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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第四章 自由を意味づける
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人はなぜ自由であるべきか ~禁止、強要、萎縮効果~、希少価値

 なぜ人は自由であるべきなのだろうか。

 第二章で道徳範囲の拡大が必要な理由を考えたときと同じように、なにかが必要な理由を知りたければ、それがなければどのような問題が発生するのかを考えるのが手っ取り早い。自由が制限されるといったい、どうなるのだろうか。


 自由が制限、あるいは侵害されるというときに意味しているのは、理性によって最良と考えられた経路の選択や実行が阻害されるということだ。

 自由の直接的な制限の仕方には、主に二種類ある。特定の行為の禁止と、特定の行為の強要だ。前節と同じく図4-1を用いて、その効果について考察しよう。

挿絵(By みてみん)


(禁止)

 図4-1の中にあるP項で示される行為が、禁止されたとしよう。

 するとこの経路図をもつAは、P項を通る経路を選べなくなる。つまり特定行為の禁止は、選択できる経路の数を減らす効果をもつ。

 もしこの選択不能となった経路の中に、もっともよく主観的目的を促進するような経路が含まれていたとしたらどうなるだろうか。自由を制限されたことによって、本来ならよりよく目的を促進できていたはずなのに、その可能性をつぶされることになる。100の利益を得られる経路が選択できなくなり、ほかの経路では最大でも80の利益しか得られないとしたら、少なくとも20の不利益を被る。特定行為の禁止はこのように、本人に不利益を与える可能性を生じさせる。


(強要)

 次に図の中にあるQ項で示される行為の実行を、Aが強要されたと考えてみよう。

 このときQの行為を、自身の経路に組み込むか否かという二つの選択肢が発生する。

 もし組み込むとすると、Q項を通らない経路の選択が不可能になる。するとここでもやはり、選択できる経路の数が減少する。この場合でも特定行為の禁止と同じように、選択不能となった経路の中に、よりよくUG項を促進できる経路が存在した可能性がある。

 それどころか図4-1の経路において、Q項の経路を強要されたとなると、よりよい経路は確実にあったといっていい。なぜならQ項を通る経路に含まれうる客観的目的は、S(AB)かS(AC)のみであり、これらの経路では道徳範囲がもっとも広いS(ABC)を含めることができないからだ。

 前述したように道徳範囲は、広ければ広いほど社会の価値を増加させる。そのためS(AB)を通る経路よりも、S(ABC)を通る経路の方がUGを効率よく促進させると考えられる。Q項の強要がAに不利益を与えるのはあきらかだろう。


 ではQ項を自身の経路に含まない、つまり強要されたQの行為はするものの、その手段を別の目的のためにそのまま利用するのではなく、別の経路を実行したとするとどうなるだろうか。

 この場合主観的目的の促進に役立たない行為をしてから、本来役立つ行為を改めておこなうということになる。大して役立ちそうにないものを無理矢理役立たせようとするよりはましかもしれないが、それでも本来は不要なことをしなければならなくなったために、時間と労力がそれだけ無駄になる。もしかするとその時間を使って本当に役立つ別のなにかをしていた方がより大きな利益を得られていたかもしれず、いわゆる機会損失が発生することになる。

 したがって特定行為の強要はどちらにしても、本人に不利益を与えることは間違いない。


 特定の行為の強要がその人に不利益を与えるのは、たとえそれが本人のためであったとしても変わらない。

 どの経路が選択されるかは、その人の考える自分の得手不得手のような主観的信念なども含めたさまざまな事情を、総合的に考慮して決定される。この事情にはその場限りのものだけではなく、それまでの経験だったり、将来的になにを目指すかなどの長期的な展望も含まれる(これらの事情は、前章の価値判断の仕方に照らすと、どのような原因可能性がピックアップされるかや因果関係の理解にも影響する)。

 そうした事情すべてを、本人以上に熟知している他者は存在しない。そのため本人以上に最適な経路を選択できる人など、存在しようがない。よって経路の選択は、本人の自発性に任せたときに、もっともよいパフォーマンスを発揮することだろう。他者に言われるがままに行動しても、失敗する確率が高い。


(萎縮効果)

 ところで自由の制限はこのような禁止や強要といった、直接的な方法でのみおこなわれるとは限らない。たとえば次の例について考えてみよう。

 夜になると極端に治安が悪くなる地域(架空の地域だが、日本のように物質的に豊かで、至る所にコンビニも自動販売機もある)で、一人で暮らしている女性がいるとしよう。彼女は夜中に大好物の餃子を食べようとつくってみたものの、いい感じに皿に盛りつけた頃合いになってから、醤油を切らしていることに気がついた。あくまでラー油を入れた醤油につけて食べる餃子が好きなので、それ以外の方法では本来の目的をうまく達成することができそうにない。

