21.傾倒
——パタタッ……
央世の腕——肘の辺りから、赤い雫が垂れ——床に染みを付けた。
「ンンーーーー!!」
零が、叫ぶ。
目からは大粒の雫が溢れ、頬を伝い——落ちる。
央世の左腕——力こぶ辺りに、バタフライナイフが、突き立っているようだった。
「……はっ……はははっ……! や、やってやったぜ! はは……ざ、ざまぁみやがれ……!」
カタカタと脚を、全身を、激しく震わせながら、チンピラが独り言のように声を漏らしていた。
「……ん? あ? な、なんだ? 抜け……抜けねぇ……!」
ナイフを引き抜こうとしたチンピラは、ビクリともしないナイフに気付き、動揺し、混乱した。必死の形相で引き抜こうとしているが、微動だにしない。
「……くっ……! ちょっとミスった……」
央世は、刺されるその瞬間——腕の間にナイフを挟み、巻き上げたのだった。だが、失敗したようで、出血してしまっていた。
(まぁ仕方ないか……。親父に言われる通り練習してはいたが……。こんな技、現代日本で使う日が来るとか、全然思ってなかったしなー……)
いくら練習——修行をしようとも、実戦ではない。ガタガタと激しく震えながら刺しにこられては、刹那的な同調は限りなく不可能に近いのだ。
(それはいいとして……どうする……?)
零を、見た。
ボロボロと涙を流し、首からは血が垂れている。中村が、ニヤニヤとしながら、刃で零を弄んでいた。
——距離は、十数メートルといったところか。一足飛びに……など、昆虫でもなければ無理だ。
「……は、離しやがれ!」
チンピラが声を裏返す。央世が視線を戻した。小さく息を吐く。
「おうおう、ヒカリモンなんかに頼るからだろが。んなもんさっさと離して、ボコりゃいいだろーよ」
ゼンが、ゆっくりと央世たちに近寄る。央世の視線が動く。重心を少し、下げた。
「ほれ、ちゃんと撮っとけよー?」
ゼンは、カメラ目線をくれると、央世に向き直り、大きく息を吸い込んだ。
「……おお……らぁあ!!」
ブォン——と、素手とは思えない風切り音がした。
ゼンの放った拳は、チンピラの頭を掠めて、ガヅン! と、央世の頭部——額辺りに、激突した。
「……ぐっ?! ぎゃあああ!?」
ゼンの叫び声が響いた。絶叫だった。
右拳を押さえながら、ゼンは——のたうち回り、蹲った。手の甲から、白い物が突き出ていた。暴れるたびに、ピシャリピシャリと水音がする。鉄臭い。
「な、ゼ……ゼン?!」
チンピラが、首だけ振り返り、ゼンを見た。暗闇でも分かるほどの冷や汗を垂らしながら。
「手がぁー! 手がぁー!」
ゼンは、半べそをかきながら、蹲ったままだ。チンピラの声に応える素振りもない。
「おい、てめぇら……何遊んでやがんだぁ?」
チンピラたちに、中村の冷たい声が刺さる。倉庫内の気温が下がったようだった。
——ピリリリリ……
突如。そんな空気を引き裂くように、電子音がこだました。
カネのスマホだった。倒れたカネのズボンの内側が、淡く光っている。
「なんだぁ? 電話かぁ? おい、誰か出ろや」
中村の言葉に、央世側にいたひとりが、カネの元に走る。
男は、カネのポケットを探り、スマホを取り出した。
画面には、ケイの文字。
「……あ、ケイっすね」
「出ろや」
中村は、爬虫類のような冷ややかな目だった。
「うっす。……おう、ケイか。ちっとカネのアニキは出らんねぇからよ。代わりに……」
男が、話し始めた。
「……おう、おう、そうか。ちょっと待て。……中村のアニキ! 例の家、金髪女はいなかったらしいんですが、違う女がいたらしいっす」
「そうか。まぁ、連れてこいや。使えんだろ」
考える素振りすらない、即答だった。
「うっす。……おう、連れてこいってよ。……なに? 実はもう出発した? おま……! まぁ、いいや。さっさとこいよ」
——プッ
男は通話を切り、中村に視線を送った。中村の口の端が、歪んだ。
(例の家って……まさか、オレん家か……? だとしたら、くくりか……!)
央世が、ひゅっと息を呑んだ。
円景寺家では、今頃菊理ひとりで夕飯の準備をしているはずだ。捕まったのだろうか。
(相手は何人だったんだ? チンピラひとり程度にくくりがやられるとは思えないが……。不意でも突かれたのか……? まさか、脅しか……? いや、考えても何もわからねーんだ。とにかくこの場をなんとかするしか……)
央世は、静かに倉庫内を見回した。
目の前には、ナイフを抜こうとジタバタしているチンピラ、蹲るゼン。少し離れて、七人の男。そして、カメラを向ける男……。
七人の男たちが、じりじりと近付いてきた。
(軸ずらしでも、受けるだけでは限度あるぞ……。クソ……。北条さんさえ捕まってなけりゃ……!)
