2.空き地から自宅へ
ギギッと首を戻し、央世は、アードに視線を戻す。
先程までアードを包んでいた淡い光は、いつの間にか収まっていた。
まるで造り物かのような美貌を湛えたアードが、央世の膝の上に——ちょこんと座っている。向かい合いだと、サイズの対比が凄まじい。
アードは、ずいぶんと小柄のようだ。エルフ……だからだろうか。
呆気にとられていたであろう央世が、ひとつ息を吐いた。そして——真顔になった。
「……で、だ。アード、だったか? 何で裸なんだ? てか、何で空から降ってくるんだよ、その……エルフがさ」
央世は、両手を小柄な少女の豊かな胸に押し付けるという、傍から見れば……実に事案な格好だ。
だが、一応は不可抗力なのである。そもそも、片方は押し付けられただけだ。そして現状、央世には外すことが出来なかった。
彼は諦めたのか、覚悟を決めたのか。とにかく疑問を口にしたのだった。
「ふむ……。それが知りたいのじゃな?」
アードは、紫の瞳をクッと半月に細めると、ニマッと不敵に口角を上げた。
状況よりも、境遇を訊かれたことが嬉しかった……ということではないのだろう。そもそもこの状況は、この蠱惑的な笑顔を作るエルフの仕業だ。
「それもだけど! いつまでくっついてんの!」
それを知ってか知らずか。茉莉がまたしても、真っ赤な顔で吠えた。だが、少しへっぴり腰で、遠巻きである。アードが、首を向けた。
「……ふむ。おなごや。少し、黙るのじゃ」
茉莉を見据え、目を細めたアードが、スッと手を伸ばし——声を発した。
「░░░░░░……」
その声は、二人には聞こえたが、何を言っているかは聞き取れない。全く耳馴染みのない、不思議な言語——いや、音だった。
「……ほぇ?! なにす……」
一瞬、ビクッと身体を跳ねさせた茉莉が、ピタリと止まる。生気でも抜かれたのか、目は虚ろ。口も半開きで、せっかくの美少女が、台無しの表情だ。まるで——催眠術でも掛けられたようである。
「な、なんだそりゃ?!」
そんなアードと茉莉を交互に見やり、央世の目が真ん丸になる。その驚きは隠せない。手も、胸から離せない。
「何って……? あー……こちらの世界では……なんじゃろ? 魔法……とでも言うのかのぅ?」
アードは小首を傾げながら、あっけらかんとしている。人差し指を頬に当てる仕草が、わざとらしく、あざとい。
「……ま、魔法ぉ?!」
央世は、目を見開いたまま、声を裏返らせた。アードの仕草を見てはいるのだろうが、それどころではないらしい。当然だ。突然魔法だとか言われても、理解不能だろう。
「そうじゃ」
アードは頷いてすぐ、空を見上げた。
「そうか……大魔法の儀式……失敗したようじゃな……」
そして、消え入るように呟いた。
「服、着ていたはずじゃがのぅ。あぁー……儀式用の祭服ぅ……。立派なものじゃったのにぃ……」
央世に視線を戻したアードが、両手で顔を覆い、およよ……と、明らかな泣き真似を披露した。ちらりと指の隙間から、央世を上目遣いに覗き込む。
だが、央世は固まっている。
「はぁ~……。まぁ、よいのじゃ。とにかく、旦那様がいてくれて助かったのじゃ! 素晴らしいのじゃー……この生命力……♡」
熱い吐息混じりに顔を上げたアードは、蕩けた表情だった。
央世は口だけ動かしていた。どうも——声にならない声を出しているようだった。
——が。
「大……魔法……? ってか、茉莉、どうなったんだよ? 何したんだ?! ことと次第によっちゃあ……」
央世は、こめかみにビキッと血管を浮かせ、アードを睨みつけた。そして、ぐっと顔を近付ける。
「ああん……♡ 旦那様はいけずじゃのう……。ちとうるさいから黙ってもらっただけじゃよ。しばしもすれば、素直にな——ゲフン……。元に戻るのじゃ」
アードは、央世の膝の上で、身体を傾け——よよ……と、しなを作った。……酷い絵面である。
「黙らせた……だけ? 元に、戻るのか? ふーむ……」
口をへの字に曲げ、央世はアードを見下ろした。
——得体の知れない美少女型の何かが、自分に張り付いている……。いや、自分が張り付いているのか。自由に身動きすることすら出来ない。
面白そうだ! と、飛び込んだ空き地は、そんな事態を遥かに超えていた。どうするべきか。
だが、しでかしてしまったなら、自分で何とかするしかない。
——あの日の二の舞は、絶対に嫌だ!
