第37話:勇者、それは『家』
王都に沈黙が降りてから四十八時間が経過した。
お家様――浮遊機動城塞都市カザンの主である俺は、白亜の大黒柱の中心――コアの深部。俺はそこで陽電子砲の再充填を続けていた。
魔力回路は白熱し、冷却システムは悲鳴を上げ、構造材は内圧にミシリと音を立てる。
――そして。
【通知:充填完了。出力、臨界点を突破】
静かなシステム音が、やけに重く響いた。準備は整った。
その間に、やるべきことはすべて済ませてある。
まず、全住民の退去だ。
カシムが騎士団長と連携し、カザン村の全住民を王都へ移送した。城内、避難施設、あらゆる空き区画に「お家様の代理」として分散配置。ミアとルカも、王都で最も安全な区画へと移した。
俺が全力で戦うための前提条件は、もう整っている。
残るは――家族との、しばしの別れだけだった。
◇
白亜の神殿。
出発直前。誰もいなくなった白亜の神殿の広間で、ミアが、もう熱を帯び始めた大黒柱にそっと額を当てた。その指先は小さく震えている。
「……お家様。本当に行くんですか。一人で……そんな遠いところまで」
俺は梁を震わせ、短く応えた。
(……行く)
「……帰ってくるって、約束してください。絶対に……ここに帰ってくるって」
ほんの少しの間、俺は答えを溜めた。
家としてのプライドと覚悟を込めて。
(ああ。約束だ。俺は家だぞ。家の帰る場所は、ここ以外にねぇよ)
俺は石畳を一度、これまでになく強く、優しく温めた。それが俺にできる精一杯の抱擁だった。
ミアに、液晶モニターを一台手渡したした。アイテムボックスから取り出した映像中継装置だ。俺の視界を映し出せる。
「……これ、お家様が見てるものが映るんですか」
(……俺の視界を映す。心配ならこれを見てろ)
「……見ます。絶対に見ます。瞬きもしないで、ずっと」
ルカが画面を覗き込んだ。
「ぼくも見る! お家様が、悪いやつをボコボコにするとこ、全部見てるからね!」
俺は二人を、王都に降ろし、そしてこの土地を背負うように、推進システムを全開にした。
◇
白亜の城塞が、浮上を開始した。
重力という名の鎖から解き放たれるように、ゆっくりと。
だが、その推進力は大地を揺らし、王都全体を震わせる。
王都の人々が、城壁の上から空を見上げていた。
誰も言葉を発しない。ただ、空へ昇っていく「家」を、守護神を見送っている。
高度が上がる。
空は青から紺へ、紺から漆黒へ。
窓の外、冷酷なまでに輝く星が、近くなる。
そして――敵が現れた。
圧巻だった。
全長、一キロメートルの巨大な旗艦が中央に構え、その左右に五百メートル級の巡洋戦艦が百二十隻、整然と並んでいる。艦体に刻まれた魔導文様が赤く光り、砲台が一斉にこちらへ向いた。
【警告:敵艦隊、全門開放。戦闘体制へ移行】
【警告:魔導砲台、照準完了】
(……気楽でいい。……来いよ、ゴミ共。全部買い取ってやるぜ)
次の瞬間、光の雨が降った。
魔導砲火の連射。
ドォォォォンッ!!
衝撃。衝撃。衝撃。
城塞の外壁が削れ、砕け散る。
俺は自らの装甲と、アイテムボックスの全在庫を盾にして衝撃に耐える。石造りの外壁が砕け、破片が宇宙へ散らばる。
(……被弾した。……痛ぇな。……だが、まだだ!!)