「おら、てめぇら。さっさとやれや」
中村の声で、まずはふたり、央世に飛び掛かった。木刀とバットが央世を左右から襲う。
「ひっ?!」
ビュンという風切り音に、ナイフを抜こうとしていたチンピラが、腰を抜かすように地面に尻もちをついた。
ガガン! と、央世に左右から、それぞれ衝撃が加わった。
央世は、攻撃を受ける際、衝撃を逃すべく、中村にバレない範囲でスリッピングアウェイのような"軸ずらし"をしていた。
左右からの同時攻撃に対しては——
(バット優先か……)
バットの衝撃を流し、木刀には自ら当たりに動いた。威力が乗る前に、勢いを殺す為だ。
「おらっ! どんどんいけやぁ!」
(鉄パイプ……)
鉄パイプの軸をずらし、木刀を殺す。
金属バットをずらし、鉄パイプを殺す。
央世は、刹那の判断を強いられ続けた。時間にすれば、優に——十分はあろうか。
やがて。
額から、腕から、血が流れ——左腕のナイフを抱き込むように、央世は——ドサリと倒れた。
チンピラたちは、倒れた央世を、信じられないものを見るように——引け腰で、或いは尻もちで。肩で息をしながら、見ていた。
「よ……よぉし! やった! やりましたぜ、中村のアニキ!」
「おせぇよクソが」
狂喜する下っ端どもに、中村は辛辣だった。
ザッザッと、引き摺るような足音を立て、中村は央世に近付いていった。太った中年らしい歩き方だ。
チンピラ達の真ん中を通り、倒れた央世の頭の前に立った。
「ケッ……クソガキが。手こずらせやがって。……おい。ちゃんと撮ったんだろうな?」
「は、はい!」
カメラ係は、声を裏返らせていた。
「よーし。トドメにぶっ刺しとくからよ。ちゃんと撮れよ?」
「は、はい」
「おっしゃ——」
——キキッ…… バンッ!
その時、一台の車が止まった。
——タタタッ……
「こんの……クソどもがっ!」
軽い足音。若い……女の声。
——ビュンッ…… ガンッ!
「ギャッ!?」
——ゴンッ!
「ガッ……?!」
——ドサッ…… ドサッ……
「おにいちゃん!」
菊理だった。
零を掴んでいた二人を、あっという間に木製の薙刀で叩き伏せた。
「な、なんだァコラァ!」
中村が振り返った。
その刹那。央世が、ガバッと立ち上がった。
——ガッ! キンッ……カラカラ……
そして、中村の右手に握られていたドス目掛け、蹴りを放った。ドスは、彼方へ転がって行った。
「ふう……。くくり……。助かったぞ……」
央世が、右拳を握った。
「んな?! て、てめ……」
中村の顔が、引き攣り歪む。
——ゴッ! ……ドッ! ……ズザッ……
央世の、握りこんだ正拳突きが、中村の鼻面へ炸裂した。中村は、後ろへ吹き飛び、そして床に転がり——滑っていった。
「うわぁー……。やっぱおにいちゃんヤバいねぇー」
菊理は言いながら、零を支えつつ、猿轡を外した。
「うっ……かはっ……」
猿轡を外された零は、一瞬噎せた。——が。
よろよろと、央世に向かって歩き出した。
「うう……おうせくん……おうせくん……!」
「あ、ちょ、北条さん……そんな無理して」
央世は、ふらつく零を支えようと、足を踏み出し——
「うっ……」
ふらりとし、頭に手を添え、膝をついてしまった。
よろよろと近付いた零が、央世の顔を胸に抱いた。
「おうせくん……! おうせくん……! ごめ……ごめんなさ……! わた、わたしなんかの……せいで……こんな……」
零は、子供のように泣きじゃくっていた。
「あー! もう……北条さんもドロボーするつもり……? ってか、そこのチンピラども、まだ元気そうなやつら、いるけど?」
——ビュン!
菊理が、薙刀を一閃。空気を切り裂いた。
「ひっ……?! なんだ、あのデケェ女は……」
どこからか聞こえた、その声に——
「はぁ……? こんな美少女つかまえて……デケェ女だぁ?! 誰だ今言ったやつ! ぶっ叩いて直してやる! 出てこい!」
菊理は、怒り心頭。昭和のテレビの刑を処す勢いだった。
そして、央世たちを助けるべく、倉庫中央へ。
「ねぇ、おにいちゃん。アードは? 一緒にいたんじゃないの?」
零に抱き締められたままの央世を、珍しく不問にしたらしい菊理が、そんなことを訊いた。
「……ああ、倉庫裏で寝てるはずだ」
「はぁ?! あんのドロボー2号め……何サボってんだ」
菊理の怒りのボルテージが上がったようだ。ポニーテールが逆立たん勢いである。もちろん、そんな仕様はないが。
「いや、まぁそれはオレが——」
泣き続ける零の胸に抱かれたまま、央世が説明しようとするも……。
「アイツに怪我治してもらえばいいじゃん」
菊理がケロッとした顔で、そんなことを言った。




