第29話 王との謁見
王宮の正門前は、静かな、しかし肌を刺すような緊張に包まれていた。
石造りの壮麗な建築を背景に、衛兵たちが規律正しく整列し、深紅の外套をまとった儀仗兵が鋭い槍の穂先を天に向けている。貴族たちの馬車が脇に寄せられ、本来なら王族しか通らぬはずの正門の大扉だけが、重々しく開かれていた。
その巨大な門の前に、馬のいない「鉄の塊」が一台、静かに停車している。
俺だ。
「……お家様、本当によろしいのですか。王からの召喚状を直接いただきながら、こうして外でお待ちになるとは。これは……王への『格の違い』を見せつけるための無言の示威行為ですな?」
カシムが車体の側に立ち、感極まったような顔で、深々と頷きながら確認してきた。
(……いや、違う。俺が中に入ったら、タイヤで大理石の床をボロボロにするし、排気ガスで王宮が煤けるだろ。それに何より、エンジンをかけたまま謁見の間に入ったら衛兵が卒倒する。お前が代表して行ってこい)
俺は否定のつもりで、車体を「フンッ」と一度、サスペンションを軋ませて沈み込ませた。
「なるほど! 『余の器はこの門には収まらぬ。狭き門をくぐるのは凡夫の役目よ』……と。承知いたしました。その傲岸不遜なまでの風格、このカシムが責任を持って王へ、そして並み居る貴族どもへ叩きつけてまいります。カッカッカ!」
(……一言もそんなこと言ってねぇよ! 謙虚な配慮なんだって! おい、戻れカシム! その『カッカッカ』をやめろ!)
俺の必死のハザード点滅も、カシムには「勝利の合図」にしか見えなかったらしい。彼は帳簿を脇に抱え直し、衿を正すと、英雄のような足取りで正門をくぐっていった。
俺は車体モードのまま、王宮の外壁沿いに静かに移動した。外からセンサーの感度を最大まで引き上げ、王宮内部に意識を伸ばす。石造りの分厚い壁も、今の俺の電子的な感覚器の前には薄い紙と同じだ。
◇
謁見の間は、予想通り、重苦しい空気が漂っていた。
俺のセンサーが拾う音で、中の状況が立体的に浮かび上がる。
数多の貴族たちの衣擦れ。重厚な足音。そして、王座に座る男の落ち着いた吐息。
カシムが進み出る。
「……カザン村、聖魔導居住圏の代理人、カシムと申します。此度は、王よりお招きいただき、光栄の至りでございます」
「うむ。面を上げよ」
低い、しかし威厳のある声。王都の治安を乱した犯罪組織の捕縛や、未曾有の炊き出しをやってのけた正体不明の存在に対し、王自らが動いたのだ。
「単刀直入に聞く。カザン村の『お家様』とやら、一体何者なのだ。凶悪な犯罪者を一瞬で捕らえ、贅を尽くした炊き出しを行い、スラムの住民に職を与え、果ては事故物件の呪いまで解いたと聞く。……余は、我が国に突如現れたこの不可解な隣人の正体を知りたい」
カシムが、わざとらしく、恭しく間を置いた。
「……お家様は、この世界の既存の枠組みには収まらぬ御方。冒険者ギルドへの正式な登録種別は『意思を持つ魔道具』……すなわち、神の如き知性を持った鉄の馬車にございます」
「魔道具だと? ……魔道具が、これほど短期間に王都の懸念を次々と解決したのか」
「はい。馬はおりません。自力で大地を駆け、その腹には無限の物資を蓄え、空をも自在に舞う。今も王宮の外で、この国の行く末を静かに見守っておいでです」
「……なぜここに来ぬ。余の招きを拒むというのか」
王の問いに、カシムは不敵に微笑んだ(音がした)。
「『王宮の静寂を乱すには及ばぬ。余の存在そのものが、貴公らの度肝を抜いてしまうからな』。お家様は、そう仰って外で控えておいでです。何より、お家様の真の姿を拝むには、この王宮は少々……狭すぎるのでございますよ」
(……嘘をつくな!! カシム、お前、さっきの俺の動作をどう翻訳したらそうなるんだよ!)
謁見の間が、ざわめきに包まれた。王はしばし沈黙し、やがて絞り出すように言った。
「……余は今、世界で最も説明に困る状況に置かれている気がする。だが……事実は事実だ。馬のない馬車が、王都に多大なる貢献をしたのだな」
「さようでございます」
チャリン。
【通知:不敵な態度の演出による威圧 ―― +500BP】
(……嬉しくないボーナスが入った!)
