第32話:砕け散る翼
異変を察知したのは、夜明け前の静寂が最も深まる刻だった。
王都の方角へ飛ばしていた長距離監視用飛行体のセンサーが、突如として異常な熱量を拾い上げる。それは自然界の揺らぎなどではない。空間の階梯を震わせる、巨大で禍々しい魔力のうねりだった。
『警告:王都方位に高密度魔力反応。クラス:災害級。対象数……計測不能』
並列思考の全回路を強制起動する。俺はすぐさまアイテムボックスから、格納スペースに眠っていた予備の飛行体を展開した。一機、二機、四機……いや、足りない。王都には、俺の大事な顧客であるエレノア夫人も、そしてあの生意気だが真っ直ぐな勇者リュシアンもいる。
(……出し惜しみは無しだ。全機、発艦!)
アイテムボックスに秘蔵していた予備パーツを惜しみなく放出し、さらにBPを叩いて最新の軍事ドローンを追加購入。夜明け前の紺碧の空へと、合計五十機の銀翼が鋭い音を立てて射出された。
俺の意識を五十に分割し、それぞれに同期させる。演算リソースが急速に食いつぶされ、コアが悲鳴を上げるが、構わない。
だが、飛行体たちが王都に近づくにつれ、センサーが弾き出す絶望的な光景が、俺の脳内モニターを暗く塗りつぶしていった。
地平線を埋め尽くしているのは、夥しい数の魔物の群れだった。
以前にカザン村を襲ったバストン軍や、これまでの小規模な襲撃など、これに比べれば子供の遊びに過ぎない。それは世界そのものを終わらせるために組織された、文字通りの「終焉の軍勢」だった。
地を這う魔獣が数万。空を覆い、太陽の光を物理的に遮断する翼竜が数千。
その後方に、山のように巨大な影がいくつも聳え立っている。魔族の将軍たちが率いる魔王軍の本隊。王都は今、巨大な顎に飲み込まれようとしていた。
(……まずい。これは、本当にまずいぞ)
王都の第一防壁は、すでに血と鉄の匂いが立ち込める地獄と化していた。
「……はぁ、はぁっ! 死ねっ、この化け物どもがッ!」
城壁の上。勇者リュシアンは、自らの返り血で滑るオリハルコンの聖剣を、折れんばかりの力で振り抜いていた。刃こぼれした聖剣が青白く輝くたびに、飛来する魔物が光の粒になって散る。
だが、一体倒しても十体が来る。空を埋め尽くす翼竜の影が王都を永劫の夜に突き落とそうとしていた。
「リュシアン様! 左翼が……左翼の騎士団が限界です!」
聖女ミリアが、血を流しながら叫ぶ。
彼女は後方で広域光輝結界を展開し続けていたが、その顔は土色に変色し、瞳からは生気が失われつつあった。魂から絞り出すような魔力で維持される結界は、今やひび割れたガラス細工のように脆く、魔族の放つ黒い雷撃に晒されるたびに粉々に砕け散りかけていた。
精鋭を誇った騎士団は既に半数が物言わぬ肉塊と化し、兵士たちは絶望のあまり剣を落とし、ただ死を待つ民衆の悲鳴が王都の石畳を震わせていた。
「……クソが。並列思考、全回路接続!」
その阿鼻叫喚の空に、俺の意識を同期させた飛行体五十機が乱入した。
(弾薬補充リロードは間に合わねぇ! 全機、高圧水流とスタン砲を撃ち尽くしたら、自爆特攻デリートに切り替えろ! 一匹でも多く、俺の顧客から遠ざけろ!)
編隊を組んだ俺の『手足』たちが、猛然と急降下を開始する。
バチバチバチィッ!!
