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転生したらボロ小屋でした。〜住人の笑顔が燃料なので、全力でおもてなしします〜  作者: ひろボ


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第27話 自尊心の味

 王都東区の朝は、泥を啜るような重苦しい空気から始まる。


 炊き出しの翌朝、教会の前には昨日の三倍を超える、およそ三百人の群衆が膨れ上がっていた。


「東区の教会に行けば、肉の入ったスープが食える」


 その噂は絶望に慣れきったスラムの住人たちにとって、救いではなく「当然の権利」へと急速に書き換えられていた。


 だが、教会の門が開いた瞬間に響いたのは、感謝ではなく、地鳴りのような怒号だった。


「なんだこの薄い汁は! 昨日の肉はどうした!」


「シスター! 隠して自分たちで食ってんだろ! さっさとあの豚汁を出せ!」


 詰め寄る男たちが、怯えるシスターたちの肩を掴んで激しく揺さぶる。

 シスター・マルタが悲鳴を上げ、手に持っていたお玉を落とした。


「お家様、このままだとシスターさんたちが怪我をしちゃうよ! みんな、昨日の味を忘れられなくて暴徒化してる……!」


 助手席でミアが身を乗り出し、祈るように両手を組んでモニターを凝視している。


 俺(お家様)はドローンとして上空からその光景を冷静にスキャンしていた。


(……仕組みがない。動線がない。ルールがない。昨日、事前の説明なしに『最高体験』を与えすぎたツケが、現場への攻撃として返ってきているな。これは運営の完全な設計ミスだ)


 前世で言えば、準備不足のまま超大型キャンペーンをぶち上げて、サーバーダウンと同時に店舗が焼き討ちに遭っているようなものだ。


 俺は冷徹にアイテムボックスを展開した。


 ◇


 まず、教会の入り口に温水が出る手洗い場を設置した。


 そして、BPショップから召喚した工事現場用のトラポールと黄色と黒のチェーンを、門から大鍋までの動線に沿ってシュパパパンと射出した。


 石畳に突き刺さるポールの音。

 規則正しく張り巡らされる黄色と黒の境界線。


 それはこの世界の住人にとって、言語を介さない、不気味なほど冷徹な「ルール」の提示だった。


「おい、なんだこの縄は! 邪魔だ、どけろ!」


 一人の大柄な男が、威嚇するようにチェーンを乗り越えようとした。

 その瞬間、俺はドローンのアームから微弱な電撃を放った。


 バチィッ!


「ぎゃあああっ!?」


 男が跳ね除けられ、地面を転がる。

 広場に一瞬、真空のような静寂が訪れた。


「スープを受け取りたい者は、まず手を洗ってください。順番を守り、手順に従う者から配ります」


 カシムが、いつもの穏やかな商人ではなく、冷徹な現場監督のようなトーンで声を響かせた。


「いいですか、皆さん。あるじは無礼を最も嫌われます。ここに引かれた線は、慈悲と無秩序を分ける境界線です。越える勇気があるなら、相応の報いを受ける覚悟をなさい」


 人群れの中から、腕に古い傷跡があるがっしりした男が前に出た。

 かつては兵士か職人か、何らかの誇りを持って生きていた人間の顔だ。


「何が順番だ! 汁は薄くなりやがって、ルールだけは一丁前かよ! 結局、お前らも俺たちを弄んでるだけじゃねえか! 美味いもんを見せびらかして、首輪を繋ぐのが目的なんだろ!」


 男の言葉に、周囲から「そうだ!」「ふざけるな!」と同調の声が上がる。


 俺はドローンを、男の鼻先まで降下させた。

 男は後ずさらなかった。睨みつけてくる目の中に、剥き出しのプライドがある。


(……施される側に回った自分を許せない、最後の矜持か。前世の不遇な現場にもいたな。無能な上層部に絶望して、自ら腐っていった優秀な人材が)


