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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第四章 自由を意味づける
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自由意志の尊重、非難と自由の関係

(自由意志の尊重)

 誰もが自身の主観的目的を促進するために最適だと思われる経路を構成し、実行に移している。ゆえにどのような行為だったとしても、経路の実行に不可欠な要素としておこなわれている。ならばそうした自由を侵害することは、その人に不利益を与えることであり、その人の主観的目的に矛盾する。

 したがって人びとがなるべく自由であること、他者の自由(意志)を尊重することは、人びとの幸福に不可欠な要素であり、道徳の本質に属している事柄といえるだろう。


 そうなると結局は、人が道徳的であるために必要なことは、あらゆる人の自由(意志)を尊重するということに尽きる。自由を尊重することが、その人の目的を尊重することにつながる。

 言ってしまえば社会上のリスクとは、自由意志に対してのリスクにほかならない。本人の意志にとって都合の悪い阻害要因のことをリスクと言っているのだから、社会上にあるそうしたリスクを取り除いていくことは、道徳的に正しい。


 ここからわかるのは、他者のリスクを取り除くこと、いわゆる利他的行為とは、なにか善いものがあって、そうした善いものを他者に一方的に与えることではないということだ。

 なにに価値を見出すかはその人が選択している経路に依存するため、その善いものが誰にとっても善いものとは限らない。

 いかなる利他的行為も、たんなる善意の押しつけにならぬよう、あくまでその人の経路に、意に沿うようにおこなう必要がある。


 ただし自由意志を尊重するということが形式的に理解されると、ほかの手段をとれない状況がつくり出されたことによって、たとえば本人がより大きな不利益を避けるためにおこなわざるをえなくなったような、本人にとって不利益な行為に対しても、本人が自分の意志でおこなった行為だから問題ないと主張する人が出てくる(責任回避の言い訳として用いられることも多いだろう)。

 だがその行為は自由が制限された結果として出てきたものであるため、たとえ本人の意志によって自発的におこなわれたものであるかのような外形を備えていたとしても、本人の自由意志によっておこなわれたものとはいえない。

 あくまで本人の意思の尊重は、本人の<目的>を尊重したことで必然的におこなわれるものだということを、忘れてはいけない。


 一方いくら人の意志を尊重することが大切だとはいっても、自殺願望や悪意志(道徳範囲の狭い意志)のように誤認によって経路構成を間違っている場合もあるため、そうした認識を修正することによって正しい意志をもたせようとすることは、その人の意志を軽んじていることにはならない。

よりよい経路を構成する手助けをおこなうことは、主観的目的へのリスクを減少させることにつながるため、むしろその人の利益を尊重しているがゆえということになるからだ。


 自由は無条件に善いものだと思われがちだが、実際はこれもまた別の目的(主観的目的)のための手段にすぎない。具体的な場面においてもその都度、なんのための自由であるのかを考えることによって、尊重されるべき自由な行為とそうでない行為を、明確に区別できるようになる。


(非難と自由の関係)

 ところで時々、なんらかの行為が非難されることを自由の侵害だと主張する人がいる。

 だが非難それ自体は、自由を制限しない。なぜならたとえ自身の行為が非難されたとしても、選択できる経路の数が減少して不利益を被るようなことにはならないからだ。つまりたとえ非難されたとしても、その経路は変わらず実行できる。

 だがたとえば他者を害しない正当な行為に罰(不利益)を与えるような場合や、そのような行為を物理的に困難にするような場合だと話が変わってくる。

 人は過去の経験をもとにして未来を予測するため、特定の行為をしたことを理由に罰を受けたことがあれば、同様のことをすると再度罰を下されるだろうと予想する。そうした可能性を前提に合理的な判断を下すと、そうでない場合の判断では最善でなかった経路を選択するのがベターとなる可能性がある。

 その経験は本来の最善の経路の選択実行を不可能にし、自由を侵害する(萎縮効果)。なんらかの行為をすると不利益を与えると、罰を予告するような場合でも同様だ。


 これらの場合と非難行為は、同じ目的でおこなわれる場合が多いにせよ、その効果はあきらかに異なる。詳しいメカニズムの違いについては第七章以降を読んでもらえば理解してもらえると思うが、非難と罰でもっとも大きな違いは、後者は不利益をともなうが後者はそうではないという点にある。

 たしかに誰かから非難されると、その行為を実行することにはしばしば心理的な困難が生じる。だが非難されるかどうかをその行為を実行するか否かを決める判断基準とすることは、みずから自由を制限する他律にほかならない。

 人の判断は完全ではないので、ときには間違っていない行為を間違ったものと判断して(あるいは他者を一方的に利用しようとするそれ自体間違った行為として)、誤って非難してしまうこともある。本章で示した基準に照らし、自身のしようとしている行為が社会的に制限されるべき行為ではないと判断できたのであれば、たとえ他者からの非難があろうと、自身の判断を信じて実行していくということも、ときには必要となってくることだろう。

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