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予言書の救世主  作者: 骨山仙人
滞りし新生の旅路
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第一部第一章第十二幕 果実の絶望、遺された者たち

轟音と共に崩落する無数の瓦礫が、まるで巨大な墓標のように組み上がり、二人の英傑と邪神を外界から完全に隔離していく。

光の陣に飲み込まれる直前、村正の網膜に最後に焼き付いたのは、すべてを閉ざすその瓦礫の檻と、内側から漏れ出す凄まじい閃光と衝撃の余波だった。彼らは今この瞬間も、己の命の炎を燃やし尽くし、あの絶望的な死闘を繰り広げているのだ。

視界が反転し、肺を焼くような瘴気の臭いが唐突に途切れる。

次の瞬間、彼らの肌を撫でたのは、聖都特有の清謐せいひつで冷たい夜風だった。

「……戻った、な」

硬い石畳の上に転がり出るように着地した村正が、ひどく掠れた声で呟いた。

その手には、まだ熱を帯びた刀が固く握りしめられている。生きて帰還できたという安堵よりも、二人を死地に置いてきてしまったという重い無力感が、鉛のように胃の腑に沈み込んでいた。

「……ニギハヤヒ、大丈夫か? ずいぶんと顔色が悪いぞ。辛そうだが」

いち早く状況を立て直した武が、鋭い観察眼で傍らの指導者へと視線を向けた。

武の指摘通り、ニギハヤヒの様子は明らかに異常だった。常に泰然自若としていた彼の顔からは血の気が完全に失せ、透き通るような白い肌は、今や死人のように青ざめている。巨大な天磐舟を顕現させ、十種の神宝を展開し続けたことによる神力の代償が、ここにきて彼の実体を激しく蝕み始めていたのだ。

「すみません……少々、力を使い過ぎて疲れてしまっただけですから……」

ニギハヤヒは気丈に微笑んで取り繕おうとしたが、言葉の途中でふらりとその身体が大きく傾いた。

「くっ……めまい、が」

「おい! 無理をするな、少し休んだ方がいい。部屋まで送ろう」

膝から崩れ落ちそうになった白装束の体を、武が咄嗟に左腕で支え止める。

「いえ……」

荒い息を吐きながらも、ニギハヤヒは武の腕をそっと押し返し、微かに首を振った。その瞳には、肉体の限界を凌駕するほどの痛切な使命感が宿っていた。

「今すぐ、みかどにまみえなくてはならないのです。彼らが命を懸けて繋いでくれたこの猶予……一秒たりとも無駄にはできない。それまでは、決して倒れるわけには――」

**「村正……さん?」**

張り詰めた空気を縫うように、戸惑いに満ちた鈴を転がすような声が響いた。

回廊の奥から姿を現したのは、不安げに目を瞬かせる少女・椿だった。そして彼女の背後から、亜麻色の尻尾の毛をボワッと逆立てたロッキルが飛び出してくる。

「椿、ロッキル……」

「ちょっとちょっと! これ、一体どういう状況よ!?」

ボロボロになった村正と武、そして今にも倒れそうなニギハヤヒの姿を見て、ロッキルが血相を変えて駆け寄ってきた。彼女の視線が、せわしなく彼らの周囲を――いないはずの仲間を探して彷徨う。

「あの暑苦しい筋肉バカは!? いつも偉そうなリーはどこよ!?」

悲痛な問いかけ。彼らがどうなったかなど、戦場に取り残されたという事実だけで十分に察しがつくはずだった。だが、ロッキルは信じたくないというように声を荒らげる。

村正はギリッと奥歯を噛み締め、その悲痛な問いを強引に叩き斬った。

「……説明は後だ! 頼む、ロッキル。俺たちを今すぐ『帝』のところまで送ってくれ!」

悲しみに暮れている暇はない。立ち止まれば、あの瓦礫の向こうで命を削っている英傑たちの覚悟を無駄にすることになる。村正の血を吐くような悲痛な叫びと、その奥にある『絶対にここで終わらせない』という執念の炎に、ロッキルはハッと息を呑んだ。

「…………」

ロッキルは、今にも消え入りそうなニギハヤヒの青白い顔と、村正たちの覚悟に満ちた瞳を交互に見つめた。

これ以上問いただすのは野暮だ。彼女はギュッと唇を結び、すべてを飲み込むように小さく、だが力強く頷いた。

「……分かったわよ」

ロッキルが指を鳴らした瞬間。

――瞬。

空間転移の激しい目眩が収まると、肺を焼くような瘴気の臭いは消え去り、代わりに白檀びゃくだんに似た清らかな香りが鼻腔をくすぐった。

「戻ったか……勇士たちよ」

荘厳なる玉座の間。静寂に包まれた回廊の奥から、深く、そして静かなる威厳を湛えた声が響く。神武帝じんむていであった。その表情には焦りも揺らぎもなく、ただ深い湖面のように彼らを見据えている。