俺は【買取システム】を起動した。飛来するエネルギー弾を空中で買い取っていく。しかし数が多すぎる。全弾を処理しきれない。
多勢に無勢。側面に回り込まれ、挟撃される。
城塞という巨大な構造物は、ここではただの「大きな標的」に過ぎなかった。
俺は推進システムを全開にして機動した。しかし城塞という形状では小回りが利かない。側面からの砲撃をまともに受けた。城塞の左翼が、大きく損傷した。
(……まずい)
飛行体を迎撃に出す。しかし、宇宙空間では飛行体の機動力が著しく低下した。推進剤の消費が激しい。
【飛行体 戦闘不能:8機】
【城塞外壁 損傷率:34%】
【結界出力:低下中】
【警告:損傷率、34%。結界出力、低下】
勝ち筋が、見えない。
◇
王都のモニターの前で、ミアが画面を見つめていた。
城塞の映像が映っている。砲撃を受けるたびに画面が揺れる。白亜の城壁が、少しずつ黒く焦げていく。
「……お家様」
ミアの声が、震えた。
画面の中で、また砲弾が直撃した。城塞の一角が崩れ落ちた。
「お家様!!」
ルカが画面に手を伸ばした。
「お家様、逃げていいよ!! 戻ってきて!!」
ルカの叫びが響く。
王都の住民たちも、城壁の上から宇宙を見上げていた。遠くに光の粒が飛び交っているのが見える。砲火が交差するたびに、誰かが息を呑んだ。
「……負けてるのか」
「俺たちのために……あんな高いところで、一人で……」
「神様が、負けるのか」
騎士団長が拳を握りしめた。
「……俺たちには、何もできないのか」
誰かが祈り始めた。
老婆が膝をついて、城塞が飛んでいった方角に向かって手を合わせた。
それを見た隣の男が、同じように膝をついた。
一人、また一人。
王都の広場で、城壁の上で、路地の隅で、人々が膝をついて手を合わせた。
「……頼む」
「戻ってきてくれ」
「あの家がいなくなったら、俺たちは」
「お家様、お家様」
王が、王宮の窓から宇宙を見上げて、静かに頭を下げた。
「……頼む。余の民を、守ってくれ」
テオが、あの貧しい村で空を見上げて、小さな手を合わせていた。
「……鉄の鳥さん、頑張れ」
◇
【警告:未知のBP流入を確認】
俺のシステムに、異常な負荷がかかり始めた。
外部からの信号ではない。
内側から、何かが膨らんでいる。
【警告:流入量が処理限界を超過】
【警告:――――】
【警告:――――】
警告が、ノイズになった。
膨大な何かが、俺の中に流れ込んでくる。
王都の住民から。
テオの村から。
助けた冒険者から。
ヴァンクール家から。
騎士団から。
王から。
願いだった。
俺の内側、コアの奥底から何かが溢れ出してきた。
それは外部からのエネルギー信号ではない。
王都から、カザン村から、テオの村から届く、圧倒的な「願い」の奔流。
言葉にならない、無数の願いが、俺の中に集まってくる。
(……これは)
進化ツリーが、白銀の閃光を放った。
【条件達成:世界規模の信仰・願望の収束を確認】
【新機能解放:条件達成】
【条件:世界規模の信仰・願望の収束】
【解放機能:形態変化――】
【読み込み中】
【読み込み中】
【解放:勇者形態】
そして。
【称号取得:勇者】
(……勇者)
俺は家だ。
ボロ小屋から始まった、ただの家だ。
なのに、勇者か。
(……勇者、ね。笑わせるぜ。家が勇者なんてバグもいいところだ)
今は、理屈より先にやることがある。
城塞が、変形を開始した。
白亜の城壁が光を帯びて収束し、推進機が一点に重なり、数キロに及ぶ巨大構造が一つの形へと結実していく。
――巨大な、剣。
二百メートルの光の刃となった俺は、漆黒の宇宙を切り裂く一筋の銀河となった。
◇
王都の住民が、空を見上げた。
「……何だ、あれは」
「光ってる。剣だ。剣が光ってる」
「……神様が、剣になった」
ミアがモニターの前で立ち上がった。
「……お家様」
画面が、光に包まれていた。
◇
軽い。圧倒的に、軽い。
構造物を無理やり動かす鈍重さなど、もう欠片もない。
城塞だった時とは、根本的に違う。あの時は、巨大な構造物を無理やり動かしていた感覚があった。今は違う。意識が、刃の全体に行き渡っている。切っ先から柄まで、全部が俺だ。
推進システムが、全力で出力する。
星の間を、一筋の光が駆け抜けた。
加速。
巡洋戦艦の砲撃が放たれるが、照準が追いつく前に俺はすでに懐にいる。
【剣術スキル:パリィ】
巡洋戦艦が放ったエネルギー砲を、刃の腹でエネルギー弾を弾き飛ばし、別の敵艦に直撃させる。
(……パリィが使えるのか!? 剣術スキル、ずっと家にはいらねぇ『死にスキル』って思っていたが……――すまなかった、最高だぜ、お前!!)
