8. 寝惚けたやつら
央世の右手に張り付き、ぶら下がったままのアードに、朱夏の鋭い視線が注がれていた。
「あっ……あー……そのぉ……それは……なんてゆーかぁ……」
茉莉が、わたわた手を振りながら右往左往するが、まともな言葉が出てこない。
「おうせくん? ……まさか、接着剤でも使ってるのかしら?」
朱夏のコメカミに、薄っすら青筋が浮かんでいる。だが、口許……口角は、ギイッと上がっていた。
「いやぁ、えっと……」
魔法で……と、正直に言えない央世は、口篭った。どうしたものかと、途方に暮れるのみだ。目線は何処かへ旅に出た。探さないで欲しそうである。
「はぁ〜あ……。顔もよくて、おっきくて、優しそうで、硬派だけど少年っぽさもある子だなぁって、期待してたのになぁ……。まさか、そんなおっぱい派だったとは……。残念ねぇ」
ヒクヒクとしながら、朱夏はニゴッと怒りの笑顔を作った。その背後には、不動明王でもいるのかも知れない。
「これは……ついに、あのベッドを使う日が来たのかしらねぇ……」
すうっと、朱夏の視線が奥のカーテンに向かう。
ニチッと上がる口角。三日月型に歪む目。背筋が凍りそうな笑顔だった。
「……え゙っ?!」
驚きのあまりか、茉莉がカラスのような悲鳴を上げた。
「さぁ、いらっしゃい、おうせくん。正しい保健の授業をしましょうか……」
朱夏が、蠱惑的な笑みを浮かべながら、央世にシャラン——と、手を差し伸べた。
「はぁ〜……。仕方ないか……」
小さく呟いた央世の左腕が、だらりと脱力した。
——次の瞬間。
空気を切り裂くような音、トンというノックのような音が、短く交互に4度づつ響いた。
「……あっ」
朱夏の目が、ゆっくり——閉じられていく。そして、腰砕けに——ふらりと倒れ——
「……よっと」
央世の左腕で、受け止められた。
「え、ちょっと……おうせ? 先生相手にそれ、まずくない?」
茉莉は、少し青い顔だった。
「いやぁ、しょーがないだろ、もう。てか、寝かせるからマツリも手伝ってくれよ」
右手に張り付いたアードのせいで、央世は朱夏を上手く抱え上げられないようだった。左腕一本でグイッと持ち上げてはいるが、ぷらぷらと朱夏の脚が宙に浮いてる。
とはいえ、右手に20kg強、左腕に50kg弱。とんでもない筋力である。
「もー! おうせってば、無茶ばっかり……」
茉莉はブツブツとこぼしながら、朱夏の脚を持ち、靴を脱がすと、ベッドへと降ろした。
央世が、ゆっくりと朱夏の身体を横たえる。
息の合った、中々の連携であった。流石は、元祖嫁と呼ばれるだけは、あるのだろう。
「先生は……これでいいとして……」
央世が、真ん中のベッドへとアードを運び、横たえた。
「こいつ、いつ離れるんだろ?」
そして、そんな疑問を口にする。
「それ、昨日みたいな感じなの?」
茉莉が、朱夏に布団を掛けながら訊く。
「あー。そうだな。片手だけだし、昨日よりはマシだけどな……」
央世は、言いながらパイプ椅子に腰を下ろした。
「それって何なんだろね? アードは『繋がった』とか言ってたけど……」
茉莉は振り返り、アードの寝顔をマジマジと覗き込んだ。
相当な騒ぎだったというに、こおっという独特の寝息を立てて、安らかな寝顔である。
「うーん……。なんと言うか……感覚的にはさ、オレの身体の延長……みたいに、循環してる……って言うのかなぁ……。なんか、違和感が全然ないのが違和感っていうか——さ。まぁ、よくわかんねーけど、これも魔法ってことなのかなー……?」
央世が、一瞬目を閉じ、左手で臍の辺りに触れた。
「え、もしかして……おうせの何かが吸われてる……ってこと?! だ、大丈夫なの?!」
央世の手の辺りをじっと見た茉莉の顔が、青くなった。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、こいつさ、いきなり色々識ってる感じだったろ? 日本語も話すしさ。だから、オレも色々考えたんだ。……やっぱ、あの時……オレの知識が読まれたんじゃないかってな」
央世は、真剣な顔だ。普段は勢いだけのように見えるが、彼は彼なりに色々考えているらしい。意外なことである。
「あー……。なんか、いきなり色々ありすぎて……そういうこと、ちゃんと考えてなかったかも……」
茉莉は、そう言うのだが——
「いや、それもさ……アードの魔法なんじゃないのか? コイツ、マツリにも魔法掛けてたからな」
というのが、央世の見解のようだ。央世はアードを鋭く一瞥し、茉莉に視線を戻した。
