第26話 お家様商会
王都の朝は、ひどく騒がしく、そして不潔だ。
石畳を叩く馬蹄の音。
安物の油で得体の知れない肉を揚げる臭い。
そして行き交う商人や冒険者たちの、野心と焦燥が入り混じった怒号。
だが、王都東区の片隅にある放棄された空き地。
そこに停車した俺、お家様の自家用車の中だけは、別世界のような静寂と清潔さが保たれていた。
気密性の高いボディーと魔力で最適化されたエアコンが、外界の悪臭を完璧にシャットアウトしている。
助手席では、ミアがBPショップで出したホイップクリームたっぷりのココアを両手で大切そうに抱え、リクライニングを倒して幸せそうにうとうとしていた。
後部座席ではルカがリスのように動物ビスケットを頬張り、運転席のダッシュボードではカシムが、昨日の炊き出しクエストの収支報告を厳しい目で見極めていた。
(……カシムの奴、相変わらず数字にはうるさいな)
カシムが厳しい顔をしているのは、昨日の炊き出しで放出した食料の山を見て、サプライチェーンの維持を心配しているからだ。
前世で言えば、売上は爆増したが、倉庫の棚卸資産が物理的にゼロになった状態。
元貴族の管理職として、リスクマネジメントの観点から「次の供給が間に合わなければ破綻する」と危機感を抱くのは当然の反応といえる。
だが、彼には見えていない真実がある。
この世界で俺だけが認識できるBPの存在だ。
カシムにとっては食料の喪失という赤字に見えても、俺のシステム上では過去最高のBP還元という莫大な利益が確定している。
このポイントさえあれば、失った食料などいくらでも召喚(発注)できるのだが……。
それを説明する術がないのが、孤独な経営者の辛いところだ。
さらに、昨日の大規模な炊き出しにより、俺の累計獲得BPは一定の閾値を超え、システムから新たな機能がアンロックされていた。
施設機能アンロック:階層型意識分割(多層化)
内容:意識分割体が、さらに別の意識分割体を作成・制御可能になる。
これまではカザン村の本体から直接枝分かれするしかなかったが、今はこの王都のドローン(親)から、さらに遠隔操作用の分体(孫)を生み出すことができる。
いわば意識の孫会社設立である。
俺はこの新機能を使って、昨夜のうちに、もう一機の偵察用ドローンを南方の海岸線に向けて射出しておいた。
王都にいながらにして、気候の違う地域の特産品や資源を確保し、在庫を多様化させるための極地任務だ。
しかし、この便利な機能には社畜泣かせなリスクも伴う。
意識を分割している最中の記憶は、分体を解くまで同期されない。
さらに、一気に分割解除を行うと大量の記憶が一度に流れ込み、親、そして本体へ凄まじい精神疲労が襲いかかる。
物理的な脳はないはずだが、回路が焼き切れるような頭痛と吐き気が引き起こされるのだ。
(……さて、南方へ飛ばした孫は順調か。共有ストレージの容量変動をチェックすると……お?)
