第35話:凱歌の余韻と、星空を裂く絶望
歓声が、王都を物理的に揺らした。
城壁の上で、騎士たちがボロボロの拳を突き上げた。
広場では、冒険者たちが互いの血まみれの肩を叩き合い、地べたに座り込んで笑っている。
路地の隅に隠れていた市民たちが、おそるおそる、だが確信を持って顔を出し、崩れるように泣き出した。
老いた兵士が、隣の若い兵士に抱きついた。
昨日まで顔も知らなかった二人が、ただ生き残ったという一点だけで、同じ声で笑っていた。
そこには、身分も所属も関係なかった。
王国騎士団長が石畳に膝をつき、祈るように額を地につける。その隣では、名も知れぬ物乞いの老人が、同じように天を仰いで嗚咽していた。
戦いは、終わった。
俺は城塞の上から、その光景をセンサーで捉えていた。
(……終わった、か)
静かに、俺は自分の中の回路を一度、冷却させた。
◇
戦闘が終息してから、俺はひたすら動き続けた。
飛行体が王都の各地を飛び回り、瓦礫の下に埋まった負傷者を引き出す。アイテムボックスから医薬品と包帯を展開し、応急処置に当たる騎士たちの手元に次々と補充した。回復薬が底をつきかけた野戦病院に、在庫を丸ごと転送する。
【アイテムボックス出力:医薬品各種 ―― 大量展開中】
【アイテムボックス出力:包帯・消毒液 ―― 大量展開中】
【アイテムボックス出力:食料・飲料水 ―― 大量展開中】
瓦礫に挟まれた小さな手を飛行体が引き抜いた時、泥だらけの子供を抱きしめた母親が叫んだ。言葉にならない、ただの振動のような声。生きている、という事実だけが、その一呼吸一呼吸に詰まっていた。
城塞の広場には、俺が急造した「炊き出し処」が立ち並ぶ。
コンソメスープの香り、炊きたての白米の湯気。
今日ばかりは、A5ランク和牛のステーキも全弾解禁だ。
「……なんだ、これ。涙で味がしねぇ……。でも、うめぇよ……」
血まみれの手で肉を頬張った騎士が、そのまま動けなくなっている。
「……本当に、うまい」
泣きながら食べていた。
その隣で、ルカが同じ肉を幸せそうにほおばっていた。
「お家様のお肉、世界一!」
「ルカ、今は戦いが終わったばかりなんだから……」
ミアがたしなめつつも、自分も温かいスープを一口飲み、安堵に目を細めた。
ャリン、チャリン、チャリン、チャリン――!!
BPの流入が、計測を超え始めた。
【通知:感謝によるBP還元 ―― 計測限界超過、集計中】
【通知:信仰BPチャージ ―― 王都住民・全域更新中】
【通知:新規信仰登録 ―― 騎士団員・多数】
【通知:新規信仰登録 ―― 王都市民・多数】
【通知:新規信仰登録 ―― ――】
通知が、途切れない。
(……後で集計しよう)
今はまだ、やることがある。
◇
王宮の広間には、俺が提供した「和平と祝勝の宴」が並んだ。
カシムが王宮の侍従と迅速に交渉し、城塞の食料を王宮に「緊急供与」することになったのだ。どんな地獄の後でも商機を、あるいは『恩義』という名の無形資産を積み増すことを忘れない男。頼もしい限りだ。
チョコレートフォンデュに、カスタードプリン。
王族たちが、震える手でスプーンを持った。
「……な、なんだ、この滑らかさは……。天界の食べ物か?」
「甘い。甘すぎる。この世界に、これほどまでの幸福があったというのか……」
「魔法、あるいは『真心』でございます」
カシムがにこやかに、それでいて慇懃に答えた。
「カザン村、改め『聖魔導居住圏』の総意として、本日は王都の皆様へ進上いたします」
王が、カシムを静かに、だが鋭く見た。
「……カザン村。あの廃村が、これほどの力と慈悲を持つに至ったとはな。すべては、あの家……お家様のおかげか」
「左様でございます。お家様こそが我らのすべてにございます」
王が、ゆっくりと立ち上がった。
広間にいた全員が、息を呑む。
王は窓の外、夕暮れに染まる白亜の城塞を見た。
侍従も、王族も、騎士団長も、誰一人として声を上げない。
王が、窓の外の城塞を見た。白亜の城壁が、夕暮れの光の中に静かにそびえている。
「……余は、あの城に礼を言いたい。王の権威でも、国家の代表としてでもない。一人の、守られた人間としてだ」
王がゆっくりと、深く、家に向かって頭を下げた。
一国の王が、家に向かって、頭を下げた。
「……礼を言う。王都を、わが民を、守ってくれた。感謝する」
その瞬間。
チャリン。
【通知:王国民からの感謝 ―― +5,000,000BP】
(……王都全体の感謝は、えげつない額が来るんだな)
俺は少しだけ、驚いた。
◇
城塞の広場に戻ると、住民たちの話し声が聞こえてきた。
「あの家、神の使いじゃないか」
「いや、守護神そのものだろ」
「城が空を飛んで、魔王を倒したんだぞ。神じゃなかったら何だ」
「カザン村、一度行ってみたいな。あそこにいれば安全だろ」
「俺も家族を連れていきたい。あんな場所、他にないぞ」
俺は柱を一度鳴らした。
(……神様じゃないんだけどな)
