旅路
「……まだ、立てるな」
瓦礫の中で時夜が笑う。
血だらけで、呼吸も荒い。
それでも、視線だけは天狗から逸れていなかった。
時夜の後ろで、蒼真がゆっくりと立ち上がり、二本の刀を握り直す。
颯も肩で息をしながら、山嵐羽扇を拾い上げた。
恒一は天狗を見つめている。
その隣には紫乃が立っていた。
崩れ果てた屋敷の中心。
最後に立っていたのは、この四人だった。
風が吹くが、誰も動かない。
だが、その目は誰一人として死んでいなかった。
恒一が口を開く。
「ここで全て終わらせる」
紫乃が少し笑った。
「長かったわね」
天狗は黙って四人を見ていた。
先刻と違った、静かな目だった。
怒りもなく、焦りもない。
ただ、長い時を生きた魔獣のような圧だけがそこに存在していた。
やがて、天狗がゆっくりと手を上げる。
その刹那、風が止まった。
空気が沈み、崩れた屋敷が軋み始める。
裂けた地面が震えていた。
蒼真が歯を食いしばる。
颯が山嵐羽扇を強く握った。
戦場全体から風が集まってくる。
森の残骸も、瓦礫も、空気そのものも、全てが天狗へ吸い寄せられていた。
「風に還れ」
天狗の目が赤く光る。
「天断風・天ノ極」
その刹那、風が世界を呑み込んだ。
暴風なんて言葉では足りない。
空間そのものが押し潰されながら迫ってくる。
地面が裂け、屋敷の残骸が消し飛んだ。
風の通った場所だけが、何も残さず削り取られていく。
四人の真正面から迫る、殺意。
その時、颯が前へ出た。
「颯!!」
蒼真が叫ぶ。
だが、颯は止まらない。
山嵐羽扇を構える。
吹き荒れる風の中を、真正面から踏み込んだ。
暴風が肉を裂き、鮮血が宙へ散る。
それでも前へ出た。
颯が叫んだ。
「こんなもん――!!」
山嵐羽扇へ風が集まる。
天狗の周りの暴れるような風も巻き込み、颯の手元の一点へ収束した。
「ぶち抜けばいいだろォォォォォ!!!!」
山嵐羽扇を振り抜く。
「嵐貫ッッ!!!!」
巨大な螺旋の風が放たれる。
真正面から、天断風・天ノ極へ激突した。
風と風がぶつかり合い、凄まじい衝撃音が辺り一帯に響き渡る。
押し潰されそうになっているが、それでも嵐貫は止まらない。
そして、天断風・天ノ極を真正面から貫いた。
暴風の中に一本の道が生まれる。
「行けェェェェッ!!!!」
颯が叫ぶ。
その瞬間、蒼真と恒一が駆け出した。
嵐貫は止まらずに、一直線に天狗へ直撃する。
天狗の体が吹き飛んだ。
崩れた地面を裂きながら、遠くへ叩き飛ばされる。
そして、ようやく着地した瞬間、地面が光った。
「……ッ!?」
雷が弾ける。
地面に残されていた雷牙の電撃。
(……あの時か!!)
離脱する前に、最後に全力で叩き込んだ一撃。
その雷が、今になって天狗を縛った。
天狗が感電し、そこで動きを止めた。
しかし、向こうから蒼真が走ってきてるのを見た天狗が、無理やり動こうとする。
風を纏い、筋肉が軋む。
だが、動くことができない。
何かに身体が止められているようだった。
天狗が視線を横に向けると、遠くで時夜が笑っていた。
「止まれっつっただろ」
指で作った円。
震える腕。
血の流れる指先。
それでも時夜は、天狗を止め続ける。
「蒼真!!行け!!」
蒼真が踏み込み、刀を振りかぶる。
風を裂きながら、一気に間合いへ入り込んだ。
天狗が目を見開く。
その刹那、蒼真の斬撃が天狗に走った。
「双閃!!烈空!!」
天狗の右腕が宙を舞う。
そのまま刀を返し、左脚を斬り落とす。
さらに踏み込み、もう一撃。
今度は左腕を飛ばし、血が舞った。
それでも倒れずに、風を放とうとする。
しかし、天狗が瞬きをした瞬間、蒼真の姿が消えた。
天狗の視線が前を向く。
そこに、恒一がいた。
真正面から走ってきている。
「……恒一」
天狗が残った力で風を放つ。
だが、逸れた。
(……何故だ)
天狗は恒一に気を取られ、気づいていなかった。
周りに無数の蝶が舞っていることに。
紫乃の蝶の羽ばたきが、風の軌道をほんの僅かにズラしていた。
