1.彼方から貴方へ
——ゴォォ……
それは、突然だった。
円景寺央世の、いつもの帰り道。遥か頭上で音がした。
見上げれば、一筋の光が——空を流れていく。
央世は、目を輝かせ、指をさした。
「マツリ……あれ、隕石じゃね?」
隣で自転車を押しているのは、赤坂茉莉。茶色がかったふわふわのロングヘア、切れ長のアーモンド目が、とても愛らしい美少女だ。
央世の言葉に、顔を上げた。
「え? どれ……うわ。あれ、下がってきてない?」
二人は、所謂幼馴染。ともに高校二年生だ。
学校を出て、立ち並ぶ店舗やマンション、アパート群を抜けて、国道沿いに差し掛かった辺りだ。時刻は16時を回ったところ。某ハンバーガー店か、某コーヒー店に寄っていくかで議論していたところだったのに。
災害か? と、茉莉は不安に顔を歪ませた。
「おお、行ってみねぇ?」
だが、振り返る央世の瞳は、キラキラと期待に満ちていた。
どうにも彼は、188センチの長身ながら、まだまだ心は少年のようだ。今にも走り出しそう——いや、走り出してしまった。
「ちょ、待ってよー! おうせー!」
茉莉は慌てて自転車に飛び乗って、ペダルを踏み込んだ。制服のスカートが、ふわりと舞う。
しかし、二の足を踏み込む時にはすでに、央世の背中は離れてしまっていた。
——速すぎる。今度アイツに首輪でもプレゼントしようか、などと茉莉は思った。
「マツリ! これ、思いっきり家の方角じゃね?」
走る方向で、央世は気が付いた。自宅への帰り道と、変わりがないことに。
「……え? 私の家とか勘弁なんだけど!」
茉莉の顔は、青かった。
当然だ。帰る家がなくなるなど、冗談ではない。
だが、151センチの身長から繰り出す踏み込みは、自転車をスピーディーに動かすには、少々心許ない。
そんな二人をよそに、上空を走る光の筋は、みるみる大きくなっていく。自由落下なのか、目指す場所があるのか……。央世や茉莉の家がある住宅街方面へと向かっているようだ。
央世は、はっはと犬のように息を切らせながら、猛然と追い縋る。だが、その顔には笑みが浮かんでいる。最悪の事態は考えてなさそうだ。
「おーぅせぇー……。早いってぇー……」
その少し後ろに、ギィコギィコと自転車を漕ぐ茉莉の姿があった。ぷふぅ、ぐはぁと息が漏れ、必死の形相だ。そろそろチアノーゼが浮きそうである。
だが、残念なことに酸素マスクはない。
そして、央世は止まらない。リードがあっても、振り切っていたことは請け合いだ。
「隕石とか人類の夢だろ? 遅いぞマツリ! 置いてくぞー!」
既に千メートルは走っただろうに、央世は更に加速した。有り余る若さが迸るようだ。
「……はぁ、はぁ、おうせったら……もう。ほんっと、しかたないヤツ……」
茉莉は、ぶつぶつと言いながらも、紫だった顔に……少し赤みを灯した。
——やがて。
空を走る光が——打ち捨てられて久しい、雑木林にも似た茂みに、吸い込まれていった。
ドォオーーーン!!
直後。爆発のような、銅鑼のような音が響く。
「おおっ?! 落ちたぞ!」
央世は、何の躊躇もなく、鬱蒼とした茂みにガサっと音を立てて飛び込んだ。
「……ちょ、おうせ?! 燃えてたらどーすんの? 火傷するってー!」
何とか追いついた茉莉が、茂みの脇に自転車を放るように倒して、央世の作った獣道を辿る。
「もー! 待ってって……!」
央世の背中は、もう見えなかった。茉莉の遥か前方で、背の高い草が、ガサガサと激しく揺れていた。
茂みのちょうど中央辺りに、不思議と草の薄い場所があった。
そこには、古い石組みの土台——石垣らしきものが遺されていた。
崩れた石には、何か——紋様が刻まれたものもあるようだ。
「……はぁ、はぁ……やっと追いついたぁ……」
茉莉が追い付いた時。
央世は、石段の前で足を止めていた。
「……おい、マツリ。これ……」
それも仕方ない。
土台の中心に、大きな光の玉が在ったのだ。地面を、少し抉るように。央世の目に映るそれは、明らかに隕石ではない。
茉莉も、央世の指差すそれを見て、絶句した。
「……え。なに、それ……」
一瞬。二人の時が止まったようだった。
そよりと吹いた風が、草木をカサリと歌わせた。
央世は、小さく喉を鳴らすと、短い石段を上り、光の玉の前にしゃがみ込む。
「え、ちょ、おうせ?! 何するの?! 危ないって!」
茉莉が叫んだ。
「いや、熱くはなさそうだ……」
だが、央世は、徐に――右手を伸ばした。
そして、光の玉へと手を触れ——
「おおっ?」
ようとしたが、光は光だった。右手は、何の抵抗もなく光の中へ吸い込まれた。
そして、何かを掴んだようだ。
「……ん? 柔らかい? なんか、すんごいポヨポヨしたものがあるな……? なんだこれ? ちょっと温かいし……」
央世は、左手を顎に当て、首を傾げながら視線を左上に移した。思案顔だ。
「え、おうせ! 光が……!」
「……ん? ……あっ?!」
