第33話:不動の壁、天空を穿つ
王都から遥か数百キロ。
カザン村の静寂に鎮座していた俺の本体――白亜の神殿は今、かつてない不吉な真紅の光を放っていた。
それは神々しい後光などではない。
システムの限界を超え、物理法則の壁を無理やりこじ開けようとする俺の「意志」が発する、絶叫にも似た摩擦熱だった。
分割されていた意識の断片が、敗北の屈辱とフィードバックの激痛を伴って、濁流のごとく本体へと逆流してくる。
俺の「目」が潰され、俺の「指」がへし折られた。
王都の空を舞っていた五十機のドローン。それらは俺の分身であり、俺の誇りだった。それが今、無残なスクラップとなって王都の石畳を汚している。
そして何より――。
俺の提供するインフラを信じ、俺の『家』を帰るべき場所だと確信して戦った「顧客」たちが、ゴミのように追い詰められている。
あろうことか、俺の「家族」であるミア、ルカ、カシムまでもが、魔族の卑俗な刃に晒されているのだ。
(……ふざけるな。誰の許可を得て、俺の備品を、俺の『住人』を……俺の家族を壊してやがんだ……)
俺は「家」だ。
住人を守り、顧客を満足させ、いかなる嵐からも中を快適に保つ。
それが俺の存在理由であり、全宇宙における絶対の理念だ。
それなのに、不動産だから、根を張っているからという理由で、家族が食い殺されるのを指をくわえて見ていろだと?
そんなルール、誰が決めたッ!
俺の家では、俺が法だッ!!
ドォォォォォォン……ッ!!
神殿全体が、地震などという生易しいものではない、世界そのものが悲鳴を上げるような巨大な震動に見舞われた。
内壁には深い亀裂が走り、鉄の城壁は脈打つ鼓動のように波打つ。
大理石の床が赤熱し、装飾の金細工が熱で溶け落ちていく。
【警告:構造限界を大幅に超えた演算を確認。全システムに回復不能な負荷が発生中】
【致命的エラー:不動建築物属性(Static)と移動命令(Move)の論理衝突。物理法則の矛盾を検知】
【修正不可能です。実行を中断してください。これ以上の負荷は本体の完全崩壊を招きます】
(……修正不可能? 上等だ、なら上書き(オーバーライト)してやる! 俺は『お家様』だぜ? 家族が死にそうな時に駆けつけられないような欠陥住宅を、俺自身が認めるわけねぇだろうがッ!)
俺の意志が、莫大なBPの奔流となって全魔力回路を駆け巡る。
これまでコツコツと、時にはえげつなく積み上げてきた大量のBP。
それが一瞬にして、跡形もなくゼロへと溶けていく。
だが、足りない。
世界を規定する「重力」と「不動」のルールを書き換えるには、それでもエネルギーが不足している。
(足りないなら、俺を焼け! 俺自身を燃料にしろッ!!)
不足分は、俺自身の構造材を燃料に変えた。
柱の一本一本、梁の芯、石畳の裏側に至るまで、俺の身体そのものを「薪」として焼き切り、未知の動力へと変換していく。
構造が歪み、大理石が沸騰し、全身をプラズマのような高熱が駆け抜ける。
意識が白濁し、自己同一性がゲシュタルト崩壊を起こしそうになる。
だが、止めてたまるか。
(進化しろ。守るためじゃない……。俺の『経営』を邪魔し、家族を脅かすゴミ共を一匹残らずデリート(消去)するためにッ! 機能が足りないなら、俺という存在の定義そのものを、バグの向こう側へ叩き落とせッ!!)
【……論理エラーを無視します……】
【システム、強制再起動。全権限を、唯一の意志『お家様』に委譲……】
【ランク上昇:魔導神殿商館 ⇒ ――『浮遊機動城塞都市』へ、超法規的強制進化を実行】
メキメキメキ、ズガァァァァァンッ!!
地平線の果てまで響き渡るような、大地が引き裂かれる断末魔が轟いた。
カザン村に残された者たちは、眼前に広がる光景を前に腰を抜かした。
自分たちが住んでいた土地、丹精込めて守ってきた畑、そしてあの白亜の神殿。
それらが巨大な土塊を抱えたまま、地脈から力技で引き剥がされていく。
真紅の光は、瞬時にまばゆい白銀の魔導光へと変じ、重力という世界の楔を真っ向から叩き折った。
(待ってろ、王都。……俺の全存在を焼き切った『損失度外視の強制排除』だ。一匹残らず、原子レベルで分解してやるぜ)
底部に展開された巨大な魔導推進機から、プラズマ状の蒼い炎が爆発的に噴射される。
音速を超え、衝撃波が雲を散らし、俺は王都を目指して天空を焼いた。
王都。路地裏。
絶望的な咆哮と共に、魔将の巨大な斧が振り下ろされる。
カシムが覚悟を決め、ミアがルカを抱きしめてギュッと目を閉じた、そのコンマ一秒前。
王都から「光」が消えた。
あまりにも巨大な、この世の何物でもあり得ない「質量」が、王都全域を一瞬で覆い尽くしたのだ。
振り下ろされるはずの斧が止まった。
魔族たちが、勝利を確信していた魔将が、そして死を覚悟した勇者リュシアンが。
全員が、そのあまりにも不自然で圧倒的な「気配」に、心臓を鷲掴みにされたような恐怖を感じて、空を仰いだ。
天空に、白亜の都市が浮かんでいた。
それは城でもなければ、単なる乗り物でもない。
壮麗な神殿を核として、整然と並んだ住宅街、噴水広場、幾重にも重なる外壁、そしてその周囲を埋め尽くすように展開された数千、数万の黒鉄の砲門。
冷徹な知性を持った一つの巨大な「生命体」が、天空に鎮座していた。
「……な、なんだ……あ、あれは……」
魔将が、震える声で漏らす。
その視界を、城塞の底部から放たれた「照準用レーザー」の紅い点が埋め尽くした。
(全門開放。ターゲット、王都内に侵入した不法侵入者――ゴミ共すべて。お掃除の時間だ。残業代は、お前らの命で払ってもらうぜ)
浮遊城塞都市の底部から、数千、数万もの『浄化レーザー』が、慈悲なき光の雨となって降り注いだ。
――ドシュ、ドシュ、ドシュッ!!
