19.中村組、きたる
——さて、どうするか。
央世は、おそらく長くない対峙までの残り時間で、準備を整えようと考えた。
準備……といっても、残り五分を切っている。たいしたことは出来そうもないが——。
倉庫内を足早に歩き回る。
だが、奥のプレハブ以外は、非常灯すら付いていない。外も、暗雲立ち込める闇夜である。つまりは真っ暗だ。
昨日、央世が昼間にここへ来た時には、薄暗かった。
——記憶を辿る。確か、中央がひらけていて、壁際がごちゃついていたはずだ。
足音もなく、歩く。
——この辺りは、使えるかも知れない。
央世は、壁際付近にあった一斗缶やドラム缶を静かに触りながら、辺りを調べた。
——お、これは……。
見付けた物を拾い上げながら、央世は、闇の中——少し口角を上げた。
そして——中身が入った重そうなドラム缶に、くるくると腕を回す仕種をした。だがそれは、ほんの数秒だった。すぐさま反対の壁際へと走り、同じようにする。
——コッ……
小さな音が、倉庫中央で鳴った。央世が何かを置いたらしい。
さらに、入り口から近く、全体が見える場所を確保しようと、ドラム缶を少し移動させた。
そして、その隙間に大きな身体を隠した。黒の上下は、暗闇によく馴染んだ。
——さて。次は……。
央世は、薄く長く呼吸をした。
少々変わった呼吸法だが、次第に——気配が薄くなっていくようだった。
そして、片方の目を閉じ、片方だけ薄目を開け——それをゆっくりと、交互に繰り返した。
——キキィッ……
央世の耳に、車のブレーキ音が届いた。
——ひとつ、ふたつ、みっつ。三台分——いや、四台のようだ。
いくつものドアが閉じられる音。ガヤガヤとした声。——近付いてくる。
——ガチャッ……ガララッ!
錆びた巨大な鉄扉が、重い音を立てた。ヘッドライトに照らされた、幾人かの長い影が、倉庫に侵入してきた。
「お、やってるみたいっすよ、アニキ」
そして、気の抜けたような声とともに人影がひとつ。奥のプレハブから漏れ出た薄明りを指さしていた。
「おー。顧客様に、高ーく買ってもらわねぇとな。せいぜい盛り上げてよぉ」
倉庫の外から、下品な声が響く。
「いやぁ、アニキの筋書きは、さすがっすよ! ネトラレもの流行りっすからね! モノホンならゼッテェウケますって!」
先頭の人影は、大声を上げながら暗闇に足を踏み入れた。
「はっ……。まぁ、キリキリやれや。つーか、奴らはまだ来てねぇのか……」
アニキと呼ばれた男は、眉間に皺を寄せながら、倉庫の外で辺りを見回していた。
「あの野郎ども、調子乗ってやがったし、来やがるっしょ……」
ギリッと拳を握り締めた男は、奥のプレハブに向かい、スタスタと歩き出した。その悔しそうな姿を見ると、昨日央世たちにやられたひとりかもしれない。
——ガッ! ズザッ……
少し進んだところ——広場中央手前辺りで、その男は盛大に転んだ。そんな、音がした。
「おいおい、何してんだよ!」
次に入ってきたチンピラが、倒れた男に慌てた声を掛けた。
「…………」
だが、返事はなかった。
「おい! さっさと立て! 今日は上役も来てんだぞ!」
痺れを切らしたチンピラが、暗闇へ飛び込むようにして、倒れた男に駆け寄った。
——ガッ! ズザッ……
そして、倒れた男の隣へと、盛大に転んだ。
「チッ……なぁにやってやがんだ……」
また一人、事態に眉間を寄せた男が、中へ走ろうとした。
「待て。……オイ!」
アニキと呼ばれた男が、待ったをかけた。そして、背後にいたチンピラに顔を向ける。
「照らせ」
「うっす」
指示された男は、一台の車に向かって走る。
そして、エンジンを始動し、方向転換した。
黒塗りの高級車から、恰幅のいい中年の男が降りた。
「おい、カネ」
そして、アニキと呼ばれた男に、冷たい声を浴びせた。
「はい、中村の兄貴」
どうやら、中村組——この組織のトップのようだった。
「お前よォ、俺まで呼びつけたんだ。……分かってんだろうな?」
冷たい目だった。
「も、もちろんです。あの女と、中の女は最低限確保してあるんで……」
カネと呼ばれた男が目線を送った先——黒い、ワンボックス。スライドドアが、ガラリと開いた。
「……ム、ムグ……」
猿轡を噛まされた、北条零が——チンピラ二人にわきを抱えられ、車から降ろされていた。
「カネェ……。ガキんちょボコって撮るんだろうが。ちゃんと呼びつけたんだろうなぁ?」
「は、はい。下のモンに、呼びに行かせやしたんで……。オイ、ゼン!」
「うっす」
カネに呼ばれて、筋肉質の入れ墨の男が走り寄った。
