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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第四章 自由を意味づける
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自由の侵害の種類

 ここまでの自由に関する議論は、カントの定言命法の第三方式(自律の方式)「意志がその格率によって自己自身を同時に普遍的立法者とも見なしうるような仕方でのみ行為すること」(*1)に相当する。


*1 カント「人倫の形而上学の基礎づけ」(野田訳)306~307頁。


 なぜ自由に関する話が「自律」の方式と関係するのかというと、カントは自由と自律を同じ意味に捉えていたためだ。それは以下の理屈による。

 まず意志というものを「理性的である限りでの生物の持つ原因性の一種」(*2)と定義する。そして自由を「この原因性が、それを限定する外的原因から独立にはたらきうるとき、その原因性の持つ特質」(*3)とする。これをカントは、自由の消極的な定義とした。

 言い換えれば行動の原因となる意志が、意志以外のものから独立しているとき、つまり行動の原因がその人の意志の外部にないときのことを、人は自由だという。


*2 カント「人倫の形而上学の基礎づけ」332頁。

*3 同。


 感情や欲望は意志そのものとは異なり、自然界にある外的な原因として意志に影響する(意志を限定する)。自分の身体はこの世界(自然)の一部であり、自分の意志(心)の外にある。

 そのため行動の原因が感情や欲望であるときは、人は自由だと言えない。人が真に自由であるためには、感情や欲望からも自由でなければならない。

 日本語で自由と言うとき、その言葉はその人の好き勝手に行動すること、つまり感情や欲望に素直にしたがって行動することを意味する場合も多いが、カントによるとそれは自由ではない。

 本章冒頭で、自由は理性で考えた経路を実行することであって、理性は主観的目的への経路を構成する能力と(一旦は)定義した。機械的にわき上がってきた欲求や感情のままに行動した場合、その行動が実際に主観的目的に役立つという保証はなく、経路がうまく構成されていない可能性がある。そのためやはり欲求や感情のままに行動することは理性的ではないし、自由でもない。


 だがもし意志が意志以外のものに一切影響されないなら、そしていかなるルールにも縛られないとしたら「自由な意志は全く不合理なものになってしまう」(*4)。いかなる行為の基準ももたない人の行動は一貫性がなく、支離滅裂なものになるだろう。

 ならば自由な意志も、なにかしらのルールには従わなければならない。どのようなルールか――道徳法則だ。

 よって自由な意志とは、外的原因に影響されないという意味で、外から与えられたわけではない、つまりみずからつくりだした道徳法則にしたがった意志のことであり、自律と同義となる。

「自由な意志と、道徳法則のもとにある意志とは、同じものである」(*5)

 これが自由の積極的な定義となる。


*4 カント「人倫の形而上学の基礎づけ」333頁。

*5 同。


 このことは人は真に自由であれば、必然的に道徳的に行為するということを意味している。そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、同様のことは経路図によっても確認できる。

 人間にとって最重要課題は、みずからの主観的目的をもっともよく促進することだ。その手段となる客観的目的は、道徳範囲が広ければ広いほど、主観的目的に対して高い価値をもつ。つまりたんなる手段にすぎない感情や欲望を最終目的化するようなことがなく、なおかつその人が合理的であれば、最大道徳範囲の客観的目的を通る経路を選択せざるをえない。

 よって自由な人は、必然的に道徳的に行為する。不道徳な人とは、不合理な人にすぎないのだ。



 以上より、自由の侵害は図4-3のように分類できる。

挿絵(By みてみん)


 一般的な意味で他者への危害と言われるもの――たとえば暴言や暴力といった心身への危害、さらには窃盗や欺きといったものに関しても、自由の侵害の一種と言っていいだろう。

 人はみな、世界の状態も手段として用いている。世界の状態には、怪我や体調といった心身の状態や、所有物なども含まれる。暴力を振るわれたり、自分の所有物を奪われるようなことを期待し、そのような危害を与えられることを前提にして活動している人は、普通はいない。

 他者から害を与えられると、自分を取り巻く環境等がもともと期待していた状態とは異なる状態になり、経路上の目的を達成する妨げになるため、自由な経路の実行が阻害される。これはまさしく自由の侵害といえる。

 詐欺に遭った場合にしても、自分の主観的目的を促進すると考えておこなった行為なのに、目的を促進しないどころか、むしろ目的に反する結果が生じることになる。これは誤認させられたことによって実現不可能な期待をさせられ、経路構成を誤ったということになる。そのため最善の経路を選択不可能にさせられたのだから、立派な自由の侵害だろう。

 これらはどれも、世界の価値を減少させるものだといえる。


 それに対してほかの自由の侵害は、もっともよく目的を促進する行動を阻害するものなので、世界の価値を高める活動を阻害するものといえるだろう。一般的に狭義の危害を自由の侵害と言わないのは、このような違いによるものと思われる。


 みずからの理性で善悪正否を判断せず、他者の判断を無批判的に受け入れて行動することは、他者からの影響に支配されている「他律」であり、自由でない状態となる。

 他者からの影響を排して行動することが可能なのにそうしないのは、ひとえに自分自身の問題であり、ゆえに内的要因による不自由な状態といえる。そのため影響を与えてきた他者の責任にすることで、自身の責任を免れることはできない。

 そそのかしなどがあれば影響を与えてきた他者も責を負うことはありうるが、その場合は他者と自身の双方が責任を負うので、どのみち免責にはならない(責任については、詳しくは第九章を参照のこと)。

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