13.零の恩返し
零を見据える央世の目が、すっと細くなった。
「北条さん。昨日は……なんであんな奴に絡まれてたんすか?」
零の身体が、びくりと跳ねた。その顔からは、次第に血の気が引いていく。
「あ、えっと……その……」
瞳もグルグルと踊るようで、比例して舌先も踊っているのか、まともな言葉にならない。
「おおっ? このおなご、カラクリ人形のようじゃのー! うくく……」
それを見て、アードは喉の奥で笑っていた。
「あー……いや、北条さん。別に責めるとかじゃないんすよ。アイツ、あの後、中村組……とかいう奴らを連れてきたんすよね」
央世は、少し柔らかい声を出した。息を呑んだ零が、じっと、央世の瞳を見た。
そして、零は——細かく呼吸をした。
「あ……あの、わ、私……い、今、夜のお店……み、水商売で……働いているんです……」
ぽつりぽつり、つっかえながら、零が話し出した。
「き、昨日は、あの人が……お店に来て……。閉店してからも……ずっと見張られてたみたいで……それで……」
俯きながら、零は小刻みに震えていた。
「あー……だからあんな時間に……」
央世が、顎に手を当てた。
「そう、なんです……」
零は、目を伏せた。
「へー……なんか、イメージ的に意外ですねー。あーいうのって、たくさん話すタイプの人がやるもんかと……」
「あ、えっと……。以前は、その……小説家の端くれだったんです……け……ど……」
零の表情に——深く暗い影が落ちた。
「小説家?! マジで?! 本物初めて見た! 北条さんすっげー! すっげーっすね!」
央世が目を丸くして驚いていた。
「しょうせつか……とは、なんじゃったかの?」
アードにはピンとこないようだ。
「あー……物語を書く人……だな」
央世が言葉を選んで答えた。
「ふーむ。語り部のようなものかのー」
アードは、瞳を上に向けていた。
「ん……? で、そんなすごい人が、なんで水商売を……?」
央世がハタと気が付いたように、疑問を口にした。
「……小説家、といっても……それほど稼げるわけではなくて……。その……わ、私……結婚して、この街に来たんですけど……。お、夫が……」
「だんなさんが……?」
「その……変なところで……借金を……。それで……亡くなって……」
——ああ、それで『未亡人』って言われてるのか。と、央世は静かに頷いていた。
「借金……って、北条さんが返す必要あるんです?」
央世が、小さく訊く。
「……取り立てが…………来るんです……。返さないと……ご近所に……迷惑……だし。……だから、なるべくお金が必要で……」
零は、自らを抱くようにして、カタカタと震えていた。
「はぁー。大変なんですね……」
央世は、ここで話を切ろうとしたようだ。
「ふむ。やはり人族は愚かよのー。金などというものが無用の争いを産むのは、あちらもこちらもかわらぬのー」
だが、アードがくくっと嗤う。
「……そう、ですね。お金の奴隷……なんて言葉もありますから……。あの人も、そうだったのかも……知れません……。私との結婚すら……きっと……」
零は、ついに目から一滴——キラリと光りながら、頬で弾けた。
——その時。
「はーい! 準備出来たよー! ふふっ……にっくにく~♪ お・に・くぅ~♪ おにくはおいしいですからね~♪」
菊理が可笑しな歌を自作しながら、綺麗にスライスされ大きな皿に盛られたローストビーフを、くるりとターンしながら食卓にコトリと置いた。
「うおぉお! うっまそぉー! 綺麗な赤身だぁ~……」
央世の目の色が変わった。それは、食に魅了された者の目だった。
それもいたしかたのないことだった。
程よく焦げ目の付いた表面は香ばしく、その存在をこれでもかと主張してくる。
そんな表面に守られて育った、しっとりとした内側は——赤々と輝き、まさにルビーを彷彿とさせた。プロ級の仕上がりだった。
「ふーむ。こちらの人族の食べ物とは、なかなかに美しいものじゃのー。煌めいておるようじゃ……」
それは、アードにすらも興味を抱かせたようだ。
「……あ、いや、そんな……」
皆から上がる声に、零は縮こまった。
「いただきます!」
言うが早いか、央世はサッと箸でローストビーフを一枚持ち上げた。
「んふふー。おにいちゃん、そこからいくんだねぇ~」
菊理がそれを見て、ニヤニヤとしていた。お構いなしに、央世はその紙のごとき一枚を口の中へ運んだ。
「……うっ……まぁー!! な、なんだこれ?! 溶けるみたいに消えちまった……ぞ……?!」
そして、驚嘆した。
「せっかくブロックでもらったからね? 色々してみたんだよー! そこは薄切りゾーンね!」
それは、菊理の仕掛けだったのだ。得意気に胸を張って、皿を指さした。
「ま、まじか……! 北条さんも、くくりもすげぇな……。美味すぎるぞ、これ……」