共有されているアイテムボックスの容量感覚を辿ると、見覚えのない反応が急増していることに気づいた。
俺は車外に滞空させているドローンのアームを使い、アイテムボックスの中から現物を一つ、車内に向けて無言で引きずり出した。
「わっ!? なんか出てきた! しかもデカい!」
ミアがココアをこぼしそうになりながら飛び起きた。
ドローンのアームが掴んでいたのは、虹色に輝く巨大な貝。
南方の幻と言われる虹色真珠貝だ。
しかも、ついさっきまで海にいたかのように身を震わせ、潮の滴を滴らせている。
「うわぁ、きれい……! お家様、これどこから持ってきたの? これ、すごく高いやつだよね?」
助手席でミアが、虹色に輝く真珠貝をうっとりと見つめている。
だが、後部座席のルカはもっと現実的な獲物に食いついた。
「あっちに、もっとおっきいサワガニの足もいるぞー!! ルカより大きい!」
アイテムボックスの口から溢れそうになっている、トゲトゲした巨大な魔物の足。
彼女たちが知るサワガニとはサイズも迫力も別次元のシロモノだ。
カシムも帳簿から顔を上げ、驚愕の表情を浮かべて固まっている。
「……真珠貝に、南方の魔獣の足、だと? お家様、まさか昨晩のうちに南の海まで行ってきたのですか……? 王都から南までは三週間はかかるはずですが……」
(……俺はここから一歩も動いていないが、俺の孫が死ぬ気で拾ってきた成果だ)
俺は無言でドローンのアームを動かし、カシムの目の前に複写式の登記申請書を突きつけた。
「……なるほど。この規格外の在庫を武器に、一気に商会として王都へねじ込むわけですな」
(……どうやら南方へ行かせた俺が、報告もなしに勝手に最高級食材を回収しやがったな。出張に行かせた部下が、相談もなく経費で生鮮食品を大量に送りつけてきた状態だ)
記憶が同期されていないせいで南で何が起きているか把握しきれんが……。
この物流の完全無視は、商売にはこれ以上ない暴力的な武器になる。
炊き出しでの食料放出を補って余りある、王都では手に入らない超高級食材の山。
これならばカシムも納得するだろう。
俺はドローンのアームを使い、次にBPショップで購入しておいた一枚の書類。
カーボンレス複写式の商会登記申請書を、カシムの目の前にバサリと置いた。
「……お家様、まさか今日中に商会を立ち上げろと? このふくしゃの書類と共に?」
カシムが俺のアームの動きから意図を察し、鋭い目つきで頷いた。
「……承知いたしました。南方の真珠貝に、魔法のような事務書類。これほどの物証があれば、商業ギルドの役人を黙らせるなど赤子の手をひねるより容易い」
カシムが立ち上がり、スライドドアが開く。
王都に新しい標準を作るための、爆速起業の始まりだった。
◇
王都商業ギルド。
商人たちの野心と焦燥が入り混じった窓口に、カシムが悠然と歩み寄る。
その後ろには、全長二メートルの銀色の軍用球体である俺が、威圧感を隠さずホバリングしている。
周囲の商人が「なんだあのゴーレムは」「新種の魔導具か」とざわつく中、窓口の事務官が面倒そうに顔を上げた。
「商会登記か。……おい、後ろの不気味なそれは何だ。使い魔か?」
「物流管理魔道具です。それより事務官殿、こちらの書類を。お忙しいでしょうから、最短で終わらせましょう」
カシムが、俺の指示で作成した申請書を差し出した。
それは雪のように白い最高級の上質紙。
項目は整然と整理され、そして何より。
異世界の役人が見たこともないカーボンレスの複写式書類となっていた。
中世のこの世界では、書類の写しを作るには専門の筆生が時間をかけて書き写すのが当たり前だ。
そこに現れた、筆圧だけで魔法のように裏まで鮮明に写る紙。
事務のプロである役人にとって未知の衝撃だった。
「……な、なんだこの書面は。文字が、文字が二枚目にも写っている。魔法か!?」
事務官が悲鳴に近い声を上げた。
事務手続きの二度手間を省き、改ざんを防止する事務の標準化。
社畜が最も愛し、そして中世の役人が最も驚愕するオーパーツだ。
「呪いではありません。我が商会の標準規格です。驚くのはまだ早い」
カシムの合図に合わせ、俺はドローンのアームを使い、アイテムボックスの中から虹色真珠貝の山をカウンターにどさりと射出した。
ドサリ、という重たい音。
ギルドのむせ返るような空気の中に、爽やかな南の潮の香りが一気に広がった。
「な……!? 南方の真珠貝!? 馬車で三週間はかかるはずのものが、なぜ今ここで、潮の香りをさせているのだ!?」
事務官の眼鏡がずれ落ちる。
さらに俺がアームで掲げた、極彩色のページが躍るファッション雑誌がトドメとなった。
精緻な写真と図解が、事務官の脳を一瞬でフリーズさせた。
「距離の概念がないのです、我が商会には。……事務官殿、登記を」
事務官の脳内では今、この未知の商会がもたらすであろう莫大な税収と、認可した際の手柄が凄まじい勢いで計算されているに違いない。
「……わ、わかった。拠点はどこにする」
「東区第十四空地。現在、我が商会の拠点が停車している場所です。権利関係に瑕疵はありません」
「……登記を認める」
事務官が震える手で、ギルドの公印を書類に押し当てた。
通知:お家様商会、王都に登記完了 ―― +1,000BP
通知:新たな拠点を確保 ―― 期待BP還元率:大
(……よし。まずは一歩だ。ここに俺たちの城ができた)
◇
空き地に戻ると、案の定、地元のゴロツキが三人、俺の自家用車を囲んでいた。
「おい、見たことねぇ鉄の馬車だな。中に何が積んである。少し中を見せろよ」
一人がニヤニヤしながら、車のボディーを触ろうとした。
カシムが、先ほどの登記済証をこれ見よがしに取り出した。
「立ち去れ。ここはたった今、我が商会の敷地となった。無断立ち入りは王都法に対する侵害とみなす」
「紙切れ一枚で何ができる。おい、やっちまえ……」
ゴロツキが拳を固めた瞬間、俺は車体の防犯フィールドを起動した。
自家用車のホイールから魔力チャージ音が漏れ、車体周囲にパチパチと青白い火花が躍り始める。
俺の魔力を増幅した雷魔法(微)だ。
バチィッ!!
