第28話 王都に咲く、百合の再臨
王都の北門。
この国の心臓部とも言えるその場所を、俺(車体モード)は静かに潜り抜けた。
石畳を叩く駆動音は、極限まで抑えた低周波のハミングへと調整済みだ。
だが、俺が発する「異質さ」までは隠しきれない。
馬もいないのに滑るように進む鉄の塊。
その光沢。その無機質な威圧感。
通行人たちが足を止め、衛兵が槍の石突を鳴らして立ち尽くす。
そんな喧騒の先、王都の一等地に鎮座する白銀の騎兵団が静かに道を空けた。
百合と剣の紋章。
馬車から降り立ったのは、エレノア・ド・ローゼルス伯爵夫人だった。
彼女は周囲の視線を気にする様子もなく、むしろ「これこそが私の誇りよ」と言いたげな表情で俺のフロントグリルに歩み寄った。
「……お久しぶりですわ、お家様」
彼女がそっと、手袋越しに俺の車体に触れる。
俺の表面温度センサーが、彼女の指先から伝わる微かな震えを拾う。
それは恐怖ではなく、再会を待ちわびた熱だった。
(……相変わらず、この夫人の適応能力は異常だな)
プシュッ、とエアサスペンションの音が響き、ドアが開放される。
「エレノア様!」
「夫人、また会えたね!」
ミアとルカが飛び出した。
「まあ、ミア。ルカ。本当に元気そうで嬉しいわ。……お家様、我が家へようこそ。ここでは、どんな『邪魔』も私がお守りいたしますわ」
夫人がそう宣言した瞬間、俺の周辺にいた重装騎士たちが一斉に礼を尽くした。
◇
ローゼルス伯爵邸は、歴史の重みを感じさせる壮麗な建築物だった。
だが、俺の広域センサーが邸内をスキャンした瞬間、数々の「非効率」と「不衛生」がアラートを上げた。
豪華なタペストリーの裏側に蓄積した湿気と微細なカビ。
使用人たちの移動距離が不必要に長い、導線の不備。
石造りの壁が熱を奪い、夫人の寝室周辺に溜まっている冷え。
(……これだけの権力がありながら、環境管理はやはり中世レベルなのは仕方ないか)
俺は客間に案内されるなり、カシムに目配せを送った。
「承知いたしました。……夫人、お家様が『この部屋の空気は淀んでいる』と仰っております。今夜の施術に向けて、少しだけ整えさせていただきますな」
カシムが慣れた手つきで、俺から射出された魔導空気清浄機を配置していく。
俺は部屋の一角に意識を集中させた。
BPショップから取り寄せた特殊な香炉。浮遊型の微振動マッサージ器具。それらを念力で滞空させ、俺の魔力に直接接続された「疑似サロンルーム」を構築する。
「……人がいないのに、道具たちがまるでダンスをしているようですわね」
夫人がうっとりとソファーに身を沈める。
俺は慎重に、彼女のバイタルデータを読み取った。
王都での社交界、不誠実な子爵との交渉。
彼女の神経系は、極限まで張り詰めた鋼の糸のようになっていた。
(……よし。まずは神経の興奮を鎮める『風』の波動からだ)
全属性魔法を複合的に編み上げ、目に見えない無数の「魔法の指」が彼女を包み込む。
温熱、加圧、振動、そして細胞レベルでの活性化。
「あ……っ……う……」
夫人の口から、気品を忘れたような吐息がこぼれる。
一時間後、施術を終えた彼女の肌は、内側から発光するような透明感を取り戻していた。
澱んでいた血流は俺の理想とする流速へと整えられ、自律神経のバランスは完璧な波形を描いている。
「お家様……。……私、もうこの心地よさを知る前の自分には、戻れそうにありませんわ」
彼女はフラフラと立ち上がり、感謝の言葉と共に部屋を後にした。
◇
夜も更け、俺のコア付近ではミアとルカが寝静まっていた。
だが、俺の感覚器が邸内の異常を察知した。
伯爵夫妻の主寝室から、凄まじい「生命エネルギー」のスパイクが発生しているのだ。
【生命エネルギー検知:ローゼルス伯爵】
【活動強度:極大(戦闘訓練、または激しい運動に相当)】
【バイタル:心拍数上昇、血圧上昇、発汗……継続中】
(……ああ。やっぱりそうなるか)
俺の施術を受けた夫人の体は、今や「生命力の塊」だ。
長年、冷えと疲れで停滞していた夫婦仲に、俺という名の「強烈なブースター」が投入された結果である。
その時。
ルカが寝返りを打ち、眠そうな目をこすりながら起き上がった。
「……お家様。なんだか、あっちのほうで大きいワンちゃんが吠えてるみたいな音がする」
俺は戦慄した。
(……しまった。防音対策が内側だけだった。外部音のフィルタリング感度を最大にしろ!)
俺は慌てて、車体周辺にサイレンスの魔導障壁を二重に展開した。
ミアも薄っすらと目を覚ます。
彼女はルカより少し年上で、スラムで育った経験からか、何となく「察している」ような微妙な表情を浮かべていた。
「……お家様。あの、伯爵様たち……すごく元気なんだね」
(……ミア、その純粋な瞳で俺を評価するのをやめてくれ。俺はただ、夫人の自律神経を整えただけなんだ!)
