静かな夜に風は止む
断界戦線本部の特殊区画の扉が開く。
消毒液の匂いと薬草の香りが、部屋に漂っていた。
窓の向こうには、静かな闇が広がっていた。
部屋の中には布団が並べられていて、弐番隊は布団の中で各々寝転んでいる。
全員包帯だらけだった。
颯は布団へ沈み込むように寝転がり、顔だけを外へ出している。
雷牙は壁にもたれ、蒼真は体を横に向けたまま天井を見上げていた。
玲司は布団へ半分埋まりながら、珍しく本当に疲れた顔をしている。
「……しばらく戦いたくねぇ」
「毎回言ってるよな、それ」
雷牙が即座に返す。
颯が小さく笑った。
その時、部屋の奥で札を整理していたおばあちゃんが振り返る。
「騒げる元気があるなら安心だねぇ」
しわの刻まれた顔だが、その目には長年生きてきたからであろうか、妙な鋭さがあった。
特殊区画へと繋がる扉が開き、そこから松葉杖をついた迅がゆっくりと部屋へ入ってくる。
老婆は迅を見るなり鼻を鳴らした。
「また怪我人を増やして帰ってきたのかい」
迅が小さく息を吐く。
「……相変わらず元気そうだな、静江婆」
静江の動きが止まり、少しだけ笑った。
「その呼び方も久しぶりだねぇ」
部屋の空気が少し柔らかくなる。
翠霞が布団から顔を出した。
「昔から知り合いなんですか」
「お前らが生まれる前からだよ」
静江はそう言いながら蒼真の包帯を軽く叩いた。
「無茶しすぎだ」
「……すみません」
「本当に反省してる顔じゃないねぇ」
翠霞は少しだけ笑みを浮かべる。
その中で、恒一と紫乃だけは、まだ少し静かだった。
まだ慣れない空気の中にいるような表情。
それを見た灯真が、机の上の袋へ手を伸ばす。
「これ食べていい?」
「最初から食う気だったろ」
優雅が呆れている。
袋の中には金平糖が入っていた。
灯真が一粒口に放り込み、顔をしかめる。
「甘っ……」
響がそれを見て、小さく笑った。
その空気の中、迅が恒一を見る。
「全員が話せるようになったところで、お前らに聞きたいことがある」
部屋が少し静まった。
恒一はゆっくり顔を上げる。
「……なんだよ」
「お前たちの技能のことだ」
迅の声は静かだった。
「普通の技能とは違う……あの再生はなんだ?」
紫乃の目が少し伏せられる。
恒一は少し黙った後、小さく息を吐いた。
「……技能は、人から人へ渡せる」
蒼真が眉を寄せる。
「譲渡、できるのか」
「できる」
恒一が答える。
「ただし普通はやらねぇ」
紫乃が静かに言葉を継いだ。
「技能を譲渡することは負担が大きすぎるから……精神が壊れる人もいる」
部屋の空気が少し変わる。
雷牙も腕を組んだまま、珍しく黙って聞いていた。
迅が続ける。
「天狗も、その譲渡を受けた側か」
恒一が頷く。
「……多分な。でも俺たちも全部を知ってる訳じゃねぇから」
そのまま恒一が続けた。
「そして、技能は譲渡だけじゃなくて、任意で分けることもできるんだ」
「……なるほど。つまり再生の技能を持ってるやつが全員に分け与えているということか」
「そういうこと」
迅はまだ二人に尋ねる。
「技能のことはある程度分かった。でももう一つ聞きたいことがある。天狗たちの目的は何だ?」
紫乃が布団を少し握り、やがて小さく口を開いた。
「お父さんたちは、完成を目指してた」
時夜が視線を向ける。
「完成?」
紫乃は静かに頷いた。
「お父さんとかカナガラたち……ここでいう異能者たちの目的は不完全な人間を捨てて、完成した存在だけの世界を作ること」
颯が顔をしかめる。
「なんだよそれ……」
恒一が続けた。
「技能の譲渡も、そのためだ。強い技能を重ねて、より完成に近い奴を作る」
時夜の目が僅かに細まる。
「失敗したら?」
短い問いだった。
恒一は少し黙ったが、静かに答える。
「壊れる」
部屋が静まり返った。
紫乃が俯いたまま続ける。
「精神が壊れる人もいるし、身体が耐えられなくなる人もいる……人じゃなくなる人もいた」
風の音だけが微かに響いた。
迅は黙ったまま目を閉じる。
そして、ゆっくり口を開いた。
「……天狗が、お前たちを拾った後の話をする」
恒一の肩が僅かに揺れた。
紫乃も静かに顔を上げる。
迅は真っ直ぐ二人を見た。
「あいつは、お前たちを拾った次の日……」
部屋の空気が、重く沈む。
「おそらくお前たちの両親を殺している」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
静江も黙ったまま、札を持つ手を止めている。
迅は短く息を吐いた。
「お前たちを拾ったと思われる次の日、天狗はお前たちの家を訪れている」
恒一の肩が僅かに揺れる。
「家には、お前たち以外にも子供がいたらしい」
蒼真が静かに顔を上げた。
迅は続ける。
「天狗は、その子供たちを先に外へ逃がした」
部屋が静まり返った。
「そして、家に残っていた二人を殺害した」
低い声だった。
「現場は随分荒らされていて、二人とも原型は留めていなかったらしい」
風の音だけが微かに聞こえる。
弐番隊の全員が言葉を失っていた。
迅は少しだけ目を伏せる。
「だが、記録上……子供が二人見つかっていない」
時夜が静かに口を開いた。
「確か、そのまま行方不明扱いになった」
迅の視線が、恒一と紫乃へ向く。
「……おそらく、それがお前たちだ」
長い沈黙が続いた。
恒一と紫乃は俯いたまま何も言わなかった。
やがて、恒一が掠れた声を漏らす。
「……なんでだよ」
怒りというより、理解できないという声だった。
「なんで……なんでっ………」
誰も答えられなかった。
その中で、時夜が壁へ寄りかかったまま、独り言のように小さく口を開く。
「……多分、あいつも壊れてた」
短い言葉だった。
「何を守りたくて、何を捨てたかったのか。最後には、自分でも分からなくなってたんだろ」
時夜が布団へ沈み込みながら呟く。
迅が布団に倒れ込みながら、全員に提案した。
「……しばらくはオフでいいよな」
「賛成……」
蒼真が即座に返す。
灯真が呆れたように笑った。
「どうせ数日後には呼び出されるよ」
「やめろ、不吉な事言うな」
少しだけ、部屋に笑いが戻る。
その空気の中で、時夜が静かに恒一と紫乃を見た。
「行く場所が無いなら、天狗が言ってた通り二人ともここにいろ」
恒一が目を向ける。
迅が時夜に続いた。
「弐番隊は問題児には慣れてる」
優雅が吹き出す。
「それ隊長が言うんすか」
「事実だ」
紫乃は少し困ったように笑った。
恒一も、ようやく肩の力を抜く。
窓の外では、静かな風が吹いていた。
まるで、長い戦いの終わりを告げるように。




