11 同居デブリーフィング
「アンタ、ちょっと待って。それ、本気で言ってるの?」
ある休日。私はいつものようにハシントと喫茶店で紅茶を飲みながら、他愛もない話をしていた。木製の落ち着いた店内、窓の外には春の陽光が柔らかく差し込み、テーブルの上には湯気を立てる紅茶のカップが置かれている。ハシントはいつものように、少し皮肉っぽい笑みを浮かべながら私の話を聞いていた。でも私が「アーケルと同棲を始めた」と告げた瞬間、彼の表情が一変した。呆れたような、驚いたような、どこか不機嫌そうな眼差しが私を射抜く。
「えっと……はい。本気です」
私は少し気まずそうにカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んで時間を稼いだ。ハシントの視線が重い。まるで私が何かとんでもない失敗を犯したかのような雰囲気だ。
「アンタ、婚約しただけでも十分驚いたのに、今度は同棲? しかもあの変人と? ありえないんだけど?」
ハシントはため息をつき、ティースプーンで紅茶をかき混ぜる。ミルクを注いだ紅茶が、ゆっくりと白く濁っていく。彼の手つきはいつも通り丁寧だが、どこか苛立ちが滲んでいるように見えた。
「え、でも……婚約してるし、同棲するのは自然な流れじゃないですか?」
私は少し弁解するように言った。婚約から同棲への移行は、この世界ではそれほど珍しいことではない。宮廷で働く令嬢達の中には、婚約後に相手の家で生活を始める人も少なくない。それにアーケルは魔術伯で、私が借りていた部屋よりも広い屋敷を持っている。実利的にも、彼の屋敷で暮らす方が合理的だった。
「自然な流れ? アンタらしいっちゃらしいけどさ……」
ハシントは紅茶を一口飲み、眉を寄せる。
「あの変人と一緒に暮らすって、どういう気分なのよ。まさかアンタ、毎日あの自信満々な顔見てニヤニヤしてんの?」
その言葉に、私は思わず頬が熱くなる。アーケルの顔は確かに綺麗で、学生時代から「推し」として見ていたのは事実だ。でも同棲を始めてからは彼の顔以上に、彼の生活や性格に触れる機会が増えた。それが予想以上に新鮮で、時には困惑するものだった。
「ニヤニヤは……してないですけど」
私は少し言葉を濁しながら答えた。「でも、アーケルって意外と生活力あるんです。朝は必ず魔術で部屋を暖かくしてくれるし、食事も自分で作ったりするんですよ。私が料理しようとしたら、『君は宮廷で忙しいだろうから、これは僕の仕事だ』って言って」
「は? 変人が料理? それ、毒でも入ってんじゃないの?」
ハシントが皮肉っぽく笑う。私は慌てて首を振った。
「そんなことないです! ちゃんと美味しいです。少し変わった味付けですけど……例えば、昨日はハーブを魔術で調合したスープを作ってくれて。見た目は緑っぽくてびっくりしましたけど、飲んでみたら意外と優しい味で」
「優しい味ねぇ……」
ハシントは鼻で笑い、紅茶をもう一口飲む。
「アンタ、ほんとその変人に夢中よね。まあ、毒じゃなきゃいいけどさ。それで? 他には何? 同棲して何か変わったことあるの?」
私は少し考えながら答えた。言ってはいけない事に注意しながら。注意しなければいけない事、と言うのは私が聖属性持ちであるとか、聖女になりえる存在であるとか力を扱う練習とかそういうところだ。
「そうですね……アーケルの屋敷って、魔術の道具がいっぱいあって。最初は怖かったです。夜中に勝手に動く本とか、突然光る水晶とか。でも、アーケルが『これは君を護るためのものだ』って説明してくれて。実際、ネックレスのお護りも効果があるみたいで。最近は花壇の近くに居ても、変な虫が寄ってこなくなりました」
「虫除けねぇ……」
ハシントは少し複雑な表情を浮かべる。「あの変人、アンタのこと結構気に入ってるんじゃないの? ネックレス作ったり、料理したり、虫除けしたり。まあ、虫除けってのは、アタシのことも指してる気もするけど」