一掃。
まさに、文字通りの一掃だった。
王都の街路を埋め尽くしていた数万の魔物の群れは、俺が放つ圧倒的な「機能」の前に、悲鳴を上げる暇すらなく光の中に溶け、消滅していく。
肉体は炭すら残さず分解され、純粋な魔力粒子となって俺の腹――BPへと強制還元される。
死すらも無駄にしない、究極の「還元」が戦場を支配した。
「……あ、あ、あああ……」
聖女ミリアが膝をつき、呆然とその光景を見上げる。
彼女の目の前で、負傷した騎士をなぶり殺そうとしていた上位魔族が、ただの「不要なデータ」として空飛ぶ城塞から放たれた光に触れ、音もなくかき消された。
そこには、魔法の痕跡すら残らない。ただ、初めから存在していなかったかのような虚無が残るだけ。
空からは、五十機の新型軍事ドローンが再配備され、取りこぼした飛行魔物を次々と空中で粉砕していく。
王都の空は、一瞬にして俺の『管理区域』へと書き換えられた。
巨大な城塞都市は、羽毛のように静かに、しかし抗いようのない圧迫感を持って下降を開始した。
ズゥゥゥゥゥゥン……ッ!!
王都全体が、これまで体験したことのない重厚な衝撃に揺れる。
俺は、粉砕された王都の白金門――その、ぽっかりと空いた絶望の穴に、自らの城塞の底部を「楔」のように打ち込み、寸分の狂いもなく着陸した。
壊れた門を直すのではない。
俺自身が王都の新たなる「門」そのもの。決して破られることのない『究極の障壁』として居座ったのだ。
王都に、歓声が上がった。
絶望に塗りつぶされていた街が、白亜の壁の降臨によって、奇跡の熱狂に包まれる。
轟音が止み、あたりに静寂が訪れる。
お家様の正面玄関――巨大で重厚な自動ドアが、水の上を滑るような音を立てて開く。
「お家様ぁぁぁぁぁぁ!!」
ルカが叫び、俺の白亜の壁へと駆け寄ってきて、その表面に思い切り抱きついた。
ミアも、腰が抜けたように座り込みながら、安堵の涙を流している。
カシムは震える手で眼鏡を拭い、「……全くだ。商談どころではありませんな、お家様」と、呆れたように、しかし誇らしげに笑った。
「お、おい……本当にお家様なのか!? あの都市、飛んで来たのかよ!?」
勇者リュシアンが瓦礫の中から這い出し、空飛ぶ都市を見て絶叫する。
その傍らで、ミリアはもはや祈るようにその白壁を見上げていた。
(……ふぅ。……あー、いてぇ。……柱の芯まで熱でガタガタだぜ……)
俺は、神殿の奥底で構造材の悲鳴を上げながらも、満足げに梁をひとつ、ミシッと鳴らした。
BPはマイナス。内部構造はボロボロ。ランク上昇の代償はあまりにも大きい。
だが、俺の家の中に避難してきた人々の安心した顔、家族の無事な姿、そしてリュシアンたちが生き延びた姿を見て、俺の「石畳」は心地よい達成感に温まっていた。
(……これで王都そのものが俺の『一部』になったわけだ)
【通知:大規模な救助によるBP還元 ―― +3,200,000BP】
【通知:信仰BPチャージ大規模更新 ―― 継続中】
夜明けの光が、王都を包んでいた硝煙を黄金色に変えていく。
だが、王宮の奥、玉座の間から窓の外を眺めていた王の瞳に映っていたのは、輝かしい朝日などではなかった。
「……夢、ではないのだな」
王の震える指が、窓枠を掴む。
つい数刻前まで、魔物の侵攻で人類絶滅の瀬戸際だった王都の門。
そこには今、代わりに、天から降臨し、王都の破れた外壁に寸分の狂いもなく打ち込まれた、巨大な白亜の城塞がそびえ立っている。
「先日、余の前に現れたあの『意思を持つ魔道具』……。あれが、友の本体だというのか」
王は絶句していた。
あの日、羽のない鉄の鳥として現れ、酒を酌み交わした奇妙な友。
それが、国を救うために大地を引き剥がし、空を焼き、文字通り「都市」となって駆けつけてきたのだ。
その圧倒的な質量が、王の理解を遥かに超えた場所で、静かに、しかし力強く脈動している。
(……魔族ども。俺がここに来たからには、もう好き勝手はさせないぜ)
俺は、王都の新たな守護神(物理的な蓋)として、どっしりと居座った。
神殿の最深部、俺は新たに獲得した莫大なBPを使い、焼き切れた魔力回路の修復と構造材の強化を即座に開始した。
BPを注ぎ込むたびに、本体のダメージが光の粒子となって修復され、壁面はより強固な、城壁へとアップデートされていく。
自己犠牲で消えるようなタマじゃない。
白亜の城塞が、朝日に輝き、その巨大な影を王都全域に落としていった。




