第30話 魔族の罠
王都の夜は、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
石畳を踏む酔客の足音が遠ざかり、ランタンの灯りが一つ、また一つと消えていく。その静寂の中で、俺は王宮の外壁から離れた路地に車体を停め、ドローンを王都の上空に展開していた。
王との謁見から三日が経っていた。
あの日、廊下の角で拾った密談が、ずっと頭の中に引っかかっている。
「魔王の残滓を探している」
「魔族の一派が、復活を目論んでいる」
俺は念のため、その日から王都周辺に展開するドローンの数を増やした。現在、十二機が王都上空と郊外を二十四時間体制でカバーしている。集音センサーを最大感度に設定し、半径十キロ圏内の音声を拾い続けている。
そして昨夜、ドローンの一機が引っかかった。
王都の西、廃墟となった旧市街の外れ。人が住まなくなって久しいその場所で、複数の「人間ではない」声がしていた。
◇
魔族、という存在がいる。
魔物とは根本的に違う。
魔物は本能で動く。腹が減れば食らい、縄張りに入れば攻撃する。知性はない。策略もない。脅威ではあるが、予測できる。
だが、魔族は違う。
言葉を話す。計画を立てる。嘘をつく。そして何より、長期的な目標のために動く。
俺がドローンのセンサーで拾った声は、明確に「言語」だった。抑揚も、語彙も、人間のそれと遜色ない。だが、その声に宿る「質」が違う。古い。重い。この世のものではない何かが、言葉の奥に滲んでいた。
俺が転生した際に得たスキルの一つ、「異世界言語理解」。普段は意識することもない地味なスキルだが、今この瞬間、それが存分に機能していた。
「……情報は流した。勇者はすでに動いている」
「場所の特定は?」
「させてある。王都西の廃墟、『赤い塔』の跡地。あそこに『魔族の残党が潜伏している』という噂を流した。勇者ならば、必ず調べに来る。あの男は正義感が強すぎる。餌に食いつかずにはいられない」
「待ち伏せの準備は」
「完璧だ。準備には八体を配置した。入り口に二、二階に二、地下に四。勇者一人ならば十分すぎる数だ」
「念には念を入れよ。勇者は侮れない」
「分かっている。……だが今回ばかりは完璧な罠だ。情報源も、噂の流れも、すべて俺たちが仕込んだ。勇者はただの鼠が、こちらの仕掛けた罠に入るように動くだけだ」
(……最初から罠か)
俺は情報を整理した。
魔族は自ら情報を流した。「魔族の残党が赤い塔にいる」という噂を、意図的に王都中に撒いた。それを聞いたリュシアンが動く。そこを待ち伏せして勇者を始末する計画だ。
巧妙だ。人間の情報網を逆用した、手の込んだ罠だ。
だが、一つだけ計算が狂っている。
俺が、この計画を最初から全部聞いていた。
(……逆に使えるな)
◇
翌朝、俺はリュシアンに接触した。
ドローンを冒険者ギルドまで飛ばし、リュシアンの前でホバリングさせる。彼は朝食のパンを齧りながら、鬱陶しそうにドローンを見た。
「……お家様か。なんだ、朝から」
俺はドローンを小刻みに揺らして、カシムを呼んだ。
カシムが帳簿を抱えたまま歩み寄り、リュシアンを見て、ドローンを見て、すでに何かを察した顔で口を開いた。
「……リュシアン様。お家様が仰るには、赤い塔の件は罠、魔族の待ち伏せがある、しかしお家様がすでに先回りをしておられる、ゆえに予定通り向かってほしい、ということかと」
(……カシム、お前は本当に恐ろしい男だ。俺はドローンをちょっと揺らしただけだぞ)
リュシアンが羊皮紙をもらったわけでもなく、ただカシムの訳を聞いて、静かに頷いた。
「……罠だと知った上で行けってことか」
「さようでございます」
「俺が先に仕掛けを無力化しておくから、お前は表から入るだけでいい、ということだな」
「まさに」
「……なんで俺に全部説明できないんだ。お家様、喋れるようになれよ」
(……俺もそう思う)
ドローンを横に揺らした。リュシアンが苦笑した。
「分かった。信用する。行ってみる」
ミリアが隣でため息をついた。
「……また何か危ないことをするの?」
「お家様が先手を打ってくれてるらしい。大丈夫だ」
「その『大丈夫』、何回聞いたかしら」
◇
赤い塔の跡地は、王都西の外れにある。
かつて魔法使いが住んでいたという古い塔の廃墟だ。今は崩れた石壁だけが残り、蔦と草に覆われて人気がない。近隣の住人たちは昼でもここには近づかない。それほど、この場所は「嫌な空気」を漂わせていた。
魔族が潜伏するには、うってつけの場所だ。
俺は前夜のうちに、ドローンを八機この周辺に展開していた。
魔族の待ち伏せポイントは三か所確認していた。廃墟の入り口の両脇に各一体、塔の二階の崩れた窓に二体、そして地下への入り口付近に四体。合計八体。昨夜の会話通りだ。
(……全員の位置を把握している)
まず、魔族たちの通信を遮断する。
魔族は魔力による精神感応で連絡を取り合っている。複数のドローンから、妨害用の電磁波と魔力撹乱のパルスを同時に発射した。これで、魔族たちはお互いの位置と状況を把握できなくなる。孤立した状態で各個撃破する。敵の連絡線を断ち切ってから各個撃破する、古典的な戦術だ。
次に、地下への入り口付近の四体。
スタン砲を一斉に放った。
バチバチバチバチッ!!
