22.起き上がる
菊理の提案——も、あるにはあったが。央世もアードを回収するつもりは、もちろんあった。
だが、当然、あちこち傷めたのだ。足取りが重かった。菊理と零が、それぞれ央世を支え、正面扉へと向かう。
本来なら、人質を取り返された時点で、通報され——警察案件となるような事件である。中村組の残された面々は、一目散に逃げ出して然るべきところだが……。
その程度の思考が戻るのも、もう少しかかるのだろう。
チンピラたちは、出口に向かう三人を、唖然と——或いは呆然としながら、見送るのみだった。
三人が外に出ると。
扉の付近に停められた車の前にひとり、顔を腫らした細身の男がウロウロとしていた。
だが、菊理と一瞬目が合うと、「ヒッ……」と小さく悲鳴を上げ、敷地の外へと走り去っていった。
その背中を横目に見送り、菊理は小さく鼻を鳴らしていた。
三人は、壁沿いに倉庫裏手へと回る。
「で、アードはどこ?」
足首を超える丈の草を、サクサクと踏み均しながら、菊理が訊く。
「ああ、ここからだと一番奥だな……」
怪我の酷い左側を菊理に預けた央世は、ちからなく答えた。さすがに消耗しているようだ。
「おうせくん……ほんとに……ごめんなさい……わたしなんかのために……」
央世の右側を支えながら、零は呟くように、掠れた声を出した。
「あー……いや、オレが余計なことしたせいで、北条さんにまで迷惑を……。それに、そんな怪我まで……。こっちこそ、すんません」
央世は、目尻を下げ、申し訳なさそうに苦笑した。
「そんなっ……! わたしが……あの人たちに……」
零が、何か言いかけたと同時に。
「あ、いた! あんのやろー」
菊理が、アードを発見した。怒りと呆れが混ざったような声色だった。
「叩き起してやる!」
菊理は、央世から手を離し、タタッと駆け出してしまった。
「あ、ちょ、くくり! アードは——」
オレが魔法をわざと使わせて、電池切れさせたんだ——と、言う暇がなかった。菊理は迷いなく素早いステップから、ブォンと薙刀を翻し、振り下ろす。
——コォン!
「あいたっ?!」
草の上に大の字で安らかな表情をして寝ていたアードの脳天に、一閃。
アードは、ビクリとして、頭を撫でながら上半身を起こした。
「……ぬー。ひどいのじゃー。なにをするのじゃー」
そして、当然の不満を口にした。……むしろ、それで済むのが不思議である。
「アンタ! なにサボってんの! おにいちゃん大変だったんだから!」
菊理は、ポケッとしていたアードに、怒りの顔を近付けた。
「……ぬ? わらわ、旦那様にここで寝ておれと言われたのじゃが……」
はて? と、アードは首を傾げた。起き抜けに、このテンションでこられては、さすがにそうだろう。
「ちょ、くくり。落ち着けって」
そこへ央世と零が追い付いてきた。
「だってコイツ居候のクセに……!」
菊理は振り返って、央世の顔を見た。あちこちが腫れ、流血したその姿に、唇を噛んだ。
「いや、ほんとにオレが言ったんだ。ここで寝てろって」
央世は、少し困り顔だった。
「っ……まぁいいや。じゃ、得意の魔法とやらで、おにいちゃんの怪我、治してよ」
菊理は悔しそうにしていたが、くるりとアードに向き直り、言い放った。
「怪我を……治す……? 治癒魔法というやつじゃな?」
アードが、こてんと頭を傾けた。
「名前なんかなんでもいいよ。早く治してよ。おにいちゃん、かわいそうじゃん」
菊理の眉根が寄る。
「……ふむ。そのようなもの、ないのじゃ」
アードは、真顔だった。
「……は?」
菊理の時間が、一瞬止まった。
「ゆえに、怪我なぞ、治せぬのじゃ」
アードは、少し目を伏せた。
「……え? 魔法って、なんでもできるんじゃないの?」
菊理の時間が動き出したようだ。驚いて、目を見開いていた。
「ははは。そのように万能な代物ではないのじゃよ」
アードが乾いた笑い声をあげた。
「正確には、わらわの世界には、そのようなちからを持つ者もおった。じゃが、それはあくまでも特殊なちから……異能と呼ばれるものじゃった。わらわは、魔法は得意じゃったがの、そのような異能は持っておらぬのじゃ」
そして、自嘲気味な笑顔を張り付けた。
「え、じゃあおにいちゃん……ナイフ、ちょっと刺さってるけど……」
菊理が、ちらりと央世の腕を見た。
「ま、いいさ。別にオレは魔法に期待してたわけじゃないしな。普通に病院いくさ。……あ、北条さんもだな」