今まで完璧だった天狗の風が乱れる。
天狗の目が揺れる。
「紫乃……」
恒一が踏み込み、地面が砕ける。
右の拳を強く握りしめた。
その拳に、今までの約10年間の全てが乗っていた。
怒り、哀しみ、悔しさ、愛情。
全てか積み重なった想い。
恒一が叫ぶ。
「終わりだァァァァァァァァッ!!!!」
空気が震え、拳が振り抜かれる。
「怨倍撃!!!!!」
叩き込まれた瞬間、衝撃が爆発した。
天狗の仮面が砕け散る。
天狗を取り巻いていた暴風が吹き飛び、拳の威力がそのまま天狗を後方へ撃ち抜いた。
巨体が地面を削りながら吹き飛んでいく。
崩れた屋敷の残骸を突き破り、森の跡地へ叩きつけられた。
風が止まり、静寂が落ちた。
荒れ果てた森の中で、誰もすぐには動けない。
恒一が肩で息をし、紫乃もその場へ膝をつき、静かに呼吸を整えていた。
蒼真は刀を支えに立ち、天狗を見据える。
颯は倒れ込んだまま、苦く笑った。
「……やっと終わった」
時夜は座り込み、血だらけで震えている指先を見下ろしている。
「しばらく動きたくねぇな……」
時夜が言い終わる前に、遠くの瓦礫が小さく動いた。
全員の視線が動いた瓦礫に向く。
瓦礫から天狗が顔だけ出していた。
瓦礫の下では、四肢を失い、全身が傷だらけになっているはずだが、眼の力強さだけは消えていない。
天狗はゆっくり視線を動かし、そして時夜を見た。
「……時止めの小僧」
時夜が顔だけを上げるが、体は動かない。
静かな目で天狗を見返した。
天狗は短く息を吐く。
「恒一と紫乃は……人を殺していない」
時夜は黙ってそれを聞いていた。
「俺がやらせなかった」
静かな風が吹く。
「だから……あの二人を責めるな」
時夜は少しだけ目を細めた。
天狗がそのまま続ける。
「あの二人はおそらく行く場所がないから……お前たちの所へ入れてやってくれ」
周囲が静まる。
蒼真たちも黙ったまま、その会話を聞いていた。
時夜はしばらく何も言わなかったが、やがて小さく息を吐く。
「……最初からそのつもりだ」
天狗の目が、僅かに揺れた。
その目にはもう力強さは無くなっている。
「人を見りゃ、それくらい俺たちにも分かる。少なくとも、あいつらはお前みたいにはならねぇよ」
一拍間を置き、時夜は続けた。
「お前の育て方がよかったのかもな」
天狗は静かに笑う。
その笑みは、どこか安心したようだった。
そしてゆっくり恒一と紫乃を見る。
恒一はその場から動かずに、ただ真っ直ぐ泣きそうな目で天狗を見つめていた。
三人ともに長い沈黙が流れる。
その中で先に口を開いたのは、天狗だった。
「記憶を消してしまったこと……怒っているか」
恒一は少し俯く。
「分かんねぇよ」
掠れた声だった。
「もし記憶を消されてたとしても、俺はあんたのこと嫌いになれなかったから」
天狗は静かに目を閉じる。
「そうか」
紫乃がゆっくり前へ出た。
蝶が静かに紫乃の周囲を舞っている。
「……私は恒一の記憶を消したこと、許してないよ」
その声は小さい。
「でも……そのおかげで今こうして生きてるのかも」
紫乃の声は揺らいでいた。
天狗は少しだけ空を見る。
「紫乃には色々と我慢させたな……すまない」
「……いいんだよ、お父さん」
ゆっくり、恒一と紫乃を見た。
「お前たちは強い……でも二人ならもっと強いんだ。これからは……」
恒一の目も揺れる。
紫乃は静かに唇を噛んでいた。
やがて、天狗の身体が少しずつ崩れ始める。
「あぁ……お前らに言いたいことがいっぱいあるはずなのに…」
瓦礫の間から浮いてきた黒い粒子のようなものが、風へ溶けていく。
恒一が天狗の手を握る。
「……もう、どこにも行くなよ……父さん」
天狗は少しだけ笑う。
「父さんと呼ばれるのは……存外気分がいいな」
紫乃の蝶が、最後に一羽だけ天狗の肩へ止まった。
天狗はそれを見つめる。
「愛していたぞ、二人とも」
風が吹き、その身体が静かに消えていく。
荒れ果てた森の中に残ったのは、二人の悲痛な泣き声だけであった。