「ぎゃああああかっ!!?」
強力な電磁ショック。
三人まとめて吹き飛び、空き地の外まで転がっていった。
俺は無言で、アイテムボックスから現代日本の工事現場でおなじみのトラポールとチェーンを取り出した。
シュパッ、シュパッ、シュパッ。
アームを高速で動かし、空き地の境界線に沿って、等間隔でポールを立て、チェーンを張っていく。
その鮮烈な警告色と異質な質感は、魔法以上の威圧感を放っていた。
「……あの黄色と黒の縄張り印、なんか怖いな」
「見たことない色だが……本能が近づくなって言ってる気がする」
(……正解だ。人間、黄色と黒の組み合わせを見れば、無意識に危険を察知するようにできている。前世でも散々お世話になった警告色の威力だ。これでお家様商会の聖域は完成した)
◇
夜。確保した駐車場で、俺たちは自家用車のルームライトを灯し、最初の商品会議を開いていた。
ルカは動物ビスケットを抱えたまま後部座席ですやすやと眠り、ミアは南方から届いた真珠貝をバター焼きにして、幸せそうに頬張っていた。
「……おいしい。やっぱりカザン村のお家様の家が一番落ち着くけど、王都でもこんなにおいしいものが食べられるなんて」
ミアが窓の外、煤けた夜景を眺めて少し寂しそうに微笑んだ。
「お家様の家に戻ったら、もっとたくさんこれ食べられるかな?」
俺はドローンの機体をゆっくりと上下に揺らした。
もちろんだ、という代わりの動作だ。
そして、俺は南方へ飛ばしていた孫の分体との意識接続を解除した。
(……っ!?)
瞬間、ひどい目眩が来た。
膨大な記憶が一気に俺のメインメモリへと逆流してくる。
南の海。青い空。虹色の貝の群れ。
それから――突然現れた、巨大な海龍。
絶体絶命の瞬間、分体が自分ごとアイテムボックスに飛び込み、接続を強制ログアウトした時の衝撃と恐怖。
死の恐怖を数日分まとめて叩き込まれる精神疲労が俺を襲う。
(……あ、あいつ、よくあの一瞬で判断したな。……だが、反動が……凄まじい。残業代の出ない過重労働そのものだ)
機体がぐらりと傾ぐ。
ミアが「お家様!?」と慌てて立ち上がり、ドローンを両手で支えようとした。
届かない距離だが、その必死な顔を見て、少しだけノイズが収まった。
(……大丈夫だ、ミア。慣れているさ。……それより、カシム。登記も済んだ。拠点も確保した。次は衛生とインフラだ)
俺はふらつくドローンの機体を安定させ、一度だけ力強く揺らした。
(王都中の人間が、俺の出すドライシャンプーと除菌ウェットティッシュなしでは生きていけなくなるようにしてやる。中毒性の高い利便性をこの街にばら撒くんだ)
「ふむ」
カシムが帳簿にさらさらとペンを走らせ、小さく笑った。
「カザン村で始めた時と、やり方は変わりませんな。……実に、お家様らしい」
トラポールの内側。
王都という巨大な不衛生の海の中で、お家様商会の侵略が静かに、そして爆速で始まった。




