15.預かり物は何ですか?
——パリンッ! パラパラ……
「なっ?!」
激しい物音で、央世が振り返えると。
玄関のガラス戸が、一部、粉々になっていた。
すりガラスにぽっかりと開いた、穴。向こう側が、よく見える。通気性も透過性も、格段に上げられているが、誰も望んでいないだろう。
「おお? あれを掃除するのじゃな?」
アードが、玄関や廊下に散らばったガラスを指さした。
「いや……そうだけど、そうじゃねぇよ……」
央世が、割れたガラス片に、ゆっくりと近付いていった。
「……これか」
廊下に、ゴロリと大き目の石があった。ひょいっと拾い上げる。
「……ん? 紙……?」
石は、紙に包まれていた。央世は小さく呟きながら、ぺりぺリと紙を剥がし、拡げた。
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お前の女は預かった。
今夜19時◼️◼️倉庫まで来い。
警察に連絡したら女の無事は保証しない。
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「……なんだこれ」
央世の手に、血管が浮いた。カサりと紙が皺になる。
「旦那様? どうしたのじゃ?」
トコトコとやってきたアードが、ひょいっと紙を覗き込んだ。
「お前の女……って、なんだ? オレに女はいないけどな……」
央世は、ふーむ……と、首を傾げていた。
「ぬ? わらわならここにおるじゃろ?」
アードが横から自信満々に言い放った。
「まさか、くくりか……? いつもなら、19時までには帰るはずだ。……少し、待ってみるか? いや、もし茉莉だったら……。今はバイト中のはずだ……。部活中に、バイト中……。ふたりとも連絡は付かないな……」
だが、央世は、そんなアードには目もくれず、チラリと壁時計を見た。
「16時、か。くくりが帰る前に、茉莉のバイト先、見にはいけるな……」
「ぬ? 出かけるのじゃな?」
呟く央世に、アードが、そわそわとしていた。
「……ガラスだけ片付けたら、少し出かける」
その声は、少々硬かった。
「ふむ。わかったのじゃ!」
だが、アードは嬉しそうに答えた。連れていってもらう気、満々なのだろう。
ガチャガチャと、央世が破片を手早く片付ける。アードは、手伝うでもなく、ふむふむと見ていた。
「よし、一旦これでいいか……」
央世が、すっと立ち上がった。
「お、行くのじゃな! 合体じゃな!」
アードがそんなことを言うので、央世は溜息ひとつ。またしゃがんだ。問答の時間すら惜しかったようだ。
そして、アードを乗せると、凄まじいスピードで家を飛び出し、風のように走ったのだった。
▽
そこは、いわゆる"地元の定食屋"だった。
——ヴンッ! ガラッ……
「いらっしゃいませー!」
「らっしゃーい!」
「いらっしゃいませっ!」
古めかしい木製の自動ドアが開くと、威勢のいい声、元気のいい声、明るい声が、いくつも重なって聞こえてきた。
「あれっ?! おうせ? と、アード? え? ご飯、食べにきたの? めっずらしー。……ん? でも、くくりちゃんは?」
その中に混ざって、茉莉の驚いた声が聞こえてきた。
「おお、マツリ! いたか!」
央世が大声を出した。安堵したのだろう。表情も少し綻んでいた。
「いたか……って、いるよそりゃ。バイトだもん。……って、知ってるでしょ? 帰り道、話したじゃん」
茉莉は、心底不思議そうな顔をした。今日はバイトだと、先ほど別れたばかりなのだ。当然というものだろう。
「お、おお。言ってた。だから来た」
「……ん? 食べにってこと? くくりちゃんいないけど、いいの?」
央世の曖昧な返事に、茉莉は首を傾げるばかりだ。
「あー……。いや、よくねぇ! 帰るわ!」
「は? え? なにそれ? ちょ、おうせ?!」
だが——央世は、それだけ言って、再び走り出してしまった。
取り残された茉莉は、宙に浮かせた右手の行き場を見付けられないようで、ふよっと泳がせていた。
▽
央世が再び自宅に帰ると、ガラスのない玄関が出迎えた。央世は、少し俯き、小さく息を吐いた。
鍵も掛けなかった扉をカラカラと開き、中に入る。
「んー……確か、あっちに……」
「ん? どうしたのじゃ?」
上がり框に降ろされたアードが、奥へ歩いていく央世に訊いた。だが、央世は返事をしない。
少しすると、ダンボールとガムテープを持って、央世が戻ってきた。そして、ガラス穴を塞ぐように、ペタペタと貼っていく。……あまり綺麗ではない。
「え、お兄ちゃん?! なにそれ!?」
外から菊理の声がした。
「おお! くくり! 無事だったか!」
ガラッと扉を開けて、央世が大声を出した。バサリとダンボールが落ちる。剥がれてしまったようだ。
