第3話 戦争
先生。
あの頃のわたしは、ずっと勘違いしていました。
ギルは機械だから。
壊れても直せる。
傷ついても痛くない。
だから、わたしとは違うんだって。
でも。
あの日、ギルの腕が落ちた時。
そんなことは、どうでもよくなりました。
* * *
「今日は寄り道禁止だ」
朝。
王国軍第三整備棟の前で、セドリック准佐が言った。
「まだ何も言ってないけど」
「顔に書いてある」
「どこに?」
「焼き菓子」
「顔に焼き菓子は書いてないよ!」
「では聞く。任務終了後、どこへ行くつもりだった?」
「……パン屋」
「ほらな」
セドリック准佐がため息をついた。
隣ではローデンさんがギルの脚部装甲を叩いている。
「問題なし。昨日交換した左膝の軸も馴染んでる」
「動作確認を完了しています」
「お前は自分で問題なしって言いすぎなんだよ」
「事実です」
「そういう機械ほど急に壊れる」
「根拠を提示してください」
「長年の勘」
「数値化を要求します」
「面倒くせえな、お前」
わたしは笑った。
「ギル、ローデンさんに似てきた?」
「否定します」
「即答すんな!」
ローデンさんがギルの脚を蹴った。
もちろん軽くだけど。
「で、今日はどこ?」
わたしが聞く。
セドリック准佐が地図を広げた。
「北西部。旧鉱山地帯だ」
「敵、多い?」
「確認できているだけで約三千」
「じゃあ大丈夫そう」
「そういう言い方をするな」
「なんで?」
「三千人を聞いて『大丈夫そう』と言う十三歳は、お前くらいだ」
「でもギルいるし」
わたしは当然のように言った。
ギルがこちらを見る。
「護衛任務を遂行します」
「ほら」
「それで安心するなと言ってる」
「なんで?」
セドリック准佐は何か言いかけた。
でも結局、首を振った。
「……いい。とにかく無茶はするな」
「はーい」
「返事」
「はい!」
その横でギルが言った。
「同様の指示を私からも推奨します」
「ギルまで言わなくていいの!」
ローデンさんが笑った。
その時は。
いつも通りの朝だった。
* * *
旧鉱山地帯には、低い山と切り立った岩壁が続いていた。
昔は鉄鉱石を掘っていたらしい。
今では坑道の多くが崩れ、戦争が始まってからは何度も両軍の陣地として使われている。
「ギル。索敵」
「開始します」
ギルの視覚灯が細く光った。
わたしは岩陰に立って待つ。
「前方、敵性反応二千七百九十一」
「思ったより少ないね」
「地下空間に複数反応。正確な総数は算出できません」
「坑道の中?」
「はい」
「じゃあ外から先にやろう」
「推奨します」
わたしが丘を上る。
「リナ」
「なに?」
「右へ寄りすぎです」
「まだ崖じゃないよ」
「右方向十一歩先から急斜面です」
「十一歩もあるじゃん」
「十一歩しかありません」
「ギルって細かい」
「転落した場合、致命傷となる可能性があります」
「落ちないって」
「前回も同様の発言後に転倒しています」
「あれは雨だったでしょ!」
「転倒した事実に変わりはありません」
「もう!」
戦場に来てまで、こんな会話をしている。
今考えると。
わたしたちは少し変だったのかもしれません。
でも。
それが普通だったんです。
* * *
「敵、動きます」
「見えてる」
丘の向こう。
敵兵たちがこちらへ向かってくる。
ギルが数を読み上げる。
「前方千六百二十二。第二陣九百十一。弓兵百四十四。魔導士六十八」
「分かった」
標的を捕捉。
一人。
十人。
百人。
千人。
光の印が敵兵一人一人に重なる。
「第一陣、全部」
「確認」
魔法陣を展開。
炎。
氷。
風。
威力はそれほど大きくない。
必要もない。
一人に一発。
それで十分。
「撃つよ」
「了解」
空を無数の魔法が走った。
地面が揺れる。
敵軍の前列が崩れる。
「右側面、敵兵七十三。接近中」
「お願い!」
「了解」
ギルが走る。
あの大きな身体からは想像できない速度。
岩場を蹴り、わたしの右側を回り込もうとした兵士たちの前へ出る。
銃声。
わたしは振り返らない。
見る必要がないから。
ギルがいる。
それだけでいい。
「第二陣来るよ!」
「確認しています」
「捕まえた!」
再び魔法陣。
このまま押し切れる。
そう思った。
その時だった。
「リナ!」
ギルの声。
いつもより大きかった。
「え?」
「伏せてください!」
反射的にしゃがむ。
直後。
岩壁の上から光が走った。
魔法ではない。
砲撃。
岩を砕くほどの大型弾。
最初からわたしを狙っていた。
ギルが飛び込んでくる。
「ギル――」
わたしの視界が黒い装甲で埋まった。
轟音。
衝撃。
地面が跳ねた。
身体が吹き飛びそうになる。
でも。
何か大きなものに抱え込まれていた。
ギルだった。
「……ギル?」
煙。
土。
焦げた匂い。
「リナ。負傷を確認します」
「わたしは平気!」
「頭部外傷なし。骨折反応なし。軽度の擦過傷――」
「ギル!」
わたしは叫んだ。
煙が薄れる。
そして。
初めて見えた。
ギルの左腕がなかった。
「……え?」
肩から先が。
ない。
地面を見る。
少し離れた場所に、黒い腕が落ちていた。
「ギル……腕」
「左腕部を喪失しました」
「喪失しましたって……」
「戦闘継続可能です」
ギルが立ち上がろうとした。
「待って!」
「敵性反応、接近中」
