4.お風呂ぱにっく①
結局アードは、泊っていく……ということになった。
住むにしても、家長——つまり、央世の父の許可がいる。だが、今日は生憎不在だった。
「はーあ……。今日は仕方ないから、くくりの部屋に泊まっていいから。大人しくしてよ?」
当然ながら菊理は、アードを央世の部屋に泊めたくはない。そして、得体の知れない存在に空き部屋を貸すなど、愚の骨頂。勝手は許さない。監視が必要だ。兄に迫るかも知れないのだ。これは、苦肉の策だった。
「まかせるのじゃ。わらわは大人しいからのう」
得意気に胸を打つアードの二子山が、ぷるんと波打つ。
「チッ……。何その塊……」
菊理は、自分の胸を触りながら、悔しそうに呟いた。そして、溜息をひとつ。
「……はぁ。そういえば、アード。お風呂、ほんとにいいの?」
「ふむ。湯に浸かる……のじゃったか? そのような意味不明なことをせずとも、わらわはいつも清潔にできるのじゃ。必要ないのじゃ」
「はいはい。そうですか、そうですか……。んじゃこれ着て、部屋で待ってて。くくりは、お風呂いくからさ。まぁ布団はあるし、寝るなら寝てくれてていいけどね」
菊理は、アードに寝巻を渡すと、スタスタ歩いていった。
「……くふふ。行ったのじゃ。さぁて、どのような部屋かのう」
アードは、ニタニタしながら、スッと襖を開き、菊理の部屋に入る。
「ほーう……」
古民家には当然、なのだろうか。畳敷き、小さな床の間。古木の床柱には、傷跡がある。流石に掛け軸はないが——今時の女子の部屋にしては、ずいぶんと和風な部屋だった。
隅の方には——ダンベルや竹刀、木刀、木製の薙刀、和弓すらある。
「なんじゃ、あやつ。戦士なのか? ああ、日本では武士……じゃったか? うーむ……。もう少し旦那様と繋がっておれれば、ルーツも分かったのかのう? いや、本人も知らぬことはあるか……。なぜあのような……」
ブツブツと呟きながら、紫の瞳をキョロキョロと動かし、アードは部屋を観察する。
「……む? これが寝具かのう?」
大き目の布団がひとつ、敷かれていた。
「床に直接とは、中々に原始的じゃのう。まぁ、魔法すらない末端世界じゃ。浮かすなど出来ぬか……。お? あれは書物の棚かのう……」
武具類とは反対側の壁際に、本棚と机があった。アードが厚めの背表紙に手を掛けた。
「……おおっ?! これは——」
アードが目を見開いた。紫の瞳が、輝く。
「小さな旦那様ではないかっ!? くっ……! これは凄まじい威力じゃ……!」
アルバムだった。開いたページには、幼少期の央世と菊理が写っていた。茉莉の映る写真もある。
「しかし……人族というものは、ずいぶんと成長が早いものじゃ……。この世界じゃと、百歳近くまで生きるようじゃが、それも——儚いものよなぁ」
ページを捲りながら、アードは、しみじみと呟く。紫の瞳に、薄く——瞼がかかった。
▽
央世は、浴槽でリラックスしていた。
「はぁー……。マジで今日は意味不明だったなぁー」
ぱしゃりと、湯を掻き混ぜた。
「しっかし、エルフとか、異世界とか……実際にあるんだなぁー。まぁ、どうにも面倒ごとって感じだが……。何だよ、家に住むってよ……」
ちゃぷんと音を立てながら、央世は頭の後ろで腕を組んだ。そして、軽く目を閉じる。
「ふっ……ははっ。でも、面白れぇことになるかもなー」
顔が綻んだのは、期待感か、好奇心か。
「さーて、これからどうすっかなー。まぁ、本人に訊く必要もあるが……。やっぱり、その……異世界? に帰りたいなら、帰してやる方がいいんだろうなー」
央世が、パチッと目を開いた。
「いや、てか、異世界に帰るって、なんだ? ロケットで飛ばすのか? 異世界って、どこにあんだ? でもアイツ、空から降ってきたし……空、だよなぁ?」
そして、首を捻った。
——ガララッ
その瞬間。ガラス戸が開いた。
「おにいちゃーん。入るよー」
菊理が、さも当然のように入ってきたのだ。
「いや、なんでだよ!?!?」
バチャッと音を立てながら、央世は跳び上がらんばかりだった。風呂場に、その声が反響する。
「背中流してあげるー」
菊理は平然としている。そして全裸だ。湯気が、何やら仕事をしていた。これなら安心……か?
「いや、そうじゃなくて! っつーか終わったし!」
央世は焦っている。そして当然全裸だ。だが、湯船で助かった。
「えー。だって今日、くくりのために怒ってくれたよね……。嬉しかったから」
菊理が、少し赤らめた顔の前で、指を絡ませた。
「そりゃ、家族だし当然だろ?」
央世がいつもの調子を取り戻した。
「……うん。ずっと、家族……だよね? ずっと……」
菊理は、少し俯き呟いた。その声は——湯気に——溶け込んでいくようだった。
「ん? なんて?」
「……んーん。今はいいの。で、早くこっちきてよ。背中、流してあげるからー」
菊理が手招きをして、椅子を指差す。
「いや、もう終わったって。そんなにしたら、皮膚がなくなるわ」
「えー!? おにいちゃんは丈夫だから平気だって!」
「いや! もう逆上せそうだし出るわ!」
ジャバッと湯船から立ち上がり、央世は逃げ出した。
「遠慮しなくっていいってー」
しかし回り込まれてしまった。
「なっ?! なんでそこに立つ!?」
央世は、身構えた。
「ふふっ……。おにいちゃん、逃がさないよ……?」
菊理が——薄く笑う。
「く、くくり……? ど、どうしたんだ? 今日、なんか……変だぞ? ま、まさか……?」
央世が、はっとしたように呟いた。
そして——ゆるく右腕を振った。
「……くくり、すまん」
ヒュッと、湯気が切り裂かれた。トトトンっと、鈍く小さな音が、小気味よいリズムで、菊理の芯に響いた。
「あっ……」
ふっと——気が抜けていく菊理の身体を、央世がガシッと支え、ひょいっと抱えた。いわゆるお姫様抱っこである。
「……アードの魔法、変な感じで効いてたのかもなぁ、これ」
そして脱衣所に出て、バスタオルを菊理に掛ける。
「はぁー。ったく……」
そして、居間へと運んだ。
「まぁ、風呂はまだだしな、気が付いたら入るだろ」
そっと座布団に下ろし、軽く毛布を掛けた。
「……さってと」
央世が、すくっと立ち上がり、歩き出した。




