砕けた風
そして山嵐羽扇が振られた。
「ならば、見せてやる」
風が裂け、空間ごと押し潰すような衝撃が、颯の身体へ迫ってきている。
避けるのは間に合わない――そう判断した瞬間には、もう颯の身体に直撃していた。
空気の塊をそのまま叩きつけられたような衝撃が全身を貫き、足が地面から浮く。
呼吸が一瞬で潰れ、視界が白く弾けた。
それでも意識だけはかろうじて繋がっていた。
(……なんでだ)
転がりながら無理やり颯は目を開く。
視界の先の天狗はすでに間合いを詰めてきていた。
山嵐羽扇が振られる。
しかし今度は風ではなく、刃としての一閃だった。
颯は反射で身を捻る。
頬のすぐ横を裂き、後ろの地面が一直線に切り裂かれた。
(……今のは風じゃない)
山嵐羽扇はただの武器としても成立していた。
直後に山嵐羽扇が振られ、横薙ぎが襲いかかる。
受けるしかない。
足に力を込め、蹴りで衝撃を逸らすが、完全には殺しきれなかった。
体が弾かれ、距離が開く。
「遅い」
その一言と同時に、間合いを詰められた。
天狗は連続で振り下ろし、返し、突き。
どれも無駄がなく、風の流れと一体化している。
躱しているはずなのに、逃げ場がない。
(なんでだ……)
一歩引けばすぐに追いつかれる。
横に動いても、すでにそこに天狗は来ている。
(おそらくただ速いんじゃない……)
山嵐羽扇が振り抜かれ、今度は風が来た。
咄嗟に身を低くし、地面を蹴る。
直撃は避けたが、余波で体勢が崩れた。
転がりながら立て直す。
(最初の一撃はただ強いだけじゃなかった。押し潰されたというより、一瞬で運ばれた感じだ)
颯はあの瞬間、逃げ場がなかったわけではない。
ただ、逃げるという選択肢ごと、天狗に最初から封じられていただけである。
しかし、その攻撃で颯はある答えに到達する。
(風を……読んでる?)
天狗の言葉が頭の奥で蘇る。
――風を読め。
「読むって、なんなんですか……」
血の味を飲み込みながら、颯は歯を食いしばった。
自分はずっと風を“起こす側”だった。
蹴りで巻き上げ、加速を作り出し、その上に乗せる。
だがそれではこの次元では遅れる。
起こしてから乗る、そのわずかな順序のズレが致命的であった。
「……なら、逆だ」
颯の目はまだ死んでいない。
足に力を込め、無理やり立ち上がる。
視界の先では、すでに天狗が次の一振りに入っていた。
今なら逃げれば間に合うかもしれないが、それでは同じことの繰り返しになる。
颯は一歩踏み込んだ。
(風を起こすんじゃない……合わせろ)
蹴り足に風を纏うのではなく、すでにそこにある風の流れに自分の動きを重ね、加速する。
その瞬間、周囲の音がわずかに遅れたように感じた。
踏み込んだ感覚と同時に、天狗の懐に侵入している。
颯の身体が一直線に滑り込み、振り抜かれた。
「嵐脚!!!」
これまでの嵐脚とは違う。
自分で作った加速ではなく、風と共に押し出された速度だった。
颯の蹴りが山嵐羽扇に食い込む。
その刹那、異音が走った。
表面を叩いた感触ではない。
内側で何かが歪み、支えていた構造そのものが崩れていく感覚がした。
山嵐羽扇が形を保てなくなり、そのまま内側から砕けていく。
破片が弾けて宙に散り、遅れて颯の耳に衝撃音が戻ってきた。
やれた、という感覚が胸に広がるが、その高揚は一瞬で消えることとなる。
颯はすべてをその蹴りに注いだせいで、体勢は大きく前に崩れていた。
踏み込みの勢いも殺せず、防御に回る余裕もない。
「見事」
すぐそばで落とされたその声が聞こえてくると同時に、天狗の足はすでに振り抜かれていた。
反応するより早く、蹴りが胴を正確に捉える。
衝撃が体の内側に響き、空気ごと叩き飛ばされる。
地面に叩きつけられ、削れ、跳ね、さらにもう一度強く打ちつけられた。
勢いは簡単には止まらず、視界が何度も反転した。
それでも、意識の奥で一つだけはっきりしていた。
壊した。
確かに、あの武器は壊した。
その事実だけを握りしめながら、ぼやけた視界の中に人影が入り込む。
一直線にこちらへ走ってくるその姿を認識した直後、次の衝撃が颯を襲うはずだった。
だが、それはもう来なかった。
代わりに身体を包む衝撃が減衰し、勢いが強引に止められる。
「……っ、無茶すんな」
低く吐き出される声とともに、体が支えられていることに気づいた。
蒼真が、颯を受け止めている。
踏み込んだ足が地面を抉り、数歩分押し込まれながらもなんとか踏み止まった。
「……蒼真」
掠れた声で名前を呼ぶと、視界がわずかに安定する。
颯は浅く息を吐きながら、途切れそうな意識の中で言葉を絞り出した。
「あの武器……壊した……でも」
そこで一度言葉が詰まる。
ずっと戦っている途中に考えていたこと。
「……恐らく…条件がある」
言い切った瞬間、力が抜けた。
蒼真の腕の中で、颯の意識がゆっくりと沈んでいく。
その先、砕け散ったはずの残滓の向こうで、天狗は静かにこちらを見ながら立っていた。
風はまだ、途切れていない。