だが、央世はあっけらかんとしていた。
「お役に立てず、すまんのじゃ、旦那様……」
アードは、少し哀しそうに——軽く頭を下げた。
「いや、いいって。つーか、オレはお前に軽々しく魔法を使って欲しくないんだ、そもそもな」
央世は、アードに常々そう言っているのだ。自分の痛みくらい、どうということはないのだろう。
チラリと零を見た。
「……それより、北条さん。この話は秘密でお願いします……ね?」
「……えっ? ああ、はい。おうせくんが……そうして欲しいなら、全然、なんでも……する、よ?」
零は、そう言って少し顔を赤らめていた。
ピコンと菊理のポニーテールが跳ねた。
「北条さ~ん? もしかして、ドロボー3号?」
そして、インターネット検索のようなことを言いながら、ぐりんと零を覗き込んだ。目が、瞳孔が、バキバキだった。
「……ひっ?! く、くくりちゃん……? ど、どろぼーって、なに?」
零が、びくりと跳ね、怯えた顔をした。
「おい、くくり。もういいから帰るぞ」
央世は、呆れた声だった。
「むー……。わかったよう」
菊理は、唇を尖らせた。
(こんなボロボロになってまで助けに来てもらうとかさぁ……。羨ましすぎるんだけどー。それにさー、そんなことされたらさー、絶対好きになっちゃうじゃん。ただでさえおにいちゃんかっこいいんだしさー。はー……。どんどんドロボーが増える……。ドロボー1号だけでもダルいのにさー……)
そして、ブツブツと呪詛を唱えた。
「どうしたのじゃ? ククリ」
そんな菊理を、アードが下から覗き込んだ。
(チッ……。ドロボー2号め……)
菊理は、アードを眼光鋭く睨みつけた。
「置いてくぞー」
先んじて歩き始めた央世の声で
「あ、待ってよ! ってか、そんなフラフラと……」
菊理は慌てて央世を支えた。そして、央世の左腕を肩に掛け、歩き出した。
倉庫の入り口前に到達した時だった。
「ま、待てやオラァ!」
中村が、目を覚ましていたようだ。立ち上がれた部下どもを引き連れて、待ち構えていた。
見れば——中村は、鼻が潰れて、呼吸もままならない様子だ。口を大きく開けて、肩でぜえぜえと、喘息のような音を漏らしている。その口からは、前歯が消えていた。
「て、てめぇ……クソガキィ……! タラで帰れっと思ってんやねぇろ!」
そんな中村は、微妙に呂律が回っていなかった。
「……うわ、しっつこ。キモイっての……。ゴキブリかよ」
菊理が、央世の腕を離し——タタっと前に出ると——正面に、少し腕を伸ばすように薙刀を構えた。
「聴こえたぞぉ! デカ女が!」
下っ端がひとり、バットを大きく振りかぶって、走りだした。耳はいいのに、勘はよくなかったらしい。
ドタドタと、菊理に飛び掛かった。
——スッ…… ビュッ…… コォン!
薙刀を前方に構えたまま、微動だにしなかった菊理だったが。
振りかぶったバットを、薙刀にぶつけられるその瞬間、薙刀を素早く引き戻した。
そして瞬時に翻し、振り下ろしと突きの中間のような軌道で、チンピラのコメカミ目掛けて薙刀をお見舞いした。
「……ギャッ」
短く鳴いたチンピラは、走る勢いと叩かれた勢いで、斜め前方にぐるりと回転しながら倒れ込んだ。
——ズザァッ……
そして、菊理の足元まで滑っていった。
「あのさー! オッサンたちさー、しっつこいんだけど!」
倒れ伏したチンピラに、薙刀の切っ先を当て、菊理は啖呵を切る。
「アンタらみたいなのが何人いても、コレ持ってたら負けっこないからね!」
菊理は、不敵な笑顔だった。
「クソガキどもがぁ……! オラ、囲めッ!」
中村が、吠えた。一触即発。残党十三人。身構えた。
央世も、零から離れ、構えた。アードがゆらりと歩いた。
——その、瞬間だった。
ブロロロロ——キキィ!
巨大なトラックが、ごぉっと入り口に乱入してきた。
激しい排気音。ヘッドライト——そして、サイドにデコレーションされたライトの光量が、昼のように眩しかった。
「な、なんだぁ?!」
中村組は全員、ビタッと動きを止めた。片目を瞑りながらも、そのトラックに視線を送り、外せない。
——バァン!
勢いよく、運転席の扉が開いた。
「おぉい! なにやってんだよぉーこんなとこでよぉ! 何で家に誰もいねーのよ!」
その声に、央世も、菊理も、一瞬固まり——
「お、親父?!」 「おとうさん?!」
驚きの声を上げた。




