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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第四章 自由を意味づける
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自由の限界

 自由とは、無制限に認められなければならないものなのだろうか。未来の可能性のためであれば、どのような手段であっても、ないよりはあった方がいいのだろうか。

 そうではない。やはり自由にも限界はある。

 だとするとどのような場合なら、自由は制限されるべきなのだろうか(次章「道徳基盤理論について」で説明するように、本来なら自由の限界や制限という表現には矛盾がある。ただ一般的にそのような表現がよくなされることから、ここでは便宜的に限界や制限という言葉を用いることにする)。


 まず主観的目的に反する行為ならば、自由は制限されうる。

 そもそも自由は、主観的目的をよりよく促進するために必要とされる。だとするなら主観的目的に矛盾する行為が制限されたとしても、その人の不利益にはならない。

 具体的な例としては、心身や社会生活に害を及ぼすことが明白な、違法薬物の使用などが挙げられるだろう。心身に害を与えることが明白な薬物使用は、なるべく長く生命を維持し、そのために社会で活動していくことと矛盾する。なのでそのような行為であれば、禁止しても問題は発生しない。


 とはいえこのことが、他者にさえ迷惑をかけなければなにをしても、たとえ自分自身を傷つけるような愚かな行為であってもおこなって構わないという「愚行権」を否定したものと考えてはいけない。

 第二章で自身の主観的目的に反する行為は客観的目的に反するため不道徳だとしたことの趣旨は、あくまで過剰な自己犠牲を道徳的とする考え方を否定することであって、他者から見た愚行(主観的目的に反する行為)を一概に否定するものではない。

 愚行が道徳に関わって問題となるのは、その判断が事実誤認や誤った推論(たとえば自殺しようとしている人が、根拠のない死後の世界を前提にしているような)にもとづいている場合であって、その場合にはその誤解を指摘するなどして気づかせようとする責任が、周囲の人(気づかせることが可能な人)に課せられる。

 愚行権の前提には、その人が虚偽や不足のない情報から、合理的に判断して導かれた結論だということがある。なので詐欺師によってだまされていたり、洗脳によってあきらかに誤った情報を吹き込まれていることで正常な思考ができなくなっている人に対して、その愚行をやめるよう説得することは、その人の自由を侵害していることにはならない。

 しかしそうした思考の誤りなく愚行を選択する人がいたとしても、その行為が社会上のリスクを増やすのではない限り、客観的目的に反するとはいえず、したがって愚行の是非に道徳はかかわらない。

 そもそも愚行とはいうものの、主観的目的は必然的な目的なのだから、どのような行為であろうとも、本人は心の底から愚行だと思っているわけではない。したがってここでは、主観的目的に反する行為を禁止しなければいけないと言っているわけではなく、主観的目的に反する行為であれば禁止することが許されると言っているにすぎない。そしてそれは、本人の不利益になる確率が比較的小さいことを理由にしている。(*1)


*1 ミルは人間の幸福にもっとも大きな関心をもっているのはその人自身だということから、愚行権を正当化している[ミル『自由論』(斉藤訳)186~187頁]。ただ本稿ではすでに示してきた正当化の条件に沿うようにする必要があるため、利益との関係を強調しなければならない。前節の「禁止」「強要」に関する箇所も参照のこと。


 また客観的目的に反する行為ならば、自由は制限されうる。

 客観的目的に反するということは、誰かの主観的目的に反する行為であり、道徳範囲から除外されている人が存在することを意味している。するとより広い道徳範囲がありうることになり、その広い道徳範囲の客観的目的を含む経路を選択した方が、よりよく主観的目的を促進できることになる。

 つまり本人にとっても、より大きな利益を得られる経路がほかに存在するということだ。そのため客観的目的に反する行為を禁止したとしても、禁止された人の不利益にはならない。もし不利益になると感じるとしたら、それは志向している道徳範囲が間違っているためだ。

 こちらは主観的目的に反する行為とは異なり、制限が許されるのみならず、制限しなければならない。そうした行為を許すことは社会上のリスクを増やし、社会の価値を下げることにつながる。客観的目的に反する行為の禁止は、道徳の意義そのものだといえるだろう。

 前述したミルの他者危害原則は、まさにこの客観的目的に反する行為の禁止を表す。他者に危害を与える行為とは、他者の主観的目的と矛盾する行為のことだ。その行為がある限り幸福だとはいえない、もしくは幸福になるのが困難になるような誰かが存在する行為は、道徳的に許されない。


 主観的目的に矛盾するというためには、たんに不快だというだけでは足りず、主観的目的の促進計画、つまり正当な経路の実行を阻害し、生命保全活動になんらかの支障を来すことを必要とする。主観的目的を促進するために構成された経路の実行が阻害されることは、そのせいで主観的目的の促進に支障を来すわけだから、主観的目的を目指すこととと両立しない(矛盾する)。

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