◇
謁見は一刻ほど続いた。
王はカシムに様々なことを尋ねた。カザン村の現状。炊き出しの資金源。スラムの就労支援の目的。王都本店の建設計画。
カシムはすべてに答え、時に俺の意図を(最悪の方向に)代弁した。
「王よ、お家様より献上の品がございます。ただ……直接お届けするため、お家様の『使い』をここへ通していただけますでしょうか」
「使いだと? ……入れよ」
俺はもう一つの意識を分割したドローンを一機、中庭の窓から滑り込ませた。謁見の間の重厚な扉をくぐり、ドローンが王座の前でホバリングする。衛兵たちが槍を構えたまま硬直する音が聞こえる。
「……なんだ、この鉄の鳥は。魔力も感じぬのに、なぜ浮いている」
「これもお家様の権能の一部にございます」
俺はドローンのアームを使い、アイテムボックスから三本の酒瓶を取り出した。
一本目。琥珀色に輝く、十八年物のウイスキー。
二本目。日本の技術が凝縮された、純米大吟醸。
三本目。緑のボトルに入った、スパークリングワイン。
カシムが芝居がかった手つきで、王の前に置かれた杯に酒を注ぐ。
「この琥珀色の酒は、時の結晶。十八年という歳月を、特殊な木樽の中で眠らせ、概念を抽出した『精髄』にございます。お家様は『この程度の熟成、私の瞬き一つに等しい』と豪語しておられました」
(……言ってない! 酒蔵のオヤジでもそんなこと言わねぇよ!)
王がウイスキーを一口含み、その場で凍り付いた。
「……っ!! 甘い、が、それだけではない。香りが……まるで果実の森を丸ごと呑み込んだようだ。この温かさは何だ。胃の腑から力が湧いてくる。……十八年だと? そんな歳月をかけて、これほど純粋な酒を造るというのか」
次に純米大吟醸。王がゆっくりと口をつける。
「……米の酒か。だが、我が国の濁った酒とは別物だ。透明で、水のように清らかでありながら、喉を通る瞬間に深い旨味が爆発する。……お家様とは、神の料理人でもあるのか?」
「お家様にとって、これらは『日常の飲み水』に過ぎません」
(……カシム! 盛りすぎだ! 俺は普段、ガソリン(軽油)と緑茶しか飲んでねぇよ!)
最後にスパークリングワイン。グラスに注いだ瞬間、シュワシュワと細かい泡が立ち上った。
謁見の間の全員が、その光景に固まった。
「泡が……生きているように踊っている。お家様は、酒の中に星々の吐息をも閉じ込めるのか」
王が一口飲んで、思わず吹き出すように笑った。
「はははっ! なんだこれは! 舌の上で弾ける。心地よい刺激だ。……カシムよ、お家様という御方は、これほどの贅を尽くした世界に住んでおいでなのか」
チャリン。
【通知:王の歓心を得た ―― +1,500BP】
【通知:国家元首との友誼の端緒 ―― 期待BP還元率:極大】
(……よし、落ちた。落ちたけど、俺のハードルが成層圏まで上がってる気がする)
◇
宴のような空気の中、カシムは本題である金属加工の話に移った。
ドローンのアームが取り出したのは、現代工業の粋を集めた、チタン配合鋼の折りたたみナイフだ。
「王よ、これをお受け取りください。お家様が『この国の鍛冶師があまりに不憫なので、手本を見せてやる』と仰って用意した一品です」
(……カシム、お前は俺を全方位に喧嘩を売るスタイルにするつもりか!?)
王が手に取り、刃を見た。その瞬間、王の顔から笑みが消えた。
「……なんだ、この刃の均一さは。歪みが一切ない。磨き上げられた鏡のようだ。……我が国の最高の国宝級鍛冶師が、十年の歳月をかけて打つ剣ですら、ここまでの精度は出せぬぞ」
「機械と申す神の道具で成形したものでございます。職人の気まぐれな技ではなく、設計図という名の『絶対の理』が再現性を保証します。お家様は仰いました。『このような物は、私の工場では雨粒のように生産できる。王よ、望むならこの国の全兵士にこれを与えてやってもよいぞ』と」
(……言・っ・て・な・い!! カシム!! 俺のBPが破産するわ! 全軍にナイフ支給なんて、どれだけのコストがかかると思ってるんだ!)