前世の社畜時代でも、部下のハラスメント教育や不倫トラブルの裁定はあったが、まさか異世界で「客の夜の営みの防音」に悩まされるとは。
(……よし、ルカ。あれは『深夜の特別訓練』だ。伯爵様は王都を守るために、夜な夜な自分の限界を超えようとしているんだ。だから今は静かに寝るのが一番の協力だぞ)
俺は換気窓をトントンと優しく叩き、子守唄代わりの微細な振動を送った。
ルカは「訓練……すごいんだねぇ」と納得したように目を閉じ、ミアはため息をついて背中を向けた。
……明日、ミアにどんな顔をすればいいのか、俺には分からない。
◇
朝が来た。
主寝室から出てきたローゼルス伯爵は、まるで脱皮したての蛇のような、不気味なまでの活気に満ち溢れていた。
「お家様! 感謝する、感謝してもしきれんぞ!」
伯爵は俺の正面に立ち、感極まった様子で叫んだ。
「以前の奇跡も素晴らしかったが、今夜は一体何が起きたのだ! 我が妻エレノアが、初夜の時よりも瑞々しく情熱的で……! 私は今、自分の家系に新たな太陽が昇ったような気分だ! この奇跡への対価、望むままに持っていくがいい!」
俺のコアに通知が走った。
【通知:伯爵の生命エネルギーが活性化 ―― +150BP】
【通知:夫婦の絆の劇的な再構築を確認 ―― +250BP】
(……うん。このくらいが妥当だな)
エレノア夫人が夫の隣に立ち、少し頬を染めながらも、いつもの凛とした顔で俺を見た。
「お家様。……本当に、ありがとうございます。ところで、昨夜の施術の間に、邸内をご覧になったかと思いますが」
(……見た。換気の問題と、主寝室の冷えは、次回来た時に改善してやる)
カシムが俺の意図を汲んでそう伝えると、夫人は静かに頷いた。
「実は、もう一つお願いがあるのです」
◇
伯爵夫人に案内されて向かったのは、王都の裏通りにある一軒の屋敷だった。
外壁は黒ずんで剥がれ、庭の木は枯れ、正面の窓には「立入禁止」の木板が打ち付けられている。
「カミール子爵の別邸です。かつては高名な魔法使いが暮らしていたとかで、今は誰も近づかない。十年前から呪われているという噂で……」
夫人が眉を顰めた。
「スラムの子供たちが夜中に近づいて、翌朝から頭痛と幻覚を訴えるようになりまして。本当に呪いなのか、それとも別の何かなのか……。お家様ならば、真相をお分かりになると思って」
俺はセンサーをフル稼働させ、屋敷の内部を精査した。
反応が出た。
地下から、じわじわと滲み出す有害物質の気流。
古い鉛製の排水管が腐食し、そこに繁殖した猛毒の黒カビが、胞子を撒き続けていた。
幻覚、頭痛、倦怠感、最悪死に至る。これを「呪い」と言わずして何と言う。
(……呪いの正体は黒カビと鉛の複合汚染か。科学の敗北、魔法の誤解だ)
俺はカシムに向けて、ドローンのボディを揺らして違うとジェスチャーをした。
「……呪いではない、と。何らかの毒素の類、ということですな」
上下に揺らす。
エレノア夫人が、ほっと息を吐いた。
「では、取り除けると?」
力強く上下に揺らした。
その瞬間、後ろから声が上がった。
「では、この屋敷、差し上げましょう!」
振り返ると、伯爵が豪快な笑顔で両手を広げていた。
「呪われているせいで誰も買い手がつかず、カミール子爵も持て余していたのです。お家様が解決してくださるなら、この際ただでお渡しする、と先ほど話をつけてきました」
「旦那様、朝からそのような交渉を……」
「エレノア、今の私に不可能はない!」
夫人がこめかみを押さえた。ルカが「伯爵様、元気すぎるね」とひそひそした。ミアが「昨夜の訓練のせいだよ」と小声で言った。
(……ミア)
「……なんでもないです、お家様」
カシムが咳払いをしながら、伯爵から差し出された屋敷の鍵を受け取った。
「……お家様、これで王都本店の拠点が確保されましたな」
(……ああ。掃除の時間だ)
俺はドローンをアイテムボックスから射出し、屋敷の正面扉に向けた。
【新規プロジェクト:王都本店・魔改造リフォーム】
【目標:毒素の完全除去、および最高級居住空間の構築】
【予算:現在の保有BPより捻出】
ミアが屋敷の庭に一歩踏み出しながら、おそるおそる上を見上げた。
「……大丈夫かな、お家様。なんか、すごく暗いよ」
(……大丈夫だ。俺が一番得意な仕事だ)
ルカはカニを振り回しながら「お化け屋敷だ! 楽しそう!」と駆け出そうとして、ミアに首根っこを掴まれた。
俺は深く重い駆動音を一発鳴らし、全システムの出力を最大に引き上げた。
王都で最も「呪われた」と噂される屋敷が、お家様商会の王都本店に生まれ変わる日は、そう遠くない。