「皆様、ご無事で……! 怪我は!?」

帝の傍らに控えていたミクトルが、血相を変えて駆け寄ってきた。彼女の慈愛に満ちた瞳は、すでに悲痛な色に染まっている。

「八咫烏を通じて、ある程度の状況は知らされております。……決して、楽観できる状況ではないと」

「……楽観」

その言葉に、村正の足元でピキリと見えない亀裂が走った。

彼の脳裏には、瓦礫の向こうで今この瞬間も命を削っているヘレウクレスとリーの姿が焼き付いている。誰も死なせたくない。すべての人間の命を等しく救い出したい。そんな強烈で純粋な『救済の渇望』を抱く村正にとって、この聖都を包むあまりにも平穏な空気は、酷く歪で、薄気味の悪いものに感じられた。

「聖都の長閑のどかな空気を外から見る限りじゃ、とてもそうは思えなかった。一体どういうつもりなんだ、帝さまは」

村正の低い声には、明確な敵意と苛立ちが混じっていた。

「おい、村正」

武が制止しようとするが、村正は止まらない。

神武は微かに目を伏せ、泰然自若とした態度で口を開いた。

「危機が訪れるたびに、民草に事実を告げて騒ぎ立てろと申すか? かような心持ちでは、民は一日たりとも穏やかに過ごすことなどできまい。民が明日の恐怖の下で怯えて生きることがないよう、泰平の幻を死守し続けることこそが、我々上に立つ者、そして勇士の役目ではないのか?」

それは、為政者としての完璧な正理だった。だが、村正の信条とは決定的に相容れない。

「そのかりそめの楽観が、結果的に全員を無防備な『死』へ導くことになってもか……?」

村正は静かに、だが殺気を帯びた眼光で神武帝を睨み据えた。

その瞬間、彼の右手にチリチリとした熱が集束した。己の記憶の最深部から、かつて打ち据えた『鉄』の概念を抽出し、無意識の内に空間から柄を錬成する。チャキッ、と硬質な金属音が玉座の間に響き、先ほどまで手ぶらだったはずの村正の右手に、冷たい輝きを放つ抜き身の刀が握られていた。

「村正ッ!」

武が鋭く声を張り上げ、村正と帝の間に自身の体を割り込ませる。

「落ち着け……! 感情に呑まれるな!」

「くっ……」

村正がギリッと奥歯を噛み鳴らし、握りしめた柄にさらに力を込めようとした、その時。

「村正……さん」

張り詰めた空気を解きほぐすように、震える細い声が響いた。

傍らに立つ椿だった。かつては鋭い棘のある言葉を彼にぶつけることもあった彼女だが、今のその瞳には、すでに深く結ばれた彼との絆と、彼自身を痛切に案じる底なしの優しさが湛えられている。未だ虚ろな光を宿したその痛ましい眼差しが、村正の荒れ狂う心をきつく縛り上げた。

「椿……」

彼女の姿を見た瞬間、村正の手からスッと力が抜け、実体化していた刀が光の粒子となって霧散していく。

「……そうだな。今は、ここで味方同士で言い争ってる場合じゃない」

村正は深く息を吐き出し、己の激情を強引に喉の奥へと押し込んだ。

「……その通りです」

重苦しい沈黙を引き継いだのは、武に肩を支えられ、今にも倒れそうなニギハヤヒだった。

「テポーンは……神話の法則を書き換える【勝利の果実】を食しています。それに加え、あのギリシヤの主神の象徴たる『雷』の力すらも完全に我が物としていた。……おそらく奴は遠からず、その絶対的な力でこの聖都を火の海に変え、すべてを飲み込むつもりです」

玉座の間に、絶望の事実が重く沈殿していく。

「だが、勝利の果実を食している時点で、正面からの勝負で俺たちに勝ち目はない」

武が冷徹な戦術眼で現状を分析する。

「理屈を越えて勝利が確定している以上、なんとかしてその前提を崩す打開策を練らなければ……。ヘレウクレスとリーが、自らの命をチップにして時間を稼いでくれている今、俺たちは一分一秒たりとも無駄にはできないんだ」

「とは言ってもねぇ……」

重い空気に耐えかねたように、ロッキルが亜麻色の尻尾を揺らしながら口を挟んだ。

「もう食べちゃったんでしょ、そのチートアイテム? だったら、私たちもその『勝利の果実』とやらを探して食べるか、それぐらいしか対抗策が思いつかなくない?」

極めて単純な発想。だが、その言葉にミクトルが静かに首を横に振った。

「たぶん……その果実は、もう奴の居城には無いんじゃないでしょうか」

ミクトルは胸の前で両手を組み、祈るように伏し目がちになる。

「あれほど狡猾で恐ろしい怪物が、自らの脅威となり得るような危険な代物を、誰かの手の届く場所にそのまま残しておくとは……到底、思えません」

勝利が約束された邪神。崩壊へのタイムリミット。

絶望的な盤面を覆すためのたった一つの『答え』を求め、勇士たちの思考は限界まで張り詰めていった。

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