次の艦が迫ってくる。
【剣術スキル:ダブルスラッシュ】
刹那の二連撃。
一閃目で艦体を両断し、二閃目で推進部を切り落とす。巡洋戦艦が、静かに二つに割れて宇宙空間に散らばっていった。
(……切れる。本当に切れる)
身体が軽い。負ける気がしない。
剣術スキルの効果か。あるいは、世界中の願いがまだ俺の中にあるからか。
両方だろう。
俺は戦場を駆け抜けた。
巡洋戦艦の編隊が迎撃しようとする。しかし二百メートルの巨大剣が光速に近い速度で動き回る相手に、五百メートル級の艦が小回りなど利くはずがない。砲台が向く頃には、俺はもういない。
【パリィ!!】
三隻が一斉に放ったエネルギー弾を、まとめて弾き返す。弾かれた砲弾が、別の味方艦に直撃した。
【スラッシュ!!ダブルスラッシュ!!】
次
次
次
巡洋戦艦が次々と撃破されていく。
三十隻。五十隻。八十隻。
戦場を一筋の彗星となって駆け抜けるたびに、敵艦が宇宙の塵になって消えていく。百隻を超えた頃には、残存する巡洋戦艦は十隻を切っていた。
最後の巡洋戦艦が、迎撃を諦めて離脱を試みた。
【ダブルスラッシュ】
逃がさない。
百二十隻の巡洋戦艦が、すべて撃破された。
◇
王都の城壁の上に立っていた住民たちが、宇宙を見上げた。
光が、星の間を駆け抜けていく。一閃するたびに、光の粒が散らばった。
何が起きているのか、正確には分からない。でも、あの光が俺の家だということは、全員が知っていた。
「……やってる。やってるぞ!!」
「光が勝ってる! あの光が勝ってる!!」
歓声が上がった。
最後の光が消えた瞬間、王都全体が揺れるような声を上げた。
「お家様!!」
「勇者様!!」
「神様!!」
チャリン、チャリン、チャリン。
【通知:信仰BPチャージ ―― 計測不能】
【通知:勇者称号によるBP補正 ―― 適用中】
ミアが、モニターの前で泣いていた。
泣きながら笑っていた。
「……帰ってきてください。お家様」
◇
旗艦だけが残った。
全長一キロの超巨大艦が、静かにそこにいた。
砲台が向いている。魔導文様が輝いている。
でも、撃ってこない。
俺は剣の形のまま、旗艦の前で静止した。
その時。
旗艦の中心部から、何かが届いた。
音ではない。言葉でもない。
思念波だった。意識に直接、言葉が刻まれる。
『……異界の魂か』
重く、古い声だった。
『我と似たような存在か。肉体を持たず、器に宿り、世界と共に在る』
(……俺と話ができるのか。なら、答え合わせをしてくれ。地上の魔王は何だった?偽物か?)
『偽物ではない。間違いなく本物の魔王の肉体だ。勇者が振るうオリハルコンの武器でなければ滅ぼせぬ――それは本当のことだ』
(……残念だったな。異世界から勇者が召喚されて、オリハルコンの剣まで準備されて。お前も想定外だっただろう)
『想定外ではない』
思念波に、冷たい笑いが混じった。
『オリハルコンの武具を消滅させるために、魔王である我が肉体を使用した。我の目論見通りに、肉体とオリハルコンは消滅した。勇者とやらは我の手のひらの上で踊ってくれた。もう我に恐れるものはない。想定通りに動いてくれた、礼を言う』
思念が届く。重く、邪悪な声。魔王の本体。
すべては魔王の計画通りだった。地上で魔王の肉体にオリハルコンの剣を使用し消滅させて、自分を傷つける手段をすべて絶ったと、魔王は嘲笑う。
(……なるほど。最初からそういう筋書きだったか。……だが、一つ言っておく。俺も、勇者らしいぞ)
【剣術スキル:シャイニング・スラッシュ】
全長二百メートルの巨大剣が、青白い光を帯びた。勇者が放った一撃と同じ、究極の剣技。
光の奔流が、旗艦へ向かって解き放たれた。旗艦が赤いオーラで応じ、二つの力が宇宙空間で激突した。
激突。拮抗。
音のない崩壊。旗艦の外装が削れ、俺の外装も砕けて散る。それでも俺は押し続け、ついに剣が旗艦に深々と貫通させた突き刺さった。
互いに、動きを止めた。
旗艦の中枢部が露わになった。俺のコアでもある大黒柱に、黒い魔王の核がゆっくりと姿を現す。
『……ここまでやるとは恐れ入る』
思念波が、今度は俺の内側から響いた。
『お前のすべてを吸収し、そのボディと能力をいただくとするか。浮遊機動城塞都市か。勇者形態か。悪くない器だ』
(……させるか)
俺はBPを全力で投じた。
【イージス:緊急購入】
【BP消費:1,000,000BP】
大黒柱の内部からイージスが展開された。魔王の核に向かって、格闘用クローアームを叩き込む。
核が、揺れた。だが――。
『無駄なことを』
パリン、と軽い音を立てるようにして、イージスが瞬時に砕け散った。まるで最初から存在していなかったかのように、虚空へ消える。
陽電子砲も、飛行体も、最新鋭の機体も、すべてが魔王の核には通じない。
「オリハルコンでなければ倒せない」という理が、宇宙の絶対法則として立ちふさがっていた。
『無駄なのは分かっているだろう。オリハルコンでなければ、我は傷つかない。お前はよくやった。だが、チェックメイトだ。諦めろ』
暗い絶望の色をした魔王核が、ゆっくりと、確実に俺の中心へと距離を詰めてくる。
BPも、武器も、仲間も、もう手札はない。
俺は、星の海の暗闇の中で、ただ迫りくる終わりを凝視していた。




