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道徳の意味づけ  作者: 弾泥
第一章 目的を意味づける
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客観的目的にかかわる基本概念の定義

 この社会の目的を「客観的目的」ということにする。これが客観的であるのは、その社会の構成員によって同一の目的を共有することが可能だからだ。


 客観的目的に役立つことを「客観的に意味がある」という。主観的に意味があるからといって客観的にも意味があるとは限らないが、客観的に意味があるものはすべて、主観的にも意味がある。客観的に意味があるものはすべて「客観的に正しい」


 どれだけ客観的に意味があると思われるのかという期待値は「客観的な価値」という。

 取得される客観的な価値は「公共の利益(公益)」と呼ばれることもある。


 ところで利他的行為とは、他者の利益になる行為のことをいう。他者となんらかのかかわりをもっている時点で社会が発生しており、その構成員の誰かしらのリスクが減少したなら、それは社会上のリスクが減少したのだとみていい。したがって利他的行為は社会の構成員の利益を増加させ、同時に社会上のリスクを減少させるため、客観的な価値をもつ行為だといえる。


 経済とはなにかしらの取引によって、社会を前提とした価値を発生させる活動だといえる。コンビニでペットボトル入りのお茶を購入することで、お茶の生産者であったり、コンビニ本部や配送業者の社員、コンビニの店員といったさまざまな人がかかわる社会から、利益を得ることができる。

 利益を得るとは、必ずしも金銭を受け取ることとイコールではない。たしかにコンビニは金銭を受け取ることで利益を得てはいるが、それと同時に金銭を支払った購入者も、支払額以上の価値があると判断した商品を受け取ることで利益を得ている。

 双方に利益があるからこそ、取引が成立する。売り手に利益がなければ商品を売ってもらえなかっただろうし、購入者に利益がなければ商品を購入しようとはしなかっただろう。双方に利益があり、その利益は複数の人のかかわり(社会)によって生じたものであるために、社会上に利益が発生したということができる。したがって商品やサービスがもつ経済的価値は、客観的価値の一種となる。


 ミクロ経済学の余剰分析ではこうした考え方に立脚して、社会上の(売り手だけではなく買い手も含めた)利益を最大化させようとする。それに対してマクロ経済学は、収入を最大化させれば人びとの利益を最大化(幸福最大化)することができるはずだという前提のもと、経済の成果を金銭尺度で数量計算する性格が強まっている(消費者の利益も消費額で決めている節があるが、前述したとおり、実際の消費者の利益は消費額を超えるものでなければならない)。

 経済学とは本来は倫理学から派生した学問だったはず(ベースにあるのは功利主義の考え方)だが、マクロ経済学のイメージのためか、一般に経済の目的はお金を稼ぐことというように、誤解されがちなところがある。

 たしかに所得の向上は利益の原因となるものの、所得と利益はイコールではない。経済の尺度は所得や株価のような金額ではなく利益であるべきであり、公共の利益と調和するような利益でなければ、経済的にも価値はない。渋沢栄一の道徳経済合一説は、なにも特別な考え方などではなく、それが本来の経済が目指すところであり、その定義からして当たり前のことをいっているにすぎない。


 また客観的に意味がある行為は「道徳的」であり、そのような手段に付与される性質を「善」という。反対に客観的目的に反した行為は「不道徳」で、そのような行為や、そのような行為をする人は「悪」と呼ばれる。

 行為が道徳的であるための原則集は、一般的に「道徳」と呼ばれている。こちらは本稿で道徳という言葉を使うときとは少々意味が異なり、その都度の論理的な判断から出てきたものというよりは、慣習的に決められてきたものという意味合いが強い。


 主観的目的のときには、主観的に道徳的や、主観的に善という言い方をしなかった。一人きりの無人島でサバイバル生活をするようなときのことを考えてもらえればわかると思うが、他者とまったくかかわらない行為には善も悪もない。無人島には、社会がない。道徳とは他者とのかかわり、社会の存在を前提にしている概念だ。

 逆にいえば、少しでも他者に影響を与える可能性が出てきた場合には、その行為は善や悪といった道徳的評価がなされる可能性がある。そうなると自殺は、もし他者への影響がまったくないのであれば、悪だということはできないだろう(もっとも、他者にいかなる影響も与えずに自殺することができるのかという点については、議論の余地がある)。とはいえ、意味があるとは目的に役立つことをいう以上は、生きることに役立たない自殺という行為は、主観的にもまったく意味のない行為だといえる。

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