城壁によじ登ろうとしていた巨大なオーガの頭部に、高圧の電流が叩き込まれる。痙攣し、落下していく巨体。
「なんだ!? あの鉄の鳥は!!」
「味方か!? 聖魔導居住圏の『お家様』か!?」
騎士たちが希望を縋るように空を見上げる。
リュシアンが、一瞬だけ空飛ぶ俺と目を合わせた。
「……お家様か!! 遅いぞ!!」
彼は毒づきながらも、その口角を僅かに上げた。俺は飛行体を揺らし、了解の合図を送る。
しかし、戦況は一時の支援で覆せるほど甘くはなかった。
五十機の飛行体は、それぞれの戦域で死力を尽くした。一機は城壁に取りつく魔物をスタン砲で剥がし、一機は傷ついたミリアの周囲を旋回して肉壁となり、残りは空中の飛行魔物と壮絶なドッグファイトを繰り広げる。
だが、数が減らない。倒した端から、後方の魔導師陣地から新たな魔物が召喚され、絶え間なく補給されているのだ。
(……これは、長期戦になれば負ける)
俺の演算装置が、冷酷なまでに「全滅」の確率を弾き出す。リュシアンの剣の振りが、目に見えて遅くなっていく。全身に刻まれた傷から血が噴き出し、聖剣の輝きも鈍っている。ミリアの結界は今や、霧のように薄くなっていた。
そこに、王都全体を震わせるような轟音が響いた。
城門だ。
城門の前に、数体のベヒモスと、それらを操る上位魔族が集結していた。巨大な丸太のような槌が打ち振るわれるたびに、王都の象徴である「白金門」が悲鳴を上げる。
ドォォォォン……! ドォォォォン……!
「城門が! 城門が持たない!!」
兵士の絶望的な叫び。俺は十機の飛行体を城門へ急行させた。スタン砲を連射し、ベヒモスの急所を狙い撃つ。だが、魔物たちの皮膚は岩のように厚く、電流は皮下脂肪に吸い込まれて消える。
(火力が……足りない。俺が『家』そのものとしてここにいれば、魔導カノンで一掃できるのに!)
悔しさが、回線を焼き切るような熱となって俺を襲う。その瞬間、魔族側の反撃が始まった。
上空で待機していた魔導師たちが、俺のドローンを標的に定めたのだ。漆黒の魔弾が空を走り、俺の視界を次々と奪っていく。
ドゴォォォォォン!
「ガッ……!? 三番機、五番機、大破っ……!」
ドローンが壊されるたびに、俺に分割体の意識が戻って来る。撃墜時のフィードバックは、直接脳を焼くような激痛となって本体を襲う。視界が欠け、処理能力が物理的に削ぎ落とされていく。
一機、また一機と、俺の「目」と「手」が火を噴き、無残な鉄クズとなって王都の地上へと叩きつけられていく。
(ここには守るべき者がいるんだ、ミア、ルカ……!)
だが、冷酷な現実は俺の意思など簡単に踏みにじる。
ドォォォォォンッ!!
ついに、白金門が耐えきれずに爆発した。
粉砕された鉄の扉が瓦礫となって内側へ降り注ぎ、勝ち誇った魔族たちが、黒い濁流となって王都の中へと雪崩れ込んでいく。
「城門突破!! 城門が破られたぞ!!」
悲鳴が、阿鼻叫喚の地獄へと変わる。リュシアンが城壁から飛び降り、単身でその濁流に斬り込んでいくのが見えた。
「リュシアン、無茶よ!!」
ミリアの声も、数万の咆哮にかき消される。
俺は残された最後の三機を、無理やり王都の内側へ突入させた。スタン砲はもう撃てない。エネルギーを使い果たした機体は、ただの鉄の塊として、魔物の群れに自爆特攻を仕掛けるしかなかった。
ドォォォン! ドォォォン!