央世は……涙していた。
「おにぃちゃぁ~ん? そこだけで満足しちゃって……いいのかなぁ~? いいのっかなぁ〜?」
だが、それは序章に過ぎなかったのだ。菊理から、不敵な挑戦状が叩きつけられた。
菊理の指先が、皿に咲いた赤い花へと向いていた。そう。その肉は——薔薇だった。
「こ、この花……崩していいのか……?」
央世の箸先が、ぶるぶると震えていた。
「え? おにいちゃん食べないなら、くくりが食べちゃうけど? ぬふふ〜ん」
菊理の口角がニュッと上がった。
「……んなっ?! オ、オレも一枚ぐらい……」
そろそろと、央世は箸を伸ばした。肉の花弁を一枚摘まみ上げる。そして、ゆっくりと広げながら、口の中へ——運んだ。
「うっ……旨味が……溢れるっ……!!」
その花弁は、すき焼き用より少し厚いほどだった。
「ふーむ……。よもや人族とは肉を花とするとは……。変わっておるのじゃ。肉は肉じゃろうに……」
アードは、その飾り盛りをまじまじと見ながら、感嘆の息を漏らしていた。
「あ、アードさんも、よかったら、お……お召し上がりください……ね」
そんなアードに、零が少し硬い笑顔で、おずおずと勧めた。
「ぬ? わらわも……食せぬというわけではないのじゃが……」
不安そうな零の顔から、皿へと視線を移しながら、アードが呟いた。
「は?! アード、アンタ……肉までドロボーする気?」
ギロリと、菊理の目が光った。
「ぐうぅっ……美味すぎる……」
央世は、次弾を装填したようで、再び涙を流していた。どうやら、口の中で溢れ出る肉汁——旨味が、涙として漏れ出ているようだ。
……しかし。
「いやまぁ、菊理。気持ちはわかるけどさ。これは北条さんの厚意なんだ。その北条さんが、どうぞって言ってるんだから、アードにも食う権利はあるだろー」
涙を流しながらも央世は、もっともらしいことを言っていた。
「……うっ。それはそうなんだけど……。でも、こんなドロボー2号に……」
菊理は悔しそうに、ギリギリと奥歯を噛んだ。歯が折れないといいのだが。
しばしの間、ブルブルと拳を握りしめていた菊理だったが——。
キッと顔を上げると、ササッと肉を取り皿に分けた。
「——食べ……れば? んっ……ほらっ」
そして、アードに差し出した。
「ぬ? わらわ、別に食さずともよいのじゃが……」
アードは、困惑の表情を浮かべた。
「北条さんもおにいちゃんも、あんたに食べなって言ってる。そーゆー時は、食べるのも礼儀なの」
ずいっと、菊理がアードの目の前に皿を押し付けるように差し出す。
「う……うむ」
勢いに押されるように、アードが皿を受け取った。そして、紙のように薄い肉を1枚——おそるおそる口に運んだ。
「……むっ?! こ、これは……?! なんということじゃ……!」
そして、目を皿のようにしていた。
「おにいちゃん。最後の仕掛けは、こちらですっ!」
菊理が、指し示すその場所には————ステーキと見紛う程の厚切り肉があった。ローストビーフは、本来——そこまで厚切りにするものではないが……。
「これは、1枚がこれなのかっ……!」
見た目のインパクトは、絶大だった。央世は、震えが止まらないようだ。
「ふふっ……。これ、このローストビーフだから出来たって感じなんだよねー。北条さん、ありがと!」
それは——あまりに巨大だった。
重く、分厚く、大雑把すぎた。
それは——まさに、肉塊だった。
「あ、いえ……。お礼に持ってきたものなので……喜んでもらえるなら、よかったです」
菊理は、機嫌良さそうに、零に微笑んだ。零は、俯いて、はにかんでいた。
「……いざ! 参るっ!」
テンションのおかしくなった央世が、武将のようなセリフを吐きながら——分厚い塊を、口の中に——送り込んだ。
「……ぅお……」
央世は、誘われた。それは——夢か、幻か。
口の中では、旨味が洪水を巻き起こして、濁流となって暴れ回った。
瞬時に脳へ届く電流が、雷に打たれたかのような衝撃をもたらす。背筋は伸び切り、瞳はとろりと半開き。
だが、咀嚼だけはやめない。ひと噛みごとに、びくんびくんと、身体が跳ねた。
「おお、旦那様……? それほどなのじゃの……?」
アードも、央世の様子を見ながら、その赤い塊を口に運んだ。
「ああっ……! な、なんじゃこれは……!? み、漲るのじゃ……」
アードは、その暴力的なまでの旨味からなのか、身体が薄く発光しだした。
「え、ちょ……あんた、なにそれ……? 身体……光ってる……?」
菊理が、一歩後ずさった。
「あ、やべ……」
央世が菊理の声で、再起動した。
慌てて、自身の身体でアードを隠すように、素早く動いた。
——が。
「……な、なんですか……それ……」
零が、口許を押さえながら——絶句していた。