「ええっ?! あ、でも……確かにアードを見つけたあの時は、すっごい怪しいって思ってたのに……。なんて言うか……スウッとそんな気持ちがなくなっちゃって……。なんか、助けてあげないとなぁって、思っちゃって……」
茉莉は、顎に手を当てて、真剣な表情をした。こうしていると、ちゃんと美少女である。
「やっぱりか……。洗脳——みたいなものなんだろうな。考えを操る……みたいなさ。まぁ、アードもそんなこと言ってたしなぁ……。多分クラスのやつらも、はがねんも、そうなんだろうなぁ。だから、アードは今、ここにいるわけだ」
央世が、顎でアードを指した。
「つーか、制服はどうしたんだろうな、これ。昨日の消える魔法みたいな感じなのか……? それとも、物体を創ったのか? はぁー……わっかんねー……」
央世が、深く息を吐いた。
「ふふっ……。さすがは旦那様なのじゃ……。概ね把握しておるのじゃな……」
その時、アードの弱々しい声がした。
「アード?! 起きたのか?!」
「アード?! 起きたの?!」
央世も茉莉も、同時に驚きの声を上げ、アードを覗き込んだ。
「うぅむ……。さすがに一気にちからを使い過ぎたのじゃ……。旦那様がおらなんだら、うっかり消えるところじゃったのう……」
ちからない声で、アードはからからと笑う。
「消える……? 死ぬってことか?」
央世が、硬い声で訊く。
「死とは……少し、ちがうのじゃが……。そのようなもの……じゃのー」
だが、アードは軽い調子だ。
「お前、56億年とか生きてんだろ? 死んだりするのか?」
それは、央世には全く分からない時間感覚だ。そして、人間の常識には、有り得ない時間でもある。
「ふむ……。わらわ、今まで死んだことはないのじゃよ。しかしの、わらわも死ぬことはあるのじゃよ。特に、今は飛ばされてきて、弱っておるからのう……。危ないのじゃ。それに、この世界は……ちからの素が薄すぎるのじゃ」
アードが、ほう……と息を吐いた。
「ふーむ……? ちからの素ってなんだよ?」
央世が首を傾げる。
「うぅむ……。そうじゃのう……。神の奇跡……とでも言えば、伝わるかのう?」
「か、神様ぁ?!」
茉莉が、声を裏返した。
「ものの例えじゃよ。日本にはお祭りやら神社やら、色々とあろう? 気にしないようで、気にする民族なのじゃな」
「まぁ、それはいいとして。……アード。これ、いつ外れるんだよ」
央世には、興味のない答えだったのか——それとも、接続されたままだったのが嫌なのか。うんざりした表情で漏らしていた。
「あぁん……。旦那様、そのような冷たい声を出さぬともぉー。もう少しで動けるのじゃ。しばし待って欲しいのじゃよー」
アードは懇願するように、央世の手に——自身の手を重ねた。
「いやいや、おうせ! 全然よくないでしょ?! 神の奇跡ってなに!?」
茉莉が、痺れを切らしたのか、割り込んだ。
「……むー。マツリは、やかましいのじゃ。日本にも、神聖じゃとか、神域じゃとか、そんな概念があろう? 神の奇跡を願って、供え物もするのじゃろ? じゃが、叶わぬ。そういうことじゃ」
アードが、少し面倒くさそうな表情で答えた。
「……え、どういうこと?」
茉莉にはピンとこなかったらしい。首を傾げるのみだった。
「要は、神の奇跡が薄い世界なのじゃ、ここはの。じゃから、わらわ、大変なのじゃ……」
アードは、溜息混じりに唇を尖らせた。
「……なぁ、アード。本当はお前、何がしたいんだ?」
二人のやり取りを少し黙って見ていた央世が、ぼそりと訊いた。その声は、鋭かった。
「……出来れば、帰りたいのじゃが……。かなり至難じゃろうな」
アードは、少し遠い目をしながら、窓の外を見た。
(やっぱり、アードにも、帰りたい気持ちはあるのか……)
央世の目が、細くなった。そして、少し俯いた。
(異世界かぁ……。マジでどこにあんだろなー……)
そして央世も、空を見た。
「……ゆえに、旦那様の傍におりたいわけじゃ。なんなら契ってもよいのじゃよ」
アードは、すぐに央世に視線を移すと、涼しい顔をして言い放った。
「ちぎる? って、なに?」
茉莉が、ぽかんとしながら訊く。
「うん? 日本語じゃろ? ふーむ……せいこうしょう……で、合っておるじゃろか」
アードは、顎に指を当てながら考えていた。そして、サラリとそう言ってのけた。
「せ……せいこうしょう……? って、性交渉?!」
茉莉が、目を白黒させながら叫んだ。
——その時。
「性交渉ですってぇ!?」
朱夏が、カッと目を見開いた。




