14.混乱の朝、平和な午後……?
央世の大きな身体で隠しているアードから、光が漏れてしまっていた。
窓から入る朝陽ではとても説明のつかないナニカを見た零は、目を丸くしながら首を傾げ——件のアードを覗き込んでいた。
「や、やっぱり、光ってますよね……?」
「え、あ、いやぁ? あ、あれですよ、ほら、美味いと光るやつ! そんなのあったっしょ!」
央世が、首だけグリンと振り向け、何とか誤魔化そうとした。
「……それ、古い漫画の話じゃ……」
しかし、零には通じなかった。
「あー……! それ、光るTシャツなんだっ! 流行ってるんだ!」
菊理も、何とか誤魔化そうとした。
「……光る……Tシャツ……? って、夜なんじゃ……」
零は、顎に手を添えながら、今度は逆サイドに首を傾げた。かなり訝しんでいるようだ。
「かくなる上は……! ░░░░░░……」
央世たちが慌てている隙に、アードは声を紡いだ。
「あっ……! アード……! おまっ……」
央世がアードの方へ振り向いた時には、遅かった。
「……あっ」
零が、小さく声を漏らした。央世が振り向く。
「……おっとぉ」
サッと手を伸ばし、倒れかけた零を受け止めた。
「そっか……これが魔法……」
菊理が呟いた。
「おい、アード……何しやがった」
央世の鋭い視線が、アードを射抜く。
「だ、だいじょうぶなのじゃ! 問題ないのじゃ! さしすせそじゃよ!」
アードは、ブルブルと首と手を激しく振った。
「さしすせそ?」
央世が首を傾げる。
「さわがない・しずかに・すなおに・せいにほんぽう・そばにいる……じゃよ! 問題ないのじゃ!」
アードは、早口でまくし立て、ぷるんと胸を打った。得意気な顔である。
「ん……? なんつった……? 今、なんか変なの混ざってなかったか……?」
央世は、全てを聞き取れなかったようだ。頭をひねって怪訝な顔をするのだが。
「さしすせそという魔法なのじゃよ! 日本語的に! 何も変ではないのじゃ!」
アードは、更に舌の回転数を上げた。よく噛まないものだ。
「何言ってんのコイツ……?」
菊理も首を傾げていた。
「……うっ……あれ……? わ、私……」
零が、央世の腕の中で声を上げた。
そして、キョロキョロと周りを見回し————パチッと、その視線が、央世の瞳と重なった。
——ボンッ! プシュー……
と、聞こえた。気がした。
零の顔は真っ赤に染まり、頭から湯気が——出ている……わけではないが。
「ひゃ……ひゃうっ……?! う、うで……わ、た、だっ……こ……ッ!?」
口から漏れるその声は、もはや日本語になっていなかった。
いや、漏れていたのは魂かもしれない。何か——白い——いや、透明なものが……?
「ちょ、北条さん?! よだれ、出てますよ」
よだれだった。
「は?! もしかして、北条さん……それ、ひとのお兄ちゃん見て、欲情……」
菊理が、ゆらりと——動いた。
「ちちちち……ちがっ……ちがいますっ……!」
零は、蚊の鳴くような声だが、残像でも見えそうな凄まじい速度でぶるぶると首を振る。そして、ギュンッと立ち上がった。
「かかか……帰りますっ……!」
そして、とてとてと頼りない足音を響かせながら、小走りで円景寺家を出て行った。
玄関を出る辺りで、「お邪魔しました」と、振り返って小声で言いながら、深々と頭を下げていたようだった。
「……なにあれ」
さしもの菊理も、ぽかんと口を開けていた。
ギギッと、央世の首が回る。
「……おい、アード」
その冷え切った声に——アードは、ビクンと背筋を伸ばした。
「だだだ旦那様……? どどどどうしたのじゃ……?」
カタカタと壊れたロボットのように、アードが央世に顔を向けた。ヒクヒクとした笑顔を、懸命に貼り付けている。
「あれ、大丈夫なんだろうな?」
央世が、玄関をくいっと親指でさした。
「あー……。くくりとは違うて、ずいぶんと効き目がよかっただけなのじゃ。さしすせそじゃよ、問題ないのじゃ」
アードは、そんな央世の目を、じーっと見ながら淡々と答えた。
「……ふーん。まぁ、その感じなら大丈夫なのか」
ふっと、央世が小さく息を吐いた。
「あ、おにいちゃん。そろそろ時間、やばくない?」
菊理が時計を見ながら台所に走る。
「あ、やべ」
央世は洗面台に走った。
「……ふぅ~。わらわもセイフクとやらに変えなくてはじゃのー」
アードは、てちてちと菊理の部屋の方へ歩いて行った。
しばしの間——円景寺家に、ドタドタと足音がいくつも響き渡っているようだった。
「おい、アード! マジで行くんだな? 制服、オッケーだな。上履き持ったか?」
「うむ! 昨日せっかく買うてもろうたのじゃ! 忘れいでかなのじゃ!」