「えっ、ハシントが虫……?」
私は思わず笑ってしまったが、ハシントは「冗談よ」と軽く流した。でも、彼の表情にはどこか本気っぽい影がちらついているように見えた。
「それで、アンタ。愛のある結婚を目指してるって言ってたけど、同棲してどうなのよ。その『優しい愛』は見つかったの?」
その質問に、私は少し言葉に詰まった。確かに同棲を始めてから、アーケルとの関係は少しずつ変わってきた。彼の自信満々な態度や時折見せる冗談めいた言動は相変わらずだが、ふとした瞬間に見せる優しさや気遣いが私の心を温かくする。
「まだ、はっきりとはわからないですけど……でも、アーケルって、意外と私のことを気にかけてくれるんです。たとえば、私が宮廷で疲れて帰ってきたとき、『君の魂が少し曇っている』って言って、魔術で疲れを取ってくれたり。『君にはいつも輝いていて欲しい』って言われたときは、ちょっと胸がきゅっとなりました」
「きゅっとなっちゃったわけね……」
ハシントはため息をつき、紅茶のカップを置く。
「アンタ、ほんと単純よね。でも、まあ……その変人がアンタをちゃんと見てくれてるなら、悪くはないんじゃないの。たださ」
彼は少し声を低くして続ける。「アタシ、ちょっと心配なのよ。アンタ、あの変人に夢中になりすぎて、自分のこと見失わないでよね」
「見失う……?」
「そう。アンタ、昔から人に流されやすいとこあるじゃない。いじめられてたときも、アタシが助けなきゃ泣いてばっかだったし。今もその変人に『優しい愛』って言われて、全部受け入れちゃってるんじゃないかって」
その言葉に、私は少し考え込んだ。確かに、アーケルの存在は大きい。彼の自信や魔術の力に圧倒されることもある。でも同棲を始めてから、私自身も少しずつ変わってきた気がする。
「でも、ハシント。私、ちゃんと自分のことも考えてるつもりです。アーケルと一緒に暮らして、自分がどんな愛を求めているのか、少しずつわかってきた気がするんです。まだ漠然としてるけど……でも、アーケルと一緒にいると、安心するんです。それって、愛の一歩なのかなって」
ハシントは少し黙り、紅茶のカップを見つめた。そして、静かに笑う。
「アンタらしい答えね。まあ、アタシにはよくわかんないけど……アンタが幸せなら、それでいいんじゃないの。ただ、もしその変人がアンタを傷つけたら、アタシが許さないから。覚えときなさい」
「ありがとう、ハシント。いつも心配してくれて……本当に、兄妹みたいですね」
「兄妹ねぇ……まあ、いいけどさ」
ハシントは少し不満そうに呟き、紅茶を飲み干した。その表情には、どこか複雑な感情が混じっているように見えた。でも、私は彼の優しさに感謝しながら、紅茶のカップを手に持つ。
アーケルとの同棲は、まだ始まったばかり。これからどんなことが待っているのかわからないけど、少しずつ、彼との「愛」を見つけていけたらいいなと思う。ハシントの心配も、きっと私の背中を押してくれる力になる。
「ちょっと、変わったわよね。アンタ」
「私が……ですか?」
「言葉では言い表しにくいんだけど……もっと魅力的になった、みたいな」
「わっ、私が魅力的……ですか? 気のせいじゃないですか?」
「そうだったらどんなに良かったことか。もう。そこは学生時代から、変わらないわよねぇ」
「……?」
「とにかく。アンタ、どうせ結婚するでしょうから、第二夫とか第二夫人とかそこら辺の話は詰めておきなさいよね」
「アタシ、アンタが修羅場に巻き込まれる姿とか見たくないわよ」そう言って、ハシントはさりげなく席を立った。
私が気付いた頃にはお会計を済ませていて、「今日はアタシの奢りよ。とにかく、修羅場にならないよう上手く立ち回りなさいよね」と言われてしまった。