央世の表情が、鋭さを増していった。
「……あ、ちょっと、旦那様……。そんな表情……たまらないのじゃ……♡」
紅潮したアードが、うりんうりんと身体をくねらせながら、両手で頬を挟む。
「……ん? なんだって?」
不測の事態に、必死で脳内をブン回していた央世は、アードの言葉を聞いていなかったようだ。
「ああっ……! な、なんでもないのじゃ! そ、それよりも、旦那様の家は、近いのじゃろ? わらわ、往きたいのじゃ。連れていって欲しいのじゃ!」
「はぁ?! なんで知ってんだ?!」
央世は、飛び上がらんばかりの勢いだった。
確かに、ここは円景寺家のすぐ近くである。だが、そんなことは、一言も話していないのだ。
「あー……。だから、繋がったからじゃよ?」
はて? という、きょとん顔が、とことんあざといアードである。
央世は、顔を真っ赤に染め上げると、ブルブルと身体を震わせた。拳が握れたのなら、握っていただろう。だが、今は優しく添えるのみ。
「だから、じゃ、わっかんねーっての!!」
央世の大声が——草木を揺らし、葉を落とし、山もないのに木霊した。両の手のひらに収まりきらない双子山が、ぷるりと揺れていた。
「んっ……おっきいのじゃ……」
アードが、艶っぽく呟いた。
「なにがだよっ!」
再び響く、央世の大声が——空へ旅に出る。
それに呼応するかのように、茉莉の目に光が戻った。
「はっ?! 私、一体……?」
茉莉は、キョロキョロとしながら、自身の顔や身体をペタペタと確かめていた。
「おお、茉莉! 無事かっ?!」
茉莉の声に、央世が首だけでビュッと振り向く。
「あ、おうせ……。って、その子裸じゃん! そのままなんて、かわいそうでしょ? もー! 気遣いがないんだから……」
不思議なことに、先ほどまでの怒気は何処へやら。茉莉は呆れ顔で、つかつかと央世たちの方へ歩き出した。
そして——
「お、おい、マツリ……? 何してんだ?」
茉莉は、央世の前にしゃがみ、彼の制服のボタンに手をかけた。
「なにって……。この子、裸なんだよ? 上着くらい貸してあげたら? デリカシーないの? いつも言ってるじゃん!」
「あ、はい……」
茉莉の圧に、央世は黙った。
「ボタン、外すよ」
その隙に、茉莉は央世の制服をずるんと裏返し、腕を通してアードに被せた。
「おお、むすめや。面白いことをするのじゃのー」
「茉莉です」
「マツリじゃな。覚えておくのじゃ」
アードは、満足そうな笑みを浮かべながら、裏返しの制服のブレザーを前後ろに着せられたのだった。
(はぁ……。まぁ、離れもしないし、一旦連れて帰るしかないよな、こいつ……)
央世は、その光景を見ながら、諦めたようだ。長く細い息を吐いていた。
「……んで。これ、めっちゃ歩きにくそうなんだけどさ……どうすっかな」
すっと立ち上がった央世が、呟いた。
同時に立ち上がったアードと比較すると、大人と子供のサイズ比だ。
「あ、ほんとだね。アード……だっけ。私よりも、かなり小さいなぁ……」
151センチの茉莉よりも、更に小さいアードの背丈は、134センチ。本当に小学生サイズだったのだ。美貌やスタイルにそぐわないサイズ感である。
「うーん……。両手塞がってるのがなぁ。無理やり肩に担ぐか……?」
ぼそっと呟いた央世に、すかさず茉莉が
「何言ってんの? そんなことしたら、お尻が丸見えになるでしょ! さっき気遣いって言ったばっか!」
と、お怒りだった。
「まぁまぁ。わらわにお任せあれじゃ」
そんな二人に、アードはニヤリと笑い——
「░░░░░░……」
再び、謎の声を発した。
その響きが二人の耳を通り抜ける——と
「あれ?! アード、消えた?!」
茉莉が、驚きの声をあげた。
「……え? いや、いるだろ、ここに」
だが、央世の目には、ハッキリとアードの姿が映るようだった。
「ふふ。旦那様。これで安心じゃ。往くとするのじゃ!」
アードは、得意気な笑顔を央世に向けた。
央世は、事態が呑み込めなかったが、自転車を起こしにいった茉莉の後を、仕方なく追った。どうやら追及は諦めたらしい。
アードは、もちろん付属である。
そうして、三人は央世の家に向かったのだった。
▽
「ふう……。何とか辿り着いたな……」
央世が、溜息混じりに呟いた。
築何年なのか、もう家主ですら分からなさそうな、一部が二階建になっている木造建築。
その玄関前に、三人の姿が——いや、央世とアード的には三人だが、茉莉的には……
「おうせが大股の変なポーズで横向きに歩いてるからでしょ。ほんと、恥ずかしい。一緒に歩いてる身にもなってよね。不審者め」
二人で歩いてきた——という認識のようである。
「えぇ……? マジかよ……」
央世は、額の冷や汗すら拭けずに、ぼそっとこぼした。
「くくくっ……░░░░░░……」
その光景を見ながら、声を押し殺すように笑ったアードが、また魔法を使ったようだ。
「あれっ?! なんで?!」
アードが茉莉の目の前に、急に現れた。……ように見えたのだろう。その声は絶叫に近かった。
——ガラッ
「だれー? おにいちゃん?」
その声を聞きつけたのか——ガラスの引き戸が、ガラリと開かれた。
「お、おう、くくり。ただいま……」
央世の顔が、引き攣った。そして、菊理と呼ばれた少女の——目の色が、変わった。
「こんなところでっ! なにやってんのよぉぉおおぉぉ!!」
菊理の絶叫が、円景寺家を——激しく、揺らした。




