9. 一難去って
カッと目を見開いた朱夏が、バッと布団を跳ね除けた。
そして、ゆらぁりと上半身を起こす。
「あなたたちぃ〜? 今、性交渉って言ったかしらぁ〜?」
朱夏の首だけが、くるーりと央世に向く。
「うん? なんじゃ? 言うたが、どうかしたかの?」
アードの言葉に、朱夏の目がギラリと妖しく光り、ビュンと振り向いた。
「あらぁ? あなた、起きたのねぇ〜。……で? それって……おうせくんの屈強そうな種を……もらおうってことかしらぁ?」
朱夏は、ヒクヒクと顔を引き攣らせながら、すっと——ベッドから脚を下ろす。
「ぬ? なんじゃこやつ?」
アードが、朱夏を指さして茉莉に訊いた。
「えっと……保健室の先生……保健医さんだよ。なんか今日、ちょっと変なんだよね……。アードの胸を見てからさ……」
茉莉の視線が、じとぉっとアードの胸部へ向かう。茉莉も中々立派なのだが、アードのそれとは比較にならない。だが、今はそれだけではないのだろう。ちらりと朱夏を見て、苦い顔をした。
「ふーむ……。わらわの魅力にやられてしもうたのじゃな。まぁ詮無きことじゃの」
アードは、自身の双丘を見やった。右側には、央世の手。頬が、綻んだ。
「ちょおっと〜? 先生無視して、なぁにごちゃごちゃ言ってるのかしらぁ?」
朱夏の首が、カタカタと機械のように動きだす。そして——幽鬼のように一歩、二歩と、迫る。
「うわ、こわっ」
茉莉が、一歩後ずさった。
央世は無言でゆっくり振り返ると、左腕をだらりと垂らした。そして、ゆるりと左右に振る。
それに、アードが気付いた。
「おお、旦那様。わらわに任せるがよいぞ。░░░░░░……」
言うが早いか、アードは音を紡ぐ。
「……あっ?! お前、また!」
央世の制止は、すでに遅かったようだ。
「あっ……」
朱夏の瞳から、光が失われた。薄く開いた口から、たらりと一滴よだれが垂れ——ぽたりと床に染みを付けた。
「ふぅ……。なんなのじゃこやつは……」
小さく息を吐きながら、アードが顔を顰めた。理解が及ばないようだ。
「いや、お前、無闇に魔法使うなっての……。大体、さっきはそれで倒れたんだろ?」
央世が盛大に溜息を吐いた。
「あ、あれは……少々数が……一気にやりすぎただけなのじゃ! それにほら、今は繋がっておるのじゃから! これしきは平気なのじゃ」
そんなことを言いつつも、アードは、ベッドに横たわったままだった。央世も、茉莉も、無言で——憐れみの目を向けていた。
「な、なんじゃ、その目は?! ふ、ふたりとも酷いのじゃ! わらわ、本気を出せば……すごいんじゃからな?!」
アードは、両手両足をじたばたと動かし、頬を膨らませた。
「いや、本気出すなよ? その本気がどんなもんか知らんけど」
央世は、ウンザリとしているのか、少々吐き捨て気味だった。
「ね。世界滅んだりとかしたら、シャレにならないしね……」
茉莉も同じようにウンザリした表情を作り、央世に顔を向けた。
「おお、そんなこともあんの——」
「無理じゃよそれは! 今のわらわでは消えてしまうのじゃ!」
央世に被せるように、アードが大声を出した。珍しく驚いた表情だった。
「……今のってことは、元々は出来たのか?」
央世が、眉根を寄せながら、冷たい声を出した。
「いや、おそらくじゃが……この規模の星ならば——丸ごと消すのは、わらわでも無理じゃよ? 人族を滅ぼすだけならば、やりようもあると思うのじゃが……」
アードは、考え込むように——記憶を探るように——視線を動かしながら、答えた。
「……ほぉう?」
央世の目が、ギラリと光った。
「あ、いやいやいやいや、旦那様? ちがうのじゃよ?! やらぬのじゃよ?!」
「ほんとにぃー? なんか……アードって何するか分かんないよね? 私も洗脳されてるみたいだし……」
必死で手を振るアードに、茉莉からの横槍が炸裂した。効果は抜群だ。
「……や、マツリよ、何を言うのじゃ?! わらわ、マツリと早う仲良うなれるようにしただけなのじゃ! 悪いことはしておらんのじゃ! 悪いエルフではないのじゃよ?!」
アードは、飛び上がらんばかりの勢いで、早口に捲し立てた。
「……ふーん?」
茉莉は、そんなアードを——目を細めて横目に見ていた。