 俺はドローンのアームを使い、一冊の絵入り図解マニュアルを男に差し出した。


「俺たちを子供扱いするな。紙切れ一枚で腹が膨れるかよ!」


 男はそれを奪い取ると、力任せに地面に叩きつけた。


「あーあ、お家様がせっかく描いたのに。おじさん、もったいないよ。それ、すごく大事なことが書いてあるんだよ?」


 後ろから、ルカがひょこりと顔を出し、叩きつけられたマニュアルを黙って拾い上げた。

 土を払い、じっとその絵を見つめている。


 ◇


 翌日。


 俺は教会の裏庭に丈夫な作業台を設置した。

 そして、孫ドローンが南の海から回収してきた『虹色真珠貝』の山をぶちまけた。


「仕事です。洗浄、研磨、仕分け。商会が買い取ります。スープは、その報酬です」


 カシムがマニュアルを開いて手順を見せる。

 昨日の男は、また遠くで腕を組んで見ていた。


 ルカが、湯気を立てる器を持って男の方へトコトコと歩いていった。

 中には、肉と根菜がどっさり入った豚汁がある。


「ねえ、おじさん。やってみないの?」


「……ガキには関係ないと言ったはずだ。俺は物乞いじゃねえ」


「でも、お仕事したら、ずっとこれが食べられるんだって。昨日は薄くてごめんなさい。でもお家様が、働いた人にはちゃんとしたやつを出すって決めたんだよ。おじさん、お腹空いてるんでしょ?」


 焦がし味噌の芳醇な香りと、豚肉の脂が溶け出した甘い匂いが、男の鼻を執拗に突いた。


「……何が目的だ、お前ら。この豚汁、教会の予算じゃ絶対無理だ。いつまで続けられる」


 男が、ルカの後ろで滞空する俺を鋭く値踏みするように見た。


 俺はドローンをゆっくり左右に振った。

 俺が寄付し続けるのではない。お前たちの磨いた貝が、この豚汁に変わる「持続可能なシステム」を組んだのだ。


「……ふん、機械の動きじゃわからん」


 男はその日、作業台には近づかなかった。

 だが、ルカの隣に座り、差し出された豚汁だけは食べた。


 一口噛みしめるたびに、男の震える手が器を強く握りしめていた。

 その瞳は、かつて自分が守れなかった何かを思い出しているようでもあった。


 ◇


 三日目の早朝。


 俺が教会に着くと、裏庭の作業台の前にあの男が一人で立っていた。


「……やり方、教えてくれるか」


 男は低い声で言った。

 俺はアームでマニュアルを差し出した。

 男はそれを両手で受け取った。


 今度は、叩き捨てなかった。


 男は黙々と作業を始めた。

 その脳内には、泥に塗れた過去が去来していた。


 かつては、俺にも隊があった。部下がいた。

 だが、上からの無茶な命令と、届かない補給のせいで、俺のいた場所は崩壊した。


 信じていた『規律』は、俺たちを捨てたのだ。

 ――だから俺は、ルールなんて言葉を吐き気がするほど憎んできた。


 男は貝を磨く。

 泥を落とし、粗い布から柔らかい布へ。


(……だが、この紙切れはどうだ。上から目線の命令じゃない)


(ただ『こうすれば、誰でも光らせることができる』とだけ、淡々と示している)


(この鉄の鳥の目は、俺が元兵士だろうが物乞いだろうが関係なく、貝の輝きだけを見て合格か不合格かを決める。……理不尽がない。それが、こんなに心地いいなんてな)


 一時間後、カシムが来た時、男はすでに貝を磨き終えていた。


「その角度では光が反射しませんな。そんな品質では、豚汁の肉のランクが落ちますよ」


 カシムが横から、わざとらしく冷たく指摘した。


「……わかった。もう一度だ。肉のランクを落とされてたまるかよ」


 男は言い訳せず、角度を変えた。


(……本の通りに動くだけで、俺の薄汚れた指先から、見たこともないような虹色が生まれてくる)


(十年間、何も生み出さず、ただ奪われ、奪い合うだけだったこの手がだ。……俺はまだ、死ぬまで乞食でいたくはない)


