16.暗雲の倉庫
暗雲が立ち昇り、空を覆った。夕陽が、消し飛ばされた。
街は、一気に闇に包まれていく。
昨日の倉庫に央世とアードは向かっていた。
街明りが煌々とした国道沿いから、奥まった市街地へ——。電柱の間隔しか明りのない道は、落差から暗澹と映る。
そして、次第に——その薄明りすらも、宵闇に呑まれるように、無くなっていった。
「このような速度で、時間は問題ないのじゃな?」
月明りさえ雲に喰われた黒い闇の中に、ぼやりと——アードの金髪が、浮かび上がった。
「ああ。まだ18時半前だしな。早いくらいじゃないか?」
隣を歩く央世は、声をひそめていた。目的地は、もう近い。警戒しているのだろう。時折周囲に目線を飛ばしているようだ。黒の上下に身を包み、巨体でありながら影のようなその姿は、視認し難い。
「ふむ。で、来ておるのじゃろうかのー、チワワのやつら」
アードは言いながら、頭の後ろで手を組んだ。その表情も緩み切って、お気楽な調子である。
「まぁ……まだ来てないのかも知れんが……」
央世は視線を前方の闇の中——黒く聳える、件の建物へと向けた。表情が、険しい。奥歯を噛み締める音が聞こえそうだ。
——ふっと、小さく息を吐いた。
「まぁ、いないならいないで、様子を見ておくか。……いいか? 音、立てるなよ?」
アードに視線を向けた央世が、諭す調子で言った。暗闇の中でも、その姿を視認出来ているようだ。
「うむ! 任せるがよいのじゃ!」
アードは、央世に顔を向けると、自信満々に答えた。
「ちょ、声でかい——」
央世は焦って、手のひらをアードの口許に持っていこうとした。
「░░░░░░……」
だが、アードの『任せろ』の意味は、魔法だったようだ。声が——音が、紡がれた。夜に、溶けた。一瞬だった。制止は、間に合わなかった。
「アード、お前、また……!」
央世は、アードの魔法を詳しく理解しているわけではない。だからこそ……なのか。魔法を使われることを嫌がっているようだ。顔を顰めながら、責めるように呻いた。
「くふふ……。これで解決じゃ!」
だが、アードは毎度の如く、ドヤ顔を披露するのだ。自身の得意技を見せ付けたい、56億7千万歳児である。
「今度は何したんだよ……」
央世は、少し顎を上げて、目を細めていた。その声は、小さくも低く鋭い。
「音を消せばよいのじゃろ? 消したのじゃよ、音を」
アードが、ニヤッと笑顔を作った。
「……は? そんなことも出来るのか?」
央世が、目を丸くした。
今のところ央世が目撃したアードの魔法は、洗脳らしきもの、認識阻害だろうもの、物体生成のようなもの……だった。それだけでも、超常的である。
アードのちからが弱っているという話を信じるのであれば、本来のちからはどんなものなのか——と、背筋の凍る思いだった。
「うむ。じゃがの、消せると言うても、足音程度じゃからの? わらわ、この世界ではあまりちからを振るえぬようなのじゃ……。かなしみ」
アードが、よよ……と、泣き真似をする。
「なんだ、急に『かなしみ』とか……」
央世は、呆れた調子だ。だが、同時に——少しホッとしてもいた。
——もし、アードが悪意を持って暴れでもしたら。
いくら央世が強いと言っても、所詮は人間。鍛えている高校生でしかない。
央世には精神系の魔法が効かないようだが、物体生成は——ものによっては分からない。現に、熱湯は熱かったのだ。
「ぬ? 学校で習ったのじゃが?」
「なにをだよ……」
軽い調子のアードに、央世は苦笑いを浮かべるのだった。
▽
「……着いたな」
央世が、立ち止まった。トタン貼りの倉庫は、闇に塗り潰されている。
「……明かりは、点いてなさそうだな。裏に回ってみるか」
昨日は、案内されるまま、正面から入った。だが、その付近の窓から漏れる明かりはなく、ただひたすらに黒かった。
央世は、倉庫外壁——右手方向へと歩き出した。左手方向は、外壁との隙間がないようだ。アードも、とてとてと後ろについて行く。