「な、マツリ?! 何じゃ、その目は?! ほら、見るがよいぞ? わらわ、可憐な乙女じゃろ?! そのようなことするはずが……! あ、旦那様……?! なんじゃその手は? 拳、握って……え? あ、ちょ、ま、待つのじゃ!」
央世の左拳がギリリと握られ——ゆっくりとアードの頭上へと移動していく。
そして、焦るアードを冷たい目で——数秒間、射抜いていた。
……が。
「まぁ、マツリもそこまで変になってる気はしないから、いいけどさ。……それより、愛宕先生どうなってんだ? これ」
央世は拳を解いて、朱夏を親指でさす。
「ふむ。どうも自我が強いようでな。抵抗しておるのじゃろうて。そのうち気が付くじゃろ」
朱夏は、時折ビクンビクンしているようだが、倒れたりはしないらしい。ぬうっと立ち尽くしたままだ。
「ふーん……。くくりの時みたいなもんかぁ……。まぁいいか。また起きられても、面倒くさいことになりそうだしな。……で。これ、いつ外れるんだ?」
央世が、アードの霊峰に埋まった自身の右手をじっと見ながら、顎をしゃくった。
「……ぬ? 旦那様は、わらわと離れたいのか? わらわ、さみしいのじゃ……」
きゅるんと瞳を潤ませたアードに——
「バカなこと言ってないで外しなさいよ! 授業中なんだし!」
茉莉が激しく突っ込んだ。中々に赤い顔である。
「ぬぅ……。もう少し回復したかったのじゃがのう……」
ぶつぶつと言いながら、アードは自身の右手を央世の右手に重ねた。接触部が、淡く光る。
「お、外れた」
央世は、さっと右手を引き抜いて、プラプラと振った。そしてグイっと伸ばした。
「むー……」
アードが不満そうに頬を膨らませる。
「おっし、戻るか、教室」
央世は、そんなアードに目もくれず立ち上がると、軽く伸びをした。
「そうね。欠課になっちゃうしね」
茉莉も立ち上がった。
「けっか……とはなんじゃ?」
アードは横たわったまま、ポカンとした顔で訊く。
「授業を休むってことだよ。休み過ぎると単位がもらえなくなるの。一応、私もおうせも、真面目に通ってるんだからね」
「ほうほう。この世界は、学びに熱心なんじゃなぁ」
アードが感心したようにこぼした。
「まぁ、それも割と近代になってからの話らしいけどな?」
「アードはどうするの? 立てる?」
茉莉が、振り返った。
「うむ。ここにおるのも退屈じゃ。わらわも往くとするのじゃ」
ふわりと軽い動作で、アードがベッドから降りた。てしっと音がした。
「そういえば、アード……何で裸足なんだ?」
央世が、思い出したように訊いた。
「昨日、玄関では靴を脱ぐ——と、言われたからじゃよ?」
アードの頭の上に、疑問符がたくさん浮かんでいるようだった。
「あー……。学校ではな、上履きってもんがあって——」
三人の話し声が、保健室から次第に遠ざかる。
混沌で満たされていた保健室に、静寂が戻った。
そこには、時折ビクリとだけ動く、ぽーっとしたままの朱夏がひとり——人形のように佇むのみだった。
▽
放課後。
「ふーむ。実に興味深かったのじゃ」
アードは機嫌よさそうなに、央世の方を向いた。
「それはいいけど、上履き買いに行くぞ……。本当に学校通うならな……」
しかし、対照的に央世の表情は晴れないようだ。
「……はぁ。疲れたぁ……」
茉莉も、少し後ろをトボトボと歩いている。魂が半分抜けているような顔である。
「おうせー。私、自転車取って来るからさぁ、校門で待っててよー……」
そう言って茉莉は昇降口を出ると、駐輪場に向かった。
「おー。わかった」
返事をした央世は、真っ直ぐ校門へ向かう。
その後ろをアードが、とてとてと付いていく。
校門の外には、人だかりが出来ていた。
正確には、団子状になった集団を、下校する生徒たちが、遠巻きにゆっくりと避けて帰っているようだった。
「……ん? なんだあれ。誰か待ってんのか……?」
央世が、ちらっと校舎を振り返ったが、思い当たるフシもなかったのだろう。スタスタと、いつも茉莉を待つ場所——校門を出て少し行った辺りの、小さな水路前を目指し、歩いていく。
——つもりだった。
「……あっ、アニキ、アイツっす!」
それは、央世が校門を出てすぐのことだった。
「ああん? ほぅ、あれか……」
団子状の集団が形を変え、触手を伸ばすかのように、動きだした————!




