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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第六章 意志と結果を意味づける
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自己善と善き世界という区別の誤り、主観的目的への責任と他者からの援助

 結果より意志が重要だという考え方には、まだ納得できていない人がいるかもしれない。ここで今一度、善悪を意志と結果のどちらを用いて決めるべきかという、倫理学においては伝統的ともいえる問題について考えてみよう。


 この問題について倫理学者の安彦一恵は、トロッコ問題の突き落としパターンに似た道徳ジレンマを示し、そうした意見対立が生まれる理由を、行為者の視線が自己に向かっているのか、それとも他者に向かっているのかの相違によるものとする(*1)。つまり太った人を歩道橋から突き落とすのを拒否する人は、自分が殺害行為をおこなわないことが望ましいことだと考え、突き落とすべきだとする人は、生存する他者がより多いことが望ましいと考えているのだという。安彦はここから二種類の倫理的立場があるとして、「自己善の倫理」と「善き世界の倫理」に区別した(*2)。


*1 安彦一恵『「道徳的である」とはどういうことか 要説・倫理学原論』世界思想社、2013年、156頁。ここで安彦が用いている道徳的ジレンマとは、バーナード・ウィリアムズによる「ジムのケース」と呼ばれる議論のこと。同、139~140頁。

*2 同、155頁以降。


 安彦の主張によれば、前者では自分さえ善い人間ならばそれでよく、後者では実際に世界が善いものになるという結果が求められる。だがすでに述べたように、助かる人数が多いというだけでは、世界が善いものになるとは限らない。善というものは、自己善と善き世界に、きれいに二分できるものではないのだ。

 忘れてはいけないのが、自己のもつ善意や悪意、善意志や悪意志も、紛れもない世界の一部として存在しているということだ。そのためたとえ道徳を、世界を善くするためのものだと解釈したとしても、自己の意志の状態を無視するわけにはいかない。


 仮に自分が、トロッコを止めるために突き落とされる人の立場になったと考えてみよう。もし自分が善がおこなわれるために殺される立場になるかもしれないとしたら、どう思うだろうか。もし自分が殺されることで、より多くの人を救うことができるかもしれない環境が成立したというだけの、偶然的な理由で躊躇なく自分のことを殺そうとしてくる可能性のある人間がいたとしたら、そんな人間には危なっかしくて、誰だって近寄りたいとは思わないだろう。そのような危険人物は間違いなく、自分がこの世界で生きていくことを阻害する、リスクとなるはずだ。

 果たしてそれは、善い世界なのだろうか。自分の意志だろうと誰の意志だろうと、人間の意志がもつ道徳的価値は、世界がもつ道徳的価値に絶えず影響を与えている。自己を善なる存在にしようとするのは必ずしも、安彦のいうように自己の救済(死後に天国に行くなど)を目的にしている(*3)とは限らない。みずからが善い人になることが、この世界をも善いものにしうるからだ。


*3 安彦『「道徳的である」とはどういうことか』170頁。


 そもそも結果というものは、直接操作できる類いのものではない。どのような結果もつねに、未知のものも含めた複数の原因が合わさることで実現されるのだから、偶然の産物でしかない。そのように人が自身の意志でコントロールできないものは、それ自体には善も悪もなく、たんなる自然現象でしかないのだ。

 だがこのことは、人が結果に対してまったくの無力だということを意味しない。人が操作できるのは、結果ではなく原因だ。さまざまな因果が入り乱れているこの世界に、みずからの行為という原因を新たに追加することで、この世界で実現される結果に、なにかしらの影響を与えていく。世界に実現される結果を直接望ましいものにするのは無理でも、悪い結果を生む可能性のある原因をできるだけ取り除き、よい結果を生む可能性のある原因を追加することを通じて、望ましい結果になる確率を操作することはできる。つまり社会の価値という度合いを高めていくことで、みずからの目的に好ましい結果が引き起こされやすくするということだ。

 目的を達成するために最適な手段を選んだつもりでも、意図したとおりの結果を得られないということは多い。それがなぜかを考えると、自分が予想していなかった外的な原因によって、思うように手段の実行ができなかったり、実行しても結果が意図しない形に曲げられるためだということに気がつく。そうした不利益をもたらすような外的な原因可能性、つまりリスクをみんなで協力して減らしていこうとするものこそが、道徳にほかならない。