王が顔を上げた。その目は、もはや一介の代理人を見るものではなかった。
「……全兵士に、この神の如き刃を? 冗談ではあるまいな。……お家様は、一体何を望んでおられる」
「友誼にございます。金でも領地でもございません。お家様と王国が、対等の友として歩むこと。……お家様は『私がその気になれば、この国を一夜で鋼鉄の要塞に変えることもできるが、私は君の心が気に入ったのだ』と、そう仰っております」
(……カシム、お前、詐欺師の才能がありすぎるぞ……)
謁見の間が、しんと静まり返った。
王がしばらく考えた後、椅子から立ち上がり、窓の外――俺がいるであろう方向――を見据えた。
「……余に、そのような超越者と友誼を求める資格があるかは分からぬ。だが、お家様の慈愛と、その圧倒的な力に応えたいと思う心は真実だ。……お家様を、我が王国の『最高名誉友人』として迎え入れよう!」
チャリン。
【通知:王国との友誼(一方的な重契約)締結 ―― +5,000BP】
◇
その時だった。
俺のセンサーが、別の音を拾った。
謁見の間ではない。王宮の奥、さらに深い場所にある廊下の角だ。二人の人間が、周囲を警戒しながら小声で話している。
俺はセンサーの指向性を絞り込み、その声を拾い上げた。
「……例の件、動きがあった」
「魔族か」
「ああ。南の国境付近で、複数の魔族の斥候が確認されている。目的は不明だが……魔王の『残滓』を探しているという噂が」
「魔王の残滓か、我々には召喚された勇者リュシアンがいるが……」
「消滅したはずの力が、一部だけどこかに残っているという話だ。魔族の一派が、その復活を目論んでいるとの報告が入っている」
「……王に報告するか」
「まだだ。確証がない。下手に騒げば混乱を招く」
声が遠ざかった。
(……魔王の復活。残滓か。……まだ復活はしてないようだが、勇者が召喚されたんだ、そのうち復活するんだろうな……)
俺は静かに、その情報を記憶領域に刻み込んだ。
今はまだ、俺が動くべき時ではない。だが、知っておく必要がある。
◇
謁見が終わり、カシムが正門から出てきた。その表情は、まるで世界を征服した後の天下の大将軍のように晴れやかだった。
「お家様! 大・成・功でございます! 王はお家様の『底知れぬ慈愛と不遜さ』に心酔しておられましたぞ! 王都での商業活動どころか、軍事顧問のような立場まで用意されそうです!」
(……カシム、お前……一回、話し合おうか。な?)
俺は、カシムの暴走を止めるため、そして先ほどの不穏な情報を伝えるために動いた。
喋ることも、紙に文字を書くことも、プリントアウトすることもできない俺が取った手段は、ドローンによる「物理的な指し示し」と「警告」だ。
俺はドローンを再び飛ばし、王宮の奥――先ほど魔族の話が出ていた方向――へ向かわせた。
そしてドローンをその場でホバリングさせ、機体のLEDを「血のような赤色」に変えて激しく点滅させた。さらに、ドローンのアームを使い、空中で「何かを切り裂くような」威嚇の動作を繰り返す。
「お家様……? 突然ドローンをあの方向に飛ばし、赤色を灯されるとは。……まさか」
カシムの目が鋭く光った。
「あの先には王宮の深部、軍の機密区画がございます。……そこで、お家様のセンサーが『血の色をした不浄な気配』を感じ取った、ということですね?」
(……お、おお。珍しく察しが良いな。そうだ、そこで魔族の話をしてた連中がいたんだ)
俺は肯定の意味を込め、車体のパッシングを二回。さらに、ドローンを地面に降ろし、アームで土の上に「×」の印を力強く刻んだ。
「なるほど! 『その場所に潜む不浄……魔族の残党どもを、一匹残らず抹殺せよ』。……そう仰るわけですな! お家様の慈愛に甘えようとする魔の者どもを、このカシム、徹底的に調査し、根絶やしにする準備を整えます!」
(……いや、「抹殺」とか「根絶やし」とかは言ってない! 「不穏な動きがあるから調べろ」って言いたいだけだ! なんでお前は、俺の意図を常に武力行使に変換するんだよ!)
ミアが俺の車体に手を当て、心配そうに見上げた。
「……お家様、なんだかライトが凄くチカチカしてる。怒ってるの?」
「お家様は今、この国を脅かす影に対して、神の如き義憤を燃やしておられるのです、ミア嬢!」
(……違う、知恵熱だ。カシムの通訳があまりに酷すぎて、エンジンがオーバーヒートしそうなんだよ!)
俺は重い溜息(排気音)を一つ吐き、エンジンを静かに起動した。
王との友誼は得た。後ろ盾も完璧だ。
だが同時に、俺の知らないところで「鋼鉄の神」としての伝説と「魔族殲滅」の意志が、カシムの手によって勝手に捏造され、独り歩きを始めてしまった。
夕暮れの王都を走る俺のエンジン音は、カシムには「勝利の凱歌」に、俺には「明日への溜息」に聞こえていた。