でも、言葉がないから訂正できない。
◇
城塞の広場。ミアが俺の柱にそっと手を当てた。
「……お家様、みんなが『神様』だって言ってるよ」
(……俺はただの、セキュリティの行き届いた家なんだがな)
「ふふ、お家様、また石畳がポカポカしてる。照れてるの?」
(……システム温度が上昇しているだけだ。照れてない)
(……照れてない)
アが笑った。その笑顔一つで、俺の演算回路の疲れが吹き飛ぶ。
「照れてるじゃないですか」
チャリン。
◇
夜が近づいてきた。
リュシアンが城壁に腰を下ろし、夜風に吹かれていた。ミリアが隣に座り、無言で、だが丁寧に回復魔法をかけ続けている。
「……終わったな」
「そうね。終わったわね」
「剣……なくなっちまったな」
しばらく、二人とも黙っていた。
風が城壁を吹き抜けて、リュシアンの髪を揺らした。
「俺たち、いつか元の世界に帰れるのかな」
ミリアが少し黙った。
「……分からないわ。でも、今は……あのお家様のところで、もう少し『住人』をしていてもいいかなって、思うの」
「……そうか。そうだな。悪くない」
リュシアンが空を見上げた。
夕暮れが終わり、夜の色が広がってきた。最初の星が、一つ瞬いた。
「……この世界の星、多いな」
「ええ。元の世界より、ずっと多い気がする」
「そうか。……悪くないな」
ミリアが小さく笑った。
「珍しいこと言うじゃない」
「たまにはいいだろ」
ルカが二人の間に割り込み、夜空を指さした。
「お星様、いっぱい! きれいだね!」
「ああ、きれいだな……」
リュシアンがルカの頭に手を乗せた。
その、安らかな会話の途中で。
◇
俺はセンサーの感度を、禁忌の領域まで引き上げた。大気圏外。衛星軌道。
(……まてよ)
俺はセンサーの感度を最大まで引き上げた。大気圏外。衛星軌道上。
そこに、影があった。
一つではない。三十、四十。いや、それ以上。
(……なんだ、ありゃ。鑑定、全機能解放!!)
俺は高性能レーダーと鑑定スキルを同時に起動した。データが流れ込んでくる。
【鑑定結果】
【全長:約1km 超巨大旗艦 ×1】
【全長:約500m 巡洋戦艦 ×120】
【所属:魔王軍艦隊】
【現在位置:王都直上 衛星軌道上】
(……宇宙艦隊だと? ファンタジーじゃなかったのかよ!?)
俺の意識が、コンマ数秒、凍り付いた。
魔王を倒した? 軍勢を撃退した?
だが、魔王軍は地上だけではなかった。遥か上空、大気圏の外側に、一切の気配を殺して展開していた艦隊が、今この瞬間に動き始めている。
(……あの魔族の兵士の最後の言葉)
「魔王様のお体は――」
続きが聞けなかった。今は分からない。でも今重要なのは、そこじゃない。
軌道上の艦隊が、動いている。
その瞬間、センサーが警告を発した。
【警告:衛星軌道上に敵影を確認】
【警告:高出力電磁加速反応を検知】
【警告:目標 ―― 王都直上】
警告が、俺の脳内に絶叫のように響き渡る。
【緊急警告:衛星軌道上より、高出力電磁加速反応を検知】
【目標:王都直上 ―― 質量弾、射出まで10秒】
軌道上から質量弾を撃ち込む。大気圏を突破した質量弾は超高速で地表に到達する。その運動エネルギーは、魔導カノンどころではない。爆発すら必要ない。ただ落ちてくるだけで、王都を壊滅させる。
【質量弾 発射まで:10秒】
十秒。
俺は結界を最大まで展開した。
【結界展開:最大出力】
【BP消費:300,000BP/秒】
カザン村は守れる。ミアも、ルカも、住民たちも守れる。
でも、王都は。
まだそこに、何万人もの人間がいる。さっきまで泣きながら肉を食っていた騎士が、今も広場にいる。路地の隅で抱き合っていた親子が、まだそこにいる。王に頭を下げた市民たちが、まだそこにいる。
【質量弾 発射まで:8秒】
リュシアンが、弾かれたように立ち上がった。
「……お家様、空が変だ。何か、嫌な予感がする!」
俺は城塞の警報を最大音量で鳴らした。
広場の歓声が消えた。食事の手が止まった。全員が空を見上げた。
「上か」
リュシアンが夜空を見上げた。
【質量弾 発射まで:5秒】
星の間に、光の粒が瞬いている。一つではない。無数にある。
その奥に、星とは違う影が並んでいた。まるで夜空そのものが艦隊になったかのように、巨大な船体が静かに王都を見下ろしている。
「……あれ、全部」
ミリアが立ち上がって、光の粒を見つめた。その顔が青ざめていく。
「……来る」
【質量弾 発射まで:4秒】
ミアが俺の柱に掴まった。
「……お家様!」
ルカが叫んだ。
「お家様、どうするの!?」
【発射まで:2秒】
空気が、猛烈な熱を帯びて呻き始める。
星が落ちてくるのではない。
『絶望』という名の質量の塊が、重力の神に背中を押されて、王都へ向かって牙を剥いた。
【0秒 ―― 質量弾、大気圏突入】
夜空が、真っ白に染まった。
数十条の光が、天を切り裂いて降ってくる。
――空が、落ちてきた。