 ここで注意したいのは、自分の主観的目的を、自分の代わりに他者に促進してもらうことを期待するのは、道徳の主目的ではないということだ。

 環境や他者からただ与えられるものは、状況だったり他者の意志のありように依存しているため、偶然的な結果にすぎない。それに対してみずからの意志によって実現されたものには、みずからの意志のみでも結果を引き起こすに十分な原因となることから、その結果は必然性を帯びる。

 意志によって必然的な結果はコントロール可能であるため、自力で問題を解決できることがあきらかになれば、その後の生存確率を高められる。問題の解決は、他者に解決してもらうのを待つよりは、なるべく自力で解決できる方が望ましい。


 もちろん他者の目的を促進する手伝いをすることは、道徳的な行為に違いない。ここでいっているのは、受動的に与えられたものは偶然的だから、誰かを援助することには意味がないということではない。あくまで主観的目的を促進することへの、最終的な責任は本人にあるということにすぎない。

 だから誰かが援助を与えられたことによって、他者からの援助に頼り切ってしまうようになったとしても、その責任は援助した人にあるのではなくて、あくまで本人の問題でしかない。そのような状態に陥ることを恐れて他者への援助を躊躇するということには、なにも意味がない。反対にもし援助しないことによって、その人を助けてくれる人が誰もいなくなり、ほかに手段を選びようがないという状態に陥ったがために、結果として自分でなんとかしようと行動せざるをえなくなったことで、その人に問題解決への行動を促すことになったとしても、それはその人の意志のあり方が正しいものになったからではなく、それも結局は環境に起因する偶然でしかない。

 あくまで本人の心構えとして、みずからの生存確率を上げるためにはひたすらに、みずから最適な経路を選択し、実行していかなければならない。他者からの援助を上手に使いながらも(援助されること自体は悪いことではない)、自身の意志によってみずからの目的を促進する方策を探っていくということが重要だ。


 その際本人以外の人にとって最も重要なのは、なるべく本人が目的を促進する邪魔をしないということだ。客観的目的が目指しているのはあくまで、障害の除去によって各人が幸福を追求していく効率を高めていくことだ。その大前提として自分自身で主観的目的を促進するためにはなにが必要かを考え、実際に行動に移していくことが大切になる。

 自分で取り除けるリスクならなるべく自分の力で取り除くべきだが、本人の意志ではどうしても取り除けないリスクならば、そうしたリスクを取り除く責任は社会に課せられる。こうして一人ひとりの自由な経路の実現確率を高めること、つまり一人ひとりが効率よく幸福を追求できるようになれば、一人ひとりが最大幸福を享受できるようになり、最大多数の最大幸福が実現される。そのような世界は、誰にとっても善い世界に違いない。


 そもそも善くすべきは意志か結果かという二項対立で考えること自体に、さほど意味があるとは思えない。あくまで重要なのは、人間の行為はなんらかの結果を生み出し、そしてどのような行為も結局は、人の意志から生まれるということだ。そうして生まれた人びとの行為は、この世界に生まれる帰結の原因となる。

 悪意志は、帰結を悪化させる確率を高める。ならば世界を善くしていくためには、悪意志を矯正していくことがなによりも必要だということになるだろう。意志の善さ(自己善)と結果の善さ(善き世界)は、決して対立しない。矯正すべき意志に自分か他者かの区別はなく、自分も他者も善い意志をもつ必要がある。

 自分も含めた一人ひとりが道徳的にさえなれば、世界は確実に善くなる。そして世界が善くなれば、自分にとっての幸福も、ぐっと近くなるに違いない。


 道徳にとっての意志の重要性について、カントは次のように表現している。

「われわれが無制限に善とみとめうるものとしては、この世界の内にもまた外にも、ただ善なる意志しか考えられない」(*4)

「善なる意志は、みずからの中に全価値をもつものとして、一つの宝石のように、それだけで光り輝く」(*5)


 人間そのものが価値判断の対象にならないことは先に述べたとおり(第一章参照)だが、意志のあり方になら、価値の高低が認められる。意志のあり方の価値は責任を負うことで改善可能であるため、人間そのものの価値とは区別される。


*4 カント「人倫の形而上学の基礎づけ」(野田訳)240頁。

*5 同、242頁。

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