二機が散った。
最後の視界が捉えたのは、逃げ惑う親子と、その背後に迫る魔族の凶刃だった。子供の泣き声が、俺の集音センサーを震わせる。
(……届かない。俺の飛行体は、あと一機しかない。この一機で、誰を救えるっていうんだ)
ミア。ルカ。カシム。
そして、今目の前で食い殺されようとしている、名も知らぬ王都の子供。
最後のドローンが叩き落とされた。
視界が、完全に途切れる。
俺の意識は、強制的に闇へと引き戻された。
王都の象徴だった門は瓦礫の山と化し、その上を魔物の足が踏み荒らしていく。
瓦礫の山となった門の向こう側から、陽光を食い破るような不浄な咆哮が響き渡った。
白金門を突破した魔族の先遣隊――漆黒の甲冑に身を包んだ「魔将」の一団が、悠然と街の中へと足を踏み入れる。彼らにとって、この王都はもはや要塞ではなく、ただの巨大な屠畜場に過ぎなかった。
石畳の上を流れる鮮血が、幾筋もの赤い川となって排水溝へ吸い込まれていく。つい数刻前まで、朝の市場の支度に追われていたはずの通りは、今やちぎれた四肢とひしゃげた兜が散乱する無間地獄へと変貌していた。
「リシュアン様……ッ!!」
ミリアの声は、もはや悲鳴にすらなっていなかった。
視界の端で、リュシアンを包囲する魔物の輪が一段と小さくなる。彼はボロボロになった聖剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、無慈悲に振り下ろされたオーガの棍棒が、その背を再び地面へと叩きつけた。
かつて世界を救うと謳われた勇者の背中が、あまりにも小さく、あまりにも無力に震えていた。
空からは、俺の飛ばした五十機の飛行体の残骸が、雨のように降り注いでいた。
銀色の翼は無残に折れ曲がり、スタン砲の銃身は魔族の膂力によって飴細工のように捻じ切られている。希望の象徴として空を舞っていた「鉄の鳥」たちは、今や魔物たちの足元で無意味なガラクタとして踏みにじられ、粉々に砕かれていく。
通信が途絶えた後の、この圧倒的な「静寂」。
救えなかった。
あんなに贅沢な資材を使い、BPを湯水のように注ぎ込んで強化したはずの武装も、数万という圧倒的な暴力の前では一瞬の足止めにすらならなかった。
王宮の尖塔が、上空を旋回する翼竜の体当たりによってゆっくりと崩落していく。王都の誇り、歴史、そしてそこに生きる人々の営みが、重力に従って瓦礫へと還っていく。その轟音さえも、城内に雪崩れ込む魔族たちの勝ち誇った哄笑にかき消されていった。
「あ……あああ……」
ミリアは、崩れ落ちた聖壁の欠片に縋り付き、ただ震えていた。
彼女の目の前を、巨大なサイクロプスが通り過ぎていく。その足が、力尽きた兵士たちの遺体を無造作に踏み潰すたびに、鈍い音が響く。救いを求める手は誰にも届かず、祈りは空虚な大気の中に溶けて消えた。
王都を包む空気は、もはや酸素ではなく、死の臭いと焦燥感に満ちた毒気に変わっている。これが敗北だ。
俺が遠い場所でぬくぬくと「家」として根を張り、安全な場所から遠隔操作で手助けをしようなどという傲慢な甘えが招いた、最悪の結末。
門を突き破った魔物の群れは、王都の心臓部を目指してさらに速度を上げる。逃げ場を失った民衆は、袋小路に追い詰められ、背後の壁を叩きながら絶眼を上げる。だが、その壁の向こう側もまた、すでに魔族の手に落ちていた。
かつて栄華を極めた白壁の街路は、今や見る影もなく、炎と絶望に焼き尽くされていく。人類の拠り所、希望の象徴、そのすべてが歴史の闇に葬り去られようとしていた。
俺という存在の無力さを笑うように、王都の空には黒煙が渦巻き、太陽を完全に覆い隠してしまった。
完全なる闇。
門が破られた。
それは、単なる防壁の喪失ではない。
王都の終わり。人類の敗北。そして、俺という存在の無力さを突きつける「死」の宣告だった。
人類の、終わりの朝が来たのだ。