「え? 無事……って、無事だよ? 今帰って来たんだし。……なに? そのガラスと関係ある話?」
「あ、ああ……」
央世は、返事を濁しながら落ちたダンボールを拾った。
「おお、ククリや。戻ったのじゃな」
てちてちと足音を響かせ、アードが姿を現した。どうやら着替えていたらしい。
「ふむ。と、なると、じゃ。あの文書……わらわでもマツリでもククリでもないのじゃのう……。何のことなんじゃろなー」
そして、菊理を見ながら、腕を組んで首を捻った。
「あ! おい、アード!」
央世が慌てて制止しようとするも、既に遅かった。
「……ねえ、本当にどうしたの? ちゃんと話してよ」
菊理は、割れたガラスをチラリと見て、眉根を寄せた。
「……はぁ」
観念したとばかりに、央世は溜息を吐いた。
「さっき帰って来た時にな、石が投げ込まれたんだよ。……んで、この紙が貼ってあったんだ」
そして、ズボンのポケットから紙を取り出し、菊理に差し出した。
「……お前の女は預かった? え、おにいちゃん彼女とかいないじゃん」
菊理は、声に出して読むと、不思議そうな顔をした。
「そうなんだよ。なんか勘違いしてんのかと思ってさ、マツリのバイト先見に行ったけど、普通にいたし、くくりも帰ってきたしな……」
央世も、思案顔である。
「わらわも旦那様とずっと一緒におったのじゃ!」
アードの張った胸が、ぷるりと揺れた。
「えー……? おにいちゃん誰かに恨みでも買ったの?」
菊理が首を傾げながら、じとーっと央世を見詰める。
「んー? 最近だと……特に怪我させたりとかはしてないがなー……」
央世は、ついに腕を組んでしまった。
「そうじゃのー。チワワの躾も、ちょっとわからせてやっただけじゃしのー」
アードは、うんうんと頷いた。
「……ん? チワワのしつけ?」
菊理がアードを見る。首の動きに合わせて、ポニーテールが揺れた。
「うむ。キャンキャン吠えておったやつらじゃ! なにやら何匹かおったのじゃよ」
「……もしかしてさ、北条さんじゃない? 変なのから、助けたんだよね?」
自信満々なアードから、腕を組んで唸っていた央世に視線を移した菊理が、少し低い声で言った。
「あ」 「ぬ?」
央世はパッと顔を上げ、アードは首を傾げた。
「……ってことは、アイツらの復讐って感じかもな……」
どうやら央世は腑に落ちたようだった。その表情には、落ち着きが戻っていた。
「で? おにいちゃん、どうすんの?」
時計を見れば、18時を過ぎたところだった。いつもであれば、菊理は夕食の準備をしている時間帯である。
「そりゃ、いくさ。オレのせいで巻き込んだんだろうしな……」
央世の目が、すっと細くなった。
「お? お出かけなのじゃな?」
アードは、なんだかんだと外に出たいようだ。家の中には、彼女にとっての娯楽が少ないのかも知れない。
「えー……。今からご飯作るんだけどー? 警察とかに言えばいいじゃん」
菊理は唇を尖らせた。
「まぁ、この誘拐が本当なら、オレの責任だろうし……。それに、オレは北条さんの身内でもないしな。そんな時って、警察って来てくれるもんなのか?」
央世が、真剣な目を菊理に向けた。
それは、警察のご厄介になったことがなければ、知り得ぬことかも知れない。
「けいさつ……? おー、街角におるアレじゃな。アレは何をする者共じゃ?」
吸収した央世の知識が薄ければ、理解が全く及ばないのだ。アードは首を捻るのみだった。
「ちょ、アードは面倒くさいから黙って」
菊理が、冷たい視線をアードに投げた。
「むー……。ククリはひどいのじゃ……」
アードは頬を膨らませ、黙った。
「はぁ……。まぁ、おにいちゃんなら……んー……この倉庫って、あの辺り? だとしたら、20時には帰れるよね。大体それに合わせてご飯作るね」
菊理は、にこっと笑顔を作ると、廊下の奥へ歩き出した。
「……うーん。まぁ、急ぐか……」
央世は、その背中を見送りながら、ボソッと呟いた。
「急ぐのじゃな? ふーむ……。ゆっくりは出来んのじゃなー」
アードは、なにやら不満そうである。
「え、アードも行くのか?」
央世の肩が、少し跳ねた。
「当然じゃろ?」
きょとんとしたアードに——
「はぁ……。まぁ、いいか……」
央世は、一瞬面倒くさそうな顔をしたが、アードの強さを思い出したようだ。説得を諦めた。
「いくか」
「おー! なのじゃー!」
ふたりが外へ出ようとした、その時。
「あ、おにいちゃーん。おとうさん、多分明日とかに帰ってくるっぽいよー」
菊理の声が響いた。
「お、親父か……。マズイな、これ」
央世は、割れたガラスとアードを交互に見た。
「ん? どうしたのじゃ?」
「……なんでもない。行くぞ」
首を傾げたアードから視線を外した央世の目付きが、鋭く尖った。