「待ってって!」
「護衛任務を継続します」
「駄目!」
わたしはギルの前に立った。
ギルが止まる。
「リナ。移動してください」
「嫌」
「敵が接近しています」
「だから何!」
「危険です」
「ギルの方が危ないでしょ!」
一瞬。
ギルが黙った。
「私は機械です」
「だから何!」
「腕部は交換可能です」
「だからって!」
自分でも、なんでこんなに怒っているのか分からなかった。
「なくなっていいわけじゃないでしょ!」
ギルの視覚灯が瞬いた。
「……」
「今日は終わり!」
「任務は完了していません」
「わたしが終わりって言ったら終わり!」
「リナに作戦終了権限はありません」
「知らない!」
「敵軍は残存しています」
「じゃあ追い返す!」
「単独での戦闘継続は推奨できません」
「ギルはそこにいて!」
「できません」
「いて!」
「護衛任務があります」
「今はわたしがギルを守るの!」
言ってから。
自分でも少し驚いた。
ギルも黙っていた。
でも。
敵は待ってくれない。
「前から何人?」
わたしは聞いた。
「リナ」
「何人!」
ギルが数秒遅れて答える。
「前方、五百四十六」
「右」
「百二十一」
「左」
「八十八」
「上の砲撃位置は?」
「三箇所」
「分かった」
わたしは息を吸った。
全部捕捉する。
敵兵。
魔導士。
砲台。
岩陰。
斜面。
今までよりずっと多くの魔法陣を展開する。
怒っていた。
ものすごく。
「リナ」
「なに」
「過剰出力です」
「知らない」
「周辺地形への被害が予測されます」
「……」
先生の言葉が頭をよぎった。
撃たないことを学べ。
「……分かったよ」
魔法陣を減らす。
必要な数だけ。
必要な威力だけ。
「これなら?」
「許容範囲です」
「ギルのくせに偉そう」
「事実を報告しています」
「じゃあ」
わたしは手を上げた。
「帰ろう」
魔法を放つ。
爆発。
敵兵たちは進めなくなる。
砲台を破壊。
退路は残す。
追わない。
倒すことより。
今日は帰る。
それだけだった。
* * *
「馬鹿野郎!」
第三整備棟に戻った瞬間。
ローデンさんの怒鳴り声が響いた。
わたしはびくっとした。
「ギルに言ってる?」
「両方だ!」
「なんでわたしまで!」
「護衛機が片腕なくしてんだぞ!」
「だから帰ってきたじゃん!」
「もっと早く帰れ!」
「任務だったの!」
「子供が戦争の言い訳するんじゃねえ!」
「それ王国に言ってよ!」
ローデンさんが止まった。
「……それはそうだな」
「認めるんだ」
ギルは整備台に座っている。
左肩の断面には、何本もの配線が見えていた。
床には回収してきた左腕。
「直る?」
わたしが聞く。
ローデンさんが腕を見る。
「ああ」
「本当?」
「時間はかかるがな。肩の接続部まで持っていかれてる」
「ちゃんと元通り?」
「できる限りな」
わたしは息を吐いた。
その時になって初めて。
肩の力が抜けた。
「……よかった」
ギルがこちらを見る。
「私の損傷により、作戦行動を中断させました」
「うん」
「申し訳ありません」
「は?」
「護衛機として――」
「ギル」
「はい」
「もう一回言ったら怒るよ」
「理由を確認できません」
「怒るから」
「……了解しました」
わたしは床に落ちているギルの腕を見た。
大きい。
わたし一人じゃ持ち上げられない。
「痛くないの?」
「痛覚機能はありません」
「そっか」
「はい」
「じゃあ怖くないの?」
「恐怖機能もありません」
「……そっか」
なんとなく。
それが少し嫌だった。
「でも」
ギルが続けた。
「はい?」
「リナが無傷であることを確認した際、内部処理負荷が低下しました」
「それって?」
「原因は不明です」
ローデンさんの手が止まった。
わたしもギルを見る。
「……安心したってこと?」
「定義を確認します」
「調べなくていいよ」
「しかし」
「それ、多分」
わたしは笑った。
「安心したって言うんだよ」
ギルはしばらく黙っていた。
「……記録します」
「またそれ?」
「重要情報です」
「そっか」
わたしは椅子を引っ張ってきて、ギルの隣に座った。
「リナ」
「なに?」
「整備には数時間を要します」
「うん」
「待機する必要はありません」
「いる」
「理由を確認できません」
「わたしがいたいから」
「合理的理由ではありません」
「いいの」
ローデンさんが笑う。
「今日は好きにさせとけ」
「了解しました」
わたしはギルの右腕に寄りかかった。
「重くない?」
「許容重量内です」
「そういう答えじゃないんだけどなあ」
目を閉じる。
戦場の音がまだ耳に残っていた。
砲撃。
爆発。
ギルの腕が落ちた音。
怖かった。
敵が何千人いた時よりも。
ずっと。
* * *
先生。
あの日、初めて分かったんです。
わたしにとってギルは。
壊れたら交換すればいい機械ではありませんでした。
護衛機だから大切だったわけでもありません。
ギルだから。
嫌だったんです。
傷つくのが。
壊れるのが。
いなくなるかもしれないのが。
あの頃のわたしは、それをうまく言葉にできませんでした。
そしてギルも。
まだ「安心」という言葉を知ったばかりでした。
それでも。
たぶん、あの日。
わたしたちは初めて。
お互いを心配したんだと思います。