外壁に沿って、足首を超えるほどの草を踏みしめながら奥へと進むと、少し開けた場所に出た。
正面にはプレハブ。そして、倉庫の裏口らしき扉があった。
「ぬ。何やら小屋があるのじゃ」
「そうだな。なんにもなさそうだが……」
プレハブは、蜘蛛の巣に覆われていた。人の気配は微塵もない。ドアも、錆が目立つ。
「それより、扉の奥……物音しないか?」
央世は、裏口の奥に、何かを感じたようだった。視線を向けて、聞き耳を立てていた。
「うむ。おそらく人族じゃろ」
アードの耳には、もっとハッキリ聞こえていたようだ。あっけらかんと答えた。
「……え。聞こえるのか?」
央世が、目を見開いた。
「うむ! わらわ、人族よりは耳がよいのじゃ!」
アードが、胸を反らした。暗闇だが、ぷるんと音が——聞こえ……るような、気がした。
「いや、だったら教えてくれっての……」
央世は肩を落としながら、盛大に溜息を吐いた。
「なにやら、おなごもおるようじゃぞ」
だが、なおもアードは平常運転だった。
「んな?! いやマジで早く言えって!」
央世は、言うが早いか、ドアノブに手を掛けた。
鍵は——掛かっていなかったようだ。ガチャっと、少し錆びた音を響かせ、ドアを開け放つと、勢いよく中へと飛び込んだ。
——先ほどまでの隠密行動が嘘のようであった。
「あ、旦那様ー。わらわを置いていってはいかんのじゃー」
アードも、慌てて後を追う。
裏口から入った倉庫の中は、正面のがらんどうとは違い、ふたつほどプレハブがあった。事務部屋や作業部屋だったのだろう。
その片方から、明りが漏れていた。
「……あれか」
小声で呟いた央世は、一目散に駆けた。飛ぶようだった。足音は、雲の上を渡るようだ。ほとんどしなかった。
——キャアアァア!!
悲鳴が、響いた。
——ダァン!!
その瞬間、央世がプレハブの扉に飛び掛かり、蹴破った。
「……んな?!」 「うおっ?!」 「なんだぁ?!」
中には、三人の男がいた。
汚らしいダミ声が重なる。そして、男たちに囲まれ、女がひとり。手を、脚を、抑え込まれていた。
「なにしてやがんだ!」
央世が、吠えた。
扉を蹴破った勢いのまま、一気に——距離を詰め——女の脚を抑え込んでいた男の顎に——
——コォン!
右の掌打を叩きこんだ。
「——グゲッ」
膝立ちだった状態のまま振り向いた男は、そのまま土下座をするように、女の右側へ沈んだ。
「……てめっ」 「お、おい?!」
残るふたり——女の左手を掴んでいた男が、倒れた男に目線をくれた。刹那。
——ドボッ!
「——グブッ」
掌打の勢いで身体を捩じった央世の——返しの肘打ちが、鳩尾にめり込んだ。
「な、な、な……」
最後のひとりは、何が起こっているのか把握したかったのだろう。倒れたふたりを交互に見ながら、声にならない声を上げていたのだが。
——パコォン!
「——ブッ」
央世の左の裏拳を喰らい、血反吐を吹き散らしながら、半回転した。
一瞬の出来事だった。
「ふぅぅ~~~……」
央世が、残心なのだろう――大きく息を吐きながら、ビッと左右の手を前後に開き、構えた。
「あー! 旦那様ー! ひとりでずるいのじゃ! わらわも躾けしたかったのじゃー」
そこへちょうどアードが、とてとてと駆け込んできた。
「うっさい。危ないとこだったんだ。待ってられるか。遊びじゃないんだぞ」
央世が構えを解きながら、アードに視線を向けた。
アードは唇を尖らせていた。
それを見た央世は、鼻を鳴らして視線を切った。
そして、震えて首だけ起こしていた女性の方へ向き直る。
「……大丈夫ですか?」
片膝でしゃがみながら、央世は女性に手を差し出した。
「……あ、あ、あ……」
女性は、機能停止していた。再起動には時間が必要そうである。
央世の差し出した手は——掴まれることもなく、宙に浮かせたままだった。
「……あれ?」
怯える女性の顔を見て——央世が、小さく呟いた。
そして、僅かに首を捻る。
——北条さん、じゃ……ない……?!
「……どういうことだ? 知らない人だぞ……?」




