12 厄介マトリモニー
「アーケル・リベルラス。お前を呼び出した理由は他でもない。噂が耳に入ったのだ」
宮廷のとある個室に、アーケル・リベルラスは静かに立っていた。部屋は豪奢そのものだ。天井には金箔が施され壁には宝石がちりばめられた装飾が輝き、床には厚い絨毯が敷かれている。権力の象徴ともいえるこの部屋は、アーケルにとって息苦しい空間でしかなかった。趣味を改めるつもりかないのか、と彼は内心で呟く。
部屋の中心に座るのは、国王ヘリアンサス。威厳あるその姿は広間での公式な場とは異なり、どこか私的な雰囲気を漂わせている。
「お前、婚約者と同棲を始めたそうではないか」
国王の声は低く、しかし鋭い。まるでアーケルの反応を試すかのような眼差しが、彼を射抜く。アーケルは内心で舌打ちをしつつも、表面上は冷静さを保った。
「ええ、その通りです。陛下のご耳に入るほどの噂とは、光栄の極みでございます」
アーケルの声は平静を装っているが、皮肉が微かに滲んでいる。国王はそれを聞き逃さず、わずかに眉を動かした。
「ふむ。光栄か。それで、その婚約者——男爵令嬢だとか。名はレオーネ・フローレスだったか。同棲とは、なかなか大胆な行動だな。お前のような優秀な宮廷魔術師が、そんな決断をするとは思わなかった」
国王は顎を撫でながら、興味深そうに続ける。「それで、彼女との同棲生活はどうだ? 問題はないのか?」
「問題はございません。彼女との生活は、至って平穏です。陛下のご懸念には及びません」
アーケルは淡々と答えた。だが内心では、この質問の裏にある意図を読み取ろうとしていた。国王が単なる興味でこんな話を切り出すはずがない。
「平穏、か。なるほど。だが、お前が彼女と同棲を始めたとなれば、宮廷内の派閥の動きも変わるだろう。彼女は中立だと聞いているが、同棲となれば、お前の影響力が彼女を通じて広がる可能性もある。そうは思わんか?」
国王の言葉には、探るような響きがあった。アーケルは内心で冷笑する。やはり、派閥の話か。
「陛下、彼女は男爵令嬢であり、宮廷での給仕として花嫁修行に励んでおります。派閥には関与しておりませんし、僕もそのつもりはございません。彼女との同棲はあくまで私的なもので、政治的な意図は一切ございません」
アーケルの言葉は明快だったが、国王は納得した様子を見せなかった。
「私的なもの、か。ふむ。だがお前が優秀な宮廷魔術師である以上、お前の行動は常に注視される。お前の婚約者が中立であろうと、同棲となれば彼女を通じてお前の影響力が及ぶと考える者もいるだろう」
国王の声には、どこか警告めいた響きがある。アーケルは静かに頷いた。
「ご忠告、感謝いたします。陛下のご懸念は理解いたしました。しかし彼女との関係はあくまで個人的なものであり、宮廷政治には影響を及ぼさないよう細心の注意を払います」
国王はしばし沈黙し、アーケルをじっと見つめた。そして、ゆっくりと口を開く。
「そうか。ならば良い。お前の狡猾さは信頼している。だが、くれぐれも油断はするな。彼女が中立であっても、宮廷の波に巻き込まれる可能性は常にある。それを忘れるな」
「かしこまりました」
アーケルは深く頭を下げる。だが、内心では、レオーネを守るための新たな決意を固めていた。
×
それからすぐ、アーケルは別の個室に呼び出される。王妃の部屋だ。刺繍の施された布がふんだんに使われ、柔らかな雰囲気を漂わせている。だがその豪奢さはやはり権力を誇示するものであり、アーケルにとっては変わらず息苦しい空間だった。
「お待たせしました、アーケル・リベルラス」
部屋の主は王妃ダリア。国で王と同等の権力を持つ公爵家の出身であり、その存在感は国王に引けを取らない。彼女はカウチに優雅に横たわり、扇を右手に持っている。その仕草には、どこか計算された優雅さが感じられた。