 歩いて5分のところにあるコンビニに行けば、醤油は売っているかもしれない。だが財布をもって玄関に向かったところで、はたと思った。

 自分が暮らしている社会は、不道徳な人がとても多い。治安の悪い社会で夜中に外出すると、強盗に遭って身ぐるみをはがされて殺されてしまうかもしれない。その可能性を考えれば、外出は諦めた方がいいだろう。しかたない、今晩は餃子を食べるのをやめよう。つくってしまったものはしかたないからとりあえず冷凍庫に入れて保存し、カップ麺で適当に腹ごしらえしたらさっさと寝てしまおうか。


 このように他者の不道徳な行為の可能性は、誰かの主観的目的の促進計画を阻害することがある。彼女の行動に影響を与えた強盗は、現実のものとして実際に彼女の目の前に現れたわけではない。彼女は強盗の存在を、自分が殺されるという結果をもたらすだろうものとして考えた。しかし実際にはそのような結果はもたらされていないのだから、やはり強盗という原因は発生していないのだ。

 要するに経路選択の自由を阻害するのは、なんらかの原因となる現象だけではなく、原因として発動する可能性があると人に考えさせるもの、つまり原因可能性も含まれる。

 こうした間接的に自由が制限される効果は「萎縮効果」と呼ばれる。具体的にその人の自由を制限する意図をもっていた人は誰もいないにもかかわらず、その人の自発性に影響を与えることによって、結果的に自由を制限する効果をもたらす。


 萎縮効果は、表現の自由をはじめとした精神的自由に対して、特に大きな影響を与えるとされる。なぜなら精神的自由の制限は目に見えない行為の不作為という形になるため、他者の目からは自由が制限されていることに気がつきにくいからだ。

 たとえば所有していた土地をなんの補償もなく一方的に奪われるような、財産権の侵害の場合を考えよう。それを見たほかの人は、本人はその土地を所有し続けていたかっただろうことを、容易に想像できる。だからその人の自由が侵害されたということは、誰の目からでも明白となる。

 だがたとえば表現活動に関しては、特定の場面で本人がどのような表現をしたかったのか、ほかの人が想像するのは難しい。そのため自由が制限されていても、外形からでは判断がつかない。自由が侵害されていることに本人以外の誰も気づかず(場合によっては本人ですら気づかずに)、自由の侵害に歯止めがきかなくなりやすい。


(希少価値)

 自由は選択できる手段の数を最大化するために、必要とされる。なにがなんの役に立つかなど、誰にもわからない。手段の多様性を確保するためにこそ、人は自由であるべきなのだ。

 実際人は手段の多様性を確保することに、本能的な価値を感じている。数や量が少ないものに人が「希少価値」を感じるのは、決して希少であること自体に価値があるのではなく、多様性を確保することの価値(多様性を確保したいという欲求)が上乗せされるからに違いない。

 長い人生では、いつなにが必要になるかは誰にもわからない。選択できる手段が多ければ多いほど、なにが起こるかわからない不確定な未来にも、それだけ対応しやすくなる。そのため数が少ないものにより強い欲求を感じるような傾向が、われわれ人間に備わっているのだろう。

 希少価値という言葉が、まるで希少であること自体に価値があるかのような表現になっているのは、<欲求を満たすこと>と<価値>という二つの異なる概念が混同されたことによるものだ。

 この二つの概念が異なるものであることは、第一章ですでに説明した。実際は欲求によって突き動かされて生じた行為が、その<目的を満たす可能性>に価値が生じるのに、しばしば欲求を満たすこと自体に価値があるように思えてしまう。そのため満たされる欲求の強さが、価値の大きさを決めているのだと誤解する。

 特定手段の希少性が高くなればなるほど、多様性確保のため、その手段の利用可能性を確保する緊急性が高くなる。そのため希少性に比例してその手段への欲求も強まり、希少性とその手段の価値の大きさが比例するように感じる。

 だがどれだけ希少性が高まろうとも、その手段が目的に役立つ度合いに変化はない。他者に対して優越感を感じたいだとか、希少性を利用して転売で儲けたいといった、希少性を直接手段として用いるような目的をもつ場合は別として、希少性はその手段の価値それ自体には、なんら違いをもたらさないのだ。

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