7.混沌の保健室
——キーンコーンカーンコーン……
二時限目の授業が終わった。
挨拶の後、教師が教室を出て行く。
央世が、アードの方をギッと見た。ゆらりと立ち上がる。
「おい、アー……」
そして、口を開いたのだが——
「アードさん!」
「フェンさん!」
「アードたん!」
クラスメイトたちの雪崩が起きた。
「おお……? なんじゃ?! この者らは……」
さすがのアードも、少々困惑気味だった。
「ちょっと、皆どいて」
その集団へ、茉莉がずいっと割り込むように、右手を差し入れ、半身を捩じ込んだ。
「あ、元祖嫁……」
「うっさい! やめろそれ!」
ぼそっとこぼした男子に、茉莉がチョップした。
「いたっ」
男子は、頭を押さえて蹲った。その頭頂部からは、幸い煙は出ていないようだ。
「で、アード! 何でアンタがここにいるの?!」
茉莉がズンズンとアードに詰め寄った。表情だけで地震が起きそうである。だが、茉莉の軽い重量では、足音すらトントンと頼りない。
「おお、マツリではないか。おぬしもおったのじゃなー」
だが、アードは、あっけらかんとしていた。
「いたよ! ずっと! いや、そうじゃなくてさ! アンタ、留守番してたんじゃないの?!」
茉莉の声が、教室中に響いた。
「うむ。留守番でな、ちからが少し戻ったのじゃ。制服とかいうこれもな、何とか創れたからのう。それにほれ、人族の姿も似合うておるじゃろ?」
アードがポーズを取り、クルリと回った。ふわりとスカートが躍る。男子生徒たちから、『おお……』と、感嘆が漏れていた。
「はぁ?! そんなこと訊いてんじゃないんだけど!」
茉莉が、バンッと机を叩いた。
アードはギュッと目を閉じると、耳を押さえた。どうやら魔法で人型の耳に見えてはいるが、機能自体はエルフ基準なのだろう。
「あー……。マツリはやかましいのじゃ……」
顔を酷く顰めながら、ボソッとアードが呟いた。そして、肩を竦める。
そして、仕方ないとでも言わんばかりの表情を浮かべた。
「誠、詮無きことじゃのー。……どうもこの世界は、魔法の素が薄いようなのじゃよー。回復するにも、旦那様と繋がっている方が、効率よさそうなのじゃ。じゃからこうして——」
「おい、待てアード! そんなこと大声で言うんじゃない!」
央世は慌てて立ち上がると、アードに詰め寄った。口を塞ごうと手を伸ばすが、もう遅い。ザワついていた教室が、ピタリと静まり返った。生徒たちは、あんぐりと口を開けながら、顔を見合せる。
「あ、しまったのじゃ」
ペロッと舌を出したアードは、こつんと自分の頭を軽く打った。反省の色は、なさそうである。
「……え? 魔法って、言った? マジの話かな?」
「ヨーロッパには魔法があるのかもよ? ほら、ルーン文字とかあるじゃん」
「まぁ、アードたん、異常に可愛いしなぁ……。クラスの女子と同じ女子とは思え——イデッ?!」
アードを取り囲むクラスメイトが、ざわざわと騒ぎ出した。どうやら一人が、尊くはなさそうな犠牲になったようだ。女子生徒の拳骨が落ちていた。南無三。
「ちょ、これ、どうすんのよ?!」
茉莉が慌てた声を出す。教室は盛況だ。最早収拾がつきそうにない。
「んー。詮無きことじゃのー。旦那様、お手を貸して欲しいのじゃ」
アードが央世に向き直った。
「……ん? 何すんだ? お前、まさかまた……」
「あー、問題ないのじゃ。というよりも、この問題を解決するのじゃから、の? というわけで……じゃ。文字通り手を貸して欲しいのじゃ」
ニコッと微笑み、手を差し出すアードに——
「えー……? 何すんだよ、マジで……」
央世が手を伸ばした。
「これで、こうして……こうじゃ!」
アードは、伸ばされた央世の腕を掴むと、ぽよんと自分の胸に央世の手のひらを当てた。
「な、おま……?」
接触面が、淡く光る。
「░░░░░░……」
そして、教室に響く——聞き取れない、音圧。生徒たちは皆一様に、一瞬呆けた表情になった。
「……ふぅ。これでよいのじゃ」
アードが、深く息を吐いた。そして、力なくペタリと座り込んでしまった。
「お、おい、アード。何したんだ? てか、どうしたんだ」
「うみゅう……。つかれたのじゃ……」
そう言って、床にぱたりと倒れ込んだ。
「あ、おい?! アード?」
央世がしゃがみ込んだ。アードを軽く揺するが、反応がない。
「……あれ? アード、倒れてる?」
我に返ったらしい茉莉が、驚きの声を上げた。
「ちょ、保健室! 連れてかなきゃ! おうせ、ほら!」
「お、おお……」
茉莉に促され、央世はアードを抱き上げた。お姫様抱っこだ。だが、央世の右手は——アードの胸に添えられたままである。
慌てた様子で、茉莉が上着を脱いだ。そして、アードの胸元に掛けた。
——ガラッ
ちょうど、次の教科担当教師が入ってきた。