「王妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく存じます。ご用件は、いかがなものでしょうか」
アーケルの声は丁寧だが、どこか距離を置いている。王妃は扇の先端を左頬に充て、微笑を浮かべた。
「ふふ、ご機嫌麗しく、ね。まあ、そういうことにしておきましょう。それで、アーケル。噂を耳にしたの。同棲を始めたそうね、婚約者の男爵令嬢と」
王妃の声には、興味と探るような響きが混じっている。アーケルは内心でため息をつきながら、答えた。
「ええ、その通りでございます。彼女との同棲は、婚約を進める上での自然な流れと考えております」
「自然な流れ、ね。ふふ、なるほど。彼女は中立の男爵令嬢で、給仕として働いているのだったかしら。陛下も同じことを聞かれたようね」
王妃の言葉には、どこか皮肉が滲んでいる。アーケルは冷静に続ける。
「はい、彼女は宮廷での花嫁修行の一環として給仕をしております。派閥には関与しておりませんし、僕もそのつもりはございません」
王妃は扇を左手で持ち、くるくる回しながら微笑を深めた。
「そう。陛下と同じ答えね。ふふ、さすがは優秀な宮廷魔術師、口が堅いわ。でも、同棲となれば、彼女を通じてお前の影響力が広がる可能性もあるでしょう? 特に彼女が中立であっても、宮廷の波に巻き込まれることは避けられないわね」
王妃の言葉には、国王と似たような探る意図が感じられた。アーケルは静かに答える。
「ご懸念は理解いたします。しかし、彼女との関係はあくまで私的なものであり、宮廷政治には影響を及ぼさないよう、細心の注意を払います」
王妃は扇で額を横になぞる。その仕草には、どこか満足げな響きがあった。
「そう。ならば良いわ。でも、アーケル。彼女が中立であっても、宮廷の目は常に注視している。特に、同棲となれば、彼女の行動もお前の行動と結びつけられるわ。それを忘れないでね」
「かしこまりました。ご忠告、感謝いたします」
アーケルは深く頭を下げた。だが、王妃は最後に付け加える。
「ふふ、婚姻するのはいつになるかしらね。……この宮廷には、魔術や薬を使う者も少なくないわ。特に、お前の婚約者となれば、狙われる可能性もあるでしょう?」
その言葉に、アーケルはわずかに表情を硬くした。だが、すぐに冷静さを取り戻し、答える。
「ご忠告、感謝いたします。彼女の安全には、細心の注意を払います」
「ふふ、楽しみだわ。あなたがどう動くか、見ものね」
王妃は微笑を浮かべながら、扇を持つ小指を上げた。アーケルは静かに退出し、内心でレオーネを守るための新たな決意を固めた。
×
「……婚姻、か」
自身の研究室で、アーケルは独り言つ。
レオーネの家族には「結婚式の準備を始めるつもり」と伝えているが、実際に行えるのはいつ頃になるか。婚約の状態である現在が、第二夫や第二夫人を作らない方法としては最も手っ取り早いのだが。
幼少でないし、レオーネもアーケルもすでに結婚適齢期に入っている。だから、いつまでも婚約の状態で居られるほど悠長な時間はない。レオーネは特に気にしていない様子ではあるが、彼女の実家は気にするだろうし世間的な体裁も悪くなる。
いずれにせよ、そろそろ本当に結婚について検討しなければならない。アーケル自身はレオーネとの結婚には何ら不安はないが、懸念がある。それは無論、第二夫や第二夫人についてだ。アーケル自身はともかく、レオーネに何かされてはたまらない。
「(……もう少し、彼女の守りを強くしなければ)」
だが、魔術や装飾による守護はかけ過ぎてもよろしくない。
「(やはり……彼女自身に魔術や薬への耐性を付けさせるべきか)」