(あの豚汁に、一生借り返しっぱなしは嫌だからな。プライドってのは、腹が減ってても捨てきれねぇもんなんだな)


 夕方、男の仕上げた貝が十個並んだ。

 俺が検品し、八個を合格にした。


 不合格の二個を指し示すと、男は悔しそうに唇を噛み、黙って磨き直した。

 日が暮れる頃、その二個も合格になった。


 男が、自分の磨いた十個の貝を陽の光にかざした。

 虹色の輝きが、男の顔を照らした。


 しばらく、何も言わなかった。

 だが、その瞳には失われていた職人の光が戻っていた。


 チャリン。


【通知:個人の尊厳の回復を確認 ―― +50BP】


 ◇


 五日が経過した。

 あの男は今、作業台のリーダーになっていた。


「おい、そこじゃない! この角度だ。手を抜けば、スープに具が入らなくなるんだぞ!」


「いいか、俺たちは乞食じゃねえ、お家様商会の『職人』だ。職人は、仕事の出来栄えで語るもんだ!」


 昨日まで「強い奴が先に食う」と怒鳴っていた男が、今は「規律」の体現者となっていた。

 教会の前でも、列に割り込む者がいれば、周りの住人が声を上げる自浄作用が生まれていた。


「お家様、見て。あのおじさん、なんだかすごく生き生きしてる」


 ミアがモニターを優しく見つめながら呟いた。


「……人は、ただ食べるだけじゃダメなんだね。自分が誰かの役に立ってるって思えないと」


(……ああ。全くだな、ミア)


 俺は心の中で答えた。


 ただ与えるだけ。それは一時的な充足にはなるが、同時に彼らの「自分の力で立つ意志」を殺す毒にもなり得た。


 昨日のような暴動は、その甘えの裏返しだ。


 俺がやるべきは、施しを続けることじゃない。

 彼らが自らの手で、誇りと共に、明日の飯を掴み取るための「仕組み」を渡すことだったんだ。


(……このクエスト、本当の正解は『炊き出し』の完遂じゃなく、この『循環』の構築だったわけか)


 自尊心という名の、最高級の調味料。

 それが加わって初めて、俺の作った豚汁は完成したと言える。


「お家様、あのおじさんにカニあげていい? 今日は一番たくさん磨いてたから、ボーナスだよ!」


 ルカもカニの足を掲げて、男の元へ駆け出していく。


 打算。効率。そして、最高品質の具だくさん豚汁。

 これらが噛み合い、教会とスラムは「依存」から、明確な利害関係を伴う「パートナーシップ」へと変化した。


 ◇


 七日目。夕暮れ。


 カシムがすべての引継ぎ書類をバインダーに綴じた。


「お家様。代理人への引継ぎ、物流ルートの固定、すべて完了いたしました。王都支店は、我々が常駐せずとも、あの男がいれば完璧に回り続けるでしょう」


 俺はドローンのカメラをゆっくり左右に振った。


(……いや。予定変更だ。カザン村も大事だが、この王都にはまだ改善すべき場所が山ほどある)


(この非効率、この不衛生、この停滞。……前世の社畜魂が、ここを放っておけと言っている)


(ここに『お家様商会・王都本店』を本格的に構えるぞ。カシム、まずはこの近辺の物件をスキャンしろ。事故物件でも構わん、俺が『除菌』してやるからな)


「……ハハッ、承知いたしました。やはりお家様は、この騒々しくも不合理な街が気に入られたようですな。残業代は弾んでいただけますかな?」


 打算。効率。そして、ほんの少しの満足感。

 俺たちは王都を離れない。


 むしろここを拠点にして、この不衛生な大都市を根底から「ハック」してやる。


 王都の夜景が、モニター越しに期待に満ちて輝いている。

 一度知ってしまった『標準化』の魔力は、もう誰にも止められない。


【通知:王都本店の設立プロジェクトを開始 ―― 期待BP還元率:極大】


 お家様(俺)の本格的なプロジェクトは、ここからが本番だ。

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