「くくりー! 行ってくるわ!」
央世が奥に向かって叫んだ。
「はーい! 気を付けてねー!」
洗面所辺りから、菊理の声がした。
「よし、茉莉が待ってる。乗れ!」
央世が、アードの前に背を向けてしゃがんだ。
「うむっ! 合体じゃっ!」
シャキーンと、アードは央世の肩の上に乗った。そう、肩車である。
「急ぐぞっ」
その言葉とともに、央世は走り出した。三歩でトップスピードに到達する。子供サイズのアードが、本当に子供だったなら——振り落とされていたであろう速度だ。
「くふふっ! はやいのじゃー」
だが、アードは楽しそうだった。さすが、56億7千万歳児である。
そして、あっという間に茉莉との合流場所に着いたのだった。
央世の足音を聞きつけた茉莉の視線が、キッと刺さった。
「オハヨウゴザイマス、オウセサン。キョウモ、オソカッタデスネ」
今日の茉莉も、ロボット語だった。
「いやー、すまんすまん。ちょっとなー。ははは」
央世は、ポリポリと頭を掻こうとしたのだが、そこにはアードがいた。掻けなかった。
「うむ。ごくろーなのじゃ、マツリよ!」
アードは、遥か高みから、茉莉を見下ろした。地面に立てば見下ろされるばかりなので、嬉しいのだろう。
「ちょっと、アード。アンタなんでエラソーなの。遅れそうになったの、アンタのせいじゃないの?」
尊大なアードを、茉莉はものすごく怪しく思ったようだ。美少女のしかめっ面というものは、中々の迫力である。
「あー、いや、違うんだ。北条さんがさ、昨日のお礼って、家に来たからさ」
「おお、旦那様……! そうじゃぞ、マツリや! わらわのせいではないのじゃ! ふふん」
央世に庇われたと思ったらしいアードは、増々得意気になっていたが。央世にしてみれば、事実を言ったに過ぎない。
「あー。北条さんか……。そっか、昨日助けたんだっけ。あの人、夜働いてるって聞いたなー、そういえば。だからこの時間なんだ……。まぁいいや。遅刻するし、行こっ」
茉莉は、ブツブツと言っていたが、自転車に跨った。
「はっはっはっ! まだまだよゆーの時間だ!」
「あ、ちょ、おうせー! なんでアンタの方が早いんだってのー」
走り出してしまった央世を追いかけて、茉莉は必死でペダルを漕いだのだった。
▽
その日の授業は、拍子抜けするほどに滞りなく進んだ。
どうやら、アードの魔法が効き過ぎていたのか——生徒たちは、やたらと素直で静かだったのだ。
昨日の疲労感とは雲泥の差なのだろう、茉莉は普通に歩けている。そして、央世も平静であった。
だが、アードは——
「今日はどこへ連れていってくれるのじゃ?」
昇降口を出たところで、そんなことを二人に訊いたのだった。
「え。アード、どっか行きたいのか?」
央世の中では、そんな予定はなかったらしい。
「え、今日は私バイトだからさー」
茉莉が急いで帰る日だからだろう。
「うぬ? では、わらわと旦那様二人で行けばよいのじゃ! マツリはいらぬのじゃ!」
アードがにこっと微笑んだ。
「……は? アンタ、それ、酷くない? 私、結構面倒見てあげてるのにさー」
当然、茉莉はぶすっと唇を尖らせた。
「と、いうわけで、今日は真っ直ぐ帰るんだ。たまにはくくりの帰る前に家のことをだな……」
菊理は、放課後は部活がある。
その間に、央世は茉莉と遊んだりする日が多いのだが、茉莉も毎日暇なわけではない。今日の央世は、早く帰って掃除をする使命があったのだ。
「なんじゃー。どこにも行かぬのじゃなー。残念なのじゃー」
アードは、しょぼんと項垂れた。央世は、それをお構いなしにひょいっと担ぎ上げた。
「ぬー。合体なのじゃなー……」
もそもそと、アードは央世の肩の上で体勢を整えた。……どうも肩車が定着してきている印象がある。
「おまたせー」
茉莉が自転車を取ってきた。
走り出した茉莉は、いつもの帰り道より少しペースが速い。
央世は、それに小走りで並走した。
「じゃ、今日は私こっちだからー。また明日ねー」
「おう! バイトがんばれよー」
いつもの分かれ道とは違う場所で、央世は茉莉を見送った。
「ふむ。ばいと……とは、なんじゃ?」
「あー。アルバイトって言って、少し働く感じなんだ」
「おぉ、少し働く……じゃな……? ふむ」
疑問に思っていたらしいアードに、央世が答えた。アードは、うんうんと頷いていた。
▽
——ガラッ
「ただいまー」
央世が家の玄関を開け、大きな声で挨拶をした。当然、早い時間には誰もいない。
靴を揃えて、アードと二人、廊下を進む。
「今日は……玄関と廊下の掃除でもするかなー」
「ふむ。ばいとじゃな!」
アードが、笑顔でそう言った。
「あー、いや、ちょっと違——」
——ガシャーン!!




