだ自分の家へ帰れませんでした。
戦争が終わらない限り、帰れない人はたくさんいたんです。
それでも。
命があれば、いつか帰れる。
また家を建てられる。
また畑を耕せる。
また誰かと一緒に暮らせる。
そんな当たり前のことを、十三歳のわたしは少しずつ知っていきました。
そしてギルも。
あの日、初めて「よかったと思います」と言ったんです。
それが心だったのか。
それとも、ただ人間の言葉を学習しただけだったのか。
今でも、わたしには分かりません。
でも、先生。
あの日の夕焼けと、ギルの大きな手の温かさは、今でも覚えています。
本当は金属だから、そんなに温かいはずはないんですけどね。
不思議ですよね。
第5話 完