くぐもった衝撃音が、廃墟の地下から漏れてくる。短い呻き声。それから、静寂。
続いて、塔の二階の二体。
ドローンを窓の外から音もなく接近させ、気づかれる前に最大出力の電撃を叩き込む。
どさり、どさり、という重い音が続いた。
残るは入り口両脇の二体だ。
こいつらはリュシアンに任せる。
通信を遮断されたこいつらは、仲間が全滅したことを知らない。ただ、勇者が来るのを待っている。
◇
昼前、リュシアンが廃墟に近づいてきた。
剣を右手に、油断なく周囲を見ながら歩いてくる。その目は冷静だ。罠だと知った上で来ているのだから当然だが、それでも歩みに迷いがない。
入り口両脇の魔族が、静かに構えた。
(……こいつらは、まだ仲間が全滅したことを知らない。通信を遮断しているから)
リュシアンが入り口に踏み込んだ瞬間、両脇から魔族が飛び出した。
だが、リュシアンはすでに反応していた。
「シャイニング・スラッシュ!!」
一閃。
オリハルコンの剣が光を帯び、斬撃が走る。
右の魔族が両断された。
返す刀で、左の魔族を袈裟に斬り下ろす。
二体が沈黙した。
リュシアンが息を整えながら、廃墟の中を見渡した。
「……静かだな。もう片付いてるのか、お家様」
ドローンが入り口の上でホバリングしながら、一度上下に揺れた。
「……そうか。助かった」
リュシアンが廃墟の奥へ進んでいく。
地下への階段を降りると、スタン砲で昏倒した四体の魔族が転がっていた。縄で縛られている。俺のドローンが事前に結束バンドで固定しておいたものだ。
「……全員生け捕りか」
ドローンが上下に揺れた。
「こっちの方が情報が取れるな。……お家様、お前は頭がいいな」
(……当たり前だ)
チャリン。
【通知:魔族討伐 ――+3,200BP】
【通知:勇者との連携による戦略的勝利 ――+1,800BP】
◇
生け捕りにした魔族の尋問は、カシムが仕切った。
カシムはなぜか、この手の交渉が異様にうまい。圧力のかけ方と、情報の引き出し方が、前世の優秀な刑事か、あるいは敏腕の交渉人を思わせる。縛られた魔族を前に、にこやかに帳簿を開きながら「さあ、話していただきましょうか。もちろん、誠実にお答えいただければ、相応の対応をいたしますよ」と言える人間は、そうそういない。
魔族が吐いた情報は三点だった。
一つ目。魔王の「核の欠片」は、すでに一か所に集まりつつある。魔王本体が砕けた際に飛散した力の残滓が、何者かによって少しずつ回収・集積されているという。場所は不明だが、かなりの量が揃ってきているとの話だ。
二つ目。魔族の中に、魔王の復活を望む派閥と、望まない派閥がある。今回の「勇者抹殺計画」は、復活を望む強硬派の独断だった。魔族全体の総意ではない。
三つ目。強硬派のリーダーは、まだ王都周辺に潜んでいる。
(……欠片が、すでに集まりつつある)
俺は記録を整理しながら、静かに考えた。
散らばっているならまだ時間があった。だが、誰かが意図的に集めているなら話が変わる。集積が完了する前に動く必要がある。
(……次の問題が見えてきた。しかも、想定より速い)
リュシアンが、縛られた魔族の一体を見下ろしながら言った。
「……魔王の欠片が集まりつつある、か。完全に復活する前に止めないといけないな」
ドローンが静かに上下に揺れた。
「……場所の手がかりは?」
横に揺れた。
「……そうか。まず探すところからか。お家様、引き続き情報収集を頼む」
リュシアンが、オリハルコンの剣を鞘に収めた。その顔に、疲れはない。むしろ、静かな決意がある。
「……お家様。お前が先に動いてくれたから、今日は誰も死ななかった。ありがとうな」
ドローンが一度、ゆっくりと上下に揺れた。
チャリン。
【通知:勇者からの感謝 ――+200BP】
(……この200BPが、一番重い気がするな)
◇
その日の夜、俺はミアたちに状況を説明した。
正確には、カシムが俺の代わりに説明した。カシムが要点をまとめて話し、俺のドローンが肯定と否定で応答する。かなり不便なコミュニケーションだが、もう慣れた。
「……魔王の欠片が、もう集まってきてる」
ミアが静かに繰り返した。
車内の空気が、少し重くなった。ルカが、カニのぬいぐるみを抱えたまま黙っている。
「……お家様、また戦うの?」
俺はしばらく考えた。
戦いたいわけじゃない。でも、放置もできない。知ってしまった以上、動かないという選択肢は俺にはない。
ドローンを一度上下に揺らした。
「……そっか」
ミアが俺の車体に手を当てた。
「……帰ってくるって、約束してくれる?」
俺は石畳を一度温めた。
それが答えだと、ミアは分かってくれた。
「……分かった。信じます」
チャリン。
【通知:家人からの深い信頼 ――+500BP】
(……この500BPが、全部の中で一番大切だ)
王都の夜空の下、俺は静かにエンジンを落とした。
次の脅威がどこから来るかは、まだ分からない。でも、俺には十二機のドローンがある。広域センサーがある。アイテムボックスがある。そして、信頼できる仲間がいる。
ボロ小屋から始まった話が、いつの間にか世界の平和を守る話になっていた。
まあ、悪くない。




