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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第六章 意志と結果を意味づける
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ポイント切り替えパターンの解決

 ポイント切り替えパターンについては、どう考えられるだろうか。


 まずは道徳範囲について考える。

 ポイントを切り替えない場合、5人の作業員の主観的目的に反するため、この5人は道徳範囲から外れている。このことは待避線にいる作業員の目的を尊重したため、つまり道徳範囲に含めたために起こる。したがって5人の作業員にはこの選択の正当性を主張できないが、1人の作業員には主張できる。ポイントを切り替える場合は、この反対になる。

 よってどちらを選択しても、道徳範囲に含められる人と含められない人が出てくる。だとすると、(最大範囲の)客観的に正しいといえるかどうかという観点でいえば、どちらも正しくはない。どの作業員に共感するかによって、どの客観的目的に適合するかは異なってくる。


 次に6人すべての作業員をいったん道徳範囲に含めた上で、リスクの絶対数がどうなるかを考えてみよう。

 ポイントを切り替えない場合に存在するリスクは、5人の作業員がひき殺されるリスクであって、全体的に見ると一つになる。切り替える場合は5人の作業員がひき殺されるリスクは減るが、代わりに1人の作業員がひき殺されるリスクが増える。

 結局はプラマイゼロとなり、絶対的なリスクの数はやはり一つといえる。よってどちらを選んでも、リスクの数は変わらない。

 以上からポイントの切り替えという行為は、道徳的に中立だということがわかる。これはつまり、どちらを選んでもいいということだ。どちらを選んだからといって、非難されたり、称賛されたりはしない。


 とはいえこの結論には、おそらく納得できない人が多いだろう。なぜ5人の作業員がひき殺されるリスクを5つではなく、まとめて一つに数えているのか。面倒だからと、単純化しているだけではないのか?

 その疑問はもっともだ。だがここで考えてほしいのは、そもそもなぜ自分が被害に遭うわけでもないのに、見ず知らずの他者のリスクを気にかけなければいけないのかということだ。

 それは同じようなリスクが再びこの社会に発生したときに、そのときの被害者はもしかしたら、自分や身近な人になるかもしれないからだ。被害者の立場になったときのことを考えた結果として、共感が生まれる。


 自分がいざトロッコにひかれるとき、自分と一緒にひかれる人がほかにも4人いるのか、それとも自分だけがひかれるのかという違いが、どれほどみずからの主観的目的に違いを与えるだろうか。そもそも自分がひかれているのに、どこにそんなことを気にする人がいるのだろう。

 どちらも自分がトロッコにひかれるのは一回だ。誰の立場になったところで、一人分を超える被害を受ける人は、どこにもいない。被害者が何人いようと、被害を受けた一人ひとりにしてみれば、一回分のリスクによる被害しか受けていないということには変わりない。どれだけ大勢の人が巻き込まれる被害が発生したとしても、一人で複数人分の不利益をいっぺんに受けるわけではないのだ。だとすると異なる人の利益や不利益を足し合わせて考えることに、なんの意味があるのだろう。

 このようにいうともしかしたら、自分以外の一人が死ぬのと自分以外のすべての人が死ぬのとでも変わらないというのか、と批判してくる人もいるかもしれない。しかし社会機能そのものに支障が出るほどの死者が出る場合は、自分の生活に直接的な問題が発生することになるので、異なる種類のリスクが増えることになるだろう。そうなれば、単純に死者が出る以上の不利益を被ることになる。


 結局問題の本質は、トロッコにひかれる人がいるというリスクが存在していること、そのものにある。そうしたリスクをもたらしているのはあくまで、トロッコの暴走という事象にほかならない。

 つまりポイントを切り替えるか否かの選択が迫られるのは、すでにリスクが発生したあとなのだから、切り替えによってリスクが新たに発生するわけでも、発生しているリスクを減らせるわけでもない。その行為が影響するのは、すでに発生したリスクをどう分配するかの問題でしかなく、どちらを選んだとしてもリスクの増減がないのだから、どちらを選んでも客観的にはほとんど変わらないという結論になる。

このポイント切り替えを人びとが躊躇しないのは一人の作業員の死を直接意図したものではないから、副次的な影響でしかないからという考え方もあり、たしかに人びとの反応はそのような考え方に適合的にみえる。だがここで主張しているのは、意図したものではないからということではなく、どちらを選んだ帰結も同じような悲劇なことには変わらないからという理由によるという点がポイントだ。


 どちらを選んでもリスクの数が変わらないというのは、5人のグループと、そのグループに属していない、異なる1人の選択だからだ。5人のグループ全員が命を落とすか、そのうち4人が助かって残りの1人がどのみち命を落とすかの選択ならば、当然後者の方が望ましい。

 異なる1人が命を落とす状況がつくられるのはリスクの数を増やすことだが、どちらにせよ命を落とす人がいることは、リスクの数に変化を与えない。その上で命を落としていたかもしれない4人が救われることは、命を落としかねないリスクに見舞われても助かる可能性が生じたということなので、リスクが減少したといっていい。

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