央世が思案している間に、光が薄まっていた。次第に、中身の輪郭が浮かび上がっていく。
「……ちょ、それ」
茉莉が、口許を手で覆う。
現れたその輪郭の正体は——
「……お、おんなのこ?!」
一見すると、少女だった。
央世は、右手をポヨポヨとしながら、呟いた。
そして、ゆっくりと——自身の右手が掴むものへと視線を移していく。
光に差し入れた右手は、仰向けで寝る少女? の胸部——つまり、おっぱいを——ポヨポヨと揉みしだいていたのだった。
それは——あまりに巨大すぎた。
そして——凄まじい弾力だった。
見るからに少女だと言わざるを得ない小さな体躯には、不釣り合いにも程がある。
央世は、考えることを——やめた。
……のだろうか。時間が止まったように、固まった。
「おうせの……ばかぁーーー!!」
茉莉は、頭から湯気が——出てはいないが、真っ赤である。
「がっ——?!」
茉莉の拳骨が、央世の脳天に直撃した。央世は咄嗟に左手で、頭を押さえた。
だが、その右手は——山頂に掛かる雪のように、まだポヨポヨの上だった。
「……ん……」
そんな騒ぎの中、少女が呻き声を漏らした。金色の長いまつ毛が、揺れる。
「おっ?! 生きてるぞ? こういう時って、なんだ? 心臓マッサージか? 人工呼吸か?」
「えっ……って、アンタいつまで触ってんの!?」
「いや、なんか、離そうとしても離れない感じなんだよ。くっついたみたいにさ」
そう言いながら、央世は右手をぐいっと持ち上げた。みょーんと、少女の胸が張り付いたまま、持ち上がる。
「はぁ? わけわかんないこと言ってないで、さっさと離したら?」
しかし。それは茉莉には届かない言葉だった。
「お、おお……そうだな……」
央世は、空いていた左手を、右手首辺りに持っていった。無理にでも引き剝がすつもりだったのだろう。
だが——
少女の右手が、瞬時にそれを掴む。そして、右のおっぱいに誘った。
「なっ?! ちからつよっ……」
央世が左手を霊峰に埋められながら、呟いた。
右の山頂にも、ぽよんと笠が掛かる。大事な部分は隠れた。ある意味安心……なのだろうか。
それと同時に、ぱちりと少女の目が開く。
——その瞳は、吸い込まれそうなほどの、深い紫。神々しいまでの、人間離れした美貌だった。
「……そなた、人族か? んー……。ここは……? ふむ。地球……日本……というのじゃな」
桜色の唇から発されたのは、新雪のように澄んだ声だった。
「人族……ってか、人間だけど。って、それより、なんでこれ離れないんだ? しかも両方さぁ」
「あー……。まぁ、気にするでないのじゃ。わらわと繋がった証じゃの、旦那様」
「……旦那様? オレ、円景寺央世ってんだ。まだ旦那様とか言われる歳じゃないぞ? 17歳——」
「おうせ。アンタ、まだ16歳でしょ。誕生日まだなんだから」
呆気に取られていた茉莉が、息を吹き返したようだ。
「いや、それ——」
今は別にいいだろ……と、央世が言い切る直前。少女が身体を起こした。薄い金色の長い髪が流れ、空気に溶けるように、煌めく。
「……って、動けるのか?! お前、空から落ちてきたんだろ? 大丈夫なのか?」
そう。飛行石などなく——勢いよく落ちたのを、央世は見たのだ。
「む。貴方様のおかげで平気じゃぞ、わらわの旦那様。ふふっ。わらわは、アード・フェン・リョ……っと」
少女は、はっとして口許を覆った。紅葉の葉のような、小さな手のひらだ。だが、驚きの白さである。
「ん? アード……? なんて?」
どうやら央世は聞き取れていなかったようだ。
「あー……。アード・フェンじゃ! アードと呼んで欲しいのじゃ!」
アードは、元気よく誤魔化した。
「ふーん。変わった名前だな。外国人か? 金髪だし。変わった目の色だよなー。肌もなんか、軽く光ってるような、透けてるような色だし」
央世は、まじまじとアードの瞳を覗き込んだ。どう見ても日本人には見えない。だが、古風な感じではあるが、日本語が達者のようだ。
——空から落ちてくるって、どういうことだ? 央世は不思議に思った。
「ってか、そ、その子……耳……」
茉莉が、アードを指差しながら、青い顔で後ずさる。
「ん? 耳? ……が、なんだ……って、なっが! なんだこれ?!」
央世が大声を出し、目を丸くした。
「あー……ははは……。まぁ、わらわ、地球でいうところのエルフじゃからなー。しかたないじゃろっ?」
アードは、長い耳を手で隠しながら、ぺろりと舌を出す。
「「え、エルフぅぅぅ??!!」」
央世と茉莉の大声が、空き地に響いた。
その隙に、がっしりと央世の両腕を掴み、さらに自身の胸に押し当てるアードは、にちゃりと仄暗い笑顔だった。
ギギッと音が聞こえそうな動きで、首だけ振り返る央世と、鯉のようになった茉莉の目線が、交わる。
これは——夢か。
だが、央世の手には、確かな——逃れようのない感触があるのだった。