「先生! 転入生が倒れました! おうせに運んでもらって、私も付き添います!」
間髪入れずに茉莉が教師に向かい、叫んだ。
「ああ、赤坂さん。転入生……? あ、羽賀先生が言っていた……。そうですか。分かりました」
央世は、教師が開けた扉から、いそいそと廊下へ出た。茉莉もそれに続く。
そして、保健室に向かって早足で向かって行った。
▽
——コンコンコン
「失礼します」
央世たちが保健室に着くと、茉莉がノックして、ガラッと扉を開けた。
「あらぁ~。いらっしゃ~い♡ どぉしちゃったのかしらぁ~?」
回転椅子に座っていたのは、愛宕朱夏。24歳。保険医である。
裾の長い白衣からスラリと伸びた脚には、隙間からガーターベルトが覗いている。今日は、黒のようだ。
前下がりのショートカットヘアが、さらりと流れた。
下がり気味の目尻と、左の小さな泣き黒子が相まって、大人の雰囲気——色気がすごい……! と、一部の男子生徒たちからは、人気を博していた。
「あー、こいつが、そのー……なんというか、倒れた? みたいで……」
央世は、上手い具合の言い訳が思い付かなかったようで、しどろもどろだった。
……アードの胸から手が離せないのだから、仕方ないのかもしれない。茉莉の上着だけが、命綱なのだ。実に心許ない。
「転入生が倒れたんです。ベッドを使わせてもらっていいですか?」
茉莉が、一歩前に出た。
「あらあらぁ〜。倒れちゃったのねぇ。その金髪の娘かしら? ベッドは空いてるわよぉ」
くるっと白衣を翻し、カッカッと足音を響かせ、愛宕はシャッとカーテンを開けた。
3床のベッドは、全て空いてるようだ。
——が。
一番奥側は、ただのパイプベッドではなく、何故か少し高級そうな布団が敷かれていた。そして、上には何らやごちゃごちゃと置いてあるようで、使えそうにはなかった。
「あらやだ。こっちはダ・メ・よぉ。いつの日か用なんだからねぇ〜」
朱夏は、シャッと仕切りカーテンを閉めた。そして、普通の2床を指さす。
「あなた達は~、こっち、ね?」
「あ、はい」
央世は、入口に近いベッドへ、アードを下ろし——たのだが、やはり手が離れないようだった。傍らの椅子に座った。
茉莉は、それを隠すように布団を掛けながら、自身の上着を回収した。
「あら。看病? アタシがやるから大丈夫よぉ? あなた達は授業に戻りなさぁい」
体温計を持ちながら、朱夏がアードのベッドに歩み寄る。
「……くっ。マツリ、マズイぞ……」
「そ、そうね……」
央世と茉莉は、こそこそとやり取りをしていた。額には冷や汗が光る。
だが、上手い解決策など、すぐに浮かぶものではなかった。
「じゃあ、お熱測っちゃいましょうねぇ〜」
朱夏の手が、アードに掛けられた布団に——伸びる。
「……あっ」
茉莉の口から、声が漏れた瞬間。バサッと音を立て、布団が捲られてしまった。
アードの胸には、央世の手が添えられ——いや、埋まっている程だった。
「あらぁ? 円景寺くんったらぁ、なぁにしてるのかしらぁ」
朱夏は、笑顔だった。だが、目の奥は——激しく吹雪いているかのようだった。
「あー……いやぁ、なんか……離れないって感じで……」
ヒクヒクと引きつった笑顔で、央世がこぼした。最早、言い訳ですらなかった。
「チッ……この娘……外国人かしら……?」
朱夏の目線が、アードの寝顔から——胸元へ——ずれる。
「なにそのバカみたいにデカいチチは……。男なんてみんなそう……! デカいチチみたらホイホイと……」
朱夏は、拳を握り締めながら、ブツブツと呪詛を漏らす。
ゆらぁりと動いた朱夏は、ベッドの反対側の央世の方へ——カツカツとヒールを響かせ、距離を詰めた。
そして。
——ガシッ
央世の左手を掴んだ。
「え、ちょ……先生?! なんすか……?」
戸惑う央世に構うことなく、朱夏はその手を——自身の臀部……尻……ケツに、押し当てた。
「女は! 腰とケツでしょおがぁ!!」
怒りの声を上げる朱夏——
「はぁ?!」
驚きの声を上げる央世——
「な、何やってんですかぁ?!」
そして、目玉がこぼれ落ちそうな茉莉であった。
「ほらぁ、円景寺くん! いえ、おうせくん! どう? どうかしら? この締まったケツ! 最高の触り心地でしょおがぁ!」
朱夏の瞳孔が、かっぴらいていた。
「え、ちょ……先生?!」
「おいコラぁ! ハッキリしろぉ!」
央世は困惑したが、火に油だったようだ。朱夏は、央世の左腕を掴むと、強引に立たせようとした。
「おっと……」
ガタンと音を立て、央世が立ち上がると……右手の先に、ぶらんとアードがぶら下がっていた。
「あっ、おうせっ!」
茉莉が焦って駆け寄ったが——
「……え? くっついてるの? それ……」
時すでに遅し。朱夏が、目を丸くした。
「やっべ……」
央世の目が泳いだ。