「おめぇ、ちゃんと呼んだんだろうな」
カネが、ギリッと眉間に皺をよせた。
「うっす。石に手紙つけて、ヤロウの家に投げときやした」
ゼンは、得意気に胸を張る。大胸筋がピクピクと動いた。
「ばっかやろう! 俺ァ連れてこいっつったんだ! 手紙なんざァ見てなかったらどーすんだ!」
カネは、ドスの効いた巻き舌で、ゼンに詰め寄った。
「あっ……」
ゼンが、一瞬たじろぐ。
「……おい、カネ。てめぇ……やらかしか?」
中村の目が、細く尖った。
「いえ! すぐに確認させます! ……ケイ!」
中村の顔を見たカネは、少し離れたところにいた細めの男に声を掛けた。
「はい?」
ケイが、振り向いて、小走りでやってきた。
「お前、ひとりでガキの家見てこい。その車使っていいからよ。で、すぐ連絡しろ」
カネは、小声で低く指示を出した。
「あ、了解っす」
ケイは、急ぎ足で端に停めてあった車に乗り込んで、走らせた。
「……カネ。上物がいるっつー話だったろーが。だからわざわざ来てやってんだぞ?」
その一連のやり取りを見ていた中村の機嫌は——直った様子がなかった。
「す、すんません。い、一応二人は確保してますんで、最低限何本か撮れ——」
「おい、カネ。俺ァ聞いてた話と違うって言ってんだ」
「は、はい。な、何とかしますんで、時間を——」
そんなやり取りの最中だった。
「アニキ! やべぇっす!」
ヘッドライトで倉庫内を照らしていた下っ端たちのひとりが、カネのところへ血相を変えて走ってきた。
「なんだ!」
「先に入ったヤツら、倒れてやがんすよ!」
「ああ?! 何だってんだ?!」
カネは苛立ち、声を荒げた。が、チラリと中村を見た。そして、ゴクリと喉を鳴らした。
「な、中村の兄貴、俺らぁ様子を見てきますんで……」
「ああ? 早くせーよ」
「うっす。……おい」
「はい」
カネは、呼びに来た男、そして車の付近にいた者たち十人ほど引き連れて、倉庫入口前に立った。
ヘッドライトに照らされた倉庫内は、どこか現実離れした——ある種の美しさを、不気味に湛えていた。
「お? あれか……」
カネが奥を覗き込むと、確かに二人——隣合って倒れていた。
「おい……あれ、ロープか?」
そして、親指で奥をさしながら、隣の男の顔を覗き込んだ。
確かに、カネが指し示す辺りに、紐が張られているようだ。影ができ、二本線になっている。
「あー……。そんな感じっすね」
訊かれた男は、曖昧に返した。
「チッ……。なんだってんだ……! おう、てめぇら! 道具は持ったか!」
「「うっす」」
「おら、ちゃっちゃと行くぞ! 中村の兄貴が……ご立腹だ……」
カネの一言で、その場の男たちは、ブルリと——ひと震えした。
「お、俺が……!」 「いや、俺が!」
そして、我先にと駆け出した。
先頭を走る男が、ロープの根元を視線で手繰り……ひとつのドラム缶に、目標を定めた。
「チッ……! あれか!」
走りながら、方向を変えドラム缶に向かって、跳んだ。
——ヒュッ……ガッ! ドッ! ズザザッ……
ドラム缶に、触れそうになった、その刹那。
黒い影が一瞬、男と交錯した。直後、男は、空中できりもみして、地面に叩きつけられ——ズザァと勢いよく滑っていった。
「お、おい、何やってんだ!?」
その後ろにいた男が、叫んだ。多分に焦りを含んだ声色で、駆け寄った。
——ガッ! ……ドサッ カラカラン……
暗闇から伸びた影に——吸われるように、倒れた。手に持っていた鉄パイプが、乾いた音を立てて転がっていた。
「お、おい! そこ、なんかいなかったか?!」
「マジかッ!?」
「道具構えろ!」
突入してきた者たちは、一斉に足を止めて、手に持つ武器をそれぞれ構えた。
そして、皆一様にドラム缶付近の暗闇を凝視した。
「お、おい、お前行けよ」
「いや、お前が行けよ……」
だが、前線に立つ四人ほどで、次々に押し付け合っていた。
「てめぇら! 円になれや!」
最後方から、カネの声が響いた。
「「うっす!」」
カネを含めた八人が、広く間隔を開けつつ、円陣を組んだ。
円が、ゆっくりと前進した。
じりじりと、広場中央——ドラム缶目掛け、進んでいく。
——タタッ……
微かな音が、闇から漏れた。
——コォン!
僅か、二拍の後。短く鈍い音。だが、それは——
「……カッ?!」
ドサリ——と、カネの崩れ落ちる音が響くまで、円陣を組む誰の耳にも、届くことは——なかった。
「「な、アニキ?!」」
入口から伸びるヘッドライト——。
その、逆光の中に立っていた——央世、以外には。




